人間ってのは何歳くらいから記憶という脳の働きがはじまるのだろうか?
ワタシの場合は、たぶん4歳くらいから記憶がはじまっている。生まれた当初の住居は東京都の江戸川区だったらしいのだが、その家の記憶は一切ありません。ワタシの住居の記憶というのは、3歳か4歳くらいのころの千葉県の柏市の集合住宅に住んでいたころからはじまる。
たしか建物は「ロイヤルカツラ」という名前で、傾斜地に建設されていた3階建くらいの集合住宅で、傾斜地のまさに斜めになっている半地下みたいな、すき間にあった居住区でした。
近いところに湿地のような場所があって、夏になると蛍が網戸に止まっていることがあったのをよく憶えています。カブトムシやクワガタなんてのも網戸にいるやつを簡単に捕まえることができました。
不気味な出来事だったのは、よく窓を開け放した先によく蛇が現われたこと。
父親が蛇に向かって石を投げて追い払っていた記憶がなぜか今でも強烈に残っています。
たぶん、この柏の集合住宅に住んでいたころの記憶というのは、3歳から5歳くらいまでの2年足らずのはずなのですが、この頃の記憶がずいぶんとハッキリと残っています。
手賀沼につながる大津川という名前の小さな小川に釣りにいったこと。当時父親は釣りが趣味だった、、というか釣りくらいしか楽しみがなかったのかもしれませんが、何度も足を運んだ記憶があります。
春の日の土手で、父親が釣り糸を垂れているとなりに寝転んでいると、ヒバリが青空を上下に落っこちそうになりながら飛んでいる様子。あのヒバリの鳴き声や飛んでいるさまは、今でも目をつむると浮かんでくるほどです。
何ゆえか、魚が釣れてその魚体を見た記憶はなく、当時の情景ばかりが記憶に残っています。川に架かる橋が木製で、橋の床が抜けている場所があり、そこを跨ぐのビビりまくっていたことや、生活排水が流れ込んでいたのでしょうが、川の一部が淀んで水面が泡立った箇所あったこと。父親が使っていた竿は、竹製の延べざおで、黒塗りに朱色の模様が入っていたものだったとか。
ドビン釣といって、透明な樹脂でできた瓶状のものに練り餌を詰めこむと、タナゴやクチボソがゴッソリ捕れたこともありました。
当時の最大のヨロコビは、『ファンタグレープ』が飲めるヨロコビでした。
親戚の子ども(いわゆるイトコ)が自宅に来たりすると、公園に遊びに連れて行ってくれて、母親がその時だけはファンタグレープを買ってくれるのです。ふだんの日常で母親がその手のものを買ってくれることは皆無でした。年に数回、その親戚がやってきたときだけの、特別な出来事だったのです。
炭酸の入った紫の液体を口にする、、、あのヨロコビ。
なぜファンタグレープが選択されていたのかわかりませんが、ワタシは今でもファンタグレープを見たり飲んだりすると、特別な味がします。
贅沢というよりは、夢の飲み物の味がします。
柏に居住していた頃に何回ファンタグレープを口にしたのか、、、、、たぶん、5,6回の出来事なのでしょうが、ファンタグレープへの憧れは深くワタシの心に突き刺さりました。
中学生のころにファンタグレープを1リットルくらい飲んでみたことがあるのですが、あの公園の柵に座って飲んだファンタグレープの感動は蘇ってきませんでしたね。
この柏に居住していたころの記憶は、楽しいものだけしか残っていません。まあ、幼少のころなので、その手のヨロコビの類しか脳ミソに残らないのでしょう。
玄関口にあった井戸水のポンプで水をくみ出して遊んだことや、柏駅に向かう途中にある神社に上手ある銀杏の木が秋になる実を落として強烈なニオイを発していたこと。
数の少ない、いくつかの場面を思い出す情景が、深く頭の中に残っています。
こうやって考えると、その後のワタシ人生における趣味嗜好というのは、この柏の土地で育った期間が大きく関与していることがわかります。その後の子供時代の遊びや行動は、それらの記憶によって司られているのかもしれません。
