【ひとりごと】Facebookの妙な窮屈さ。 | 思考も部屋も行動も! スッキリ楽に暮らしたい♪

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片づけが苦手なADHD傾向がある主婦の、部屋も思考も時間も行動もスッキリ楽に快適生活を目指す、記録ブログです。
思ったことを徒然に書きつつ、大切なものを大事にして、楽に自由に生きたいなあと思ってます。

facebookがあって、昔仲良かった人とつながるのはうれしくて、
昔仲良くなかった人の様子がわかるのは楽しくて、
いいことは色々ある。

セミナーやお茶会やサロン何かに出て、
そこであった初対面の人とつながることもある。
親しくなったりすることもある。
その場ではわからない面が見えたりもする。

が、

昔なら、

以前一度会ったことあるなあでフェードアウトする人や、
会ったことも忘れてしまう人が、

TLやフィード上にちらちら出てきて、
疲れたりもする。

妙なプレッシャーを感じる。

忘れてはならない。
繋がっていなければならない。
承認しなければならない。

Facebookはつながりがメインだから、
どうしても、
これをしなかったらどう思われるだろう
と言うのがどこかにあって、

嫌だな、と言う記事を見るのがとても苦痛だったりする。

いいね、を押さないことの意味を
深読みされると困る。

ただ、見逃すこともある。
ただ、押さない日もある。
ただ、これはちょっとと思うものもある。

その違いは、
「いいねしなかった」と結果からはわからない。

で、その違いが気になる私は、
人の押さないということがそれだけ気になっているということだと思う。

自分の行動にプレッシャーを感じる自分は、
他人の行動をそれだけ監視しているってことだろう。

昔は、
フェードアウトできた人が、出来なくなっている窮屈さ。

簡単に、

友達を解除してもいいと思うし、
フィード上に投稿が出ないようにしてもいいし、
Facebookを見るタイミングなんて自分の気まぐれでいいと思うんだ。

ブログも、
TwitterやFacebookの投稿も、
全部は見れない。

なので、

これはもう読まないな。
これにはもう興味はないな。
これは私には不快だな。

そう思ったものはバンバン削除していく。ように心がけている。
(でないと、情報を減らしていくのは難しい)

時間がもったいないから。

迷う時間も、
迷ったうえでそれを見る時間も。

それでも残るものは、その時には必要なもの。

一か月後にどうかはわからない。

ということで、
ブログの読者登録とか、
結構な頻度で入れ替わってます。

Facebookで流れてくる情報は、
もう少し精査したいなと感じている。

人との付き合いは、流動的で、いいと思う。
SNSは、それをせき止めて流れを増やしてしまうなあ。