教育問題 その3 | ヤモリのつぶやき

ヤモリのつぶやき

日々のニュース解説等をつぶやきます......


 相変わらず残暑が厳しい。
 政局も乱れに乱れて先が全く見えないまま予算の執行を遅らせるという体たらくだ。
 この執政能力がない民主党の母体はなにかといえば、労組や日教組、つまり、呼び名は変わっているが昔で言うアカ、共産主義を標榜した連中の末裔だ。

 資本主義が必ずしも是という気はさらさらない。しかしこの失政具合の大本は、体制批判や転覆を基本原則とする悪い意味での評論家連中の集まりだからなせる技といえる。プレイヤーではなくオーディエンスだから文句を言っている時は岡目八目、ところが実際プレイヤーになると馬脚を現してしまうわけ。

 この共産主義を志向しているのが日教組であるが、彼らのルーツは戦中にある。
 もともと、第二次世界大戦やその前段である日中・日露戦争のあたりから国内では戦争をすべきか否かで賛否があった。加えて、一部の大資本が利益を握り国民を搾取する状態に激しく疑問を持った連中がいたのだ。

 そこに新たな思想としてマルクス・レーニン主義が現れる。これらの小難しい思想は当時の市井の人間よりもむしろインテリ階級を強く刺激した。つまり、特権階級ではないが頭脳は明瞭、というインテリ階級が政治や社会のあり方に疑問を持っていたところにそういった思想があったものだから、みんなで富を分けあい平等な社会を築くという思想が絵に描いた餅であることに気が付かず心酔したのだ。戦時中から赤狩りなどがあってそういった思想家たちは地に潜ったのだが、戦後にこれらが一気に花開くことになる。

 というのも、GHQの戦略で、戦争に至った理由はすべて軍部の暴走という形で発表されたから、戦争に反対していた国民は『やっぱり!』と思った背景があり、そこで地に潜っていた思想家たちは戦後のゴタゴタを経て、無血で体制転覆をする道を模索したわけだ。
 余談だが、共産主義つながりで在日や総連などともつながりを持つのが、まんま民主党の支持につながっているのだ。選挙時の在日の民主党に対する応援やボランティア、赤系の団体の支持などはそういったバックボーンにも由来すると思われる。

 無血で国家転覆、つまり、革命をゆるやかに起こそうと思った連中達にはインテリが多く、これは即ち、教師職が多かった。当時の教師というのは現代と随分異なり、当時珍しかった大卒がなるものであり、尊敬されるものであった。そんな彼らが選択した道が、新時代を担う子供を洗脳教育することによる、ゆるやかな革命だったのだ。
 無論、激しい革命を求めた連中もいたし、自分たちの志向する考え方でグループを形成したわけだ。戦後の日本はそういった団体が数多くあり、体制=政府と血なまぐさい喧嘩をしていた時代でもあったのである。これらの団体は時を重ねるごとに和合・離散を繰り返して泡沫のように儚く消えていった。
 
 日教組が企んだ洗脳教育は、馬鹿養成して国家を腑抜けにして内部から体制を崩壊させようというものだが、時代を経て徐々に組織弱体化と特権を得たことで組織変態を起こして現代に至る。今となっては組織立った運営すらされているのが疑わしいほどで、体制批判だけをする集団としてちっとも孵化をしない変態を続けている。もしかしたら一番最大に孵化したのが民主党かもしれない。 
 (注:日教組の特権は労組化して団交と称して仕事をサボって給料をもらう・威張り散らすような低レベルのもの)

 しかし、馬鹿養成というのはそこそこ成功したようで、大事な近代史も学ばなければナショナリズムも持たない、信念もないのにアナキズムだけを標榜する、そんなハンチクな連中が増えたわけだ。
 
 平和、は大事なことであるが、単純な批判だけでは得られるものではない。
 きちんとした学習をなし得てはじめて、国家とは何か、平和とは何かを考えることが肝要だ。
 彼らがやったことは、事実から目を背けつらい体験からくる怨嗟の行動として体制批判をしたにすぎない。
 結果、馬鹿は養成したけれど、その作られた馬鹿をだまくらかして搾取する連中を体制側に増やしたにすぎない。

