「自分≠相手。」

自分の当り前と
相手の当り前は同じ。
コミュニケーションのずれは、
そこから生まれる。
家族だって
恋人だって
友達だって
「当り前」は、1人1人違う。
自分にとっては、普通なことでも
相手は勇気を、振り絞ったことなのかもしれない。
「当り前」は、1人1人違う。
「どんな想いで、それを言ったのかな?」
自分というメガネは、横に置いて
相手のことを、理解しようとすると
そのままの相手が、見えてくる。
知ってるつもりで、知らない一面が。
「当り前」は、1人1人違う。
違うからこそ、僕らは
何度も、何度も
言葉を交わすのだろうな。
「当り前」は、1人1人違う。
真っ白な状態で、相手と向き合えた時
コミュニケーションって
本当は、ずっと暖かい。

相手は、どんな想いで話してるでしょうか?