私がワーキングホリデー制度を使用してオーストラリアにきた理由 | なんとなーくオーストラリア情報

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オーストラリアにワーキンクホリデーを利用し2年滞在後から紆余曲折を経て住み着いた私のゆるーい情報ブログです。

 

みなさん初めまして🐰

 

今でこそワーキングホリデーを利用する人はすごく多いと思いますが、私がワーホリを使用した10年前には、私の周りには誰一人ワーホリを使用している人・使用した事がある人はいませんでした。

 

勿論、私の出身が東京や大阪などの大都市ではないのも少なからずあるとは思いますが、それでも大学を卒業し就職した会社を辞めてまで、海外に長期間で行こうとする人はいませんでした。

 

元々頭が悪い私は、英語なんて本当にさっぱりわかりませんでした。ただ、英語の授業は好きでした。なぜなら、英語の授業はその時に流行っている音楽を、ALTの先生が流してれるので楽しい授業だったこと、そしてなによりALTの先生がイケメンだったからですw でも、まだ私は海外に行きたいとは思ってもいませんでした。

 

 

【HIS】旅行プログラム

 

高校生になり、なんとうちの高校は修学旅行が海外でした!生徒のリクエストが少なからず考慮されるシステムで、私の学年はオーストラリアでした。そこで初めてオーストラリアに行きましたが、もちろん英語が話せるわけではなく、”友達との旅行”を楽しんだだけでした。

 

しかし、この時一人の日本人に出会ったのです。その女性は、シドニーのお土産屋さんで働いており、私達が日本語で話しているのを聞いて、日本語で接客をしてくれたのです。

私にとってはとても衝撃的で、「なんで日本人がここで働いているのか?」という疑問が生まれ、迷うことなく彼女に尋ねました。すると彼女が、「ワーキングホリデーという制度出来てるのよ、休暇もかねて仕事もしながらオーストラリアで1年間生活できる制度なのよ」と教えてくれました。

 

「ワーキングホリデー」この言葉はすごく衝撃的で、英語ができない私でもすごく当時の私には強い印象を残しました。しかし、私には関係ないよな、海外になんてこれるわけがないと、この単語は覚えていましたが、何かをしようなんて気はさらさらありませんでした。

 

 

そのまま受験シーズンに突入、晴れて大学生になり、その後は公務員となりました。その後、1年2年と経つにつれ、ふと「ワーキングホリデー」という単語がちらほらと頭をかするようになりました。なぜなら、その時の仕事に疲れ果てており、なんだかこのまま定年するまでこの仕事を続ける事に疑問が生まれたからです。

 

しかし、私の周りには就職→結婚というルートから外れる人は一人もおらず、しかも公務員という一般的には安定している職を捨てて海外に行くというのは、世間の目と、何よりも親からの猛反対がありました。

 

その当時は、そんな理由もあり、気分転換目的で「ワーキングホリデー制度」について調べる事を、仕事のストレスからの息抜きとしていました。そして調べて行くうちにどんどん行ってみたい気持ちが大きくなり(ただし、漠然とした良いイメージを想像しただけw)、就職して5年目にして大きな決断をしました。

 

「このまま、死んだ魚の気分で嫌々仕事をし続けるのはいやだ、行って後悔するより、行かないで後悔するのはもっと嫌だ。1年間、期間をしっかり決めて帰ってこよう。公務員には戻れないけど、戻ってきてからは何の仕事でも、仕事をすれば生きていける」

 

そう思い、しばらくは悩みまくり、不安になりと大変でしたが、親にも「私の人生後悔したくない。お願いだから応援して、頑張っておいでと言ってくれ」と頼み込み、グチグチ言われましたが、最終的には「好きにしなさい」と言ってくれました。

 

そこから、本格的にワーキングホリデーの計画を立て始めるのでした。

 

つづく