「すべては自分が彼女に依頼したことなので
彼女を責めないで欲しい。
落ち着いたらメッセンジャーで声を掛けてください」


Nからメールが来ていた。

さっき話し終えた。
やり場のない悲しみだけが残った。

「なんでメッセンジャー? 
電話でいつも話すのに、あんなんあって気まずいんか?」

「電話料金がバカにならんし、今、自宅やない」

「今どこ?」

「海の向こう」

「はぁ?!何逃げてんねん、アホぅ」

「逃げたくもなる」

「あたしをこんな目に遭わしといて、てめぇは逃げるんか」

「カノンのためやろ」

「はぁ!?ふざけんな、どハゲ!
あれがオマエの下らん脳みそで考えたやり方か?
人間の記憶なんてもんはなぁ、そない簡単に消せる
もんやないで。海馬切り取ってしもたら終わりやけどな、
催眠術やなんて、オマエが一番信用せん類のモンで
あたしの記憶消そうとするなんて、それも薬物使ってまで
ようそんなこと思いつくわ!普通やるか?」

「なんやそれ?薬物ってドラッグか!?」

「おまえも知らんのか?
あの女、人の茶に睡眠作用のある薬入れて
あたし眠らして、催眠術かけようとしたんやで」

「なんでわかったん?」

「そんなことどうでもええやろ、あたしはおまえがなんで
あの女使ってあんなことさしたんか聞いてるねん。」

「カノン、見てて辛かったから」

「それで自分は国外逃亡か?
ええ御身分やな。」

「そんなわけないやろ、アホ。
カノン、オレ見たら兄貴思い出して泣くくせに。
そんなんもうオレは嫌やったから」

「嫌やったからって記憶消すんか?
あたしの許可なしに、勝手にそんなことやって
許されると思ってたんか?」


「カノン、オレのこといつまでも兄貴の弟にしか
見てくれへん。
いっぺんでもオレを忘れてやり直せるんやったら
そんなことできるんやったら思った」

「あの女にいくら払ったん?」

「・・・・・・」

「SHURIの保険金か?
音楽ばっかやってるアンタが海外行ったりできる金って
そこからしか考えられへんやん?
オマエ、ホンマのアホやな、あたしにそんなん
通用せぇへんって知ってたんちゃうんか」

「アホ、アホ言うな!
オレの気持ちなんかオマエにわかるわけないやろ!」

「あたしの気持ちはどうでもええんか!」

「オレがもうオマエの事なんか忘れたい」

「ほな忘れろや。
もうな、大事な人これ以上失ってもな、
感覚が麻痺してしもて、オマエ一人ぐらい
いなくなったってどうでもええから」

「○さんや、△さんのことはいつまでも泣いて日記に
書くくせに、長い付き合いのあるオレは
その程度にしか思われてないってことか!
馬鹿にするな!!!」

「子供みたいなやきもち焼くな!
○さんと△さん、この10日で完全にいなくなった。
あれもオマエの差し金か?
そんな嫉妬心で過去に二人をあたしから引き離そうと
してたんか?」

「オレはSNSをやめたあの夏以降、彼らには会っていない。
連絡先も知らない。
彼らがどうなったかなんてオレには関係ない。
なんでいつもカノンは冷たい?
オレの気持ちがどうしてわからない?」

「わかるからこそ意地悪もしたくなる、
嫌味のひとつも言いたくなる。
オマエはそれで本当によかったんか?
あたしが過去をオマエも含めて全部忘れてしもたら
それであたしが幸せになれるとでも本気で思ってたんか?」


「兄貴の亡霊に一生つきあってカノンが苦しむくらいなら
みんな消えてしまえばいいと思った。
覚えていて幸せな思い出じゃないものを抱えて、
自分の惚れた女が目の前で苦しむのを見てられへんやろ?」


「SHURIに苦しんでいるのはオマエの方やないのか?
忘れてしまっていい記憶なんてない。
忘れることはできなくても、自分の中で時間をかけて
いつか区切りをつけることはできる。
簡単なことやないけど、忘れてしまったらどんな辛くて
悲しい思い出も余計悲しい気がする。
あたしはどんなに苦しんでも忘れるのは嫌や。
ホンマに精神的に耐えられへん思い出やったら、
とっくに身体が自分の精神守るのに記憶を封印してるて。
そうやないってことは向き合わなあかんってことなんやと思う。
せやから何したって忘れたりしたらあかんし、
SHURIも忘れて欲しいなんて思ってないやろ・・・。」


「生きてるのが不思議やと思えるから余計心配や」

「人間は勝手に死んだりしたらあかん。
いつか死ぬようにできてるんやから、それまでは
生かされてるんやから。
死ぬほどつらかっても、死んだらアカン。
あたしが死ぬとでも思ってたんか?」

「カノン、昔、死のうとしたことあるやん」

「アホ、そんなん、昔の話やろ。
もうそんな時期はとうに過ぎてんねん。
・・・なぁ、N、そのまま海外おったほうがええかもな。
あたしのことなんか忘れて。
オマエ、あたしといたらあたしに追い詰められて
アホなことばっか考えるみたいやから・・・
もっと自分、ラクになり。
もうええから・・・」

メッセンジャーを切ってしばらくPCを抱えたまま
ぼんやりしていた。

日記訪問も出来ず、ただ自分の頭の中を整理するために
この日記を書いた。

何が幸せなんだろう?

あたしの記憶がこのまま消えてしまったら
あたしは幸せになったのだろうか?

いや、あたしが忘れたとしても、あたしを覚えている
人からあたしが消えることはない。

彼女には
”Thank you for your tenderness”
(やさしさをありがとう)

そうメールしたが既にエラーで返ってきた。

もう彼女と顔を合わせることもない、
Nとももうこのまま会わないのかもしれない。
さっきメッセンジャーから彼が消えていた。

みんないなくなった。
大切な人は。

だけど記憶までは消せない。
彼らの記憶はあたしの中で生き続ける。

彼らがあたしを忘れても、
あたしは絶対に忘れない。