お元気ですか。
以前お話した「禁煙ゴッコ」をしていた同僚達、
覚えてますか(詳しくはコチラ )。
どうも解禁になったようです。
全員約束を破っていたので50ドルの件はなくなったようで。
もうああ言う人騒がせなことは出来るだけやめてほしいです。
さて、本日2度目の更新は私の2台目の車のお話しをします(一台目についてはコチラ )。
「BOBOKOさん、車600ドルで買ってくれませんか。」
誰が買いますか。
その車を彼は300ドルで買っているのを知っていた私。
幾らその後修理にお金が掛かったからと言って、私は自分が買った値段より高く車やUsedの物を知っている人に売り付ける人が理解できない。
しかもその車は問題だらけなのも良く知っていた。
私のHyundaiちゃんとは比較にならないくらいのオンボロ君、91年Ford Festivaである。時は2004年の話。
彼は日本に帰国する数ヶ月前から車の買い取り手を捜し始めたので、恐らく最初は値段を大きくしたのだろう。でも2、3週間前になっても売れないのに彼は値段に問題があることを理解してなかったようだ。
市場価格は1000ドルだったそう。
彼が引き取った当初は1000ドル以上だったとして、それを300ドルで買えた恩を忘れちゃいけないと私は思うのだ。そういう恩とか義理には結構うるさい私。
思えば、彼は自分の部屋の物にも全部値段をつけて人に売っていたそう。消しゴムとか文房具類も。ご馳走してくれると家に友達と二人で招待されて最後にお金を請求されたこともある。
色々な意味でなんとなく気に食わなかった私は、
「いらない。300ドルで買ったんでしょ。それ知ってて600ドルなんて払えないよ。」
と何度聞かれてもきっぱり断っていた。そして彼も値段を頑として変えなかった。
そうこうするうちに彼の車の話は聞かなくなったので、てっきり売れていたと思っていた。
「BOBOKOさん、300ドルで買ってくれませんか。」
彼の日本出発の前日である。
え?!まだ売れてなかったの???
さすがに可哀相だなと思ったけれど、やはりその時は完全極貧生活(詳しくはコチラ )にドップリつかり始めたところだったので、手伝ってあげたくても無理だった。
「私の3か月分の生活費を車にはかけられないの。」
「そうですか。分かりました。」
とその場はスンナリ諦めて電話を切った彼だが、3時のおやつ時間に扉がコンコンコン。彼が部屋まで押しかけて来た。
「BOBOKOさん、この車もらってくれませんか。」
そのFestivaちゃん、日本人の間でグルグルと回っていた車だったので、次の持ち主は誰になるのか注目されていた。車の扉に過去の持ち主の名前が彫られている。
彼も次の持ち主は日本人がいいと思っていたようだが、どう言うわけか、私が抜擢されたのだ。
彼いわく、
「ずっとBOBOKOさんに買ってもらいたかった。」
確かに彼は私に執拗に勧めてきていた時期がある。
じゃ、値段をなぜ下げない。下げても多分買わなかったけどね。
「タダであげるならBOBOKOさんがいい。大事にしてくれそうだから。他の人はお金を貰わないと気が済まなさい。」
彼とは確かにそれなりに仲良くしていた。そして車の話で盛り上がってた仲だった。
「もうすぐ壊れると思うので、その時は廃車にして下さい。」
また廃車寸前ですか。
確かに1台目がなくなってからの半年間はかなり不便していた。車があれば本当に助かる。でもガソリン代もろくに払えそうにない生活だったので、タダと言われてもかなり迷った。
「BOBOKOさんがいらないと言ったら、もう他の人に譲る気はありません。このままジャンクヤードに持っていって廃車にしてきます。」
そこから私とFord Festivaちゃんとのお付き合い(戦い)が始まったのである。
この車の説明はどこから始めていいのか分からない。
まず、貰う前から分かっていたことは、
◆デザイン的にサイドミラーがもともと左にしかない。右側はバックミラーと振り向いて確認しないといけない。
◆超小型ツードアなのに、重ステ(ハンドルが重い)で小回りが効かない。ユーターンする時は、人に助けてもらわないと1回では回りきれないほどの異常な重ステ。
◆椅子は調節できないので、自分で後ろや下にクッションを敷かないといけない。
◆アクセルが重い。
◆エンジンを掛ける時の鍵が異常に堅い。鍵を奥まで入れず、なぜか少し浮かせないといけない。
こんなものだろうか。
この5点に慣れるだけでも結構時間がかかった。
ここからは乗るようになってから発見したことを発見した順に話します。
。。。。。。。。。
思った以上に沢山あったので、明日纏めます。
ちなみにFestivaちゃんの寿命は「半年」と思ったよりかは長かった。
彼もなかなか華々しい最期をとげている。
お楽しみに!