彼、ゴーダマ シッダルダーは釈迦族の息子 つまり皇太子です。
確かな地位と莫大な財産が保証され、何不自由の無い生活を送っていました。
しかし村人たちの暮らしは貧しく、とても幸福とは言えません。 王は税を免除したりあらゆる政策を施しますが、それでも暮らしは良くなりません。
シッダルダーはいつか、その根本原因と解決する手だてを探求するようになります。
そこで修行のために家を出たのです。 幾多の荒行も経験しました。
一粒の米だけで一日過ごそうともしました。 しかし無理でした。
そんな修行を続けていた彼は空腹に耐えられずに倒れてしまったのです。
一人の娘が彼に乳粥を施し、彼は元気を取り戻します。
そしてそれまでの荒行を捨て瞑想に入ったのです。
法華経は生命の根本法だとよく言われます。 生命を貫く一大事の法です。
つまり宇宙をダイナミックに動かしているのも法華経なんですね。v(◎∠◎)/
ということは永遠不変の法と言うことも出来るわけです。
では釈迦が法華経を説いたのは何故なのでしょうか? それは苦悩に沈む一切の衆生を哀れんだからです。
彼 ゴーダマ シッダルダーはヒマラヤの麓、ルンビニの王家に生まれました。 将来の名誉も財産も地位も保証されていたのです。
しかし城外で生老病死の苦に喘ぎ悲しむ人々の姿を見た時、彼もまた苦悩に沈みました。
そして19歳の時、地位も財産も家庭も捨てて修行の旅に出たのです。
まさに生老病死の苦を解決する法を覚るための旅でした。
さて、ここで気になることが有ります。 釈迦と日蓮は同一人物か別人かということです。
ちなみに釈迦が生まれたのは紀元前1128年4月8日、入滅したのは紀元前948年2月16日。
末法に入るのが西暦1052年であり、釈迦が80歳で亡くなっていることから計算しました。
日蓮は1222年2月16日に生まれ、1282年10月13日に入滅しています。 御書を読んでいると(2220余年が間)とよく書かれていますから、これを見ると(同一人物ではないのか?)という疑問が出てきます。
法華経を説く上でも同一人物である方が、、、。 時代と衆生に合わせて説き方も表現も変わるので。
ただ真理はまったく変わらないし変わってはいけませんが。 そのことからも釈迦と日蓮は同じ人物だろうなと推測するわけです。
じっとしていないのが生命であり仏ですからね。