パニック障害になった時にしていたちょっと変わった仕事のお話 | パニック障害とぼちぼち生きる

パニック障害とぼちぼち生きる

はじめまして(*´∀`*)
パニック障害になって丸10年、いよいよアラフィフに足を踏み入れた主婦です。
中学生になった娘がひとり。外出が未だ困難なため、学校行事とは今も闘いの日々です。

こんにちは

今日は、私が酷いパニック発作を初めて起こした時にしていた、ちょっと変わったお仕事の話をしようかなと思います



私は今から6年前の真夏に本格的なパニック発作を起こして、パニック障害となった訳ですが、、

その時にしていたパートのお仕事

それはなんと、遺影を作る会社で
次から次にFaxで送られてくる
遺影の依頼写真をMacで取り込み、
胸から頭までの規格サイズにカットして
実際に加工するスタッフさんへと流す
という作業をしていました。

その数が毎日半端ないのです。
特に友引の前はものすごい数がきまして、
もうイチイチ感情移入してられない。

時には、というか
結構お子さんや赤ちゃんも多くて
さすがにその時は
悲しい気持ちになりましたが。。

遺影というのは、亡くなってすぐに依頼が来て、お通夜には間に合うように約1日でお出ししなければならないものなのですね。

とにかくそのような職場で、
私の後ろでは、大きな画像処理用のMacが20台以上くらい並び、
社員さんによってすべて遺影用の着物や背景に綺麗に加工する作業が行われている、といった普段あまりお目にかかれないような職場でした。


それでも、パートスタッフは皆いい人ばかりで、私は意外にも皆さんから可愛がっていただき、とても仕事は楽しかった。


ただ、その時娘はまだ1歳半で、託児所に預けながらで大変だったのかもしれません。

そんなある日の夜、娘も寝たし、電気を消して暗闇の中パソコンを見ながら少しゆっくりしていた時のことです。

シーンと静まり返った中で突然!
この世のものとは思えないような
得体の知れないうなり声が
私の耳のすぐそばでしたのです。
「うぅ〜〜おぉ〜〜あぁ〜〜‼︎」
と、低い男の声で、
一瞬で右から左へ通り過ぎていきました。

私は驚きと恐怖で、その場から離れ電気を付けて、しばらく身体が震えてパソコンをジーっと見たまま動けませんでした。


今思っても、あれは何だったんだろう。
と不思議になります。

けど、そんな仕事をしていたので、
そういうこともあるのかもなぁ、
なんて思って、その後はそんなに気にしないようにしていました。


でも、その夏私はパニック発作で倒れてしまい、そのままその職場も退職ということになったのです。

そのうなり声との関係性はまったくもってわかりませんし、まぁ私自身が少し疲れていたのかもしれません。。


それにしても、
あの仕事は辞めたくなかったなぁ

不思議な空間でしたけど、
居心地は良かったし
短い間でしたけど、貴重な経験をさせていただきました。


という、今回は私の経験したちょっと変わったお仕事のお話でした


ここまで読んで下さった方々
ありがとうございます