昭和46年、高度経済成長期の真っただ中だった日本。
 この年に、千葉県の柏の借家から、ワタシの家族は船橋に転居します。転居した先は公団住宅の団地。京葉工業地帯の労働人工を確保するために国が政策として推し進めて出来上った、いわゆる『団地』です。
 50棟1600戸の大規模団地の分譲住宅の抽選に当選して、引っ越すことになりました。当時、ワタシは5歳で、小学校入学までの1年、団地の設立と同時に開園された「あすなろ保育園」という名の保育園に入園することになります。
 栄えある(ナイか?)「あすなろ保育園」の第1期生です。

 この保育園は、ワタシの他にも優秀な(?)人材を輩出しています。
 『チビノリダー』で有名になった俳優の伊藤敦史さんも、この保育園を卒園したらしいです。当時母親は何がしかのパートをしていたようで、保育園入りとなりました。でも、本当の理由は幼稚園より保育園のほうが、月あたりの支払は安いし、歩いて行けるという理由で、この保育園に通うことになったようです。
 ワタシは、この保育園で同級の園児と最初の恋に落ちます。
 同じクラスの園児で、名前は「鈴木えり」ちゃん。色白の大人しい女の子でした。ワタシの抱く一方的な恋心だったわけではありません。ワタシとえりちゃんは、相思相愛の仲だったのです。このことは、保育園の担当の先生にもバレバレでした。何ゆえかというと、保育園には幼稚園と違って「お昼寝」の時間がありますが、ワタシとえりちゃんは、いつも隣あって昼寝をしていたのです。しかも、、、、あろうことか、ワタシとえりちゃんは、手をつないで昼寝をしていたのです。
 もちろん、ワタシにも記憶があります。
 寝床で、そっと、手を握り合っていた、、、、、さすがに保育園児には、それ以上の発展はございませんが、、、、ちょっと、けだるい昼寝の時間。そのまま眠ることもあったのか、ドキドキしながら覚醒しつづけていたのか、、、、ハッキリとした記憶はありませんが、幸せな昼寝の時間であったことは間違いないでしょう。
 えりちゃんと手をつないで昼寝をブッコいていることは、担当の先生の口から母親に伝わり、ワタシが大人になってからも「あんたは、えりちゃんと手をつないで昼寝してた」と冷やかされたものです。まあ、担当の先生は優しい目で、ワタシとえりちゃんの「小さな恋のメロディ」を見ていてくれたらしいです。
 
 ワタシが小学4年生くらいのころ、初恋の「えりちゃん」について、母親から聴きたくない話をきかされたことがあります。
 それは、「えりちゃんは妾の子だった」という事実です。
 ワタシが保育園に通っていたころにも、聴かされたというか聴いたというか、、ただ「妾の子」の意味がサッパリわからなかった記憶があります。まったく大人というのは、その手の話をどこからともなく仕入れてきて、けしからんことだと、最初にその話の意味を理解した当時にイヤな想いになりました。
 今から考えると、口数が少なく、大人しい印象のあった彼女の性格は、家庭環境によるものもあったのだなと。もの静かな、えりちゃんの優しい微笑みは、瞼を閉じれば今でもワタシの脳裏に蘇ってきます。

 保育園に通った、小学校に入学前の1年間は、バラ色の日々であったことは言うまでもありません。