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ノー・フューチャー師匠へ

 ※これはブライトン在住、現在メヒコ方面に逃走中と思しき、敬愛するノー・フューチャー女史への後悔、いや公開レターであるからして、香音ちゃん応援団長の実家の母ちゃんとか、ニューヨークで家付きホームレスしてる弟とか、その他心配性で優しすぎて道義的な皆さんはどうぞお読みなさるな。もしくは何があっても読み流せ。所詮はフィクションです。戯れ言です。



ノー・フューチャー師匠へ

ついに、やってしまわれたのですね。

そんなに足の裏、痒かったのですね。あらまあ。しかもフリーダに呼ばれちまったったら仕方あるまい、やりよりましたな、姉様。勝手にメヒコ方面やろうとほくそ笑んでおりますが、せやのうてもきっとそれぐらい、陽のあたる、痒い足も引き伸ばせる、そんなハレもケも吹っ飛ぶようなとこに、行ってしまわれたんでしょう、きっと。

そういえば賭場の金コカインの金ピストルの金、大金横取りしてザンジバルに逃げる男女の短編がありましたな。テーマソングが印象深い。結局あいつらは夢のザンジバルまで行けたんでしょうか、でやったかいな・・・。


ビックリマークその1なのは、もしも逃走先がわたしの推測通りメヒコならば、今わたくしの不完全保護者と言える伴侶氏、内橋さんもそこにいるんですよ。居るんですよ、その国に! 彼は今、大阪の劇団と共に、はるばるメヒコ、どっかの世界遺産の山頂で開かれてるフェスティバルに参加するそうです。

http://ex.ishinha.com/~hp1058/natunotobira500k.mpg(←こんなん)

その劇団は、ぞろぞろと次ぎはブラジルのサンパウロで公演があるとかで、彼はその間にアルゼンチンに立ち寄ります。で、わたしとうちのおチビは、のこのことそのアルゼンチンから合流して、サンパウロを回る旅路を用意しているところです。そうです、わたしも行くんです、南米。ビックリマーク2。


こういうわけで、この旅は便乗とか“ついで”といった傾向が強いので、まったく気ままさに欠けるものではあるんですが、でもタイミングがもう、ばっちりすぎて、わたしの足の裏に爽やかな五月の風がそよぎそうな装いです。というよりも実は、浮かれる気持ちも起こらないほど、怖いような旅情に、襲われているのが、ホントのとこでして・・・。

まず、ファーストロケーションがブエノスアイレス。あの、美しすぎて直視できない(と、あの頃は思った)ウォン・カーウァイの素晴らしき駄作の舞台にして、ピアソラの、そして少年マルコが母を訪ねて彷徨った、あの街。だいたいね、十にも足らん学童が、母を知らんかと訪ね歩いてるのにですよ、その飯炊き女はもう辞めたっつって鎧戸バシャリとはそれなんですかと、そんな悪漢ばっかりですかと、子供心に不安におののいた三千里の終焉であったはずの地、ブエノスアイレス。物凄く怖い大人「だけの」街、という刷り込みがあるのです、カルピス子ども劇場世代の私には。(ちなみにこの夏チェッキったナポリ。あそこも魔窟のイメージでした。だって、貧乏高じて母ちゃん出稼ぎに出すわ、その消息が途絶えたっつってその捜索の旅に遥々南米へ、父ちゃんでも長男でもなく紅顔の幼少年を送り出しちゃう土地ですよ、あり得ませんよ、おかしいですよ! で、実際の魔窟を見て納得。だって、元気で強くて恐いのはおばちゃんで、向こう見ずなガキであふれ返っていたもの)

ブエノスアイレス。行ったら大の大人でも帰って来れない、マルコの執念でも肉親が見つからない、手紙も届かん恐ろしき街ブエノスアイレス。

はたまた、アルゼンチンが西南北にあわせ持つ広大な大自然のイメージ、目眩するような、吸い込まれて帰って来れなさそうな。人生で、きっと最後の方に行くと思っていた方面に、今行っていいのかな、大丈夫かな、私、という不安・・・。アルゼンチンとブラジル国境沿いに、イグアスの滝というのがありますな。世界で三つに数えられる壮大な、滝。写真で見ると、ああ行ってみたい、心臓バクバク言わせながら覗き込んでみたいと思うものの、こんなとに立ったら、ふわあっとフライアウェ~したくなるに決まってる・・・行ったらいかん、絶対行ったらいかん、わたしは・・・。その、寒イボ立ちそうなおっとろしい予感と言うか悪寒。痒い足がもたらす、放浪癖の媚薬。


