またマニアックな女王を発見!&柳川ウォーキング | 仮装ランナー★ボバランナー

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みなさん、

 

この前紹介した、

 

まりこふん様

 

を覚えていますか?

 

 

 

知らね~よ!

 

 

という声が聞こえてきますので、

 

再度紹介しておきます。

 

まりこふん様は、

 

墳活女子のトップに君臨しているお方で、

日々古墳の魅力を伝える事に邁進しています。

 

 

古墳シンガーでもあり、

古墳に関する曲を歌っています。

 

これがなかなかいい曲なので、

別におススメはしませんが、ぜひ聞いてみてください。

 

 

今回は、そんなまりこふん様に勝るとも劣らない?

 

ある分野の女王様を紹介します。

 

 

 

クレイジー灯台クイーン

 

不動まゆう様

 

こんな本を出版されています。

 

あまりにも灯台が好きすぎて、

日本や世界の灯台を訪ね回って、

その魅力を発信している人です。

 

この前タモリ倶楽部に出て、

マニアックな灯台の話をしていましたが、

まあ、話が止まらない事w

 

灯台の構造とか歴史とかフレネルレンズの話とか面白すぎて、

灯台を見に行きたくなるほど。

 

灯台を艦これのように擬人化して

楽しむとか、ちょっとアタマオカシイ(ホメ言葉)です。

 

灯台フォーラムを開催するは、

灯台愛が強すぎて、”灯台どうだい”という

フリーペーパーを発行しているのがスゴイ。

 

 

この人の活動の成果で?

灯台女子も増えてきているとか(ホントかよ)

 

まりこふん様と言い、不動まゆう様と言い、

セルフブランディング力が非常に高いです。

 

どちらも自分の世界観を確立しています。

 

さらにただの趣味ではなくて、

なんとかビジネスに繋げていっているところが感心してしまいます。

 

45才定年説が話題になったりしている昨今ですが、

自分でお金を生み出す事を考えなければならない流れになっている事は、

確かですね。

 

今はSNSやYOUTUBEで発信できるので、

一つの事を徹底的に追及すると話題になり、

賛同者が集まってバズったりしてさらに広まり、

テレビに出たり本を出版できる事が可能となってますよね。

 

灯台で、それが出来るとはスゴイ事じゃないですか?

 

ちなみに不動まゆう様は、登山とかマラソンは嫌いだそうです。

でも灯台があれば、どこにでも行くそうですw

 

 

話変わって、久しぶりに旅ランというかマラニック的なランをやろうと、

ここ佐賀城公園を出発します。

 

朝7時前なので割と涼しいです。

 

目的地は、柳川市の柳川城で、

ここから20数キロくらいでしょうか。

 

佐賀城のお堀は、広いです。

お堀の周りは、ランニング・ウォーキングコースとなっています。

一時外来種のカメが増えて消えていた蓮の葉が復活しています。

お城の周りは、江戸時代からの水路が張り巡らされています。

国道208号線で大川市方面へ向かいます。

この辺は、まだ涼しくてまあまあ快適に走れます。

 

国道を外れて、開けた県道へ入ります。

こんな昭和40年代くらいからの団地は、どんどん少なくなっていますね。

ここも空き家が多いようです。

そしてよく走りに来る旧佐賀線のコースへ入ります。

この辺から早くも暑くなってきて、ここの水道で水分補給です。

しばらく走っていると、日差しが強くなって暑くて走ってられません。

早くもここで走るのやめてウォーキングに切り替えます。

 

毎回見入ってしまう、昭和40年代の写真。

ここを本当にSLが走っていたと思うと、感慨深いです。

筑後川昇開橋へ到着しました。

いつもはここが終点ですが、

今日はここを渡って、さらに先まで進みます。

これも毎回見入ってしまう、

昭和32年以前(昭和30年~32年)の写真です。

 

日に焼けて健康的な感じの子供たちの喧騒が聞こえてきそう。

この子供達も、現在は70代半ばくらいでしょうか。

 

下の写真の渡し船に乗ろうとしている、

ボンネットトラックも興味深いです。

 

ギリギリで乗っているのでしょうか。

途中で落ちそうでコワい気もします。

 

このバイクは、

昭和30年ごろにしては大型じゃないかと思われます。

250CCくらいのバイクかもしれません。

当時としては、かなり高価なバイクのハズ。

 

バイクに振り分けバッグらしい物が取り付けられているのも珍しいです。

持ち主のオッサンは、ちゃんとヘルメットを被ってます。

(当時は、ヘルメット着用義務はなかった)

 

おそらく仕事で乗っているのでしょうが、

何の仕事をしていたのか?

 

毎度いろいろと想像してしまいますw

 

久しぶりに昇開橋を渡ります。

ちなみに橋の中間には、一定時間ごとに昇開させるための管理人がいます。

気温は高いながら、風が強くて気持ちいい。

橋を渡って大川側です。

しばらくは、佐賀線跡が公園化されています。

この辺は、昔の繁華街でしょうか。

懐かしい(く感じる)街並みですが、

空き家が多く、やがて消えていくのだろう。

その先にあるのが、”藩堺のまち”という江戸時代の景観が残る街並みです。

久留米藩と柳川藩の境目にあるから藩堺のまちと呼ばれています。

ここは、江戸時からの家屋や寺社が残っていて、

雰囲気もいいです。

宿に泊まる時に馬を繋いでいた、馬つなぎ石が並んでいます。

これは珍しいかも。

伊能忠敬が測量に来た時に泊まったというお寺です。

歩いて全国を回った人ですからね。

ある意味ウォーキングの神様です。

この付近は、入り組んでいて境界線を巡って争いが起きたとか。

大川市の端の方には、古賀政男の記念館があります。

 

正直この辺りでは、日差しが強くて暑すぎて、

かなりテンションが下がってました。

とにかく歩くだけでもキツイ。

柳川市に入ってしばらくすると、

公園があったので休憩します。

 

というか炎天下で休まざるを得ない状態でした。

 

一昨年も炎天下50キロウォークをしてひどい目にあっていたので、

警戒はしていたものの、やっぱりヤバイです。

しばらく休んで出発すると、こんな看板が!

なんとここは、旧佐賀線の筑後柳川駅跡でした。

開通記念の絵葉書の写真です。

昭和6年9月24日だったようです。

その筑後柳川駅も廃駅になって34年です。

その後、なんとなく旧道の方に入っていくと、古い町並みの雰囲気が残っています。

柳川城下町の目抜き通りでした。

通りでは、こんな懐かしい駄菓子屋が営業しています。

ただ、シャッターも目立ちます。

柳川と言えば、川下りの船が有名です。

船頭さんの話が面白かったりします。

ここから柳川城を散策するつもりでしたが、

かれこれ5時間炎天下を歩いて来て、

かなりの疲労感を感じていて断念・・・。

 

西鉄柳川駅をゴールとします。

ここから佐賀駅行きのバスで帰ります。

正直走るどころか歩くのもキツイ暑さでした。

次回は、涼しくなってから再チャレンジします。