自分を大切にする 愛するということ | パニック障害とぼちぼち生きる

パニック障害とぼちぼち生きる

はじめまして(*´∀`*)
パニック障害になって丸10年、いよいよアラフィフに足を踏み入れた主婦です。
中学生になった娘がひとり。外出が未だ困難なため、学校行事とは今も闘いの日々です。


本日午後3時から
2時間半も寝てました

夜眠りの浅い日々が続いていて、
予定では明日生理がくるので
たぶん急に眠くなってきて
寝てしまったようです


午前中は元気に念願の「心のオアシス」GUに行けて、たくさん買い物してきました

特に娘のボアのブーツはやっぱり履いてみないとだめだったので、買いに行けてよかった〜


今日は1日を通して体調は安定していて
夕方もいつもより少し遠いスーパーへ行って、ドキドキザワザワもせず買い物して帰ってこれました

今日は不思議と気持ちが落ち着いていて、いい1日だったなぁ



話は変わって

昼間のテレビ、
「王様のブランチ」を見ていたら、
今や世界を股にかける特殊メイクアップアーティストとして活躍する予備校時代の友達が特集されて出演してました


画面の向こうで活躍する彼の姿を見ていたら、懐かしい気持ちと、今は何も出来ない何もしていない自分の不甲斐ない気持ちが色々湧き出てきて、涙が出ました

そんな世界を相手に活躍する彼と自分を比較する気持ちはさらさらございません。

ただ、人生のほんの一時でも共にした時間があることを誇りに思うと同時に、自分はこれからの人生をもっと自分を大切にして生きていきたいと改めて思えたのです。


私は美術系の予備校から美術系短大に進みました。昔から絵を描いたり、モノを造ったりするのが好きでした。

でも私は自分で納得のいく人生を歩んできませんでした。
未だに何がしたいのか、今までも何がしたかったのか、分からずに生きてきてしまいました。

更に私は自分を大切にするとか、自分を愛するというやり方がわからないまま大人になりました。

今でもそういう事を考えると、難しくて理解に苦しみます。

いわゆるアダルトチルドレンなのかな、と考えます。

以前も触れましたが、
私は、私の人生の節目節目で母が喜んでくれればそれでよかった。

あまりにも過酷な人生を歩んできた母を喜ばせることが生きがいだったんです。

だから母が死んで、
私は生きがいを失った。

残されたのは、自分では何もできない、自分の愛し方も分からない自分でした。

自分のことを大切にできないと、他人のことも大切にできないということは、子供が産まれて初めて理解できたように思います。

理解はできたけれど、まだまだ実践には日々の子育ての中で格闘中です。

そして、これからの人生で、私はもっと私のやりたい事を見つけていきたい、と
今日、その昔の友達を見ていて思えたのです。

母のためにではなく、
自分のために。
そして日々支えてくれている周りの人たちのために。

今こうしてパニック障害になったことも、神様が、今まで自分のために生きてこれなかった私への試練、また見つめ直す機会を与えてくれたのだと受け止めています。


物心ついた時から本当に生きづらい人生でした。

そして今、最高潮に生きづらいです 笑

今の私はパニックと向き合って努力する日々。

その先には何があるかまだわからないけれど、自分を大切にしながら、好きなことに夢中になれる人生を送っていけたら最高だなぁと願っています



Trick or Treat 
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ダラダラと長いまとまりのない文章ですみませんでした
ここまで読んで下さった方々に感謝します。ありがとうございます