琴平旅行シリーズ
ってまだ続いとったんかいというツッコミ
絶対あるよね~
4つも記事上げてるのに
1日の出来事しか書きあがってないの
書きたいこと多すぎて
(備忘録であり旅行記でもある~
でも読んでくれている人がちゃんといて
何気に声かけてくれるの嬉しいの~
ということで
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さてさて琴平滞在2日目の朝
(4/3なんだけどw
朝は5:00に起床してすぐに
ホテルを出て
早朝のこんぴらさん詣りに~
ホテルのフロントには
当然誰もおらず自転車が借りられない…
仕方なく徒歩で向かう事に~
参道に入って
薄明るい景色に
金倉川にかかる提灯も
真夜中と違った趣で良き
行燈灯篭も
ステキに参道を彩っていた
趣のある建物をじっくり見ることができ
早起きは三文の徳ってね
日中はあんなにごった返す参道も
早朝はだーれも居なくて独り占め~
ほどなく階段1段目へ到着
69段目の『池商店』さん
当然閉まってるんだけど、
お店を最近リニューアルしたのかな?
綺麗な佇まいが他と比べて歴然デシタ
113段目『一之坂鳥居』
前日の日中に登った時
全く気が付かなかった…
『松明堂』
重要有形民俗文化財
安政5年(1853)
備後国因之島浦々講中の寄進により
船の下梁を利用して建てられたとのこと
中には夜の参道を照らす
多数の釣燈籠が吊り下げられている
この付近一之坂の階段が特に急だとか
『金毘羅本教総本部』
そして見えてきた365段目『大門』
こんぴらさん参拝は
AM6:00~PM6:00迄で
夜間の参拝はできないことになっている
なのでアサイチ参拝して
一番乗りやりたいなと思っちゃったのよね
まだ境内への道はクローズ
この時はまだ5:48でした
こちらが365段目からの朝の風景
雲は多かったケド、
遠くまでクッキリはっきりと見える
チャッカリ映りこむワイ
記念写真撮っとかないとね
暫く待っていたら地元の人と思しき方がお二方
観光客と思しき外国の方が一方
外国人の方から話しかけられて
どぎまぎしながら
6時オープンを伝えてしばし待つ
少しイベント感を期待したんだけど…
係りの方が電話を掛けながらゲートを開放
という味気ないオープンだった
半分工事中でちょっと残念だけど、
大門から150メートル程続く石畳の道
桜馬場と呼ばれていて御覧の通り
桜が道の両側から枝を交える花見の名所
ここは431段目
『こんぴら狗の銅像』があるところ
階段の登った先が477段目の『書院』
つづら折りの階段は
常に階段の先が見えなくて
角を曲がる度にうぉおおおっってなる
先に見えるのは『旭社』
この見え方がなかなかドラマティック
ということで628段目『旭社』デス
ここからは登りと下りのルートに分かれる
登り側はこの門『賢木門』642段目を通る
金毘羅の提灯がなんともイカす~
全日は2回目参拝したのですが、
こちらに触れていなかった…
652段目、御本宮への最後の階段の手前
真須賀神社
真須賀神社の御祭神は
建速須佐之男尊(タケハヤ スサノオ)と
その后神である奇稲田姫尊(クシナダヒメ)
の夫婦神
八俣大蛇退治の天叢雲剣の神話に登場する
勇武絶倫の神様であり、大国主神の御祖神
この真須賀神社から左手を見ると…
御本宮がチラ見え
この見え方も何とも心くすぐるね
そして785段目『金毘羅御本宮』
空も白んでいたのが徐々に青くなってきました
さっきチラッと前日は2回参拝したって
言ったんですけど~
金比羅山参拝にまつわるお話として
コチラでも触れたんですけど、
本当は金刀比羅宮まで786段あるのですが、
「な(7)・や(8)・む(6)」
に聞こえるのは縁起が悪い…とのことで
階段は登りが連続するのですが
たった1段だけ下がる段があります
786段 - 1段 = 785段
意識しないとこの1段は気が付かずに
通り過ぎてしまいます
自分も一度通り過ぎてしまいました
なので下まで降りてもう一度参拝したんデス
左側から右側が進路です。
奥から手前へと進むところです
これだけじゃ特定するのはまだまだムズカシイ
と思うので良いかな~と思って公開
この「マイナス一段」をしっかり踏みしめて
「悩み」を落とす…
それにしても楠が立派
アサイチの御本宮の見晴らし台からの景色
まだ日は昇っておらず~
反対側の端っこからも撮ってみた
春の雲模様って秋に似てるなって思ったw
まぁトーゼンといえばトーゼンなのだけど
緑黛殿
金刀比羅宮の『平成の大遷座祭』(2004年)
を記念して建築され、2004年6月に竣工
