■年末は移動三昧

年末12/28に同居している孫娘(次女の娘)が突然高熱を出して、持病を抱えて免疫力のない高齢の私は即、近くに住む長女の家に強制避難。

 

孫娘は受診しても原因不明のままでしたが、翌29日に自宅にあった検査キットでコロナと判明。

前の年にもコロナにかかって、若いのに重症化して肺炎も起こして入院したのに、です。

 

そのため私は、車で1時間ほど離れた近郊に住む長男の家でお正月を過ごすことに。

 

30日はおせちの準備で私が唯一作ることになっていた栗きんとんも作らずにえーん

息子宅での滞在荷物を取りに戻っただけ。

 

31日大晦日に長女夫婦の車で急遽、息子宅へ送ってもらうことになったのです。

 

■楽しみにしていた麻雀大会が。。

お正月は長男一家、長女夫婦、次女の息子も帰省し、

次女一家と同居する我が家にみんな集まって、麻雀大会をする予定でした。

一年かけて私が赤いポストの貯金箱にこつこつ貯めた500円玉。

 

これを放出して賞金お年玉を出そうと決めていて、

麻雀をやらない孫娘(長男の娘)にも不参加賞500円を用意していたのに。。

 

袋も自分で作って、次女の夫がその袋に詰めてくれて、

ずっしり重い賞金袋が出来上がっていたのに。。

 

残念ながら全て無しに。

 

■亡き母の従姉妹との思い出が詰まった息子宅

息子の家は、亡き母の従姉妹(初っちゃん)が一昨年の11月に96歳で亡くなるまでの最後の6年間を一緒に暮らした家です。

 

京都で一人暮らしをしていた初っちゃんは、安井の金毘羅宮鳥居の前の自宅から、縄手通りの文房具屋まで毎年使う書き込みのできるカレンダーを買いに行った帰り道、建仁寺さんの裏門前で転んでしまいました。

近くの整形医院で診てもらい、三角巾で左手を吊って少しずつ動かすようにと指示されていたのですが、やっと私が行けて別の病院で診てもらったところ、肩の骨を骨折していることが判明しました。

 

肩関節に人工骨頭を入れる手術ができたのは、転んでから20日以上も経ってからになってしまいました。

 

 

年末を病院で過ごす初っちゃんを見舞うべく、私は長男一家と一緒に車で京都に向かいました。

これもまた、ちょうど年末に起きた出来事でした。

私たちが到着する前日12/29の夜にトイレで転倒して腰を打ち、動けなくなってしまったというのです。

30日に着いた時にはほんとうに寝たっきり状態になっていました。

 

初っちゃん本人からは、支えてくれていた看護師さんが手を離した拍子に転んでしまったと聞いたのですが、

病院側の説明は全く別物でした。一人で勝手に動いて転倒したと。

 

個室だったので、目撃者?もなく、これらからもお世話してもらうこともあり、そのままにせざるを得なかったのですが、思い返すとやはり悔しさを感じてしまいます。

 

そして要介護度4に。リハビリもして3ヶ月の入院に。

次はリハビリ専門の病院に移ってそこでまた3ヶ月。私は時々遠くから通っていました。

リハビリ病院には3ヶ月しかいられず、自宅で一人暮らしも出来ず、次は老健に。私はそこにも時々通いましたがほとんど部屋で過ごしている状態でした。

老健もまた3ヶ月で出なければならず、施設を探したりもしましたが、結局は一緒に暮らそうということになり、初っちゃんは

89歳までずっと暮らしてきた京都を初めて出ることになったのです。

 

■こうして、老々病々介護が始まりました

私の父は69歳で亡くなり、母は92歳で、夫も73才で亡くなってから一人暮らしをしていた私と、初っちゃんとの約10ヶ月間の同居生活が始まります。

近所に住む長女の手助けがあって実現できたことなのですが、難病を患う私と要介護度4になった初っちゃんとの二人暮らし、まさに老々病々介護が始まったのです。

 

週2回はデイサービスに行きました。

ヘルパーさんにも来てもらえて助かりました。

 

(息子補足:10ヶ月後に、母と初っちゃんは我が家に来て一緒に暮らすことになります。それまでの二人暮らしの記録が、次回ブログの内容になると思います)

 

(息子補足:たぶん↓の一文は、二人暮らしの次に来る話の冒頭になるのかな)

 

長男は、お嫁さんを43歳という若さで突然亡くなってしまっていて、その当時、長男の娘は中2、息子はまだ小5でした。

 

いつも何かを書き始めると、とりとめなく、寄り道だらけになってしまいます。初めて書いたブログにもその悪癖がでてしまい、我ながら呆れていますが、これから徐々に改善していくことを、ひとつの目標にしてみたいと思っています。