個性と共通認識のジレンマ | bmm47756のブログ

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小学校・中学校の義務教育。

どうして我々は学ぶ必要があるのだろうか。

 

よく言われる工場の労働力としての姿勢を教え込むためや

産業を育成させるための基礎知識など、いろいろあるが

ここでは私の思うことを書かさせていただきたい。

 

義務教育というのは共通認識を育てる場として重要な意味を持っていると思っている。

 

三角形の面積は底辺×高さ÷2なのである。

50音といえば「あいうえお」のことなのである。

太陽といえば「赤色」であり、犬は「わんわん」猫は「にゃーにゃー」と鳴くのである。

 

こんな当たり前のことを当たり前にわかる共通認識が重要なのだ。

平たく言えば「山」といえば「川」と答えることなのである。

 

会話をしていて、一を話して10わかる人、8までわかる人、

5しかわからない人、それぞれいると思うが、会話として

1を話して、10までわかってくれた方が、説明が必要ないので

すぐに会話は終わるし、誤認もない。

実はこれが社会や組織において重要な根幹になってくるのである。

 

一つの考え方に対してトコロテンのような共通認識が効率化に

結びついていると思うのだ。

 

では、トコロテンにすれば個性は失われる。

個性を尊重すればトコロテンにはならない。

では義務教育の意味はどこにあるのだろうか。