船橋の団地に居住していたのは、小学校の入学前の1年と小学3年生までの4年間。
わずか4年でしたが、子供のワタシにとっては、とても長く充実した時間でした。団地というのは、占有の敷地が広く、居住者の大人たちが通勤に出払ってしまうと子供天国なのです。車の進入はほとんどなく、団地の敷地の中のすべてが遊び場でした。
共有のゴミ捨て場がけっこう楽しかったのをよく憶えています。40年前は現在ほどゴミを出すことにいろいろな規則などなくて、ゴミの回収車がやってくる日に決まりはあれど、ゴミを捨てる日を指定されていたわけではありませんでした。また、ゴミ捨て場で子供が遊んでいても、誰かに注意されるなんてことは皆無でした。まあ、世の中が寛容だったのでしょうな。
誰かが捨てたゴミの中に、まだまだ使えそうな玩具なんぞ発見すると、それはそれはヨロコビでした。ゴミ集積所での遊びを「宝さがし」なんて呼んでましたね。
「おーし、今日は宝さがしをしようっ!」と友達といっしょに陽暮れまでゴミ集積所巡りをしておりました。まだ、履けそうな婦人用のサンダルなんぞを見つけると、母親への土産だなんて言って、持ち帰ったりもしてましたね。
スリリングで、大好きだった遊びは「爆竹」。
月に1回もらえる100円の小遣いを握りしめて駄菓子屋へ行き、爆竹を買う。当時の爆竹というのは今も販売されている爆竹なんぞより、ふた廻りくらい太くて長いヤツで、たしか12本くらいで10円だったか、20円だったか、、、、、赤い油紙で包まれたヤツです。
マッチを10円で買って、ひと気の少ない工事現場のような場所で「火遊び」をおっぱじめるわけです。
当時の爆竹というのは、1本あたりに含有する火薬の量の多かったので、色々なものを簡単にふっ飛ばす爆発力がありました。
オロナミンCの空き瓶などは、火のついた1本の爆竹で粉々に吹っ飛びましたからね。瓶の他にも、空き缶や、アリの巣に仕掛けるなんてこともしました。
神社の池で釣り上げた鯉の口に爆竹をしかけるというトンでもなく残酷なマネもしたことがあります。
トンでもないことをやらかしたということは、本人たちもすぐ理解して、頭の吹っ飛んだ鯉を見て、その場に居合わせた全員が声も出なかった記憶があります。当然のことながら、2度と同じ過ちはしませんでした。残虐な思いつきを反省し、オノレの愚かさを知るという意味では良い機会だったのかもしれません。
犬のウンコに爆竹、、、というのも相当スリリングな遊びで、犬のウンコに爆竹をさして火をつけるわけです。逃げ遅れると、破裂したウンコが背中に飛び散るという、臭いチョンボになるのです。導火線に火がつく前に逃げはじめたりするヤツがいると、そいつは意気地なしということで、仲間から徹底非難されるわけです。放出したての、水分をタップリ含んだ犬のクソだったりすると、爆破する勢いでけっこうな距離で飛び散りましたね。今の子供に爆竹を与えても、犬のクソに仕掛けようとはしないかもしれませんな。
神社の池で鯉や亀を釣り上げてみたり、釣っている本人が池に落ちてみたり、まあ、今から考えるとロクでもない、そして逞しい遊びをしていたものです。着用している服を破るなんてのは日常茶飯事で、有刺鉄線の張り巡らされた工事現場に立ち入るために、有刺鉄線の針に刺さって血を流すなんてのも当たり前の出来事でした。
ゴミ集積所から段ボールを仕入れて森に行き、段ボールを組み立てて「オレたちの秘密基地」だと言って食いモノを持ちより、意味なくそこで夕方まで過ごしたり。捨て猫なんぞいようもんなら、秘密基地の秘密のペットになってました。
空き地や森がそこかしこにあり、親や大人の監視の目が一切ない中での遊びは、怪我もしたけど、危険を察知したり回避する能力を培うことには大きな役割を果たしていたように今では思います。
