(息子感想:あれっ、とても読みやすい⁉ 文章的に直すところがほとんどなさそうです。投稿2回目にしてすごい進歩なのか、たまたまなのか。今回は文章をそのままに、見出しや構成だけを変えてみます)

 

■料理苦手な私と美食家の初っちゃん

京都では市場からまわってくるお魚屋さんから美味しいお刺身を買ったり、歩いて高島屋に買いに行ったり、祇園界隈にたくさんある美味しいお店で外食したりで舌の肥えている初ちゃんに料理不得意の私は結構困りました。

 

美味しいランチを出してくれるというデイサービスに週2回通いました!

 

ヘルパーさんも来て、お昼ご飯を作ってもらったり色々助かりました!!

 

お医者さんや時折の外食など長女が車で連れてくれました笑い泣き

 

■ニックネームは

初っちゃんというのは本名からのニックネームではなく、小さいとき身体が弱くて八卦見さんかお坊さんだったかの勧めで付けられた俗称からのニックネームです。

 

私の子供たちや弟の子供たちまで目上の人にあるまじきことながら”初っちゃん”と呼んでいました。

 

お友達の困りごと何でもすぐ駆けつける人で「なんでも屋のお初」と看板かけておいたらと言われていました。

私たちの相談ごとにも、電話だけでなく上京してくれていました。

 

■才能あふれる初っちゃんは、自慢したくなる存在

京都の南座の近くにいたので顔見世は勿論、歌舞伎を見るのは日常でした。

本人も数え年の6才(今では4才)から日本舞踊と常磐津を習っていました。

 

南座の舞台でも何度も踊っていました。

 

晩年まで時々大阪のNHKまで行って第二放送の邦楽の時間で常磐津を演じていました。

 

身内が言うのも、ですが、とてもきれいな声で、上手でした。

ついでですが初っちゃんも母も美人のほうに属していて、誰からも上品な方と評価されていました。

亡き母も美声で才能豊かで観世流の謡曲に勤しんでいました。

 

それらの遺伝子も完全にストップ!!

残念ながら私にはそれらの才能は受け継げずです。

 

京都から上京して歌舞伎座にくることもあったので、一度往復タクシーで長女と一緒に3人で歌舞伎座に行きました。

私も一度連れてもらった時は3かいの大向こうでその時ご一緒した常磐津のお師匠さんが、絶妙のタイミングで”御両人”と声掛け!片岡仁左衛門と坂東玉三郎のお二人で、舞台と共に堪能したのを思い出しました。

 

(息子感想:↑介護生活の話というより、私たちの自慢だった初っちゃんを知ってもらいたい!って話になってますね(笑)。)

 

■無理かなぁ。。のきっかけは転倒

外出から帰ってみると初ちゃんがダイニングで転んで、仰向けで横たわったままでびっくりしたこともありました。

ついに、無理と判断し、近郊にいる息子が介護を引き受ける決心をしてくれました。

前述しましたが、妻亡きあと一人で子育てを頑張っていました。

退職し、それまでの貯えと、初ちゃんのお金と、私も少し生活費を出して、息子宅での生活が始まりました。