まあ、今から考えても、オットロしい厳しい父親でした。
 
 小学生くらいのころに、ごく稀に父親が陽の暮れる前に帰宅していることがありました。玄関の扉を開け放つと、父親が帰っていることを漂う空気ですぐに察します。
 なんでしょうか、動物の勘でしょうかね? 草原でライオンが近づいていることを感じて、草を食むのを止めて首をもたげるシマウマみたいなもんでしょうか。
 玄関の扉を開けて『んっ?』となるのです。
 おかしい、この空気っと感じます。次に玄関にならぶ靴を観察。そこで父親が脱いだであろう靴を発見すると『ゲッ!帰ってきている、、、』っとなるのです。平静を装って自分も靴を脱ぎつつも、『どういうこっちゃ?こんなに早い時間に、、、、くわばら、くらばら、、、』となるのです。
 テレビに出てくるような、『わあ~♩ お父さんが帰ってきている~♩ ただいま~♩』なんてことには絶対にならないわけです。まあ、あんなふうに子供の緊張を強いるモノを漂わせている父親ってのも、なんだかヘンでしたね。

 ただ、いくつかの印象的なイイ思い出もあるといえば、あります。
 ひとつは、保育園に入る前までは、よく肩車をしてくれました。このことは強烈に記憶として残っています。写真でもワタシを肩車している父親の姿がいくつか残っているので、よく肩車をして連れてくれていたのでしょう。
 父親の肩車がうれしかった記憶というのは、ワタシの子供が生まれて彼らを自然とワタシも肩車をして連れて歩く行為につながっています。娘、長男、次男いずれもよく肩車をしておりました。彼らの記憶の中にもワタシに肩車をされたという記憶が残るのか、、、どうなんでしょうかね。

 ワタシが高校生くらいの頃、『どうしてウチ親父は、あんなふうなのだろうか?ふつうの父親ってのは、もう少し自分の子供に対して、優しさみたいのもの見せるのではないだろうか?』と疑問に考えていた時期があります。いろいろ考えて、たどり着いた答えがあります。
 『ワタシの父親には、父親像というものが一切ないのだ。自身の父親(ヨタ者だという祖父)を幼児の頃に畏れ、そして失ったことで、具体的な父親像を持ち合わせてなく、あのような態度になるのではないかと』そう思うようになりました。そう考えるようになるまでは、理不尽に殴られたり、気分で怒鳴られたりしたりすることに憎しみに近い感情を抱くことがありましたが、「父がいなかった父親」というふうに思えるようになると、不思議と父親の心の中を理解できるようになりました。手本というか見本というか、そんなモノが頭のなかにイメージとして持たずに自分の子供と接することは、多くの迷いや戸惑いが生じて、自らの感情にまかせるままになってしまうのかなと。父親を憐れむ、、、、というと語弊があるかもしれませんが、中学生を過ぎたワタシが、そう父親のことを考えていたことは間違いありません。

 腕っぷしの強いのが自慢で、酔っぱらうとよく自宅にきた親類といわず、いろんな人と腕相撲をしてましたね。当然、ワタシもよく父親と腕相撲をしていました。無論、小中学生のころは敵うハズもなく、貧弱な腕力を小馬鹿にされてました。
 ワタシの腕力が強くなってからは、1度も腕相撲をしたことはありません。たぶん大学生のころには、力ではワタシ方が上だったでしょうが、父親からもワタシからも『腕相撲をしよう』と言いだすことはないまま現在に至っております。父親との腕相撲は勝率0割。300戦0勝300敗のままです。
 この勝率は、このまま両者がこの世から消えるまで、このままでいいのだろうと思っています。