お元気ですか。
授業が全て完了し、
学科内は静まりかえっています。
私の両親(特に父)は海外生活が私より長いが、
日本人らしい日本人である。
一風変わったところもあるが、それはもともとの性格と思われる。
海外が長い割りに子育てや子供の教育に関しては日本的スパルタ式に厳しかった。
机に向かい勉強をしている時は、
良く背後に座りジッと私の様子を見ていた、
ように私には感じただけで今思うと本を読んでいたように思うが、
とにかく私がコッソリ漫画を読まないように監視をしていたのは確か。
ビシバシと良く叩かれ、始終怒られ、押入れに突っ込まれ、
怖かったです。
「日本女性のあり方」についても煩く、
恋愛事が絡むと意外と厳しかったので親の目をぬすんで
旅行したりお泊りしたりデートしたり。
男から電話が掛かると面倒だったので、
いつも私が外から電話を掛けていた。
22,3歳の時から結婚、結婚とつぶやくようになり、
結婚したら女性は仕事をやめ家庭に入るべきと良く言っていた。
そんな所謂良く聞く日本の両親を持つ私だが、
親の言うこと、望むことの反対を常に行っていた。
振り返ってみると私の数々の人生における決断に
最初から賛成してくれたことは本当にたったの一度もない。
海外留学も猛反対。
留学を決心した当時は両親がアメリカに住んでいたのだが、毎日のように「国際イタ電」(と呼んでいる)が親から留学の前日まで掛かり、アメリカに来てからも2年間は文句を言われ続けた。修士を取り終えてようやく「褒め言葉」が時々漏れるようになってきて、やれやれした。
NYの仕事も最初は喜んでいたが行く直前になり「一体何を考えているの。」と怒られた。三十路で未婚の娘を抱えて「どこで間違ったのだろう。」と心から悩んでいる様子が今も伺える。
このようにぶつかり合ってばかりの親子だが、
仲良いのです。
親の愛情を痛いくらいに受けて育った。
ツッパリが生き甲斐のようだった私を育てるのは
本当に大変だったと思う。
もっとオープンになって欲しい、
もう少し外国かぶれして欲しいと言う思いは常にあるが、
本帰国し父定年後の生活を楽しんでいる二人の様子を見ると、
本当に日本が好きで彼らは日本人なのだと私もようやく芯から理解できるようになった。
親子の絆は今まで以上に固く結ばれているのを感じる。
私は両親のお陰でここまで逞しくなったのは間違いない。
今回ミッキーから同居の話を持ちかけられた時(コチラ )、
親に「そんな話が出ています。」と伝えたところ、
大騒ぎになった。
話がややこしいので細かい話は省くが、想像以上に話がこじれ、ミッキーの立場が危うくなり、私も神経を疑われ、親は泣き崩れた。
何でここまで話が膨らんでしまったのだろうと私も落ち込み、大変な2,3週間だった。
いやぁ、大変でした。。。
1を話すと離れている親には20になって聞こえてしまうということをすっかり忘れていました。そして親が生粋の日本人であるということもなぜか忘れていました。
「あんたはアメリカ人じゃないんだから。」
散々言われました。
そうよ、そうよ。
こういう話はもっと慎重にしないといけません。
ここ最近随分とオープンになっていた私は
すっかり油断をしていた。
反省です。
反省の気持ちを込めて愛情たっぷりのメールを送った私。
電話での会話は通常通りに戻り、
和解したような形で終わっているが、
メールに関しては「有難う。返事を書くから。」
と言われたきり、2週間たった今も返事はもらえず、
少し気になっていた。
昨晩父から返信メールが届き、急いで開いたら
何れ必ず返事を書くという返信の約束の短いメールだった。
最後に
「今はあなたを愛しているとだけ伝えます。」
愛してる。。。
愛してる。。。
父から初めて愛の言葉を頂戴しました。
びっくりしたな、おい。
これってかなりアメリカ的発想から生まれた愛情表現のように思われるがどうだろう。それとも日本でも身内に「愛している」と言うような時代に突入したのか。
今まで自分の親のことを
日本人らしい日本人だと常々感じていた私だが、
こんなアメリカぁ~~ンな一面を見つけると
ひょっとして意外と日本人らしくもないのかもと思うようになってきた。
そこで「恥ずかしい」とちょっぴり感じた私の方こそ自分の思っている以上に日本人らしい考えを持っているのかもしれないな。
父の愛の言葉、父が一体どのような気持ちで書いたのか、そのことを考えると少し胸が熱くなった娘であります。
お父さん、心配かけてごめんね。
私も愛してます。
きゃぁ