小さい頃、転校に憧れ過ぎてたのが悪かったのか、成人して、親元離れてからも引っ越し、引越し、また引越し。ひとりの頃にいちばん長く居たところも、結局友達んちを泊まり歩いたりなんやかや。伴侶を決めてレッツゴーしても、この10年で都合6回の引っ越し。これは共謀の末…だけれども、なんせ6回目は方や日暮里、方やウィーンですからね。阿呆です。先日は、洟垂れ童女の行く末を案じて本気で学校選びに頭を悩ませたものの、ふとお互い顔をみ合わせ「ところで9年、12年後に我々はまだ、ウィーンにおるのかね」と基本中の基本Q.にぶちあたり、思わず失笑してしまった有様。高校時代に『奥の細道』なんかに出会うから悪いんです。馬の口捕らえて、膝頭むずむずして、阿呆みたいに名所旧跡で感受性全開にしてびゃぁびゃぁ泣く大人のていたらくを美学とまで昇華させてしまった、この日本のワビサビがイカンのです。 「すぐさま旅に出られんのなら、今既に旅の途中と、思えば良いのだ」そう思い至ったあの日から、わたくしはもう、うつつの中で暮らしているかもしれません。

そうやって、ふわふわふわふわ生きてても、いろんな周期が訪れるもんで、鼻頭ツーンときたり、眼の裏が熱うなったり。ある日遥々やって来た男友が、あたしの書棚のボウルズ捕まえてふと、モロッコに行こうぜなんてのたまった日にゃ、もう目が回って吐きそうになって、床に伏してまいそうでした。堂々とした昼寝であるが。


好きなものを最後に食べるか最初に食べるか、最初に食べられる人はいらんもんを残せる人ですね。最後に食べる私は、好きでもないからと残すのが苦手で、だから先にそう言うのをやっつける。で、結局満腹でも好物は入るわけで、そうしてデブが作られるわけなんですが、人生でもおそらく同じかなと思う最近ですねん。太る云々というこっちゃないんですが、そういうことではなくして、先に食べようがあとに食べようが一緒。犯す罪、先にやろうが後にやろうが、一緒。理由があろうがなかろうが、やっぱし、一緒。最終的には。

いつか、逃れの旅をしでかすのなら、もうそれは、何かの答えが出るのを待つまでもないのかなと。

危険危険、嗚呼危険・・・。


そんな、後ろ暗~い気持ちとか、単純なラーメン食べたいホームシックとか、いろんな雑種犬みたいな感情に首輪付けてリード付けて、遅まきながら私も上陸します。南米大陸。まだ一週間ちょっと先ですが。

こんな痒い足の裏で、風邪と低気圧でふにゃふにゃになった思考で、それでも空港で待ち受けるであろう私と正反対の、癒し系お父ちゃんが、差し詰め私の救命胴衣に成るのもよくわかっとるので、ちゃんと帰ってこれそうです。ピンガとテキーラ、スーツケースに詰めてね。

メイルしたら良かろうもんですが、スンマセン、こっちに書いちゃいました。

だって、恐れ多くもBRADY BLOG からリンクなんて貼って頂いちゃいましたもので、浮かれポンチに成りました。お恥ずかしい。(それにしても貴ブログの金髪姉ちゃんのイラスト、下品でステキです。)

姉上も、必ずや帰ってきて、またショッぱいブログ、続けてくクラサイ。

しょせん煩悩メイツな我々は、やっぱりまだまだサイバースーサイドよりも、スーパーサイズミーですな、とか言うてからにもう。

アディオス!

kae.

