【手帳雑感】最近の手帳への思い。たまに頼り甲斐のない、でも心地よい相棒。
こんな手帳雑感を書いてみましたが、
私が、あな吉手帳や、その他の手帳術にこだわらなくなった理由。
すっごく簡単なことに気づきました。
あな吉手帳は、nico手帳じゃないから、です。
あな吉手帳術は、あな吉さんが始めて、そのやり方が他になく、普遍性を持っていて色んな主婦に適合するということで、講座になったり本になったり、講師が誕生したり、インストラクターが増えたりしてきました。
あな吉手帳術は、未完成の手帳術です。
常に進化します。
その基準は、「あな吉さんが使うかどうか」「あな吉さんが使ってみていいかどうか」です。
あな吉さんが「いい」と思えば、あな吉手帳術に取り入れられます。
他にも女性の書かれた手帳術の本は色々あります。
さとうめぐみさんの「ハッピーになる」手帳術もそうですし、
藤沢優月さんの「夢をかなえる」手帳術もそうですし、
佐々木かをりさんの「自分の時間を予約する」手帳術もそうですし、
和田裕美さんの「営業手帳」もそうです。
どれも、その本人が、
自分の少ないと思える時間を有効に使うため、
自分の行く先を自分でコントロールするため、
自分の生活を自分の満足のいくものにするため、
そういう目的で、試行錯誤して「これがいい!」と思った方法を書かれています。
手帳術でなくても、同じような用途で、
付箋術もありますし、ノート術もあります。
あな吉手帳術も含め、共通している部分もあれば、していない部分もあります。
合うか合わないかは、人それぞれです。
それぞれの方が、何に重点を置いているかによって、ポイントが変わってきます。
未来を重点に置くのか、今を重点に置くのか、
記録として残していくのかどうか。
それは本当に様々です。
そしてそれはどれも、当然ながら手帳術を作った方の視点に沿って作られています。
あな吉さんは、あな吉手帳術を作るだけの力があったわけです。
自分のやり方が多くの人にも役に立つことに気づき、体系づけ、人にそれを教えられるまでになりました。
当然、他の方もそうです。
でもそれって、当たり前ですが、
その手帳術を作った人が基準の手帳術です。
それを使う人に沿った手帳術ではありません。
私が使いたかったのは、
「あな吉手帳」ではなく、
「私だけの手帳=nico手帳」です。
だから、まず、視点を変えました。
「nico手帳」には何が必要か。
何が欲しいのか。
何があると心地いいのか。
何があれば手帳が便利か、ではありません。
何があれば手帳が充実するか、でもありません。
何があれば手帳が使えているのか、でもありません。
私が使う手帳は、どんな手帳なのか。
私が目指すのは、「nico(私のための、私のためだけに使われる)手帳」なのです。
それだけです。
そうした時に、「あな吉手帳」にこだわる意味はこれっぽっちも見当たりませんでした。
私が作りたいのは「あな吉さんに認められる手帳」ではありません。
私が、欲しいのは、
使っていて苦のない、落ち込むことも、人と比較することもない、
自分が満足する「nico手帳」です。
気づいたきっかけは「【手帳雑感】気付いた!」このあたりなのだろうと思います。
「あな吉さんになるために」手帳を使うわけではないし、
その他の素晴らしい手帳術を編み出した人のようになりたいわけでもない。
そう思ったら、一つ二つの手帳術のやり方に縛られている必要性を感じなくなりました。
試してみて、使えるものだけ取りこんで、他のやり方をまた取り入れればいい。
心地いいと思ったら、そこでストップ。
できるだけシンプルに。
自分のための手帳であることだけを求める。
要素としては、色んな手帳術の要素が詰まっています。
さとうめぐみさん流に5色ペンも使っているし、バーチカル状に予定を書く際は、佐々木さんの書き方をイメージしています。
他にも、細分化の仕方はさとうめぐみさんのやり方に近いし、付箋で予定を組み替えるのはあな吉手帳術かもしれません。
デジタルも好きなので、やり方としては色々試してみました。
どれをどの程度どこから取り込んだかというのはもうわからないので、
手帳術なんて関係なく、「nico手帳」は私だけが使える手帳だと思ってます
それで、満足です。
どんなに「完璧な手帳」より、「自分が心地よく使える手帳」がBESTだと感じています。