お正月休み、あっという間でした。
明日から、お仕事です
そして、あまりに濃厚な年末年始の出来事も、これはこれでひとつ区切りを迎えている気がします。
年末、義実家に帰省するか否かに始まり、しなかったことで年明け早々に義母からの先制パンチ、実母の元日の朝からの電話と、なんでこんなに両方の親から干渉されまくってるんだろう???と、カラオケに行って気分転換しても、やっぱりどこか引っかかっていました。
この件が気になる方は コチラ
『自分の心が曇り続けることが、たぶん生きてる中で一番耐え難いこと』と気づいたのは、息子が不登校になって、ブログを始めて、それまでを振り返りながら記事を書いていたときでした。
『知りたい』というのが、いつもベースにある気がします。
本当はどうしたいのか。
何が本質なのかを見つけたい。
そして今は、『なぜ、掻き乱されるのか』の本質を見つけたい。
そこで息子の、物事に翻弄されない姿を思い出しました。
その次に、息子の不登校が苦しくて仕方なかった頃の自分と、その後それを受けいれた時の自分の違いを。
受けいれられなかった時は、誰が良いのか悪いのか、学校へ行くか行かないかの二極的思考でした。
不登校を受けいれてからは、その事実はそれとして、今、自分ができることは何なのかだけに生きている。
決して今は、搔き乱されていない。
そして、不登校に翻弄されてはいない。
きっと、義母や母に対して、良いか悪いかのジャッジをし、そのままを受けいれずに来たんだと思いました。
たぶん、これがこの件の本質。
今後、このジャッジが始まったら、今、私は受け入れてないという指標になるなと思いました。
それに気づいたら、その事実はそれとして、今、自分ができることは何なのかだけに生きる。
今年、この方向でいこうと思います。
この気づきのために一役買ってくれた、義母、母に感謝です。
そして、周りでサポートしてくれた、パパと妹。
いつも、言葉でなく存在で示してくれる息子にも。