季節酒と追悼

お酒の話。

このへんでは、シュトゥルムというこの時期限定のお酒が飲めます。

ワインを熟成する過程の、醗酵途中で濁った状態の、甘味と酸味のあるお酒です。もちろん赤と白両方あって、活性途中のシュワシュワした状態なので栓をすると破裂してしまうらしく、瓶で買うと銀紙で口を塞いであるだけの状態で売られます。知らずに冷蔵庫にぶっ込んで寝かせようとして、じゃわじゃわと芳香あふれる液体が流れ出して慌ててしまいました。しかも冷蔵庫に入れると醗酵が減速するらしく、常温でもヒンヤリしてるから通常冷やす必要は無いとあとから教わりました。で、口当たりもよく渋みや苦みも無いお酒なので、ワインすら苦手な人でも飲めそうなものですが、その若さ元気さからやはり回りも早く、気をつけないと気がついたらあらまぁビックリなことになるから要注意。しかも乳酸菌だか「ヨーグルトより強い」んだとかなんだとか、体質体調によってはトイレ直行の危機にさらされるほどお腹もグルグルしてきます。わたしめは、はじめて飲んだ先日某日はお腹は大丈夫だったけど気がついたら酔ってるやんけ私、とかなり仰天。友達が帰ってから、隣室で香音が寝てるにもかかわらず4畳半フォークがんがんに鳴らして爆睡してしまいました。翌朝香音ちゃん、「きのうのよる、ともべさんきこえたよー」とニヤニヤされました。内橋さんが送ってくれた友部正人。やっぱ「にんじん」が好きだわん。


で、シュトゥルムより更に若い状態が「ほぼ」ジュースと言われる「モスト Most」。いい名です。持って来てくれたトモミンの助言のもと、香音ちゃんに上げてみたら大喜び。普段ジュースを好まない彼女がグビグビ飲むほどの美味しさでした。・・・それもそのはず、モストでも既に若干のアルコールが含有されているのでした。友よ、目新しい物を持参する際は、情報はきちんと確認しましょう。

で、それでも懲りない私は、きのうの朝市でまたもやシュトゥルム売りのおじさん屋台を発見。小さい方の瓶で頂こうと歩み寄ると、デカイのかチイコイのかと聞いてくる。瓶のサイズではない、お味見の盃サイズである。いやいや小さいので、と言っても、小さいジョッキにダブダブッと注いでくれて、しかもコップが要るからすぐ返せと言う。彼は友達にも客にも、恐ろしくじゃんじゃん味見させているのだ。言われるままに味見して、あふぁ~、ありがとござんす、頂きます、買わせて頂きます、と、一瓶もとめて逃げ帰ってきた。すっかり悪癖となった寝酒にしているのですが、昨夜はこれ、大変で、もう、忙しいったらありゃしまへん、トイレ、着席飲酒、トイレ、着席飲酒・・・。座ってる間も下腹部は始終ゴロゴロと、夏の終わりの南の空の様。しかし弟に似てイヤシい私はあきらめもせず、負けもせず半分以上飲んで、残りも今宵飲んでるのですが、今夜はなぜかゴロゴロ来ない。う~ん、昨日と今日では私も酒もコンディションが違うのか。生きてる酒って感じです。


このシュトゥルム、私もこの間まで知らなかったし、内橋さんもまだ未体験。それが、先日美味っぷりを報告したところ、「それ、こないだボガンボスのKYONさんがしきりに言うてた酒や!」と膝を叩いておりました。そう、ボガンボスのどんとトリビュートイベントで出会ったKYONさんが、ウィーンに詳しくやたら美味しいもんの話をして恋しがっていた、とこの間言ってたところだったのです。



どんと、トリビュート。

しばらく前にはフィッシュマンズトリビュートのイベントもあったとかで、遠く離れたわたしはふう~ん、そういうタイミングなんかァ・・・となんとも不思議な気持ちになってしまった。


その昔、ちょっとだけ京都の老舗ライブハウスでバイトをさせてもらったことがある。その頃のわたしはと言うと、まぁ親も見てるブログなので詳細はひかえるが(苦笑)、反社会的というか成人した非行少女というか、一社会人としての義務と責任を怠っていた頃なので(かなり苦しい・苦笑)、ろくな文句も言えないのだが、バイトで入ったライブの中ですっご~~く後味悪いイベントがあった。村八分のチャーボー追悼イベントである。出演者もお客さんも、当時のその成人非行少女だったわたしが日夜お世話になっていた方々がごじゃごじゃにおったので、あんまりどうこう言えないのではあるが、いやそれでもなんとも、夭逝した孤高のミュージシャンを思い、集い、飲み、泣き騒ぐ、と言う寄合い(しかも白昼である)に、ほんとにどんより、やるせない気持ちになってしまった。

なぜか。

そこで音楽してたから。

ヨタレのオヤジのバンドから、当時京都で輝いていたラッキィリップスまで。ラッキィリップスは王子様みたいに輝いてたのに、聴く者も共演者も、誰もがチャーボーの死にボロ負けしててさ、当たり前かもしれんけど。ギョエ~ンと鳴ってるリップスが、勿体ないっちゅうか逆に悲しかったかな。・・・よく思い出せないけど。

