
この本を読み終えたのは、奇しくも12月8日。今から71年前の昭和16年の12月8日「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電文の発信を機に、大日本帝国は米国との4年にわたる戦争に突入したのだ。
吉村昭氏はいくつもの太平洋戦争にまつわる記録小説を書き遺している。すべてに目を通したわけではないが、著者吉村昭がどうして戦争の記録小説の執筆に掻き立てられたのか、少しずつ理解できてきたように思える。
綿密なる取材のもと、史実と事実を捉え、著者なりに咀嚼し、真実を捻じ曲げることなくその歴史的背景を記すことで、激烈なる戦争に突入しなければならなかった日本国の姿と日本人の精神を追いかけていたのではないかと。
『殉国』と題されたこの歴史小説は、米軍が上陸寸前の沖縄での少年兵の物語である。玉砕すべしという軍の教えに育まれた精神と、『死』をみつめる自分の本心の葛藤を胸にした15歳の少年兵の目を通して沖縄での戦争が語れている。
戦争で命を落とすことに恐怖を憶えつつも、国のため故郷沖縄のために無駄死にではなく玉砕して国のために命を賭すべく生きた少年の心。少年の精神が、敵軍の攻撃により死す軍人、民間人の姿を目の当たりにすることで、殉死すべきだという心がどんどんと尖鋭していく様が真摯に伝わる小説である。
日本人がどうして、あそこまで激烈なる戦いをしたのか。身を呈して玉砕する日本人の精神構造。
アングロサクソンの兵士には理解のできない精神であり、さぞかし畏れと同時に憎しみが沸いたことであろう。戦後の日本人を骨抜きにすべく、戦争放棄の憲法を押し付け、民主主義の旗印の元に娯楽と快楽を浸透させるべく占領戦略がとられたのだなと。
吉村昭は右でもなく左でもなく、歴史が作った日本人の姿をただただ追いかけていたのではなかろうか。東京の焼け野原を、日暮里の高台から見続けていたことが著者の本ではよく語られているが、ありのままを受け入れる無常観がそこにあったような気がする。結果や結論などはなく、そんな歴史が我々の中にはあるのだと吉村昭の小説が教えてくれる。
71年前に真珠湾を目指し、択捉島の単冠湾からの出撃から始まった戦争で命を犠牲にした230万人の日本軍兵士の英霊と、世界中の国で命を落とした2500万人の兵士、3000万人の民間人犠牲者の鎮魂を改めてここに念じた今回の読者でした。