あたしは滋賀県長浜市で生まれました。

その年は三八豪雪と言われるくらいの大雪で、長浜でも1メートル50センチも積もったとか…

どうやって社宅から病院まで行ったんだろう…って今さらながらの素朴な疑問(-ω- ?)

母は初産だったので、一昼夜苦しんで、やっと生まれたのが女の子のあたし…生まれた瞬間、この子もまた同じ苦しみを味わうのか…と思ったらしい…

そうゆう時、女って冷静なんよね😅

ご多分に漏れず、26年後に同じ思いをするのだけれどあたしの場合は男の子でした👦

2500グラムと小さく生まれたけれど、元気だったので、保育器には入らず…元気に育つように、健康の康と子どもの子をとって「康子」と名付けられました。祖母は「雪子」とか「冬子」がいいと言ってたらしいけど、母が季節の名前はイヤだとやす子にしたらしい…あたしはそっちの方がよかったんだけどなって親不孝かな😅 おかげで健康に育ちました。

母は新潟の生まれで、両親ともにもう他界していた。ので福山(広島)にいる祖母(父の母親=姑)が産後の面倒を見に来てくれていた。なんせ大雪で新潟からなんて、とてもじゃないけど来られない…母の姉たちも子育て中だったしね 

かくゆうあたしも母があたしが19才の時に脳梗塞と心不全で突然亡くなったので、産後は実家には帰らず、この家で姑のお世話になった。

娘の出産の時はあたしが病気になって身動きとれなかったから、むこのお母さんのお世話になった。

こうゆうのって遺伝するの?って思っちゃう…

となると、第一子と第二子の間で流産してしまうのも? それとなく娘にはこないだ帰省した時に伝えておいた。 もしそうなったとしても気にするなと…ちゃんと次ができてるんだから…

こればっかりは運命が遺伝してたとしても、どうすることもできない…御先祖様になにがあったか知らないけれど…




古いアルバムの中に…隠れて思い出がいっぱい♪

白黒だし、昔よねぇ



続きはまた後日…➰👋😃