報告書読みました。長かった!
あの報告書で全てを判断するには、ご遺族側と主張が食い違い過ぎてるし、上級生にとって不利な事象は悉く伝聞と位置付けたそれは、パワハラを認めないように誘導された内容という印象は否めないかな。
ヘアーアイロンの件は川人弁護士曰く、本人にも関係者にも未だ謝罪が無いとのコメントに愕然としたばかりだし、続く全体の話し合いは例のコンサートMCが過ってしまう。
炎上必至で上級生を守る理由は公演を予定通り開催したいからなのか。
果たして守れたことになるのか?
当日はあまりの事に頭に血が登ったけれど、数日経ってみればあの徹底した隠蔽ぶりにちょっと面白みさえ感じてきてしまう。
それでGOを出したのだから行けるとこまでとことん行ってみればいいんじゃない?
改善案はまあよく出来てると思います。
スケジュール見直しは当然として。
新公の在り方の見直しで、本公演と並行して稽古を行う、本公演終了後に新人公演を行う等はなかなか思い切った改善案で、実現困難と思われるものもあるとの文言はあるものの、とにかく記載があること自体に期待が持てます。
が、数ヶ月後に全然変わらないと下級生たちから不満続出……と文春に暴かれるに900ペリカ賭けときますね。
労働時間改善や業務負担軽減はもちろんととして、最も大切なのは意識改革じゃないかな。
現場の自治をタカラジェンヌに一任していたのなら、そりゃあ度が過ぎた上級生至上主義が横行するでしょう。
ヒアリングそのものは丁寧に行われたようで、その臨場感たるや読んでるこちらまで虐められてるような心境になり、故人の切迫感や重圧がヒシヒシと伝わってきた。
コロナ禍を脱し、復活した「お声がけ」タイミングムズいよね、分かるわー。
一般企業なら結局、無くてもやれたんだからもう廃止でいいよねってなるところが、ならないんだわー。だって宝塚だもん。
万事につけ、伝統に囚われ過ぎて、融通の効かない文化がジェンヌたちを苦しめてきたのだろう。
組ルールがルールを守ることが目的化され本来注力すべき芸事の妨げになっている、でしょーねー!
だと思ってたよ。
明文化は大賛成。
言葉悪いけど、宝塚って『振り落とす』文化だと思うの。
まず音楽学校に入るのが大変で、別箱主演はもちろん、スチール入り、階段降り、トップに辿り着くのはほんのひと握り。そこに辿り着かずに多くのジェンヌが去っていく。
他の劇団の様にずっとはいられない。
幹部になれば、長くいられるけど独身者しか許されない道なのだから、物凄い覚悟が必要。
それが潔く散る文化を尊ぶ日本人にフィットして人気が出たけれど、時代は変わり、ボーダレスでジェンダーレスでありのままを受け入れる令和の文化と相性最悪。
今回の事が無くても、何かのタイミングで世間から引かれる要素は孕んでいた訳で。
音高の募集資格が「容姿端麗」だもんね。
大人数の舞台を完成させるため、上級生による徹底した統率が必要とされるのは分かるけれど、舞台を愛する気持ちさえあれば、新しい価値観にも目をつむる度量の広さがこれまで以上に求められるんだろう。
外野から余計なことを言わせて頂ければ、、
とりあえず、お声掛けのタイミングを逃してしまった下級生に『こちらこそ、バタバタしてて余裕無かったわ、悪かったね』と許してあげてるところから始めるのはどうでしょうか。