 今勝手にまとめちゃうと、活きてる音楽は必ず何かを生むのに、なのにそこに生まれっぱなしの嬰児を見殺しにするダメダメの場が、やるせなかったっていうか。今ここで、何かが生まれてるのに、呑んだくれて泣いてる場合かよ、おっさん、おばはん!と、苛立ったのだよ、若きわたしは。

そして、おかんに成ってなお思う。昔のおかんは偉かった。老人が死んでも、赤子がおったら乳あげとった。とーちゃんが死んでも、子らが泣いたら飯炊いとった。泣きたかったら、乳やりながら鼻をすすり、オクドさん吹きながら嗚咽しとった。・・・やろうと思う。かっこええ。これこそロックです。パンクです、ブル~スなんです。

もちろんね、集まって呑んだくれたい、泣いて騒ぎたい、そういう俺達馬鹿なのよ死んでも治らないのよ同盟、も捨て難い。果てしなく。ただね、やっぱりそれは、小ちゃい飲み屋か、誰かんちでやりましょうよ、って、思うのよね。



で、わたしはボガンボスもフィッシュマンズも、熱狂した経験は無いのですが、まわりで彼等を愛していた人は少なくないし、内橋さんを通して知る人に、直接かかわった人々も結構いる。内橋さんは特にフィッシュマンズはかなり接近してる。

わたしはというと、京都が地元たるボガンボスはほろ苦い感傷もあったりするが、まぁ感傷抜きにも、KYONさんはライブハウスのその頃(すでにボガンボスは無かった)、酔っぱらいの接客中、プチピンチを助けてもらったことがあって、そのことがずっと心に残っていた。

ボガンボスのイベントにUAと参加する、と言うので「話せたら、お礼を」と言付けたら内橋さんは話しかけてくれたらしい。わたしのことはもちろん記憶に無く(良かった…)、しかしながら「ウィーン」にえらく反応されたらしい。シュトゥルムを今すぐ飲みたいと言わんばかりに、熱く語っていたKYON氏・・・。また、ベースの永井さん(京都ではみんなくん付けだったのでちょっと不思議だが)は、UAのセットをえらく気に入ってくれたらしく絶賛してらしたらしい。ボガンボスの人らはええ人らやった、と、随分喜んでた。芸歴の長い内橋さんにはちょっと珍しい「出会い」だったみたいで、いい夜だったらしい。「トリビュートイベント」にも、そういう新しいこととか、起こるんやなと思うと、ちょっとホッとしたと言うか、ココロからトゲがちょっと抜けた気がしました。

武者震いと狐の嫁入り。

日々はとても静かに流れている。

欧州ツアー中の渋さ知らズに参加しつつ、合間を縫って帰ってきた内橋さんはまたきのうからドイツへ。月曜には戻ってくるけど、この土日は香音とふたり、同居人も留守なので静かな時間。

先日、希望するウィーンでいちばん古いシュタイナーシューレの校医さんに会いに行った。

エッケさんが通訳に来てくれ、また以前見学した付属幼稚園の先生おふたりも同席してくれた。校医さんも女性で、小さな部屋で内橋家三人と大人4人、それでも和やかなミーティング。

好意的に香音を囲んで頂いた上で、ウィーン市内にあるいくつかのヴァルドルフ学校の現状をザザッと聞き、私たちが検討内容を持ち帰って熟慮する、ということになった。

あらゆることを、決して押し付けることなく、香音にとってこの学校ののこの条件はどうか、こっちだとどうか、と提示してくれる。それが体裁上の配慮だとしても、香音にとってより良い方向性を探れば良い、ということなので、親として余計なプレッシャーを感じずに済む。有難いことです。

とはいえ、考えなくてはいけないのは親で、決断しなくてはいけないのも親。こんな役回り、重すぎるって・・・。


今から考えていかなくっちゃいけないのは、彼女の10年以上も先を見据えて計画しなくちゃいけない。ヴァルドルフの学校は12年生まであるからだ。しかも、一年後に延ばした就学を見据えて、この一年の幼稚園生活をどこで過ごさせるか、ということも含み置いて考えなくてはいけないし、今ある選択肢は各校かなり違っている。

