1966年5月21日にワタシは生まれました。
ワタシが生まれた時に父親は29歳、母親は父より4歳年上なので32歳のハズです。
ワタシには5歳上の姉がおりますが、どうも聴いたところによると、ワタシの両親はデキ婚だったようで、母親が子供を身ごもったことで結婚したらしい。このことは、ハッキリと両親から聞いたわけではないですが、ワタシが中学生くらいの時だったでしょうか、父親と母親の結婚のことについて訊ねたことがありました。父親は『オレは年上の女(つまりは母親のこと)にだまされて、若い身空で結婚するハメになった、青春返せっ、青春返せっ、青春返せっ!』っと言っていたのに対し、母親は『責任を取ってもらった』という言葉を発したのをよく憶えている。
責任をとってもらう→イッパツの責任→妊娠の責任→結婚、、、、うーむ重い責任だ。
よーく考えれば、いや考えるまでもなく、ワタシも父親と同じ責任をとって結婚したのだ。
父親もワタシも、責任を放棄しない立派な人間と言えよう。
が、しかし、ここで大きな問題があるのだ。
たしか、父親から聴いた話では、結婚したのは自分が19歳のアンちゃんの時ということだった。ワタシが生まれたのは父親が29歳の時、5歳年上の姉が生まれたのは、24歳の時のハズ。ということは最初に母親が身ごもった子供は姉ではない。つまり、父と母の結婚のキッカケとなった子供は、この世には生まれてこなかったということになる。
想像するに、経済的理由からの堕胎ではなかったかと。というのも、これもワタシが中学生くらいのころに聞かされた話なのだが、『もしかしたら、お前はこの世にいなかった可能性もある』と父親から言われたことがあるのです。最初の子供、姉、ワタシの他にも母親はもうひとり妊娠をしたことがあるらしいのだ。
姉とワタシのあいだに、もう1回妊娠していたというのだ。もし、その子供を産んでいれば、おそらくお前は生まれてこなかった、、、、、っと、そう告げられたことがあるのだ。
しっかし、今から考えるとトンでもないことを自分の息子に告げるクソ親父だと。まあ当時は堕胎というのは案外と普通に行われていたことなのかもしれません。
まあ、とにかく生まれてきたよかった。
はあーめでたし、めでたし。
父親は、当時でいえば174僂梁臺舛蔽砲如∪犬泙譴織錺織靴癸械僑娃娃臘兇梁腓な赤ん坊だったそうです。おかげで、保育園、小学校、中学校、高校と背の順に整列というと、必ず後ろから2番目でした。ワタシより大きなヤツがクラスに必ずひとりは存在してましたが、案外とイチバン大きかったヤツというのは、途中で並のサイズになったりしてクルクルと入れ替わっておりましたが、背の順の後ろから2番目はワタシの定位置で、このことは成人するまで続いていると言えます。
To be continued
ワタシが生まれた時に父親は29歳、母親は父より4歳年上なので32歳のハズです。
ワタシには5歳上の姉がおりますが、どうも聴いたところによると、ワタシの両親はデキ婚だったようで、母親が子供を身ごもったことで結婚したらしい。このことは、ハッキリと両親から聞いたわけではないですが、ワタシが中学生くらいの時だったでしょうか、父親と母親の結婚のことについて訊ねたことがありました。父親は『オレは年上の女(つまりは母親のこと)にだまされて、若い身空で結婚するハメになった、青春返せっ、青春返せっ、青春返せっ!』っと言っていたのに対し、母親は『責任を取ってもらった』という言葉を発したのをよく憶えている。
責任をとってもらう→イッパツの責任→妊娠の責任→結婚、、、、うーむ重い責任だ。
よーく考えれば、いや考えるまでもなく、ワタシも父親と同じ責任をとって結婚したのだ。
父親もワタシも、責任を放棄しない立派な人間と言えよう。
が、しかし、ここで大きな問題があるのだ。
たしか、父親から聴いた話では、結婚したのは自分が19歳のアンちゃんの時ということだった。ワタシが生まれたのは父親が29歳の時、5歳年上の姉が生まれたのは、24歳の時のハズ。ということは最初に母親が身ごもった子供は姉ではない。つまり、父と母の結婚のキッカケとなった子供は、この世には生まれてこなかったということになる。
想像するに、経済的理由からの堕胎ではなかったかと。というのも、これもワタシが中学生くらいのころに聞かされた話なのだが、『もしかしたら、お前はこの世にいなかった可能性もある』と父親から言われたことがあるのです。最初の子供、姉、ワタシの他にも母親はもうひとり妊娠をしたことがあるらしいのだ。
姉とワタシのあいだに、もう1回妊娠していたというのだ。もし、その子供を産んでいれば、おそらくお前は生まれてこなかった、、、、、っと、そう告げられたことがあるのだ。
しっかし、今から考えるとトンでもないことを自分の息子に告げるクソ親父だと。まあ当時は堕胎というのは案外と普通に行われていたことなのかもしれません。
まあ、とにかく生まれてきたよかった。
はあーめでたし、めでたし。
父親は、当時でいえば174僂梁臺舛蔽砲如∪犬泙譴織錺織靴癸械僑娃娃臘兇梁腓な赤ん坊だったそうです。おかげで、保育園、小学校、中学校、高校と背の順に整列というと、必ず後ろから2番目でした。ワタシより大きなヤツがクラスに必ずひとりは存在してましたが、案外とイチバン大きかったヤツというのは、途中で並のサイズになったりしてクルクルと入れ替わっておりましたが、背の順の後ろから2番目はワタシの定位置で、このことは成人するまで続いていると言えます。
To be continued