知識ではなくて知恵の話。
(`・ω-)>キメ!


たとえ知識がなくとも、その会話、その討論に適したソースを選びだす知恵があれば、お互いにとって実りのある会話、討論は充分に成り立つ。


昔の人々は故事やことわざ、聖書など歴史的文献などなどを「覚えること」で対応していたが、


これをより幅広くする現代の「ネット社会」の功績は人類にとって偉大な功績であると言えよう。


釈迦の説法などポチッとやっただけで、いろんな視点の解釈を得られるので、その中で自分がこれかな?と思うものをピックアップすればいいんだし。


【ただ、身につくかどうかは別な話なんだが。】


もしかすると、現代には釈迦やキリストなどをはるかに超える人格者がゴロゴロいるんじゃないか?


とすら思えるね。


宗教に対する信仰心が先進国では薄れているのはこういった面も影響しているのでは?と俺は仮定している。


そのためか、いろんな倫理や理想が多様化され、「これはこういうもんだ」という、押し付けがましい条例や政策が執られていることが、とても残念。


知恵や知識の善悪を各々がしっかりと意識して、ボーダーラインを引いていくことがこれからの人類の課題じゃね?