そのことがあってから何ヶ月か後に強士は呼び出しをくらった。真田沙織はひとりで屋上にいた。前のときと同じように袖を捲り、腕を組んで、首を傾げていた。
「来たね」
そう言って彼女は目を細めさせた。強士は表情を変えずに彼女を見つめ、それから周囲を見渡した。そこからは学校に隣接する神社の雑木林が見えた。首を巡らすと大きな川も見えた。空は濁った灰色に覆われ、風も吹いていた。木々の先端はその風に揺れていた。鳥の一団が灰色の中を飛んでいた。
「これ、佐伯周に渡しといてもらいたいんだけど」
彼女が差しだしてきたのは見覚えのあるピンクの封筒だった。
「あ?」と強士は言った。手は出さなかった韓式新娘化妝。真田沙織は強く睨んできた。しかし、強士に見つめられるとうつむいた。
「あんたっていつもそういう顔してるけど、なんなの?」
真田沙織はまだ封筒を差しだしたままだった。強士は手を伸ばし、それを受け取った。
「生まれつきの顔だよ」
強士はポケットに手紙を入れながら、そう言った。
「これでも最近はマシになってきた方だ」
「それで? あんた、怖いんだよ。私が言うんだから相当だよ」
強士は美以子や周にみせる笑顔をつくった。真田沙織は表情が変わっていく様子を見て吹き出した。
「やめてよ、笑わせるのは。あんた、ほんとたちが悪いわ」
表情をもとに戻すと強士はこう訊いた。
「で、誰からのだよ」
真田沙織はまたうつむいた。風が強く吹き香港服務式住宅、木々のざわめく音が低く鳴った。強士は自分の頬が赤くなっているのを感じていた。それくらい冷たい風だったのだ。真田沙織の頬も赤かった。しかし、その理由は違っていたようだ。彼女はうつむいたままでこう言ってきた。
「私だよ。馬鹿みたいだけど、私もあいつのこと好きになったみたいだ」
「あ?」とふたたび強士は言うことになった。
強士が思い出すことになる雪の降り出しそうな十二月の寒い日、ブラスバンド部はリムスキー・コルサコフの『スルタン皇帝』を合奏していた。強士は楽譜から目を離し、ちらちらと誰も座っていない椅子を見ていた。美以子が無断で部活を休むなんてそれまでになかったので、その空席はなにか異様なものに思えた。三楽章のファンファーレが終わったとき、顧問の教員はタクトを下げて入口の方を見た。部員のほぼ全員が同じようにした。そこに立っていたのは周だった。
「なんだ?」
「いえ、」
周はベンチウォーマーを羽織り、大きく開けた鉄扉に手をかけていた。首を伸ばし、目をせわしなく動かしていた。強士は立ちあがり、顧問の顔を一瞬だけ見てから周のもとへ行った。
「どうした?」
「美以子が、」
そう言って、周は目を伏せた。
「やばいことになってるんだ」
強士は振り返った。タクトの先を譜面台に置いた顧問は黙ったまま強士と周を見つめていた針灸療法。部員たちも同様だった。強士は周の腕を一度強くつかみ、それから顧問の前に立った。
「ちょっとだけ出ていっていいですか?」
「なぜだ?」
強士は口許をかたくさせ顧問の顔をじっと見つめた。その奥には大きな窓があり、暗くなった空と向かいの校舎に灯る幾つかの明かりが見えた。明かりの中では演劇部の連中がなにかやっていた。ピカピカ輝く衣装を着た者が棒を振っていたし、茶色い大きな塊がのっそりと動いていた。
「すぐに戻ります」
強士は頭を下げ、そう言った。そして、周をともなって音楽室を出た。