ブログを始めておよそ1ヶ月という期間ではありましたが、 私のブログを読んでくださり本当にありがとうございますニコニコ

 

このブログはあくまでも不妊治療を検討する上で、何か役立つ情報を提供できればという気持ちで始めました。

不妊治療中、子どもを授かれなかった時の何とも言えないあの感情は今でも鮮明に覚えていてえーんブログを始めるにあたり、不妊治療以降に関する日々の記録はあえて書かない事に決めていましたひらめき電球


不妊治療の経験があったからこそ妊娠中の様々な過程を乗り越えることができた事を、締めくくりとして書いておきたいと思います。



無事に生まれてくるまで安心できないのが本音ではありますが、通院記録の2個戻し周期のあと、恐縮ですが双子を妊娠することができました。


今回戻した2つの受精卵は、受精する事ができたたまごのうちラスト2個だった事もあり、いわゆる受精卵のグレードは一番低いものでした。


一つは顕微授精。

もう一つは体外受精の子で、中には胚移植の対象外にする病院もあるという異常受精判定でした。


でも実際に移植したところ、グレードの良かった受精卵はことごとく結果に結びつかなかったのに、このラスト2個の受精卵は二卵性の双子にも関わらず、妊娠期間中の経過は終始良好で、単胎の子と同じペースで順調に成長してくれました。


そう思うと、現段階での日本の不妊治療にはまだまだ数多くの課題があるという現実に直面した気がします


と同時に、法律や倫理的な課題などあるかもしれませんが、本当に不妊や流産で大変な思いをされている方が、着床前診断をはじめ、より短期間でより確実な結果に結びつく判定方法や治療が受けられるように…!!と願わずにはいられません。 



妊娠の過程では通院記録で記した後も、13週に入った途端、大量の鮮血による出血があり急遽入院することとなりました。


病院で検査すると切迫流産に加えて、脱水症状等も見られ妊娠悪阻との診断を受けました病院


病院に駆け込んで切迫流産の診断を受けた時、これまでの妊娠・流産の兆候が見られた時と比べても、かつて経験した事のないほどの出血の量でした。

診察台に座ってからの数秒間で床に血溜まりができたあの光景は、全身が震えて本当に生きた心地がしませんでしたガーン


にも関わらず、赤ちゃんはそんな状況をもろともせず生きていました。

 


振り返ればつわりも割と酷めだった気がします。


のたうち回るくらいの吐き気や頭痛に悩まされた最初の1ヶ月チーン

その後さらに酷くなり、毎日嘔吐し続けること1ヶ月半ゲローあせる


きっと自然妊娠していたら2ヶ月半もこんな状況が続けば心が折れていたかもしれませんが、体調はボロボロだったものの、当時の私はこれまでの不妊治療の経験があったからこそ、お腹の赤ちゃんのためならどれだけでも吐くぜ!照れラブラブくらいの精神状態でした。

頭ヤバイやつですね笑い泣きあせる

 


その後も26週で切迫早産と診断され、ベッド上安静での数ヶ月間の管理入院生活中ですが、不妊治療の辛さ・流産で子どもを失ったあの悲しみに比べたら、点滴の副作用や身動きの取れない安静生活も1億倍マシだと思えています。


それくらい不妊治療は、私にとって大きな出来事だったんだと改めて痛感しました。

 


妊活を始めた頃はなぜ赤ちゃんが欲しいのか、明確な理由はなく漠然としていました。

 

でも不妊治療と共に時間や様々な経験を積み重ねていくうちに、私の場合(ブログの中でも触れましたが)流産した子が戻って来てくれると信じて、何としてもその子の母親になりたい!という強い思いが芽生えました。


精神的に崩壊寸前だった事は幾度となくありましたがあせる私は不妊治療を通して、最終的に子どもが欲しいと思う明確な理由を持つことができましたニコニコ

 


家族のあり方は本当にそれぞれです。

血縁関係のある子どもを持つことを目標にするのか、夫婦2人の人生を選択するのか、養子縁組で家族を迎え入れるのか、など色々な選択肢があると思います。

 


不妊治療や流産経験がきっかけで価値観や考え方がガラリと変わる事はきっと珍しくないのではないでしょうか。


だからこそ、大切なパートナーととことん話し合って導き出した結果は素晴らしい人生の選択だと思います。

 


色々な選択をするにあたり、このブログが何かのお役に立てれば幸いですキラキラ

読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました爆笑