チトー大統領のお墓 | BLUE TRAVEL

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NO TRAVEL, NO LIFE!
行きたいとき、行けるときに行かねば。

旧ユーゴを平和に統治していたチトー大統領。

 

 

彼の死後、各民族の不満が爆発し、ユーゴ解体へと進んで行きました。

 

彼の眠る霊廟は花の家と呼ばれており、ユーゴスラビア歴史博物館敷地内にあります。

 

歴史博物館は旧博物館、5月25日博物館、花の家の3つの施設から構成されています。

 

5月25日博物館は改装中の為見学不可。

 

 

前庭にあったこのオブジェは旧ユーゴの“6つの共和国”を表しているのでしょうか。

 

 

花の家、入った途端「温室みたい」と思いました。

ちょっとぬぅっとする暑さ。

 

生前のチトー大統領は温室を愛したらしく、死後彼が望んだように花々に囲まれた霊廟が設計されたそう。

やっぱりね、と納得。

 

 

本名Josip Broz(ヨシップ・ブロズ)。

1892年クロアチアで生まれ、1980年5月4日リュブリャナ(スロベニア)の病院で87歳で息を引き取りました。

 

 

チトーの隣に眠るのは妻Jovanka Broz(ヨバンカ・ブロズ)。

2013年、88歳にて死去。

孤独な晩年だったとか。

チトーとは31歳差、3人目の妻でした。

 

 

入口を入って左の部屋には沢山のバトンが展示されています。

 

 

Relay of Youth(若者のリレー)という行事で使われたバトン。

毎年チトーの誕生日5月25日にユーゴ国内の各民族・地域の若者がリレー形式で一つのバトンを受け渡し最後にはチトーの元に届けるイベント。

 

リレーのルート

スタート地点はクロアチアにあるチトーの生家

 

写真左下、チトーがバトンを受け取っている

 

保管されているバトン

 

各民族・地域の団体はそれはそれは工夫してバトンのデザインを考えたようで、このように多様なデザインのバトンが作られました。

このイベントはチトー亡き後の1988年まで続きました。

 

 

入口を入って右の部屋にはチトー大統領の執務室と彼が好きだったブルートレインの模型などが展示されています。

 

 

 

彼の亡骸はブルートレインに乗せられリュブリャナからベオグラードまで戻ったそうです。

 

 

万人に愛されていたかは分かりませんが、ソ連支配下から一線を置いて独自の社会主義を貫き、旧ユーゴを纏め上げていたという事実は、彼の手腕であり、歴史に残る偉業です。

 

独裁者っていうと私腹を凝らして暴君で、ってイメージだけど、彼は人間味がありカリスマ性があったため、今でも多くの人が献花に訪れているようです。