Dustbin of Life -18ページ目

Dustbin of Life

Don't think.FEEL!
It is like a finger pointing away to the moon.

ワールドカップが終わり、結局何が凄かったかっていったら、ドイツのタコが凄かったってワケで、MVPはあのタコで決まりでしょう。

ロナウドの大会にも、メッシの大会にも、まさかのマラドーナの大会にもならず、結局、無敵艦隊を沈めたのはタコだった。

そもそも決勝戦は見ていない。
見ていないがスペインが勝つと完全に信じていた。

あのタコ、ひょっとしたら、どちらに入るのかを飼育員が何かで誘導していたのかもしれないが、その場合は飼育員をサッカー評論家として、FIFAは認定すべきだろう。

世界に名をとどろかせたドイツのタコに負けない日本のタコといえば、このタコだ。



私が幼い頃に「参議院選挙」というものの存在を知ったのは、このタコの存在であった。
(強烈な写真だったもんな)

選挙は終わったが、本当にどうでも良かった。
日本人に民主主義は不向きだと再確認した。

もうこの国が持つシステムは、完全に機能不全を起こしている。

いつでも移住できるように、準備だけはしておこう。



ストレスについて、最近、周りから心配されることが多い。
仕事の量が急激に増えたり、職場環境が悪化しているから、そういう風に言われるのだが、実際、そういう風には感じていない。

そもそも「ストレスがかかっているという状態」がどういう状態なのか、いい歳をして俺は良くわかっていない。

それは良いことなのだろうか?
悪いことのような気もする。

でも、まあ、どうでもいいか・・・・・・



森高千里。
特別ファンだったことはないが、若かりし頃、とあるバーに行くと先輩が必ずレーザージューク(懐かしい)で森高を流していた。
イギリスのパブを模した店で、本当に居心地が良かったなあ。

そういうわけで、今でもこの人を見ると、ジョンブル・ペールエールが飲みたくなる。
「老いは恥ではない」

痩せようというより、体を鍛えたほうが良いな。

あんなにバカにされるとは思わなかった。





とりあえず、ラスベガスの恐怖の一撃を見て、モチベーションをあげよう( ̄^ ̄)
今月末はお馬さんを見に行こうと思います。
週末にそんな時間が取れるなんて、久しぶりです。

不思議なことに、開催中の競馬場に行くと「ギャンブル」って感じで馬券を買わないですし、儲けてやろうって思わないんですよね。
本当に遊びに行くって感じで、健全です。

家でパソコンに向かって競馬をしていると、本当に不健全な感じで……




マザコンの男にむっつりスケベが多い?
むっつりスケベにマザコンが多い?

母親に対して、スケベ心を表現することはないからね。
関係ないかな?

俺は何コンプレックスの持ち主なのだろう。
何フェチかっていうのも判らないな。

ここのブログの自己紹介もほとんど書く気がしなかったな。
誰か、精神分析をしてみてくれないかな。




マザコンと聞いて思いついた曲がこれなのだが、俺の認識は間違ってるかな?

とりあえず、自己紹介を何となく埋めてみよう。
ここまででないにしても、こういう自然と叫べる瞬間を人生であと何回感じられるのかって思うと、自分の人生をどうするべきなのかが判る気がする。



この「瞬間」のためには膨大な時間がかかるから、その瞬間を意識できるものに対してのみにしか、人は努力ができないのでないだろうか。

もし、その瞬間を意識できずに行っている努力は、実は努力ではないような気がする。
今日は何の日っていったら、この曲を流す日。



判ってはいたけど、こうやって和訳があると、俺は頭がおかしいかったなと、つくづく思うよ。



中学生の頃、ホント、憧れてたな。

「カッコイイ」っていうのは、こういうことだと思って見ていた。



この歌を歌う前には「ティオペペ」を飲んでいて、それを初めて口にしたときは、妙に感動したっけ。
そういえば、今年の正月に飲んで以来、飲んでないな。
バーの在庫が無くなったよな。

いい夜だった。



こういう掛け合いも、面白かったね。

そういえば、これとは全然関係ない、やっぱり松田優作の出演した「探偵物語」(薬師丸ひろこ主演)のラストシーン。
成田空港に行くといまだに思い出す。

よく真似したものだ。
オグリキャップが死んだ。

俺が初めて買った馬券は平成元年のダービーで、すでにオグリキャップはスターホースだった。

バブル全盛の時代、地方からやってきて並み居る中央の馬達を撃破してアイドルホース駆け上がり、「もう終わった」と言われた後の引退レース(有馬記念)で勝利するというストーリーが、人々の心をわしづかみにした。
最後の年は若い武豊が乗ることで、若い女性のファンもたくさん獲得し、競馬ブームの火付け役になった歴史的名馬である。
オグリキャップを語るとき、大抵、こういう文章になるだろう。

しかし、本当に人気があった理由は、この馬は一所懸命走っている印象があったからではないだろうか。
それほど競馬を知らなかった俺でさえそう感じるほどに、オグリキャップは懸命に走る馬だったように思う。
この馬に人気があったのは、根底にそういう風に感じさせるものがあったからではないだろうか。



俺は本質的にはギャンブル好きだが、今は競馬以外のギャンブルをしていない。
オグリキャップとは関係なく、またこの時期の競馬ブームとも関係なく競馬を始めたのだが、この馬の存在があったからこそ、今も競馬を続けているし、それ以外のギャンブルをしていないのだと思う。

ペットの死や競走馬の死は、人間の死とは違った感覚を持ってしまう。

有馬記念のオグリコールは名シーンとして、これからもTVで流れるだろうが、これを見ると必ずレースの最後の直線で、見事な走りをするオグリキャップや実況の咆哮よりも、
大川慶次郎が
「ライアン、ライアン」
と叫んでいることに、どうも気がいってしまうのである。

メジロライアンもがんばったし、大川慶次郎も素敵だ。
俺もあの直線はライアンしか見ていない。