年末28日同居している別の孫娘が突然高熱をだしました。免疫力のない持病を抱える高齢の私は即、近くに住む長女の家に避難。孫は受診しても不明で翌29日に自宅の検査キットでコロナと判明。前の年にもかかっていて若いのに重症化して肺炎もおこして入院したのに、です。
それで急遽私は近郊に住む長男の家でお正月を過ごすべく31日に長女夫婦の車で送ってもらいました。
今年は長男一家、長女夫婦、近郊で働いている次女の長男も帰省し、次女一家と同居する我が家に集まって・麻雀大会をする予定でした。
昨年一年間私が赤いポストの貯金箱にこつこつ貯めた500円玉を放出して賞金を出すことになっていました。麻雀は好きでもなく知らない長男の長女にも不参加賞500円。
次女のお婿さんが勇んで詰めたずっしり重い袋もできていました。
残念ながら全て無しに。
30日に私は唯一きんとんだけ作ることになっていましたがその日は家に息子宅での滞在荷物を取りにいっただけでした。
息子の家は、一昨年11月に亡くなった、亡母の従姉妹が最後に暮らした家です。
ずっと京都で一人暮らしをしていたのですが、安井の金毘羅宮の鳥居の前の自宅から縄手通りの文房具屋さんまで毎年使う書き込みのできるカレンダーを買いに行って、 帰り道、建仁寺の裏門の前で転んでしまいました。
近くの整形医院で診てもらい、三角巾で左手を吊って少しずつ動かすようにと指示されていました。
やっと私が行けてそので診てもらい大きな骨折とわかり人工の肩関節にと手術できたのは転んでから、20日以上経っていました。
入院3ヶ月の間に、ちょうど、それもまた年末、入院中の彼女と一緒に過ごすべく。長男一家と車で京都に向かいました。
その29日の夜にトイレで転び腰を打って動けなくなりませた。
30日に着いた時には寝たっきり状態になっていました。
看護師さんが彼女を支え損なったと言うのですが、病院側の説明はほとんど全く別物でした。
一人で勝手に動いたと。個室だったので、目撃者?もなく、こらからもお世話してもらうこともあり、そのままになりました。
そして介護度5に。リハビリもしてからもう3ヶ月リハビリ専門の病院に移りました。そこでまた3ヶ月。時々とうくおうから通っていました。
3ヶ月しかいられず自宅で一人暮らしも出来ず、老健にはいりました。
そこにも時々通いましたがほとんど部屋ですごしている状態でした。
また3ヶ月ででなければいけないので、施設を探したりしましたが、結局東京に来ることになり、89歳で始めて京都をでました。
父は69才で亡くなり母は92才、夫は73才で亡くなったあと一人暮らしの私との生活を始めました。
難病患者の私とまさに老々病々介護です。
近くに住む長女の世話なくてはできないことでした。
週2回はデイサービスに行きました。ヘルパーさんにも来てもらえて助かりました。
10ヶ月
長男は43才の妻を突然の病で亡くしました。その時、中2の長女、小5の長男でした。
いつも何か書き始めるととりとめなく寄り道だらけになってしまいます。
書き初めにその悪癖がでてしまい、我ながら呆れています。
この書きの状態で徐々に改善していけたらということを、ひとつの目標にしてみたいとおもっています。