『人生がうまくいっている、と言うコンプレックス。その1。』
『人生がうまくいっている、と言うコンプレックス。その2。その裏側にある望みについて。』
『人生がうまくいっている、と言うコンプレックス。その3。それの効能。』
続きです。
人生がうまくいっている、と言うのがコンプレックスでした。
最初にもちょっと書いたけど、
私の人生、正直なところ、挫折や失敗がない人生だなあと思ってます。
ぽっきり折られた、と言うのがあんまりない。
(と言うのも、自分にとってはコンプレックスだったわけですが)
でもこれ、ちょっと考えてみると、
考え方の問題なのかもしれないなあとも思いました。
本当に何もなかったのか、といえば、
まあ多分そういうわけでもないのです。
その時点では。
でも、人生はずっと続いているので、
振り返ってみると、別に挫折でもなかったな。
という結論に達しているだけのような気もしました。
結局のところ、失敗とかって、その時そう思うだけで、
その先でどうするかによって意味づけが変わるだけのことだなと。
例えば。
中学時代のいじめとか。
引きずってた時期もあったけど、今はほんとなんにも気にならないくらいだし。
中高と親しかった友人は、私から見ると完璧な人間でした。
成績は常にオール5、運動神経も良く、絵もうまく、文章も書け、
先生の信頼は厚く、母親の代わりに夕飯を作ったりするようなうちの親も大絶賛する人でした。
(本人は、多分色々思うところあったと思いますが)
なので、もうそれと比較し続けられる自分はほんとに何もできない人間でした。
大学受験は、センターでの判定がD判定。
落ちて当然の結果。なのに、二次試験では無事通過。(何とかなるだろうと思ってた自分もすごいけども)
就職活動は、50社強をうけまくり、面接にたどり着いたのは3社、合格は1社と言う有様(笑)
(大学の友人とかは、院に進むのを決めていながら就職活動もしてみて、全国規模の会社にすぐ内定もらったりしてた!!)
子供っぽいと思われそうな夢に対しては、結果らしい結果はないまま何年も経ち、
ようやく手が届きそうな所までいったかと思えば、運がなかったですね、というようなレベルで弾かれ。散々な扱いを受け。
これに限っては、でもあんまり挫折とは思ってないんですね。
別に夢はかなってないけど。
その時は、呆然としたというか悔しかったというか……正直何も思いませんでした。
がっくりはしたけど、悲しいと思うこともなかった。
(悲しいと思って嘆いていたら、もう少し、そのあとの動きは違ったのかもと今は思うけど)
で、あれを挫折と思ってないのはなぜか、といえば。
私がまだあきらめてないから、なんだなと思いました。
まだ挑戦の途中なので。
終わってないので。
それならばあれはただの一出来事でしかないわけです。
あきらめたとしても、ただの思い出になるのかなあと思ったりもします。
結局、失敗とかうまくいかなかったことって、そんなことなんだろうなあと思います。
で、私はそういう風に意外と能天気なので、
挫折がないだけなのかもしれないなあ
と思いました。
年を取るにつれて、忘れるの上手くなってきたな、とも思います(笑)
だから、もし今何かを失敗したとしても、その先を考えたら、結局失敗はその先に続くきっかけの一つでしかなかったりするんですよね。
こういう考え方と、
まあ最終的にはどうにかなるわ、
みたいなところが挫折を作らずに来てるだけなのかもしれないなあと思いました。
だから、この考えで今いるのに、
挫折がないことがコンプレックスだと言ったって、成り立つわけがない。
ということにも気づきました。