わずか4年でしたが、子供のワタシにとっては、とても長く充実した時間でした。団地というのは、占有の敷地が広く、居住者の大人たちが通勤に出払ってしまうと子供天国なのです。車の進入はほとんどなく、団地の敷地の中のすべてが遊び場でした。
共有のゴミ捨て場がけっこう楽しかったのをよく憶えています。40年前は現在ほどゴミを出すことにいろいろな規則などなくて、ゴミの回収車がやってくる日に決まりはあれど、ゴミを捨てる日を指定されていたわけではありませんでした。また、ゴミ捨て場で子供が遊んでいても、誰かに注意されるなんてことは皆無でした。まあ、世の中が寛容だったのでしょうな。
誰かが捨てたゴミの中に、まだまだ使えそうな玩具なんぞ発見すると、それはそれはヨロコビでした。ゴミ集積所での遊びを「宝さがし」なんて呼んでましたね。
「おーし、今日は宝さがしをしようっ!」と友達といっしょに陽暮れまでゴミ集積所巡りをしておりました。まだ、履けそうな婦人用のサンダルなんぞを見つけると、母親への土産だなんて言って、持ち帰ったりもしてましたね。
スリリングで、大好きだった遊びは「爆竹」。
月に1回もらえる100円の小遣いを握りしめて駄菓子屋へ行き、爆竹を買う。当時の爆竹というのは今も販売されている爆竹なんぞより、ふた廻りくらい太くて長いヤツで、たしか12本くらいで10円だったか、20円だったか、、、、、赤い油紙で包まれたヤツです。
マッチを10円で買って、ひと気の少ない工事現場のような場所で「火遊び」をおっぱじめるわけです。
当時の爆竹というのは、1本あたりに含有する火薬の量の多かったので、色々なものを簡単にふっ飛ばす爆発力がありました。
オロナミンCの空き瓶などは、火のついた1本の爆竹で粉々に吹っ飛びましたからね。瓶の他にも、空き缶や、アリの巣に仕掛けるなんてこともしました。
神社の池で釣り上げた鯉の口に爆竹をしかけるというトンでもなく残酷なマネもしたことがあります。
トンでもないことをやらかしたということは、本人たちもすぐ理解して、頭の吹っ飛んだ鯉を見て、その場に居合わせた全員が声も出なかった記憶があります。当然のことながら、2度と同じ過ちはしませんでした。残虐な思いつきを反省し、オノレの愚かさを知るという意味では良い機会だったのかもしれません。
犬のウンコに爆竹、、、というのも相当スリリングな遊びで、犬のウンコに爆竹をさして火をつけるわけです。逃げ遅れると、破裂したウンコが背中に飛び散るという、臭いチョンボになるのです。導火線に火がつく前に逃げはじめたりするヤツがいると、そいつは意気地なしということで、仲間から徹底非難されるわけです。放出したての、水分をタップリ含んだ犬のクソだったりすると、爆破する勢いでけっこうな距離で飛び散りましたね。今の子供に爆竹を与えても、犬のクソに仕掛けようとはしないかもしれませんな。
神社の池で鯉や亀を釣り上げてみたり、釣っている本人が池に落ちてみたり、まあ、今から考えるとロクでもない、そして逞しい遊びをしていたものです。着用している服を破るなんてのは日常茶飯事で、有刺鉄線の張り巡らされた工事現場に立ち入るために、有刺鉄線の針に刺さって血を流すなんてのも当たり前の出来事でした。
ゴミ集積所から段ボールを仕入れて森に行き、段ボールを組み立てて「オレたちの秘密基地」だと言って食いモノを持ちより、意味なくそこで夕方まで過ごしたり。捨て猫なんぞいようもんなら、秘密基地の秘密のペットになってました。
空き地や森がそこかしこにあり、親や大人の監視の目が一切ない中での遊びは、怪我もしたけど、危険を察知したり回避する能力を培うことには大きな役割を果たしていたように今では思います。