・・・とはいえ、一年後香音がどう育っているか本当にわからないし、でも決めなくっちゃいけないこともあるし、ほんとに難しい。

それでも、日本で彼女の何かを決める時の様な、落ち込みながら決断するあのなんとも暗い気分がない分、とても精神衛生上助かっているのですが、しかし我が子とは言え人の人生がどーんとのしかかっている重圧感はあります。はてさて・・・。



不思議な感覚。「武者震い」と言う日本語がありますが、たぶん、合戦直前、凄まじい集中力と緊張感、興奮から武者の皆さんがぶるっと震えられたんでしょう。怯えて震えるんじゃなく、荒ぶる魂のふるえ。

・・・ってワケじゃないけど、とてつもなく重要なこと、しかも自分の気分次第で後々「まぁええようになるわ」と開き直る訳にもいかない、難しい決断をまたしなくちゃいけない、そしてこれからもずっとずっと・・・と思うと、何とも言えない気分になった。これまで以上に、重い決断をひとりで背負うことになる、ああずっと・・・と思うと、何とも言えない気分、これがほんとうの途方に暮れる、だろうなあ。

言うまでもなく内橋さんが居る訳ですが、彼は子育てに関してはほぼ完全な「私の意見の支持者」になってしまう。私が彼より時間があって、こだわりがあって、自分なりに調べたり検討したりするもんだから、厚き信頼をもとに「ええよ、それがええんちゃうかなぁ」と丸ごと支持してしまう。無責任じゃないんだけどね。人前ですので、「包容力があるのです」と言っておきましょう。でも実際そう。

そんな、包容力のあるお父さんなので、お母さんは決断力を発揮しなくってはなりません。包容力に基づいて包容し続けることもとてつもない責任であると同様、決断力の維持行使もかなりの精神的重労働。何となく、ウィーンへ来てから「道は必ず開ける、あとは野と成れ山と成れ」と思っていたところなので、ああまた重い決断を下さねば成らんのかと途方に暮れて、ちょっとだけ自分の人生をうらめしく思ったりしてもみた。

そうすると、不思議なもんで、悲しい訳でもないのにはらはらと昼間っから眼から汁が出てきより、洋服の前にぽたぽたぽたぽた。決して悲しい訳じゃないから、どんなに汁が垂れようと、嗚咽にも成らなければ顔つきも変わらない。そこでふと、武者震い? なんて想起してみたりもしたのだけれど。 へぇ、人間こんな泣き方もするもんかと、「ぷっ」とか笑いながら、ウィーンに来て何度かあった晴天からさあっと雨粒をふり蒔くような俄雨、「狐の嫁入り」みたいだなぁなんて、関心して。

絵本から顔を上げた香音はやけにさわやかに、心配もせず…あれ?、という顔で笑っていた。ママのお顔に狐の嫁入り。

外国人向けドイツ語学校(改題)

この歳にして、今更ながら外国語をイチから初めて苦闘している訳です。

私が行ってる学校は、毎月一ヶ月ごと更新に成っていて、私は5月からはじめたところ。

完全な初級の一発目からはじめました。

アブソリュートビギナーズです。イェー。

月曜から金曜、9時から12時までみっちり週15時間。

インテンシブコースですよ。所謂。

授業は97%ドイツ語。日にひとつぐらい、先生がぽろっと英単語を言いこぼしてしまうのですが、基本的にはすべてドイツ語でやる、というやつです。

クラスにはきっと日本人婦女子がいっぱい・・・と思いきや、10人あまりのクラスには日本人は私と、ウィーンの大学病院へ研修に来てるおっちゃんの2人だけ。

あとは多い順に韓国人が4人、中国人がふたり、トルコ人が途中から増えてふたりに成ったもののひとりは来なくなって一人、あとはフィリピーナ、タイ、ブラジル、キューバからそれぞれ一人ずつ。

もう15年も前になる、イギリスへ短期留学に行った時は、韓国人留学生は一人も居なかった。

中国人も香港人だけだったけど、今のクラスメートはふたりとも本土から来ている。

そのうちのひとりは北京の若い子で、典型的な小帝子、だっけ?、「一人っ子政策」の申し子である。

派手な身なりで苦学生の影は微塵もない。

かといって富裕層からやってきた、ということではなく、両親と祖父母の「投資」と「期待」を一身に受けておられる訳である。すでに1年以上こちらにおられるが、ドイツ語は私とどっこいどっこい。遅刻やお休みも多く、まぁ普通に気の抜けた学生さんである。これが北京の若い子の現状、なのですね。

