今日はキネマ旬報百恵フィナーレ「古都」特集号より、多くの百・友コンビの映画を手掛けた監督 西河克己さんの記事を紹介致します。
「一年に二つ年齢をとった女優」山口百恵
昔から若い女優というものは三年に一つくらいしか年齢をとらないものだ。十六歳でヒットが出ると、二十歳を過ぎる迄は同じような役柄を続けるのが普通である。若い頃の田中絹代さんは十数年も可愛い娘役をやっていた。
いまは世の中が忙しくなったからそんな暢気なことは許されないし、女優も生活の変化が激しいので顔つきも変わって来るが、それにしても、大ヒットが出れば二、三年はとぼけていられるものだ。
女優をとりまく企業家たちも、出来ることなら一日も永くとぼけて貰いたいと願うのも人情である。1974年9月6日、「伊豆の踊子」をやるために初めて百恵に会ったとき、この15歳の少女は笑わなかった。表情の動かない顔で、ひとの話をじっと聞いていた。無口な少女であったが、たった一回だけ笑ったその顔がぼくを安心させた。ああ、この娘はいけるなと思った。
女優でも男優でも笑顔のダメなものは成功しない。笑った顔に人間の底が現れることがある。崩れた笑顔の親しみは脇役の素質である。大衆がスターに求めているものは常にエリートなのだ。何処にもいそうで、実はやっぱりいないもの。
昔ならそれは庶民の姿をしたお姫様だが、今は違う。「伊豆の踊子」から「絶唱」まで、ぼくは、百恵の役柄は、逆境に堪えている女であることを主張した。その姿が彼女によく似合うと考えていたからである。そして、それはそれなりに成功したように見えた。やたら安易なエゴイズムを主張する現代の若い娘に辟易している人々(若者を含めて)の共感を呼んだものと考えた。
しかし、途中で、おや、待てよ、と思った。この娘のシンの強さは、どうも悲運に泣く女の姿には重なり合わないものがある。百恵の素顔は泣かない女であり、笑わない女である。箸が転んでも笑うという年頃なのに、無駄な愛想笑いを一切しないこの16歳の娘は、そうすることによって、無言の自己主張をしているのではないか。そしてその自己主張の姿勢こそが、彼女の人気の根源なのではないか。
「カマトトの時代は終わったのだな」と感じさせた。「春琴抄」のお琴はエゴの塊である。このイヤな役を百恵は見事に演じた。それは少年少女文学全集の水準ではあったが、17歳の少女には難しい仕事であった。同年の他の女優でははじめからこの企画は成立しない。しかし、百恵のお琴は、本当は少し暗すぎたのである。お琴には天才児特有の無邪気な一面があったにちがいないとぼくは考える。その無邪気さがお琴の哀れを一層ひきたたせる筈である。だが、その無邪気さは、百恵には1番出来にくい芝居である。百恵は無邪気な少女ではない。ぼくははじめからその計算を捨てた。そして百恵の女らしさをちらつかせる事でその穴埋めとした。
百恵は少女から女への階段へ一歩足をかけた。「霧の旗」の桐子の役にはぼくは反対であった。この復讐鬼の非常さが百恵に似合わないのではない。彼女はきっと上手くやるに違いない。それが恐いのである。この仕事は一年早い。来年に延ばした方がよいとぼくは主張した。しかし、彼女はこの役に乗り気であった。彼女は大人への脱皮を急いでいた。同じ場所で足踏みをしてとぼけている気が彼女にはないのだ。もはや彼女の成長力に周囲が追いついていかなければならなくなっていたのである。
「霧の旗」の桐子は復讐のために非常な嘘つき女になっていたが、その嘘をつく顔が見事であった。ぼくは女優としての百恵の1番美しい顔を見たように思った。女優としてはじめて底力をみせたなと思った。
「伊豆の踊子」の美しさは百恵の素顔の美しさ、「霧の旗」の美しさは女優の美しさである。
「伊豆の踊子」の「薫」14歳、「霧の旗」の「桐子」22歳、百恵は15歳から18歳、一年に二つ以上も年齢をとってきた女優の貧欲な生活力は、無気味な可能性を窺わせた。 西河克己
確かに霧の旗の百恵ちゃんはまだ18歳の若さでしたね。あのホステス姿の妖艶さ、男はイチコロです^o^
それでは2歳ずつ歳を取っていった百恵ちゃんのデビュー当時の写真から順にどうぞ‼︎
1973年 14歳
1978年 19歳