友だちの離婚相談にのっておりました。



私は離婚肯定派。

何がなんでも離婚を推奨するわけではないけど、もしその時点で自分を誤魔化している部分があるのなら、そこに目を向けて自分の本心を見たほうがいいと思っている。

その上での離婚なら、後悔はないと思うから。




友だちは、ずーっと踏み切れなかった。
↑過去形ね

違和感を感じても事実を見ようとしなかった。
↑過去形ね

怖いのはわかるけど、事実を明らかにすることで次のやることが見つかるから、とにかくひとつ行動することが大事だと思うんだと伝えた。

彼女は動いた。

それからの彼女の行動力はすごかった。





先日、その友人とランチしたんだけど。

彼女はすでに離婚を決めており、「もう無理っしょ!」と言ってのけた。

現実逃避低空飛行の彼女からは想像できなかったお姿真顔キリッキラキラ

以前の彼女は、離婚後の旦那さんのことを心配したり、子どものことを気に掛けたりしていたけど、それは現実を受け入れたくなくての言い訳だった。

そして…



老後に

一人になるのが

寂しいって思ってたんだよね





と、本心を言った。






それな…






結婚してたって、いずれ一人になることもあるわけで。

結婚していても、最後までお互いが心を許せないのならば、一緒にいたって余計に寂しいものだろう。



自分の人生だと、腹を括るときがいつか必ずやってくる。(腹を括らずにやり過ごすこともできるけどね)



どう在りたいかなのだね、どうしたって。





一人になるのが寂しいという自分の本心を知ると、次のステップに進めるもんで。




果たして

自分の老後は寂しいものなのだろうか




彼女は…

別に、自分には仕事もあるし、趣味やサークルなど楽しめることがある。

よくよく考えたら、



離婚 = 寂しい



は、思い込みだった。






方向性はハッキリしたところで、お次は親ですわ。

親にどう話すか…という話題になった。

「ぷんちゃん、親にどう話したの?」

と、聞かれた。

「ん?真顔






あ、そうだった!

自分がバツイチなのを思い出した。笑

彼女は学生からの友人で、私の初代の旦那をよく知っている。

ちなみに、私の場合は親に結婚自体を反対されていたので話はスムーズだった。



ただね。


「ほら見たことか」じゃないけど…

「あぁすればよかったのよ」とか

「やっぱりね」とか

「だから言ったでしょ」とか


子どもの気持ちに寄り添うこともなく放たれる言葉には、耐え難いものがある。

私たちの親は、それ言っちゃう派。

「だよねーーーっ」

って、笑ってしまった。



ガッツリ昭和を生き抜いてきた価値観って、それ自体を否定はしないけど、苦しく感じてしまうのは否めない。

決めつけの嵐に抵抗力も奪われる。

自分の生きてきた歴史の中で培った価値観に、絶対的な自信があるのよね。

何度もいうけど、それを否定はしない。

何につけ正解なんてないし、それぞれに正解があるのだから否定する気が起きない。



ただし、親にされて苦しかったことは自分の子どもにはしない。

それも私たちの共通項だった。





後日、私はウチのPとキャンプに出掛けた。

二人だと出掛けやすいけど、一人でもできないものでもないな…と思う。

要は、自分の本心にまっすぐであれば、言い訳せずに自分を十分に堪能できるだろうということ。

あっ上差し

Pが先に逝き、一人になったときのことを妄想中です。

暫く、放心状態になるだろうが…



いつか、息子も独り立ちするからね。

そうなったら、それこそ私は私を愉しむことに専念したい。




ときに、友だちをキャンプに誘ってみようと思う。






追記

タイムリーな記事を見つけた