顧みるに4月はここをまったく更新しておらず、
いや実際には3月頭からしおりソロんももクロ春市亀岡そして
7thアルバムリリースならびに一昨日のukka、
加えてももクロのご縁でもある東近江ジャズフェスへの No Nercy での出演と、
ここに書かなあかん話が山ほどあるのだが
いろいろとせなあかんことも山ほどあったわけでね。
とかうっかりしてたらデイヴィッド・サンボーン大師匠が
天に召されたので、今回はその話を。
私の世代だと、サンボーン師匠のサウンドを知らぬ者はいないだらう。
アルトサックスの音色に関するイメージを完全に塗り替えた、
あの締め付けられるような独特のヴォイスは数多の後継者を生んだ。
が、やはりサンボーン師匠本人を超える者は出ていないと思う。
ある日ラジオを聴いてたら朝ドラの曲がサンボーンの音色で聴こえてきて、
「え? まさかこんなのも演ってるの?」とその仕事の選ばなさに
ビビッたこともあったが、それだけ音楽ギョーカイ関係者にも愛され、
「ここはサンボーンで」ということが多かったんだよね。
今も私は折に触れてサンボーンの曲を聴くし、
拙バンドの BANANA CLUB でもそのレパートリーに
サンボーン楽曲を採り上げてきた。
'80〜'90年代のフュージョンリスナーには、
やはり単純にウケるし、確実にアガるものがあるからだ。
RUN FOR COVER や CHICAGO SONG のイントロが鳴っただけで、
「うぉー来たかサンボーン!」となる、そのようなフュージョン楽曲は、
そんなに多くはないと思う。作曲はいずれもマーカスだが、
サンボーンのサウンドがあってこそ、の曲だった。
大変な大物だけに北米音楽業界はそこそこの騒ぎのようだし、
わが国でもシニアの音楽ファンは「あちゃあ」てなところだらう。
まーでもここの10年は病とたたかいながらライヴをやってくれてたのは、
ありがたいことやなあとしみじみと思う。
享年78歳とのことだが、実に豊かな人生だったのではないか。
てところでサンキュ、サンボーンはんYO !!
今後も引き続き風が呼ぶ蒼穹の果てから光射す螺旋へと
我らを音楽メイニアをお導びきあーりんりん!