初めは小さな地震かと思ってました。
 しかし、揺れ始めてから20秒ほどたってからの、鋭角に揺れ戻すドスンとした感じに大地震を予感しました。
 その時は、小生はビルの5階店舗に勤務していて、落ちるグラスに唖然としていた。すぐに来店客の退避を誘導し、揺れの納まったことに安堵していた。2回目の大きな余震を合図にビルの全従業員に退避勧告が出令され、来店客と従業員の退避が開始された。
 店舗の被害状況を確認するころには、商業ビル全体の臨時休館が決定した。

 インターネットは通じていて、東北地方の大地震であることが確認され、公共交通すべてストップしていることを知る。このときには、まだタクシーの空車もまばらにあって都内の労働者が帰宅難民となることは小生の想像のひとつでしかなかった。
 度重なる余震。この状況では日付の変わるころまでの交通機関の復帰はありあえないと想像し、勤務スタッフの帰宅方法を模索しはじめた。
 30回ほど自宅に電話かけると、やっと通話ができ、家族は全員無事に自宅にいるとの報に安堵し、いよいよ自分が帰宅する番だと気合を入れた。
 時刻は17時。自宅まで10キロほどの若者には、徒歩での帰宅を、20キロ離れたスタッフには別のスタッフの自転車が放置してあるのを確認したので、自転車の鍵の破壊の承諾を本人からとりつけ、その自転車で帰宅するように手配しました。
 そして、小生。1ヶ月まえほどに走行可能なように整備したマウンテンバイクは、災害時に自宅に帰れるように事務所に放置しておいたものだったのである。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6d/0c/bmwbikes36/folder/1295736/img_1295736_61744098_0?1299920123
 数年ぶりにタイヤの空気をいれ、ライトを取り付け、シートも変更しておいた。
 まさか、こいつがこんなにすぐ必要なる日がくるとは、なにかの知らせだったのだろうか。
 仕事の現場から1時間ほど歩き、事務所へ。
 この時には、すでに路上には自宅に歩いて帰る選択をした人たちがたくさんおりました。
 事務所で水を1本準備し、いざ、自宅へ。距離にして30kmはあろうか、、、。
 時刻は19時30分。
 路上には車があふれ、歩道には人が列をなしている。
 数年ぶりに、マウンテンバイクのペダルを踏みしめた。

 とにかく早く帰ろうと、自己の歩みを優先に歩く人。
クラクションを鳴らしまくるドライバー。
 嘆きたくなるような輩もみかけましたが、多くの人は、災害時に騒がない日本人と世界に知られるにふさわしい種類の人たちだったと思われました。
 なんだか走るペースが同じ50歳くらいの人に声をかけると、帰る先は小生と同じ住所だった。
 「頑張りましょう」と声をかけ、ひきつづき、混雑した幹線道路の左側で必死にペダルを回しました。
 江戸川を渡る頃になると、手はかじかみ、腿はパンパンになり、しばし休憩。
 混雑した幹線道路を北上するより、江戸川の土手道を通ることを選択し、真っ暗闇の土手道をひた走る。不気味な波しぶきのたっていた隅田川とはちがって、江戸川は静かな水面でした。
 徒歩で土手道を歩く数人の人を追い越したのみだったので、ほとんどの人は幹線道路沿いでの帰宅を選択したようでした。
 携帯メールが通じはじめたので、自転車で帰宅の途にあり、千葉県に突入している旨を家族に知らせると、近隣に住む小生の父親の家に全員で非難しているとのこと。自宅に物的損害はないとのことを返信をもらう。ここで小生、此度の地震の心配ごとのひとつ、愛車GSが転倒などしてないかとの連絡をすると、バイクも無事だとの返信。俄然、自宅に向かうペダルを踏む力が入る。
 結局、自転車を漕ぎ続けて3時間後の10時30分、自宅近くの父親の家に到着。リビングにひかれた5枚の布団で息子2人はすでに寝入っていて、娘だけが不安に怯えた顔で起きていた。父親、姉の家もほぼ損害のないことに安堵いたしました。
 
 テレビで流される映像で、災害の大きさを知る。
 風呂に入り、少しだけビールを口に含んで、親族の安否の確認に胸をなでおろした。

 1時には、布団に入りましたが、ペダルを3時間漕ぎ続けた肉体はかなり疲れていたようで、すぐに寝入った。
 
 そして、本日6時に目覚め、交通機関遅復帰がなされていないのをテレビで確認した後、ひとり自宅にもどり、愛車GSに乗り換えて、仕事場に向かう。
 上りの道は、タクシー、トラック、乗用車であふれ、渋滞は20kmもあったのではなかろうか。 
 追突事故も3箇所で起きていて、さらなる渋滞を招いていた。 
 GSで渋滞路をすり抜けしまくって、およそ1時間40分をほどで仕事場に到着。
 甚大な被害もある店舗もありましたが、無事にビルはオープンいたしました。

 24時間たった現在では、ゲームセンターで興じる人もいますし、午前中に近隣のパチンコ屋のオープンを待つ行列もありました。
 
 いやはや、商魂逞しい人もいるし、いろんな人がいるもんだと。 
 
 震源地に近い、東北地方のみなさまの生活が、いちやはくもとの姿になることを祈るばかりだ。
 小生に出来ることといえば、人的努力によって、小生にかかわるいろいろなことを災害前の姿になるよう努力することしかあるまい。
 
 家族の待つ自宅に帰るとき、いつまでもペダルを踏み込むことのできた自分を力を信じて。
 暮れた陽は、また昇る。