ぼっちさん、ALSと同居する

ぼっちさん、ALSと同居する

兄弟姉妹なし配偶者なし子供なし
両親はそろって認知症
そんなアラフィフ独居女のもとへとやってきたのは
神経難病ALSでありました

ACPでは「これからどう生きたいですか?」と尋ねられる。

何を大切にしたいか、どこで過ごしたいか、どんな医療を受けたいか、誰に意思決定を託したいかなど、これからの生活を本人の希望から組み立てていく。

どちらかというと希望・価値・選択を尋ねる問いだ。

 

私はこう問いかけられると答えられなくなってしまう。

「こんなことをしたい、あんなことをしたい。こういうふうに生きていきたい」と目標や希望を述べても、予測できない進行で実現できなくなったりする。

ポジティブでアクティブな人なら「できない理由を探すな!」で決して諦めないのだろうけれど、私にはそこまでの不屈精神はない。

せっかく目標を立てたのに……とヘコんでしまう。

 

今から振り返るとお爺医(前医)は巧かったなと思う。

お爺医も初めのうちは「これからどう生きていきたいか」という尋ね方をしていた。

けれども徐々に「これからどう生きていくか」にシフトさせていった。

一見すると「これからの人生をどうするか」という同じ問いなのだけど、出発点が異なるのだ。

 

「どう生きたいか」は希望を尋ねる。
「どう生きていくか」は現実を含めて問う。

ALSになってしまったという、本人が選んでいない事実を消さない。
できる・できないを含めて、今ある現実からどう生きるかを問う。
必ずしも「希望どおりに生きる」という答えにはならない。

「この条件になったあなたは、どう生きるのか」だ。

 

これはできなくなった、では何を残すか。
これは諦める、でもこちらは続けたい。

死ぬのは怖くない、でも別れは寂しい
寂しい、でも出かけたいし会いたい――。
そういう矛盾や喪失まで含めた生き方が、そのまま問いの中に入ってくる。
こうしたいという希望だけでなく、こうなってしまったという現実も人生の一部として丸ごと入っている。

 

「どう生きたいか」なら、こちらの希望や意思を尋ねられている感じがある。

「どう生きていくか」には、あなた自身が引き受けて考えなさいという響きがある。

後者のほうが少し厳しい。

しかしながら自由な問いかけにも感じる。
お爺医の問いは一般的なACPよりも、少し実存的だったのだと思う。

 

ただこれは主治医になって間もないタイミングで、特に若い先生がやると地雷を踏む気がする。
「どう生きたいか」なら、あらゆる医療者が尋ねても比較的安全。
「どう生きるか」は関係性ができていないと、かなり踏み込んだ問いになる。
自分の子供ぐらいの年齢の、しかもラポール形成が全然できていない医師から「ALSになったご自身が、これからどう生きていくかですよ」なんて言われたら、「黙れ小僧、おまえに説教される筋合いはないわ」で『患者様ご意見箱』に投書することになるだろう。

 

そんなお爺医は来春また異動する。

次の勤務先では診療業務はしないのでカウンセリングは受けられない。

そのためお爺医に代わるカウンセリング先を何人か、主治医先生に提案していただいた。

 

①主治医先生の医局(他県の大学病院)

ALS専門医として有名な教授がおられ、多職種連携体制を早くから導入しているらしい。

そこの看護師や臨床心理士はALSのカウンセリングに慣れているとのこと。

 

②難病支援センターの職員

ALS当事者や家族からの相談にも対応しているとのこと。

 

③院内の臨床心理士

専門は緩和ケア病棟の末期ガン患者だが、時間を割いてもらえるかもしれないとのこと。

 

私は相談したいことをいくつか挙げ、最も相性が良さそうな窓口のご提案を求めた。

相談したいことは例えば、

 

a)私は人生に◯◯のようなことを求めているが、人生は私に何を求めていると思われるか?

 

b)今後のことを考えると心が「闇」のほうに進んでしまい、ポジティブになろうとすると前向きな患者さんたちの「光」に押し潰されてしまう。

かといって自分の抱える「闇」が何かを知るためには、それを照らす「光」が必要となる。

私にはどのような「光」が必要なのか?

 

c)先日公表された「4学会合同ガイドライン」はALSにはどのように運用される見込みか?

日本尊厳死協会には見解を得ている。医療者側の見解と比較したい。

こうしたガイドラインを作成するきっかけの1つと言われる「福生事件」でのACP上の課題は、現在どこまで解決されているのか?

 

主治医先生は「普通の患者さんは症状進行や生活支援のことしか悩まないのに」と頭を抱えながらも、相談先としてふさわしいのは③かもしれないと、予約を入れてくださった。

こじらせた患者で申し訳ない、主治医先生。

でも私にはこうしたことを考えることは日々の体調管理を怠らないのと同じぐらい、いや、それ以上に大切なことなんだ。