
愉快な闖入者がやってきた。

僕にとって彼は師匠であり、友人であり、ソウルメイト?!であり、先達であり、御同朋、御同行、同参者(同じ道を歩む人、同じ道に参ずる人)でもあります。
彼との会話は、フィーリングとインスピレーションとイメージとハート。Almost!!
あまり説明しない(できない)ので言いすぎることがなく。
言い足りないけど、それを補いあえるバックグラウンドがある気がする。
言った言葉よりも、その言葉の出てくる処で逢っている感じがする。
しかも、お互いの母国語が違うので、
言語自身が持っている本来の性質や機微などに思わず気が付いたりします。
その中の疑問をいくつか思いだした。
あまり日常では使わないけれど、何かの会話で、僕は「俯瞰的」(ふかんてき)という日本語をどう表現するか考えた。「空から見る」とか「雲から見る」とか。「Sky’s- eye」とか「cloud’s- eye」とか…
英語では俯瞰図を「Bird’s-eye view」と言うらしい。
「うーん、鳥なんだ!」面白い。
それから「look down」とも言う。「見下ろす」という意味があるけど、それが「見下す」という意味にもなる。
現代的に言えば「上から目線」である。
現代っ子は「上から目線」に敏感だ。たぶん上下関係という意識が稀薄なのだろう。上下よりも常に横並びが気になる。
それって「ここまで降りて来い!」
ていう逆の上下関係でもあるだろう。「常に上に立ちたい」という無意識の現れだ。
それは孤独にならざるをえない…
「ほんとうの横並びとは?」それをも、「見下ろす」というか俯瞰する、雲の目や、空の目。いや、大地の目もあるか、けど鳥だとやっぱり「見下されてる」!?感じがあるかな?!
こんな詩が生まれた。
「俯瞰図」
鳥はただ見ている。
今日の糧を求めて、
でも、人は鳥が俺を見下してると思ったりする
鳥はそんなこと気にしていない
「Bird’s-eye view」
「Bird’s-eye view」
それをも見ている目がある。
それを描く目。
それは平面だけど平面じゃない。
それを見る目。
多次元の目。
わたしの目。
あなたの目。
根底にある目。
全方向からの目。
一つの目。
目のない目。
「見て見ない目、見ないで見る目」
「眼横鼻直」
「点眼」「開眼」
見てござる、見てござる
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しかりけり」(道元)
芽(目)がすでに出ている。「雪イトド深し 花イトド近し」
今日はふき味噌で一杯!!しますか!!