三者三様、成らぬ四者四様、なのが韓国人。

その中で私は14歳から14年間近くイタリアに住み、昨秋からウィーンに移ってきたヨーロッパ育ちの韓国人と仲良くなった。27歳、私より若いけど、とってもしっかりしているのはイタリアでずっとずっと一人暮らししてきたからかもしれない。イタリアで声楽の勉強をしてオペラ歌手に成ったのだ。ローマにずっと居て、オペラ歌手としてのキャリアも積み上げてきたけれど、閉塞的なイタリアオペラ界に見切りを付け、単身こちらに来たと言う。

初級コースで勉強するのは久しぶり。

英語を勉強した時はどれくらい初級クラスを繰り返したかなあ・・・。

(今思うと、初級を繰り返したのは色んな先生の英語導入指導を受けられた訳で、結構その後の進展に役立ったと思うのだけれど、今からそれをするには何よりお金がかかっちゃう。)

しかし日本で日本人ばかりで英語を勉強した時と違って、英語も怪しいクラスメイトと予備知識のない初級外国語をいっしょに勉強するのはなんとも可笑しい、コメディでもあります。

勉強とともに、人間観察もかなり面白い。いやこれだけでも3時間を満喫できるくらいである。ただそれに集中するとドイツ語が身に付かないから程々に好奇心を抑えてこらえなくちゃいけないんですが。これも葛藤。しかしこの楽しみは、中級、上級学習者には楽しめない醍醐味なんです。インテリジェンスを共有できたら、できない楽しみです。

授業中はたとえ英語が使えても、英語禁止!と突っぱねられちゃうのでもう、数えるほどの独語単語を駆使して必死で質問やら要求を訴えるさまはコミュニケーションがもう人間性むき出しでプリミティブになって、可笑しくも「その人」が見える。

しかし勿論その人の「総て」が見える訳ではないから、勝手な印象や誤解が増大することもあるのでわかった気にはなれないのだけれど、それでも3週共に過ごし授業が進みはじめて、少しは「言えること」が増えてきたらば、人間関係がそれなりに生まれはじめる。誰もが少しのドイツ語を必死で動員しはじめ、それぞれのキャラがよく見えはじめるのだけど、まだまだその動向はプリミティブ。少ない言葉でする自己主張って、かなり濃密な自己アピールに成るわけで、ま、これが「ブロークンの迫力」な訳ですね。


九州から来ているおじさんは、一見、典型的な日本人中年男性に見えた。すこし日本語で話すと物腰の柔らかいアタリの柔らかい人で、「話せる人」なのかとちょっと思ったんだけど・・・。授業で趣味を訊いたり週末の話をしたりするようになると、「趣味はまったくありません」「週末は何もしていませんでした」などなど、出てくる表現は耳を疑うほどステレオタイプの日本人男性像! 授業の中でも、自分の質問はしつこくするくせに他人の質問にはあからさまにイライラしたりして、眼を疑うほど典型的な日本のヤなオッサン! ステレオタイプって、居そうで居ないと思っていたけどやっぱり居るんですね。西洋人諸君、君等の頑な思い込みは正当でした! 

はじめはもじもじして人が教えてくれる答えを繰り返していただけの中国人のご婦人が、後半に入ってぐんと力をつけて、密かに授業をリードしはじめていることに気づいた時はもうココロから尊敬! 日々の努力が身を結ぶ、という真理を地味に見せてくれた。

フィリピンからのおばさんは、マニラの歯科大を卒業して歯科衛生士をしていたとかで、立ち居振る舞いも上品でいつも微笑んでいる。でもちょっと威張っていて、隣に座るとやたら教えたがるし、英語すら「フィリピンでは小学校からずっと英語をしっかり勉強してるのよ」と標高2000m から見下ろされてしまった。日本人が嫌いなのかなと思ったりしつつ、辟易してもう隣には座らない様にしたんだけど、先日彼女の隣に座ってるタイ人から「リリベスはビザの問題があるのよ」と教えられた。他人事ではなかったので心配すると、20日でビザが切れると言う。フィリピンからは観光では一ヶ月しかいられない。働きたいの? と聞くともちろん、と言う。自分の窮状を訴える勢いに圧されつつ、嫌われてるのかとさえ思ったそれまでの高圧的な態度が、彼女の不安や切実さの裏返しであったことに気づいた。

