ブログには、なるたけ正直な感情とか、考えとかを書きたいと思って、ここまで来た。

こんな書き出しをすると、何か一人前に相当量のものを書き上げてきたブロガーさんみたいに聞こえるかもとちょっと心配になる。

が、無論、そんなはずもない。

 

読み慣れた方であれば、最初の数行の文を読んだだけで、大体その筆者の筆力を悟るのではないかと思う。

かく言う私も、できれば文章の上手い人のものを読みたいと日頃思ってしまっている傾向があり、上手い人って、やっぱり最初の何行かを読んだだけで、「あ、この人は上手いわ」って、大げさなようだが、ちょっと鳥肌が立つような感覚を覚えたりする。

 

で、女性に何も媚びるつもりはないが、平均的に言えば、何か女性の書き手の文章センスの良さに感服することが多いように感じている。

何なんだろうかね、それって。

モノを知らないのが丸出しになるのも嫌だし、系統とか遺伝とか、あまりよく分からないが、紫式部とか清少納言とかの遺伝子がたくさん受け継がれてきたのかなあ、なんて思うのである。

 

まあ、関係ない話だけど、結構私はブログの中でもそうだし、そもそもが頭の中で女性に対する敬意というか、女性を称賛するようなことを考えたり、ブログの中で書いたりすることは、無意識に多いかも、である。

が、上記でも言及したかと思うが、別段、女性を持ち上げるつもりも媚びるつもりもない。

ただ、心理分析すれば、これも以前、ここでのブログ内のどこかで言及したかと記憶するが、自分の母親(故人)に対する尊敬の念が影響して、女性全体に対するイメージがめっちゃ良くなっているというのは否定はできない。

が、そのブログ内でやはりその後続けて訂正しているかと思うが、社会人になり、いろいろ酷い女性も十分過ぎるほど見聞きしてきているので、自分の中では男女差別なく、特に女性を贔屓(ひいき)などしていないつもりではある。

まあ、要は、人間、性別とか国籍とか、その他諸々、肩書とか、さほどの関係はない。

そいつがどうなのか。結局は、それだけである。

 

前置きがいつもながら長くなった。

今回ちょっと話題にしたくなった、というか、おっかなびっくりでちょっと触れたくなったのが「自殺」というお題。

 

自分で言うのも何だが、私のような負け組中の負け組所属の、見るも哀れで汚らしい中高年のオッサンが、……って、自分で語っていて悲しく虚しくなるけど、まあ、そのオッサンがだ、このワードを口に出したら、「そら、来た」となるんじゃないか、と。

こいつ自殺するんじゃねえ?と、心配されるというか、憶測されるというか。

 

まあ、そうなるに決まっていると自分でも思うし、それにだ、こんなお題をあれこれ考えている内に、それこそ何か思い余って本当に自殺することになったりしたらどうしよう、なんて、ぶっちゃけ、怖さがめっちゃあるのが正直なところ。

だから、だ。

これまで、結構いろいろ赤裸々に放言してきた私だが、さすがにこのお題は避けてきた節がある。

 

だが、近年、中学生の生徒が自殺した、なんて報道はたまにあるし、それも二人とかで道連れで自死したりなんていう状況だったりの報道なんかを耳にすることが珍しくなくなっている感じがして。

やはり教育に携わらんとする身としては、「なぜ自殺したのだろう」「そこまで追い込まれる悩みがあったのか、それとも何か他の動機があったのか」というような率直な疑問とか、やるせない思いとかがあるわけで、やっぱりこのお題、ちょっと言及しておきたいなっていう気持ちになってきていたりするわけだ。

 

まあ、ホント、私のような、それこそこれまでに自殺していてもおかしくないような種類の人間がこんなお題について語っても、何か語る資格がそもそもないような気もするし。

それでもやっぱ、スルーすべきでないお題な気がとてもするわけだ。

まあ、教育現場で例えると、性教育かな。

きまり悪いから避けたい話題だけど、ちゃんと向き合わないと、望まぬ妊娠で大きく人生を狂わされる女子生徒とかの事件を減らせないだろうし、とか。

 