 馬鹿と連発しているが、いまさらながら言葉の定義をすると、ここでは物の道理の分からない人間を指している。

 しかし問題なのは、馬鹿を養成している側そのものが馬鹿だったという悲しい現実が、彼らが仕組んだことを中途半端にし、かえって混乱させているということだ。

 君が代反対なんて端的に表しているいい例といえよう。
 知らない方に簡単に解説すると、君が代が軍国主義的で天皇賛歌なのが宜しくないから拒否しましょうという運動だが、この歌そのものは明治からあり(歌詞だけはもっと昔から・曲がついたのが明治で国歌とされた)、かつ、君は天皇陛下を指していないのだ。
 そもそも天皇陛下をお呼びする場合、天皇陛下か天子様、みかどであって、君なんて呼んだら不敬罪。
 君が代でいう君とは、あなたとか尊敬する方、仲間、というような意味合いだ。
 つまり歌の意味するところは、あなたの平和な時代がずっと続くと願ってますというような歌なのだ。
 これはおそらく、幕末混乱期を経て明治維新を成し遂げた先達が平和を願って採用したんだろう。
 確かに戦時中に使われてはいたが、それは国歌だから当たり前。
 反対するならもう少し勉強して前向きなことを言って欲しいし、反対すると同時にナイスな提案をしないとただ文句を言っているだけになってしまい、議論としてレベルが低いと言わざるをえない。
 筆者には、好きなアイドルが結婚したからファンを辞めました的な稚拙さを感じる意見としか思えないのだ。
 日章旗にも同じような歴史があるが割愛する。
 
 さて、話を戻すが、現代日本のリーダーシップを取る世代は、戦後の混乱した思想の影響を色濃く受けており、愛国心も規範意識も大局観も乏しく山師的で短絡的、自身の利権だけで動く特徴がある、そんな悪癖を持つ方が多い世代なのだ。

 これは、より濃く思想洗脳を受け、平和そのものを自分たちで勝ち取っておらず、すでに平和になった中で体制批判を繰り返し、幼少時の戦後ストレスの強い影響下で自己利益を追求する姿勢をとってきたことに由来すると推察する。

 そういった意味で言えば、日本は未だ戦後から脱していないのかもしれない。

 ちょっと余談だが、60代後半から70代前半の世代は、戦後から今に至るまで各世代での犯罪率のトップを飾ってきた輝かしい世代だ。犯罪統計から世代別犯罪率で戦後から現在まで最悪だった世代を抜き出すとまさにこれなのだ。
 暴れん坊の親に苦しめられた経験を持つ方に親の年代を聞くとまさにここだったりもする。
 
 そこに、馬鹿教育で腑抜けになった国民が付き従うんだから混乱するのも当たり前といえるだろう。
 現在、支那と朝鮮が意味不明な行動をとっているが、利権に絡む連中が愚政と愚教育で自国民を騙し、国民の声を挙げさせているにすぎない。
 多くの国民は愚策を鵜呑みにして行動しているか、またはわかっていて利権で行動しているだけだ。
 自ら学ぶ姿勢が大事だということが他山の石として彼らから知ることができる。

 いま我々ができることは、一人ひとりがきちんと学び、愚民を脱し、日本のために考えることだ。
 日本が良くなれば、それはみなさんにも還元される。
 そうしてリーダーシップを取る世代に引導を渡すことが出来れば、はじめて戦後を脱して新しい時代になるとも言えるかもしれない。

 憲法の定める国民の三大義務は、勤労・納税・教育。
 現代日本は勤労したくてもできない・納税したくてもできない方が多数いる。
 馬鹿な政策と特権を持つ人間に搾取されているからだ。
 こういった仕組みを知り是正する力もまた、正しい教育から得られるのだ。


 またもや長くなってしまってごめんなさい。
 

 了