2月1日・テレビ放送の日…(No.7474) | 「bobbyの“b☆スピリット”」bobby-kのブログ

「bobbyの“b☆スピリット”」bobby-kのブログ

bobby-k(59歳)です。
ブログは書くけど喋りは苦手。横浜DeNAベイスターズ&三浦大輔監督信者。反兎虎燕竜鯉。反自公。インストバンド・T-SQUAREを崇拝。
48Gも応援(アイドルオタク嫌い)

フォロー、いいね、コメント等お気軽に。但し内容によっては厳しく対処します。

Q.よく見るテレビ番組は?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう


A.テレビはここ数年ほとんど見てません…
野球中継とか、たまに見たい番組が見つかると
電源を入れるくらいです…



☆ランキングに参加しています
各ジャンルをクリック
👇ポチッとしていただけるとありがたいです

その1…
にほんブログ村 野球ブログ 横浜DeNAベイスターズへ
その2…




2月1日・テレビ放送の日
…(No.7474)



お疲れ様です

放浪するブロガー

bobbyです


自宅療養生活?日目

記念日ブログでございます


2月になってしまいました…


のっけから色々とやることがあって…

早めに書き始めてます…


投稿時間がいつくらいになるか

見当がつきません…


そんなわけで、今回はとっとと

本題に入ります


今回取り上げる記念日は

「テレビ放送の日」


1953(昭和28)年のこの日、NHK東京放送局が

日本初のテレビ本放送を行なった


1953(昭和28)年2月1日午後2時

東京・内幸町にあった

東京放送会館のスタジオから

「JOAK-TV、こちらはNHK

東京テレビジョンであります」

の第一声が放送された

また、都内7ヵ所で一般公開され

開局祝賀会の模様や舞台劇の中継、

ニュース、映画などが放送された


ちなみに「JOAK」とは

東京放送局のコールサイン(呼出し符号)である


また、日本のテレビの父・高柳健次郎氏

(たかやなぎ・けんじろう、1899~1990年)が

ブラウン管に「イ」の字を初めて映したのが

1926(昭和元)年のことである


「当時の東京放送会館」


当時、NHKにあったカメラは

スタジオ系カメラ3台、中継用カメラ2台だけ

テレビはフィルム撮影の一部のニュースや

映画などの他はすべて生放送だった


この頃、1日の放送時間は4時間

当時の受信契約数はわずか866件


大卒の初任給が約8000円の時代に

受信料は月200円だった

また、国産の14インチ型の白黒テレビは

17万5000円もした

テレビは庶民にとって高根の花だった



「当時の様子」


同年の8月には日本テレビ

翌1954(昭和29)年3月にNHK大阪と名古屋

1955(昭和30)年4月にラジオ東京

(現・東京放送(TBS))でもテレビ放送が

開始された


…とのこと


テレビ…

本当に見なくなりましたね…


テレビ番組自体に魅力を感じなくなったのは

大前提になるんですけど

情報源(ニュース等)の元が

ラジオとかインターネットが主になることが

日常化してしまって…


特に、一人暮らしになってからですね…


人と会った時に困るのは

テレビの話をされた時…


全くついていけないので

ただ話を聞くだけになってしまう…

まあ、それはそれで

情報源になるんですけどね…


きっかけは何だろう…

音楽番組が減ったことかな…


自分、ドラマとか映画を

ほとんど見ないで生きてきたので…(笑)


バラエティ番組も

好きなのあったんですけど

今のバラエティが全くわからなくて…


あらためて見たいとも

思わないですけどね…


家には一応、テレビはあるんですけど

部屋のインテリアと化してますね…(笑)



【2/1お誕生日の方(抜粋)】

お誕生日を迎えられた皆様

おめでとうございます🎉🎂

素晴らしい一年になりますように


①中村雅俊氏

(Masatoshi Nakamura、1951〜)

→俳優・シンガーソングライター・タレント

宮城県牡鹿郡女川町出身

慶應義塾大学経済学部卒業

妻は女優の五十嵐淳子さん

長男は元俳優の中村俊太氏

三女はタレント・モデルの中村里砂さん


*経歴(かなり端折ります)