きのう、いつもより消沈した様子で、先生への反応も精彩を欠いていた彼女は心ここにあらず、という様子だった。授業のあと、とぼとぼ歩いている彼女を見かけて、あ、とその日が20日であることを思い出した。目一杯大きい声で笑いかけながら、「take it easy, 誰も殺しには来ないよー」とおどけて肩を抱くしかできなかった。like a rolling sotone を絶唱したい衝動に駆られたもののちょっと歌詞が難しいので(苦笑)、「ケセラセラ」のしかもサビだけを唄った。「それはちょうどいい!」と彼女は笑った。「あいんまるびって!」もう一度お願い! と何度も私に唄わせて笑った。しばらく一緒に歩きたかったけど、携帯を持っていない内橋さんと約束してたから、つらい気持ちで彼女と別れた。別れ際、すこし長めのハグをして、「びすもんたっぐ!(また月曜にね)」とお互い繰り返した。何度も、何度も。



人間は、言葉が通じなくってもスマイルや気遣いでコミュニケーションをとれる。共有される言葉のない世界は思いのほか豊かで美しい。でもやっぱり、誰にも一抹の知性はある訳で、言葉はその共有に活躍すると。けど、言葉を無尽蔵につかえる様になるとどうだろう。言葉のない世界の厚みや温度を、すっかり忘れてしまうんじゃないか。思い出すのが難しくなるんじゃないか。

久々に外国語の勉強をはじめたのはとっても楽しい。

ことに、その外国語が未来の共有言語に成ると言う外国人とのかかわりは厄介だけど面白い。


いやしかし、タイトルとは裏腹に、まるでもってまったく勉学に集中していない様ですが、それなりにがんばっているのですよ、それなりに・・・。

出発~到着

香音と内橋さんから少し遅れてSkist亭に向かう。

途中、梅ちゃんに電話。

梅ちゃんとは、なぜかいつも電話でかなりのーんびりと話ができる。

電話なのに、話が途切れても不安にならない。

今日も、梅ちゃんはまるで電話がかかってくるのをわかってたかのように受けてくれた。

きのうのこと、今日のこと、こんどのこと、色んなことをさわさわっと話し、笑う。

Pool 期間中のことを、あらためて、ありがとう、楽しかったし、嬉しかった、と言うと、さらりと「うん、楽しかったよね また東京ハイツにおいでよ」と言う。

 ありがとう を、いやいや、とか照れてかわされると、アリガトウに込めた感謝が宙に浮いてそのままどっかへ流れちゃいそうでさみしい。こうして「うん」と受けられると、やけに嬉しい。

それに、観せてくれた作品、短編『ウンケ』の感想を改めて言えたのもすっきり。ちゃんと伝わったかな?


Skistんちでは、思ったより私のテンションが上がらなかったなあ。

持参した我が家のとっておきワインを4人でたのしむ。サムとはるなと、こうしていくつの夜を過ごしたろうね。

いつも通りにふたりのコラボ料理に舌鼓をうち、いろんな話しをたのしむ。香音とioはとてもよく遊んでいた。ふたりはほんとに仲が良い。ふたりがこれからも時どき話せるようにと、i chat のセッティングをはじめる。しかし不具合がある様で、結局コンプリートできなかった。

別れ際、いつもより5秒ほど長いハグを。その、5秒の強さにめまいがした。


しかしこんな、情感こもったハグを、このひと月どれだけもらってきたことか。

「俺は日本人やからせんぞ」と逃げながらも結局観念してくれた江崎さんみたいな方も居つつ、日本人だけどあえて試みてくれる気合いの入ったハグ。ハグが下手な国民だからこそ、特別な情感をこめることができたんだろうか。

いっぱいの、ひとつひとつの、あったかいハグが、大事なプレゼントになって、今もココロをあっためてくれてます。ありがとう、ぜんぶのハグ。


香音と内橋さんが先に帰って、コインランドリーに仕上がった洗濯物を取りに行く。

洗濯物をたたみながら、帰り道に文章くんに電話しようと思う。

コール2発、張り切って出てくれた文章くん。

頼んでいた小包を昨日発送してくれており、てっきりその到着を告げる電話だと思ったらしい・・・が。

それ、今日は届きませんでした・・・残念!

