盲導犬リチャード 2


盲導犬リチャード


 夢見るこども会議でとても感激したことがあります。
 それは、夢みるこども基金から九州盲導犬協会に贈られた盲導犬のリチャード君がとても可愛くて(多分猫の臭いプンプンの僕にも)、顔をペロペロしてくれたことです。
 こども達も言っていたけれど、こんなに人を助けてくれる動物達を、人間はもっともっと大切にしなければなりませんね。
 リチャードに触発されて、アクロス福岡前で地図を片手に迷っていた、ニュージーランドの老夫婦の方と息子さんとお孫さんを福岡市民会館まで道案内してあげました。
 動物が範を示してくれる「優しさのリレー」から、私達も多くを学びたいと思います。


山口実


今日は夢みるこども基金主催の「第13回こども会議」に参加しました。CSSの税理士さんの紹介で参加したのですが、鑑となる大人の皆さんが、その鏡である子供達と一緒に良い活動を展開していると感銘を受けました。8月のイベントにも是非参加したいと思いました。

 「夢みるこども基金は、全国の歯科医院、歯科大学、歯科医療機関などの協力により、要らなくなった金歯、銀場などの補綴金属のリサイクルで得た浄財をもとに未来を担う子供たちの夢を育み、恵まれない人たちの福祉にも役立てようというキャンペーン活動を展開しています。」
 活動の詳細については、ホームページに詳しく書かれていますので、ご参照下さい。
http://www.standbyyou.com/yumemirukodomo/

 私が日頃からお話している「優しさのリレー」をこども達と一緒にやっているこんな素敵な組織が更に発展することを心から祈っています。
 
 皆さんがお世話になっている歯医者さんで、まだ「夢みるこども基金」の協力歯科医院になっておられない方々がおられるようでしたら、是非ご紹介下さい。

 会議の冒頭に、理事のアグネスチャンさんが「こども達が夢を見ないと大人は生きていく力を失う」と言っておられました。正に、その通りだと思いました。そしてこども達が夢を見て、それを実現出来る様な世の中を守り引き継ぐことが大人たちの責務だと再認識しました。
 基調講演や司会をしたアグネスチャンさんはとても聡明な方だと感銘を受けました。本当のTalented Personです。アグネスや国連ハビタットの親善大使マリ・クリスチーヌさんのように社会活動に永続的かつ積極的に参加する女性タレントやアーティストが日本にもどんどん増えることを切望します。


山口実

 今日は北九州に「TOIEIC必勝法」の最後の講義に参りました。来年度からは他の活動をするため土曜の講義は今日でおしまいです。生徒の数は少なかったし、毎週新幹線で通うのも大変でしたが、皆さん一生懸命勉強してくれたので結構楽しみました。

 それに、途中でいろいろな出会いがあるのでこれも楽しみでした。

 今日は新幹線の中で、小さな男の子と大きな荷物を持った妊婦さんに会いました。2才くらいの男の子はとてもかわいらしくて僕の方を見てニッコリ微笑みました。(イラクのクウェート侵攻の時、助けてあげた松下さんの奥さんとお子さんを思い出しました。)

 それで、新幹線を降りた時、何とか重そうな荷物を持ってあげることは出来ないと思いその母子を見ていました。妊婦さんは、大きな荷物を置いてカメラを取り出しました。話すきっかけができたので、「写真を撮りましょうか?」と言うと、「子供が、新幹線が大好きなので写真を撮ってあげる。」との答えでした。そこで、子供さんの手を引いてあげて、お母さんが写真を撮る間待っていました。小さな手がしっかりと僕の手を握ってくれました。お母さんが写真を撮り終わった時、「僕、大学で教えています。荷物が大きいので出口のところまで、お持ちしましょう。」と言うと「有難うございます。」と快く僕の申し出を受けてくれたので、お手伝いすることが出来ました。

 その後、講義の時間に遅れていることに気がついて、教室まで走りました。蒸し暑かったので、汗をいっぱいかいたけど、何かさわやかな気持ちでした。


山口実

「12社で300項目、数千件 電力不正総点検で報告」
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007033090212922.html
「原発不祥事:地元は怒り、あきれ、ため息
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070331k0000m040142000c.html
 間違ったら危険な原子力発電所、間違ったら隠せば安全なのか?間違った歴史を明らかにすることが自虐的なら、隠すことが正しいのか?
 教育再生が必要なのは、それを唱える大人に対してではなかろうか。


山口実

http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007032901000579.html

掲題の記事が掲載されています。

「国が2006年度上半期で約5兆9000億円の補助金などを支払っていたことが衆院調査局が29日、まとめた報告書で分かった。」と言います。これ半年の金額ですよ。「再就職者は約2万8000人」。と言うことは、年間で一人当たり4億円を補助していることになります。税金の無駄遣いは、酷いものです。野党がしっかり追及し、十分な説明がなされることを切望します。