1973年、文学座附属演劇研究所入所

大学卒業と同時に文学座に入団

1974年、文学座の先輩である松田優作氏の紹介で

「太陽にほえろ!」(NTV)84話にゲスト出演し俳優デビュー

同年、青春ドラマ「われら青春!」の主役に抜擢

自らが歌う「ふれあい」がミリオンセラーを記録

1975年4月〜9月

刑事ドラマ「俺たちの勲章」で松田優作氏と共演

“刑事コンビもの”の先駆け的作品となる

1977年2月

ドラマ、映画で共演した五十嵐淳子さんと結婚

1985年、文学座を退団

その後は俳優・歌手活動のみならず、テレビ番組や

ラジオ番組の司会進行役を務めるなどマルチな

才能を発揮している


2011年の東日本大地震で、歌への思いも変化

しており、地元・女川町を支えなきゃいけない

という地元意識が強くなったという


まだあるんですけど、尺の関係で割愛…


雅俊さんといえば、自分の世代だと

やはり「われら青春!」のイメージなんですよね…

あとは「俺たちの旅」「俺たちの勲章」も

よく見てましたね…

自分の中では、シンガーというよりは

役者さんのイメージの方が強いです…



②野村実代さん

(Miyo Nomura、2003〜)

→SKE48・Team S(8期生)、愛知県一宮市出身

愛称「みよまる」

姉は元AKB48の野村奈央さん

*経歴(かなり端折ります)

2015年5月

「第2回AKBグループ ドラフト会議」の最終候補者

となるも指名されず

2016年11月、SKE48・8期生としてお披露目

2017年1月、研究生公演で劇場デビュー

2017年10月、正規メンバー昇格とチームS所属

が発表される

2017年11月

派生ユニット「ラブ・クレッシェンド」の

新メンバーとして加入

2018年8月

「AKBグループユニットじゃんけん大会」で

NMB48の上西怜さん、中野美来さん、山田寿々さん

とともに4人組ユニット「sisters♡」で出場

→予備戦敗退

2019年7月

新世代ユニット「カミングフレーバー」結成

(通称「カミフレ」)

2021年9月

シングル「あの頃の君を見つけた」で、表題曲

選抜メンバーに初選出される


加入当初は、冗談抜きで

「SKE48の“ナナちゃん人形”」だった

(キャッチフレーズより…)

みよまるさん…


年齢を重ねて…

といっても、まだ21歳ですけど

だいぶ女性らしいスタイルに

(良い意味です…)

なってきてるかな…と


グループでの活動はもとより

“カミフレ”の中心メンバーとしても

更なる飛躍が期待されるので

是非、一人(1組)のアーティストとして

活躍していただきたいですな…



③原愛実さん

(Ayumi Hara、2009〜)

→NGT48研究生(4期生)、新潟県出身

愛称「原ちゃん」「あゆちゃん」

*経歴

2023年12月10日

「おもいでいっぱい」公演初日昼公演にて

NGT48・4期生としてお披露目

2024年1月11日

「NGT48劇場8周年記念公演」で初パフォーマンス


特技:バトントワリング、アクロバティック、

バレエ、ダンス、歌

趣味:カラオケ、映画・ドラマ鑑賞、韓国語

好きな食べ物:牛タン、エビ、たまご料理、

いちご、マスカット、ケーキ

コールで呼んで欲しいニックネーム

→「はらちゃん」


先日、某ニコ生で

「NGT48・4期生お披露目特番」の配信を

見たんですけど

まだ「はらちゃん」のキャラをよく把握

出来てなくて…


今後、研究生公演等でパフォーマンスを

よく観察する必要はあるかもしれません…


自分の友人にも「はらちゃん」がいるんですが

彼のキャラはだいぶ把握してきました…(笑)



というわけで、今回はここまで


皆様、良い一日を

また次回…


👇bobbyの“b☆スピリット”

http://ameblo.jp/bobby-kay/


👇“2月1日の記念日”…

http://www.nnh.to/02/01.html


👇ますちゃんのブログ

http://ameblo.jp/voltage-band/