作家、柳美里氏の著作で「自殺」について学生さんと議論した様子を収録したような作品があるらしく、仕事関係で、と言っても、単に通行するルート上にたまたまある、というだけの話なのだが、ともかくたまに立ち寄る書店があって、そこでその文庫本が古本として販売されているのをたまたま最近見かけた。

 

最近と言っても、もう2,3ヶ月経っている気がするから、もう売れてしまったかもしれないが、今度行った時にまだあったら購入したいと思っている。

立ち読みでその時軽く目を通したのだったが、学生さんらとの対談というスタイルだったのがあまり気に入らなかったこともあって、その時は購入する気にならなかったのだ。

まあ、内容ももう一つタイトルから期待したようなものとは違っている感じだったというのも買うのをとどまった理由の一つではあった。

 

が、なかなか自殺をストレートに扱った著作って、やっぱり売れにくいからなんだろうけど、あんまり目につかないんだよね、書店で。

考えてみればちょっとおかしな気もする。

というのも、「凶悪事件」とか「~殺人事件」とかの題名の作品ならよく売れている感じなのに、ね、と。

 

まあ、世間一般のイメージというか、私も例外ではないと思うが、そこらの残忍な殺人事件とかよりも、自殺のほうが生々しくて、質の悪い恐怖心を受け手に覚えさせるのかもしれない。

 

まあ、よく言われることな気がするけど、殺人って、その取られた手段によっては、ほんと、その罪悪感の大きさが変動する気がするんだよね。

たとえばアメリカみたく銃社会で、拳銃一発でズドンで片付いてしまうのって、やはり殺人行為が本来持っているはずの生々しさ、血生臭さ、残忍さ、残酷さ、衝撃とかが、もちろんあるにはあるんだろうけど、かなり最小化されてしまうのではないか、と。

 

まあ、こんなふうに私のような者が、くどいようだが、殺人なんかについてあれこれ頑張って語ってしまうと、それこそ、「こいつ、もうじき誰か殺すんじゃね?」ってなっちゃいそうなわけで。

何とも何とも、語りにくいお題だとつくづく思う。

 

ほんと、パンドラの箱みたく。

考えたり、語ったりしている内にその気になってしまう、ってなパターン、そりゃあ、いかにもありそうなわけで。

だからこそ、普段はこういうお題は避けているわけだけどね、ブログとは言え、さすがに。

だけど。

 

独裁国が国民の口を封じまくっている、そしていつ自分たちの国もそうなってしまうかも、なんて不安がリアルに取り巻く今だから言うわけではないつもりだけど。

やっぱり、ブログはなるたけ、ありのまま、思いのままを吐き出したいよな、と。

無論、くどいようだが、誹謗・中傷・特定個人、法人の情報漏洩とか、個人名、法人名を名指しで批判とかは、論外。

よほどのケースでない限り、名指しで批判する必要ってのは、基本、ないのではと私は思うわけで。

 

まあ、今回はとりあえずタブーなワードを上げるだけは上げた感じで、これくらいにしておこうか、な。

まあ、でもそこらのテーマで文学作品とか、また書いてみたいか、な。

 

まあでも、さ。

勝ち組・負け組をはっきり分ける資本主義っていう世の中で、自殺者の増加とか、自殺者の若年化とかって、似つかわしいとか言う言い方は無論不謹慎だが、何て言ったら良いか、「そりゃ、そうなるわな」って言う言い方もあれだけど、何て言うか……。

 

社会的弱者を勇気づけるような、励ますような存在になりたいと願う。

弱者を励ますには、弱者の中から、弱者オブ弱者な私のような感じの者が世に出て、何ができるのか自信はないけど、何か、世の中を盛り上げるような、何かができるのではないか、って私特有の無邪気さ、世間知らずさで思ったりしてしまうのだ。

 

無論、こんな戯言と言っていてもドン引きされるだけだろうことは承知。

無論、他に出てくるモノがあれば、別に私でなくても良いわけなんだけど。

ともあれ。

世の中が良いほうの意味で盛り上がるような、そんな活動が、世の中の至る所で立ち起こって、ちょっとずつ少しずつで良い。

少しずつでも世の中が、もっと良い方向に向かって行けば……。

そんなことを無邪気に想像して胸を膨らます中高年がここに一人。