僕は、自分の意思は曲げないと言った。
今でもよく考えることがある。
生きる目的。
こんなことばっか。
考えても見つからない。
だから自分で答えをでっちあげる。
たぶんそれは社会的に見たら甘えた考えで、
何を考えてるんだって一言で片づけられてしまうようなこと。
そう僕が考えるのはやっぱり
社会というものが何なのか
見知らぬ誰かに心の奥底に植えつけられているから。
自分で道を切り開くということは、
無謀であるが、
達成すればやれないこともないというものに変わる。
でもそれは、その人だからできたんだと
一般論に付け加えられることはまずない。
結局数の問題。
これだけの人ができたのだから自分にもできるかもしれない。
誰かが禁煙を推進するために喫煙所を取っ払うから
多くの人が声を大にして喫煙者を阻害できる。
その風潮ができる。
ある種ファシズム的な思考。
古文書に書いてないようなことはするな
と、世間一般が思うように仕組まれている。
僕が僕の思うように生きようとするのなら、
誰の手も借りずに一人で成そうとすべきだ。
親に生活費をもらうでもなく。
友達に借金するでもなく。
それができないのなら潮の流れに身を任せるしかない。
まずは船を作ろう。
そして舵を取ろう。
方向などどこでもいい。
思った通りに突き進めばいい。
意思。