思考というのは、過去の総決算で
たとえば、今いる場所を過去と照らし合わせ
「
という言い方をする場合もあります
日々、たくさん湧く思考の中から
「
思考は一つ、また一つ。と湧いては消えているのだけど、
それが
自分を責める思考だったり、
過去を後悔したりして
『苦しみ』になっている場合は、
その考え方を変えていこうよ。過去の解釈を書き換えようよ。
というのが、心理学的な考えだと思っています。
その思考の外に出ているのが、スピリチュアル的な視座で
『本当の私』は思考ではなく「
だから、思考を「選ぶ」ことができます。
私=思考ではない。
そのまた外?にあるのが目覚めや悟りの視座で
私たちは本当は自分の考えなど持てない(
「自分が」考えている。決めている。というのは「自我の夢」だよ。
ということになります。
(↑わける必要もないですが、今の私の解釈です。間違っていたらごめんなさい)
私は精神世界のことが知りたいから、ずっと解釈を探していましたが
ある程度、思考から離れている時間が長くなると
『思考がなくなったら私が私と言えない!』
それがダメだというわけでもないのだとわかってきます。
私の今の感覚だと、考えるというのは素晴らしいことで、
むしろ、
思考がなくなっているというより
「もがいているという時間」
巻き込まれなくなっただけかもしれません。
思考が「楽しい」のであれば、それはそれでいいと思います。
『何がなんでも無くさなきゃ!』と思ってもなくならないし
ただ、思考を眺めているものであるという
その距離感を知っているだけで、楽になった。
というお話です。