To be continued
ワタシの場合は、たぶん4歳くらいから記憶がはじまっている。生まれた当初の住居は東京都の江戸川区だったらしいのだが、その家の記憶は一切ありません。ワタシの住居の記憶というのは、3歳か4歳くらいのころの千葉県の柏市の集合住宅に住んでいたころからはじまる。
たしか建物は「ロイヤルカツラ」という名前で、傾斜地に建設されていた3階建くらいの集合住宅で、傾斜地のまさに斜めになっている半地下みたいな、すき間にあった居住区でした。
近いところに湿地のような場所があって、夏になると蛍が網戸に止まっていることがあったのをよく憶えています。カブトムシやクワガタなんてのも網戸にいるやつを簡単に捕まえることができました。
不気味な出来事だったのは、よく窓を開け放した先によく蛇が現われたこと。
父親が蛇に向かって石を投げて追い払っていた記憶がなぜか今でも強烈に残っています。
たぶん、この柏の集合住宅に住んでいたころの記憶というのは、3歳から5歳くらいまでの2年足らずのはずなのですが、この頃の記憶がずいぶんとハッキリと残っています。
手賀沼につながる大津川という名前の小さな小川に釣りにいったこと。当時父親は釣りが趣味だった、、というか釣りくらいしか楽しみがなかったのかもしれませんが、何度も足を運んだ記憶があります。
春の日の土手で、父親が釣り糸を垂れているとなりに寝転んでいると、ヒバリが青空を上下に落っこちそうになりながら飛んでいる様子。あのヒバリの鳴き声や飛んでいるさまは、今でも目をつむると浮かんでくるほどです。
何ゆえか、魚が釣れてその魚体を見た記憶はなく、当時の情景ばかりが記憶に残っています。川に架かる橋が木製で、橋の床が抜けている場所があり、そこを跨ぐのビビりまくっていたことや、生活排水が流れ込んでいたのでしょうが、川の一部が淀んで水面が泡立った箇所あったこと。父親が使っていた竿は、竹製の延べざおで、黒塗りに朱色の模様が入っていたものだったとか。
ドビン釣といって、透明な樹脂でできた瓶状のものに練り餌を詰めこむと、タナゴやクチボソがゴッソリ捕れたこともありました。
当時の最大のヨロコビは、『ファンタグレープ』が飲めるヨロコビでした。
親戚の子ども(いわゆるイトコ)が自宅に来たりすると、公園に遊びに連れて行ってくれて、母親がその時だけはファンタグレープを買ってくれるのです。ふだんの日常で母親がその手のものを買ってくれることは皆無でした。年に数回、その親戚がやってきたときだけの、特別な出来事だったのです。
炭酸の入った紫の液体を口にする、、、あのヨロコビ。
なぜファンタグレープが選択されていたのかわかりませんが、ワタシは今でもファンタグレープを見たり飲んだりすると、特別な味がします。
贅沢というよりは、夢の飲み物の味がします。
柏に居住していた頃に何回ファンタグレープを口にしたのか、、、、、たぶん、5,6回の出来事なのでしょうが、ファンタグレープへの憧れは深くワタシの心に突き刺さりました。
中学生のころにファンタグレープを1リットルくらい飲んでみたことがあるのですが、あの公園の柵に座って飲んだファンタグレープの感動は蘇ってきませんでしたね。
この柏に居住していたころの記憶は、楽しいものだけしか残っていません。まあ、幼少のころなので、その手のヨロコビの類しか脳ミソに残らないのでしょう。
玄関口にあった井戸水のポンプで水をくみ出して遊んだことや、柏駅に向かう途中にある神社に上手ある銀杏の木が秋になる実を落として強烈なニオイを発していたこと。
数の少ない、いくつかの場面を思い出す情景が、深く頭の中に残っています。
こうやって考えると、その後のワタシ人生における趣味嗜好というのは、この柏の土地で育った期間が大きく関与していることがわかります。その後の子供時代の遊びや行動は、それらの記憶によって司られているのかもしれません。
To be continued