お元気ですか。
「最近の若い子達は~」という表現は嫌いな私ですが、
思わず不覚にも今日口から漏れてしまいました。。
学生からE-mailを貰いました。
「hi boboko(下の名前)~! this is xxxx~. i have a question 4 u. can u tell me my mid term grade? i'm soooo worried;-(」
たまにあります。
イケナイ点はまずは全て小文字であること。"4 u"と友達に送るように言葉を短縮してしまうこと。絵文字を使うこと。下の名前で私を呼ぶことはまぁいいとしてその後にビックリマークをつけること。
こういうメールを受け取る度に「他の教授にもこんなメールを送るのか?気をつけなさい」と注意するのですが、そんなに私はナメラれているのかとガッカリする瞬間です。
1代目 91(93?)Hyundai-stick(マニュアル)、底に穴-大破- 儲けた (詳しくはコチラ )
2代目 91(90?)Ford Festiva - 走っているのが奇跡 - 崖落ち - 廃車の手間省け(詳しくはコチラ とコチラ )
と、本当にお金の掛からない飼い主孝行な2台だった。
そして良く、まぁ、無事に私は生きているよ。あんな車で。
これは3代目はしっかりとしたものを買わないと、何かバチがあたりそう。そろそろ何か起きそう(と、いつもこんなことを思っているけど)。
と思っていたわけ。
車2台も所有したものだから、2台目を失った時はもう車がないとやっていけない気持ちになっていた。
そして、教師の仕事が丁度始まった頃だったので、もう少し本格的に学会活動をしたいとも思っていた。
学会は参加費も高いが宿泊費、交通費がとにかく高い。車があれば、飛行機代が浮く。場所によっては日帰りで行ける。
色々な意味で車は必要不可欠と判断し、しばらく探し求めていた。2004年の話である。
そこで巡りあったのが97 Ford Contour。値段は3000ドルだったかな。マニュアルだった。
近所のお爺さんが売っていた。
「僕はもう80歳でね。この車大好きなのだけど、もう妻が嫌がって乗ってくれないんだ。」
助手席に私を乗せて車の調子を見せてくれる。ものすごいスピード狂だったのを覚えている。
ええーーーと私29歳(当時)ですが、怖いですよ。
「この切り替えしがいいだろ?」
お若いですねー。
見ても分からないけれどエンジンを自慢げに披露してくれた。
「本当は手放したくないんだよね。でも仕方ないよね。大事にしてくれるのなら君に売るよ。」
とにかく愛しそうに名残惜しそうに車を見つめている姿を見て、
「この車がいい。」
と思った。かなりの値引きをしてもらって3000ドルだったと思う。しかも3000ドルも持ち合わせていない私は、頼み込んで分割で払わせて貰えることに。
久々のマニュアル運転に最初は苦労した。そもそもマニュアル運転は仕方なく覚えたものだから、好んでいたわけでもない。本当はできれば疲れないスタンダードが良かった。でもお爺さんの人柄と愛されている車に惹かれて買ってしまったのだ。マニュアルを好きになるのには時間がかかった。
車の引き取りをした時に彼の目の前でエンストを散々してしまい、見るに見かねたお爺さん、助手席に乗ってきた。
「そんなんじゃ車を傷めちゃうよ。」
そこから一時間猛特訓です。厳しかったなぁ。
でも本当にいい方からいい車(愛された車)を買えて、初めてまともなマニュアル運転教習まで受けられて、これ以上にない気分だったよ。
そしてFord Contourは本当にいい車だった。
車で15時間以内でいけるところは全部車で行った。
DC(4時間)、NY(6時間)、North Carolina(7時間)、 Chicago(10時間)、Georgia(14時間)、 Missouri (12時間)、Wisconsin(12時間)。。。
えーーと、ここでは全部書ききれません。Missouriには親が住んでいたので、年に2、3回往復してた。DCとNYはほとんど日帰りで。とにかく膨大な運転量。
何しろ半年で
60,000マイル(約9万6千キロ)
ですから。
異常(今思うと)
あの時は必死で分からなかったけれど、馬鹿みたいに、毎日、毎週末、休みの時は絶対、季節、天気問わず運転してた。
友達に「BOBOKOちゃん、それってここから日本まで運転したってことだよ!」
と言われるまで異常さに気付かなかった。
アッサリと元は取ったということ。
しかも車の調子はいたって良好。ほとんど大きな問題には合わなかった。何よりガソリンの持ちが尋常じゃなく良かった。満タンで12時間走っても余る位。それだけ走ってガソリンにあまりお金をかけた記憶がない。
この車によって数々のドラマが生まれたのである。
一つ一つあげたら切りがないけれど、
これからチョコチョコお話して行こうと思う。
私のNYへの道を作ってくれたのもこの車。
私がこの車に出会わなかったら、
今頃私は日本で結婚していたのではないか。
えーと。。。
有り難いと思っていていいんだよね?