建築家 鈴木了二氏が、
お山の自然を損なうことなく、
伝統的建築技法と現代の技術を融合して設計
とのことで、
これまた立派で美しい建築物デシタ
御本宮から緑黛殿の間に『御別宮』
荘厳な見た目の渡り廊下で繋がっていて
今度来たときはこの回廊を歩いてみたい
午前9:00迄は
奥社への道が閉鎖されていて
これ以上進めないのが残念~
ここからは折り返しの道をご案内~
前日の1回目の時にはなかった感動が
朝日の差し込みがドラマティックデシタ
下ってすぐ見えるのは旭社
旭社は登りと下りの合流地点で
両方で通るのだけど数段高い場所
下りルートの途中に建っている感じ
なので前ブログでもお知らせしたけども
順路としては下りで行くのが正しいのです
凄く立派
そしてどうやら金毘羅さんは元々は
『金毘羅大権現』という
仏教と日本古来の神道の要素が融合した
神仏習合の神であるとのことです
純粋な仏教の経典では、
金毘羅は薬師如来を守る 12 神将の一人として知られ
明治の神仏分離令により
神道の大物主神と水龍になったとか
そういう流れもあり、金刀比羅宮の建築は
殊更寺院にも神社にも見える建築様式なのだとか~
この旭社は特に仏教色が感じられる建造物だそうです
この旭社を背にして真正面がコチラ
目の前を数段降りて左に進むと『賢木門』
右側に折れて奥に進むと参道の帰り道
階段から上がると
真正面に旭社が見えるので
そちらに行きがちなロケーションだよね~
ズイズイと下っていく
日が射し始めてきました
日が真正面に来た
時期的にほぼ真東向き
丁度ご来光をば拝むことが出来ました
ありがたや~
『火雷社』
『祓戸社』
こんぴら狗の像の広場
『神馬の像』
『宝物館』光の差し具合が良き
だいぶ日が高くなってきました
朝日だけど、
夕日と言っても納得される映り映え
『桜馬場』まで降りてきました
おっと参拝の方が久しぶりに
いやぁ~
ホントに人いなくて
気ン持ちいぃいいいいい
『大門』を内側から
あの通せんぼしていた看板とか
どこに仕舞ってるんだろ
スッキリしていた
門の真下から見える向かいの山脈はなんだろ
讃岐の山脈の連なりが良く見える
大門の表側も朝日が当たって良き
なるほど365段目の大門
本来なら登りの段階で大門に到達した際に
振り返って景色を見ることで
過去の自分を顧みる…
という事なんだが、我は今帰り
だけどなんとも心洗われる景色である
第19代宮司 琴陵宥常(ことおかひろつね)
(1840-1892)の銅像
江戸時代から呼ばれていた
「金光院金毘羅大権現」(こんこういんこんぴらだいごんげん)
という寺院名を
「金刀比羅宮」(ことひらぐう)
と言う神社名に改めた
1886年イギリス船「ノルマントン号」が
紀州沖で沈没する事故が起きた際
イギリス人船員は無事助かりましたが、
日本人は全員水死するという痛ましい事故でした。
琴陵宥常は海上安全を祈願し、
「大日本帝国水難救済会大旨」を作成しするとともに
総理大臣黒田清隆に直接訴え、
「大日本帝国水難救済会」を創設させたという
今日の金刀比羅宮の礎を築いた偉大なる宮司様だとのこと
まだまだ帰りの石段は続く…
再び69段目の五人百姓池商店さん
この琴平茶論~
実は次回10/10にまた琴平に行くのですが、
予約しちゃいました
たっぷり琴平漬けになってきます
この池商店さんの看板も前日は気づかなくて
『土産物』しあわせをわけあう
『茶堂』ひとときをすごす
『琴平茶論』ものがたりを知る
なんともトキメキに溢れた説明文
そしてこちらも前日には気づかなかった看板
『珍品堂』とかめっちゃキニナルやん
更に0段目
杖レンタルがあるのもこの時初めて知った
まぁ、いらんかったけど
そして0段目の横に逸れたところにお洒落なカフェ
なんともまぁ、栄えておる
自然・歴史・街の住みやすさ
先の話だけど、隠居した後の移住先とか
そういうことがちょっとよぎる…
みんな覚えてるか分からんけど、
ワィ関西人なんやで
20歳で東京出てくるまで
住んでたところがイチバンだと思ってたけど
学生時代は4年間、御茶ノ水(神田)に住み
これまたここが一番だって思ったし、
さらに大学卒業した時に
当時友人が住んでいた北千住に住み
また記録を更新される
それ以降は北千住に留まり
現在一番長く住んだ街になっているのだが…
もちろん北千住大好きで動く気ないけど、
もし移住するなら…と思うと
この琴平町もとても良きだなと思った次第
さて
今回も鬼長い記事なってしまったので、
ここいらでいったん締めますね
琴平の朝~昼に続くw
タイトルにやる気が感じられないとか言わないでねw
ぼび