ワタシの父親は、寝床でよく色々な話をしてくれました。
 こう書くと、まるでいろいろな物語を聴かせてくれたりする、やさしい父親のような印象になってしまいますが、まるで違います。
 夢物語を聴かせてくれるわけではななく、自分の生い立ちや、目の当たりにした、焼け野原となった東京の様子、疎開した先での苦労話などなど、聴くも悲しい、気持ちの暗くなるような話ばかりなのです。何度も聞かされた話があるので、ワタシの脳ミソには、父親の生い立ちについての流れの記憶がカビのように張り付いています。
 幼少の頃に父親を亡くしたので、トンだ貧乏暮らしが続いていたことの具体的なエピソードを繰り返し聞かされました。亡くなった父親(つまりワタシの祖父)というのもロクでもない男だったそうで、ワタシの父親は年中折檻されていたそうです。寝小便を垂れたといって、押入れに閉じ込められたこと。理不尽に張り倒されたこと、、、、まあ、楽しい思い出はなかったようです。
 父親が小学生なってすぐに病気で亡くなってしまったらしいのですが、その時に父親は「オヤジが死んで良かった」っと、本気でそう思ったというのです。
 父親が死んで微塵も悲しみがない、、、、これは、ワタシの祖父にあたる人物が余程ロクでもない男だったということでしょうかね。
 父親曰く『今で言う与太者だった、、、、』と聞かされたのをよく憶えております。まともに働きもせずに、よく奥さん(つまりは、ワタシの祖母)に暴力を振るっていたらしいのだ。父親の家は貧しかったので家族の写真なんていうものは残存していなく、正確にいうと写真撮影する余裕など生活になかったのでしょうが、1枚だけ写真をみたことがあります。
 ワタシの祖父、祖母、そしてワタシの父親が3歳くらい子供の時の写真。父親の兄弟も一緒に撮影されいたような記憶がありますが、定かではありません。ワタシの記憶にあるのは、ワタシの祖父にあたる男性の姿形です。
 着流しの着物を着て、スラリと背が高く、眼光鋭くキリリとした表情の男性が、その写真には写っておりました。ワタシが子供のころに数回その写真を見ただけなのですが、現在の職業に置き換えるとワタシの祖父はおそらくチンピラだったのでしょう。
 ワタシの父親は『与太者』と表現しておりましたが、正確には『ヤクザ者』だったのではないか。病気で死んだというのも、実は何がしかのトラブルで命を落としたのかもしれません。まあ、その与太者の祖父が死んだおかげで、父親の家族は、祖母が子供4人を女手ひとりで育てるという貧乏暮らしがはじまったそうです。
 小学生になって太平洋戦争がはじまり、祖母の親類を頼って福島に一家で疎開することになったらしいのですが、これがたまた悲惨な暮らしだったらしい。田舎での貧しい生活を強いられたことを、ワタシは父親から、暗い寝床のなかで何遍きかされたことか。
『食べるもの皆無で朝飯もなく、イカの足を1本だけ食べて学校に行き、腹が減ってフラフラした』
『田舎の学校の同級生に東京から来たことで苛められ、毎日喧嘩をしていた』
『子供ながらに働いて手伝いをしていたら、報酬に渡されたのが腐ったジャガイモだった』
『着るものもなく、真冬で裸足で下駄を履いていた』
『あてがわれた住居は牛小屋の隣のボロ小屋で、夜寝ていると、牛のクソが落ちる音が響いていた』
『あまりに毎日学校で喧嘩をするので、学校なんぞには行かなくなった』
などなど、悲しい貧乏暮らしのさまを、ワタシはよく聞かされてました。

 今から考えると、よくぞ、そんな話を小さな子供であるワタシに繰り返し聞かせていたものだと思います。おそらく、その貧乏暮らしの体験が、父親がその生活から脱出するための努力の糧になったとの自負があったからなのかもしれません。『貧乏』だけは、大人になったら絶対になるまい、、、そう日々の暮らしのなかで念じ続けていたのでしょう。

 まともに学校もいかず、新制中学の義務教育なんてのも制度としては始まっていたはずですが、ワタシの父親が中学校に通ったという話は聞いたことがないので、中学校にはまともに通わず、小僧に入って働いたのでしょう。小僧に入って労働していたころの苦労話などは、まるで江戸時代の小僧制度のような話で、朝6時から夜の10時まで働きづめで、わずかに貰える小遣い程度の給与と、月に1日だけの休日が楽しみだったと。
 
 学の皆無な父親は、ワタシに『勉強しろ』と言ったことは、ただの一度もありません。まあ、自分が一切勉強せずにいたわけですから、自分の子供にそれを強いることもないわけです。ワタシが小学生になって成績表を持ち帰っても一瞥くれるだけで、なんの興味も示さなかったですね。このことは、ワタシが中学生、高校生になっても同じでした。学業の成績の良し悪しについて口を開いたことは皆無でした。 『何事も努力を怠るな』とただ繰り返し言われていたように思います。『一生懸命に何かをやらないと、道は見えてこない』と。阿呆のように毎日をダラダラ繰り返していると、見えてくるものが見えなくなってくると。
 
 寝床で聞かされたこれらの話は、少なからずワタシの人間性に影響はあったのではないかと思います。父親を反面教師として眺め、その生きざまの反対を行く部分もありますが、ワタシの身体に流れる血の半分は父親から貰ったもので出来上っているわけで、そのあたりのことは自分が親になってますます強くかんじていたりするわけです。            
                                            To be continued