山口実

「絢香の掲示板『炎上』閉鎖 ミキティーとのコラボがアダ(J-CASTニュース)」
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=td__jcast_6433&csvname=151465884
 上記のニュースを読んで正直驚くと共に、ここまで来たのかと悲しくなりました。
 僕の正直な感想は「ファンが本人を悲しませてどうする。」と言うものです。「贔屓の引き倒し」と言うか何と言うか今の日本に文化が育たない大きな原因を見つけたように感じました。
 昨日のエキシビションは見ていないのですが、アーティスト同士が共鳴をして、ミキちゃんが絢香ちゃんに頼んで歌って盛り上がって、「ああ良かった。素晴らしかった。」チャン、チャンと言う話が苦情の対象になるのはどうしても解せません。
 僕はフィギュアスケートも音楽も芸術だと思っています。芸術家とファンの関係を商品と消費者の関係のように誤解している人が結構多くいます。以前角松ちゃんのファンサイトで「凍結前の曲が良かった。今の曲は駄目だ。」としつこく書き込む人がいて、それに同調する人が結構いました。それで僕は結構マジになって反論しましたが、彼らは結局アーティストのアートを商品としてしか考えられない(結局はアーティストも商品と考えている)ので、自分の嗜好をアーティストに押し付けようとしているのでした。わざわざ私のブログにまで意見する人が出て来て、「ちょっと家族が怖がるので止めて頂けませんか。」と言ったら、静かになりました。
 僕は、Wifeがアーティストで毎日一緒に生活していますから、アーティストの感性の豊かさを肌で感じています。そんな感性の豊かな人々に彼らのアートに関して、「あれをやれ、これをやれ。ああするな、こうするな。」と言うのはとてもおこがましいと考えます。「あれをして下さい。これをして下さい。」とリクエストして、アーティストの判断に任せるのなら良いのですが、アーティストをエンタテインメントの道具のように扱うのはファンのやるべきことではないと考えます。
 嫉妬したり、やっかんだりする心情は分らなくもないのですが、良い年こいた大人が放送局に電話までかけて大騒ぎして、結局アーティスト本人(この場合は安藤美姫ちゃん)を悲しませるなんてアホらしさを通り過ぎて、悲しくなります。
 皆さんはどうお考えになりますか?


山口実

 本日の西日本新聞のコラム「潮流」にロナルド・ドーア(英ロンドン大学政治経済学院名誉客員)氏のエッセイが掲載されています。その副題は「ナショナリズムの波に乗り政権維持」でした。

 その中に、私が日頃から訴えている話が幾つかありました。

「『強く出ること』『毅然とした市政を崩さないこと』『毅然とした姿勢を崩さないこと』だけを是とする、自己主張的なナショナリズムは小人のナショナリズムである。君子の愛国心ちは違う。」

「 英国のナショナリズムを鼓舞して、翌年の選挙に大勝したサッチャー氏をみて、ホンモノの愛国心は何か、英国人としての私は、英国の何を誇りにしていいか、英国という国に対する帰属意識を感じさせている要素は何なのかと自問・反省させられた。 結局、BBCや高級紙などのジャーナリズムの質や、国家医療制度など、社会格差の拡大を防止する諸福祉制度だ。それが私のわずかなる愛国心の根拠だという結論に至った。 外国人の私が感心して、日本人だったら、誇りに思うだろうことは、いっぱいある。文学、美術、工芸や、思いやりを重んじる人間関係など。しして、協力を基調として、株主も経営者も一般従業員をあまり搾取しようとしない企業形態を築いてきたことも。 そのような企業形態が最近、アメリカ型企業形態へ移行しつつある。先日の参画合併簡易化の決定が、その以降を促進するに違いない。外交面ではナショナリズムを貫徹しながら、そのような決定をする安倍政権にどこか矛盾を感じないだろうか。」

 私達日本人にとって、偏狭なナショナリズムに捉われず、もう少し大らかな気持ちを取り戻して、自然を愛し、芸術を愛し、お互いに助け合う平和な農耕民族の精神に回帰することが、日本人としての誇りや自信を取り戻す唯一の方法であろうと考えます。


山口実

最近私は、「優しさのリレー」や「思いやりと互助の精神」と共によく「明日はわが身」と」言う言葉を使います。
 特に勇ましいことを口にする人々や思いやりのない人々とお話する時に申し上げます。全ての人が年を取り、病気になり、何らかの自然災害に遭うことを避けることが出来ないと思うからです。
 そのような中で不可欠なのは地域社会の中の互助の精神だと考えます。私はクウェートで互助が不可欠な状況に置かれたことがありますので、身に沁みてそう思います。
 毎日インタラクティブの近々片々に丁度「明日はわが身」と言う記事が載っていましたので、紹介します。
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kinji/


山口実

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070326k0000m040128000c.html

 掲題の記事が毎日インタラクティブに掲載されています。
先の日記で、私が「地震が怖い」と言った大きな理由の一つに予知不能と言う点があります。
 予知が出来れば、当然何らかの予防が可能なのですが、地震の場合はそれを予め防ぐことは出来ません。もちろん、家具や家屋の倒壊による二次的な災害を小さくすることは出来ますが、地震自体を止めることは出来ません。
 特に、阪神大震災や福岡西方沖地震や今回の能登沖地震のように、「未知の断層」で発生した地震に就いては、市民は想像だにしていませんでしたら、その恐怖たるや想像を超えるものがあります。
 怖いのは確かなのですが、今の報道のようにただ恐怖を煽っているだけでは、起きた時に有効な手立ては講じられません。
 日本は自然資源に恵まれない、一方で地震や台風のような自然災害が多く発生します。見方によれば大変不幸なことですが、私はこれはそういう状況に置かれた私達に「周囲や近隣諸国と仲良く助け合うように」と言う、超自然の力の教えだと考えるようにしています。
 自然災害が起きた時必要なのは対立ではありません。互助の精神です。それも自己満足の助け合いではなく、相手の立場に立った支援が不可欠なのです。起きることは防げないけれども、起きた時に直ぐ有効かつ迅速に助け合えるコミュニティーや人間関係の日頃からの構築が肝要だと考えます。 

山口実