
光文社の企画モノの小説のようで、6人の作家が同じテーマで小説を書くということのようです。
で、最初のテーマは「死様(しにざま)」なのだそうです。
サブタイトルに「最期のあり方を考えると、今の生き方が見えてくる。」とあります。
小生は自分の死様なんて具体的には考えたことはないが、いくつかの希望はある。
溺死だけは絶対に勘弁してほしい、、、
ホントの最期の瞬間は、ひとりのほうがいいかも、、、、
でも、自動車に轢かれて気絶した経験のある小生には、死と生の境はホンのわずかなことでしかないようにも思えます。こと小生が経験したことのある交通事故なんて場合は、あまりに瞬間的すぎて、自分の生涯を振り返ることもできないしょう。
この宇宙はビッグバンの瞬間から膨張を続けていると考えられている。そして今も膨張をし続けているのである。そして宇宙の最期には、逆に一瞬にして収縮して無になると。
小生の死の捉え方は、この宇宙の在り方と同じだと考えています。
精子と卵子のが結合した瞬間から細胞分裂を繰り返し、肉体の中に精神という宇宙が誕生して膨張し続ける。そして心停止の瞬間から、心の宇宙が瞬時に閉じて無の世界に戻る、、、、、。
これが、小生の生と死のイメージです。
この小説では、人間の死について、肉体という存在がなくなることでの死と、自分の存在を認知していた人々が死すことで自分の存在を知っている生命体がなくなることで、すべての記憶や思い出までもが完全になくなる死があること、そして後者の死についてのこだわりが生命の源であると述べているように思いました。人間が音楽や絵画などの芸術に強く惹かれるのは、自分の存在を残したいという作者の精神の美の心が響くからだと。
存在を示す何かを残せぬ多くの人々は、自分の過去も含めた時間のなかで、生命の触れ合いを求めた結びつきを探し続けるのではないかとね。
さて、小生のなかで最も強く結びつき、心根から触れ合った生命体というか女性はだれだっただろうか。最期の瞬間にそれは現在ともに生活している女、、つまり妻であると確信して心の宇宙が閉じればいいのですが、、、それはどうでしょうか。
もしかすると、先日の同窓会で再会した、、、、、初恋の女性だったりして、、、。
よく、死の瞬間には、頭の中で人生が走馬灯のようにフラッシュバックするというようなことを言いますが、小生は死の瞬間につぎのようなシーンが脳裏をめぐるのではないかと勝手に確信をもって想像しています。
暖かな日差しが感じられる陽気。
季節は春だろうか?
1両編成の小さな車両にひとりで乗り込んでいる小生。
ボサっと所在なげに、何をするでもなく手ぶらで、その小さな電車の出発を待っている。
発車ベルが鳴り響き、運転手もいないその小さな車両は、どこかへと出発する。
線路わきには菜の花が咲く長閑な風景が車窓から見える。
その風景を、どこかで見たような既視感に囚われながら眺める小生。
ゆるゆると進む小さな車両。
やがて、小さな踏切が現れ、小生を見送るために踏切わきにポツンと佇む女性がひとり。
ゆっくりと小生に向かって別れを現すために手を振ってくれているのが遠目に見える。
やがて、小生の乗った車両が踏切にさしかかり、、、、、、、
その手を振ってくれている女性の顔を確認すると、、、、、
そして、小生の小さな宇宙は、瞬時にしてビッグバンでこの世界が広がったのと同じ速度で一気に終息し、無になるのであった。
そんなことを考えた20代の頃の小生の気持ちを思い出させてくれた今回の本であった。