へぇぇええっっ!(というのは内橋さんのマネらしいけど、わたし的にはもはや文章くんやふとしくんの得意技に思えてまりません。内橋さんの、とんでもない種のうっかり癖を、こうして笑って冗談にしている彼等のおおらかさを感じますね。)

洗濯し終えたシーツ類を抱えて、仕事場のビルの螺旋階段にすわりこんで長話。

ここ数日大忙しと見受けられた彼でしたが、やっとゆっくり話せた感じ。よかった。

大阪にいる時から、文章くんは「うん、また会えるよ 会えると思うから」とよく、かみしめて繰り返してくれた。おまじないのように。気の効いたことを言わない風の人がこういうこと言うと、効くんだよねー。ずるいなあ。



ちょっとした満足感で仕事場に戻ると、なんと父子はすでに寝ているではないか。

朝早いからね。

ウィーンに行ったら、しばらくなかなか接続もできなくなるよね、と思いつつあちこちに書き留めたりしていると、

UAから電話。やっとゆっくり、たっぷりと話す。

日付をまたいで、素直なところを話していると、いつの間にか出国のココロの準備が、できていることに気づいた。へえ。不思議なもんだね。



ありがとう、ありがとう。

感謝の気持ち、いっぱいです。


みんなのお陰で、明日ちゃんと、出発できそうです。


ありがとう。

いってきます。







  ここからウィーンの4月1日。


ほんの数時間だけ仮眠して、2005年4月1日の金曜の朝はつとめて早くからはじまった。

起こしてくれたのは内橋さん。眠くて不機嫌なままシャワーを浴びて荷物をまとめる。日暮里から成田は座席が取れる電車で一本。快適にすっ飛ばしつつ携帯メールが送れる人々にご挨拶。空港へ着いたら、早々にチェックインを済ませて郵便局へ。どうしても、Uaの新譜を稲田と文章に送っておきたかったのだ。稲田に電話すると、残念ながら彼は留守でみッちゃんと話す。郵便発送を終え、それを告げに文章に電話するも彼も出ず、あきらめこんどはふとしに電話。会社が見つからなくって上の空のふとしと少し話して、間もなくほんとに出発。

飛行機の中で、香音はおおむね楽しげにしていた。全フライトのうち3回ほどだけむずかっていたか。

二度ほど眠ることもあり、昨夏よりも成長を感じる。昨夏のイタリア行きフライトでは一睡もできなかったのです。

到着後、ヘルゲが迎えに。案内されたのはエリザベトと言うパーカッション奏者のお宅。ここに9日までお世話になります。ちなみにこちらはナロウバンド、メールチェックが精一杯のネット環境であるため、はてなとmixi は友人宅にてほんの時どき、となりそうです。

当家の8歳の娘、アダちゃんとそのお友達ラウラちゃんがメチャかわいい。はじめこそ、香音とどう接していいのか解らない、と言う感じだったけど、そのうち勝手に打ち解けて、果てには顔にペイントしてもらったり、公園に連れ出されて走り回ったり遊具に乗せたり、かなり強引にリードされていた模様。途中から参加した近所のお友達たちもかなりランボウ者系で、付いていた内橋さんはかなり焦ったらしいが、ビビリながらも嬉しさが勝って結局いちども香音はイヤと言わなかったらしい。どうやらこっちの子は一見シャイで引き気味に見えるけど、一旦心を開いたらかなり過激になる模様。

内橋さんがすっかり暗くなった公園で過激に遊んでもらう我が子の心配をしてる間に、私はシルヴィアに電話。

夜はヘルゲ、マルティナと共にガストハウスへ。

このふたりとはほんとうに付き合いが長く深いので、久しぶりに会う親戚、という感じすらするのだけれど、今回はもはや我々は彼等のゲストではない。この事実と、これからのことがまるで何も安定していない、ということとでかなり緊張感が消えない私は、旅の疲れも手伝ってまだまだかなりナーヴァスに。説明しようとしたけどあまり自信も無く、何よりふたりならある程度は鋭く察してくれるからと思って、途中でやめた。

来週はヘルゲがちょっとしたレセプションを計画してくれている。ウィーンのアートスペースで、音楽関係者などを集めてCDレコ発と内橋の紹介をしてくれると言う作戦だ。エリザベスんちの下宿と言い、何から何までよくしてくれてほんとうに大感謝。心強い分、自分たちでできることは頑張らないといけない。

・・・と、気合いが入ってやはりまた緊張感がみなぎってくるから眠れない・・・。





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朋友の個人が次々と出てくるのですが、
わたくしの新しい生活のはじまりの記録でもあるので、
まんま「はてな」より転載。

幾度読み返しても、朋友たちに、感謝です。
ありがとう、あなた達のおかげで、
わたしは生き続けられてます。
  

   
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