前回の記事の続き
ALSと生きる意味は何か、今後どう人生と向き合っていけばいいのか。
身体機能が失われてゆくなかで、どのように自己を維持すればいいのか。
医療介入が迫るなか、私はこうしたことを悩むようになっていた。
まずは神経内科専門医でもあるご住職を訪ね、お話を伺った。
・「苦しみとどう闘うか」ではなく「苦しみがどこから来ているかを知り、どう受け入れていくか」
・自分がいる場所は「生きること」が開かれているのか、閉じられているのか
を考えることを教わった。
そして時期を同じくして主治医先生からも、相談先のご提案を受けた。
連携体制が取れる医師で、私の こじらせてグダグダした性格 相談内容を考えると適しているのではないか――と勧めてくださった先は、異動したお爺医(前医)だった。
正直なところ、私としては「うーん」だった。
異動直前になって「患者が自分の家族だったらと想定しろと(教科書的に)言われるもの、現実では他人でしかない。他人のことは分からないし、口出しする権利もない」と背を向けた御仁である。
私が医者だったら、こういう形で引導を渡した元患者の紹介状が上がってきても、理由をつけてお断りする。
前医がそんな事を言っていたと主治医先生にチクるわけにもいかず、考えさせてほしいと保留にしてもらったつもりが行き違いとなり、紹介予約のFAXが送られてしまった。
主治医先生いわく「このあいだ学会で偶然に前医先生にお会いしたんで、私からもお願いしておいたから」
そしてほどなく、受診日決定の連絡が来た。
うーん。
とにかく行ってみることにした。
病院のシステムに詳しいOTさんから「相談したいことを事前にメールしてはどうか」とご提案を受け、早めにお爺医に送った。
(春の医局大異動で、それまで3~4人の専門医で分担していた難病患者を主治医先生1人で抱えることになってしまった。そのため異例の対応ではあるけれど、一部の引き継ぎ患者については暫定的に「分業制」が取られることとなった。医療的判断や必要書類の発行は主治医先生が受け持ち、ACP的な部分はそれぞれの前医がサポートする体制だ。該当する患者には各前医のメアドが渡された)
お爺医からの返信はなかった。
3か月間のブランクがあるので「この患者、誰だったかな?」となったのかもしれない。
OTさんいわく、部長回診でも入院患者の名前を全然覚えていないことで有名だったらしい。
受診日の前日の夕方、お爺医から突然メールが来た。
【列車内で立っているのは体力的に負担なので、指定席を取るように】
ふむ。
翌日診察する紹介患者の診療情報提供書を見て、思い出してくれたのだろう。
一応、相談には応じてくれるようだ。
ちゃんと指定席を取りましたと返信しようとしていたら、またメールが来た。
【指定席を取るように(普通車)】
どうせ私はグリーン車に乗るだけの財力はありませんよ。
すると、またまたメールが来た。
【ところで明日は何時に来るのか】
時間枠は事務の独断で決めるのだろうか。
医師は当日パソコンを開くまで、何時にどの患者の予約が入っているか分からないのだろうか。
私は「10時までに受付、11時から診察と伺っています」と返信した。
【そんなに早く来なくてもいい。受付は11時でよろしい】
いやいや、そちらの病院からは「受付時間は10時まで」と強く言われているんですけれど。
【そんなに早く来られても困る。ゆっくり来なさい。受付は11時でよろしい】
お爺医のメールの署名には「脳神経内科 副院長」とある。
いくら副院長でも規則で決められた受付時間を勝手に変更しちゃだめでしょうが。
しかもあなた、異動してまだ3か月足らずの"新参者"なんだし。
いずれにしろ初めての病院での紹介受付は、時間に余裕を持たせて動くのが賢明だ。
規則どおり10時までに受付を済ませ、 11時少し前に診療科に受付票を提出した。
診察室に受付票を持っていた事務員さんは、やがて受付票を手に引き返してきた。
「午後のほうが時間があるそうなので、13時半頃にまた診療科に来てください。それまでお昼ごはんでも食べてきてくださいとのことです」
なんかもう、むちゃくちゃである。
仕方がないので院内食堂で腹ごしらえをし、13時頃まで売店や図書室を散策しようとスマホを片づけた時、「おや~?」と声を掛けられた。
なぜこんな所にいる、お爺医!?
午前の診療時間は終わっていないはずだろう!?
いや、そうでもないか。昼休憩をとるタイミングは職員によって異なるか。
白衣もマスクもIDカードも身につけていないお爺医は「村役場の課長」にしか見えず、本人と認識するのに15秒ほどかかってしまった。(続く)
