読んで気持ちのいいものでもないと思うので、私もブラックは脱出してると思うけど、あんまり書くことも考えてませんでした。
が、この経験をより「経験」にするために、重荷を軽いものにするためには書くこともいいかなと思って書いてみようと思います。
そして、文字の強弱は敢えてつけないので読みにくいと思います。
ご了承ください。
私のブラック時代は大まかに見積もって三回。
一回目は中学の頃。
部活でのいじめ。
対象は、リーダー以外全員が不定期で、不規則に、みたいな感じのタイプ。
私はちょっと浮いてるタイプだったので、まあ何度もターゲットになりました。
とにかく女子の集団と、自分がなじめないということだけは痛感した。
不登校も出たし、学年が変わる際のクラス替えは、部活のメンバーをどう配置するかを先生たちが会議で決めたくらい。
友達は部活以外にもいたので、別に困ることはなかったけど、何と言うか当時はとにかく「面倒」な気持ちがいっぱいだったなあ。
親に「性格が変わった」とは言われたけど、自分を失うほどのダメージはなかったと思う。
小学生まではどちらかというと目立ちたがりの仕切りたがりなタイプだったのですが、そういうのは、ほとんど完全にやらないようになりました。
二回目は、中三~大学。
誰でもそうであるだろうけど自分に悩む時期ですね。
進学と進路と勉強。私にはこれがとてもプレッシャーだったのでした。
それにプラスして、趣味と生活と自分自身についての圧力。
どこからのか、と言えば親。母親。
多分母も色々抱えていた時期なのだと思うけど、とにかく過干渉の上に、言葉での存在否定。
高校三年の頃は受験のプレッシャーもあり、本当に自律神経狂ってました。
高校一年くらいまで、「胃が痛い」というのがわからかったのですが、時を経るごとに、肩こり、腰痛(整形外科に通って、治療&痛み止めの筋肉注射)、めまい、自律神経失調(多分。37度程度の熱が半年続く)に胃痛に、突発的に高血圧になり病院に運ばれたり(結局原因不明)、などなど。
見事に心身に変調をきたしました。
とても見た目はかわいらしい母だったので、家での出来事を話すたびに友達が「〇〇のお母さん、そうは見えないけどすごいよね」と言っていた気がします。
まあ、そういう友達の家も、すごかったんだけど。というか家庭内が結構問題の多い友達ばかりだった気がするなあ。
(でも、どの家も問題を抱えてない家はないと思ってたので、そういうものかなとも思いますが)
大学卒業間際まで、家での話をするとバイト先の年上の人に「とにかく早く家を出ろ! それがお互い(母と私)のためだ」と言われていました(笑)
結局就職して一年かけてお金を貯めてすぐに一人暮らしへ。
と言っても実家から自転車で10分の距離でした。
これもある意味親のプレッシャーから逃れられなかったから、でもあるし、もともとそこそこ便利なところに住んでたからでもあります。
で、この期間の何がブラックかというと、自分の精神状況が、です。
浮き沈みが激しいのはいつからだったのかわからないけど、本当に激しかった。
生活も夜更かし多かったし。
ハイなことはあまりないけど、落ちるとひどくて、本当に消耗しました。
でもどうも、私はあんまりそういうのが外に見えないようで。
何度か、親に「安定剤を貰いに病院に行きたい」と訴えたけど、「なぜ?」でうまく答えられず却下(笑)
んー、落ちてしまうと、とにかく気力がなかった。
生きる気力も、死ぬ気力も。
洗面所の鏡の前で、剃刀を手首に当てて、ぼんやりとしている。
力を入れることも、面倒。
そんな感じ。
私の中で、この状態まで来たらエネルギーのなさは多分ピーク。
この状況はほんとにブラックだったと思う。
まあ、中学から大学までの期間、私が死なずに生活できたのは、自分の好きなものが明確にあって、それを中心にした友達とつながっていたから。
そういう意味では、恵まれていたと思ってます。
まあ、家に帰るのは一時期地獄でしたけど。
仕事を始めて、結婚して、ちょっとうつ病診断を受けたりしつつも、妊娠して退職。
そして同じ状態にまで陥ったのが、5年前。
息子の出産後。
産後鬱なんかもあったのかな?
体力は落ちている、夫との関係も最悪(と私には思えていた)、息子と二人暮らしに近い状況、そしてその息子は本当に手がかかり、何をするにも予測がつかない。
そして、大学くらいまで自分をきちんと引き留めていた趣味や友達も、生活の中から一切なくなってしまったのでした。
子供をベビーゲートで安全な場所に隔離して、カウンターキッチンの裏で座り込んで、わけもなく泣いていたり、泣く気力もなかったり。
最終的には、包丁を取り出して、見てるだけ。
これがある、ということが安心感の一つでした。
それを自分に向ける気力も、ないのですが。それはしてはいけないとは思っていたけど。
こんな浮き沈みの激しい母親に育てられる息子がとにかくかわいそうだった(まあ、母親としてはよくある心境のパターンですね)
息子と二人しかいないのに、家事もほとんどできないまま夜を迎える。一体一日何をしてるんだろうと思いながら過ごしてた時期ですね。
結婚するときに友人に「育児ノイローゼになりそうなタイプだから、気を付けてね」と言われてたのを思い出しては、とにかく自分が育児に向いてないとか、家事に向いてないとか、そもそも結婚に向いてないとか、子どものどこが可愛いかわからないとかそういうことばかり思ってた気もします。
ちょっと気力のある時に、市の育児相談に出向いたところ、保育園の一時保育の活用を勧められたものの、夫の反対もあり(当時、ちょうど同じ自治体の保育園で1歳児の死亡事故があったので…)状況改善には至らず、これは本当にまずいと思って、他人の力を借りることにしたのでした。
そうやって受けたカウンセリングで、かなり改善していきました。
主にやったことは、自分に向き合うことと、自分の感情を取り戻すことと、母との関係を見直すこと。
子供に手を上げることもあったりしたけど、
基本的に最終的に私は鬱憤を自分に向けるタイプなので、
自分に手を上げだしたり、刃物を持ち出して眺め出したらアウトだなあと今も思ってます。
私のブラックは、この程度。
リストカットすることもないし、実際に切ってしまったわけでもない。
この程度です。
でも私としてはここが最低に落ちた時のブラックかな。
生やさしいと笑ってくださいませ
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
こうなった理由は単純で、自己否定。自己肯定感の欠如です。
でもこれって本当に、扱いが難しいのですよね。
二人目を出産する際に何がこわかったかと言えば、再度あの状態に陥ること。
なので、産院で産後の不安はと聞かれて二人の育児と、一人目の時の自分のイライラや精神状態についてをちょっと言ってみたところ、非常に心配されて、鹿児島の保健師さんなどに産院からも連絡を入れておくから、と言ってもらいました。
その後鹿児島に来て、ほとんど初めて住む新居(引っ越しは出産直前だったので、一週間ほど住んでから4か月ほど実家に里帰りしてました)、新しい環境、知らない土地、そして元気いっぱいの息子。ブラックが再燃しかけて、コーチングを受けたり、ヤバいという自覚から一時保育を活用して、幼稚園に息子を入れて何とかブラックにまでならずにすみました。
そして、ママイキを受けて、かなり安定。
本当に、これが大きかったのですよね。
その後、今に至る、って感じですね。
この経験から学んだことは、とにかく自分のエネルギーを枯渇させる状況まで行く前に手を打つこと。
子どもがいない時は、ぶっちゃけ、自分一人死ねばどうでもいいやと思ってました。
落ちてしまえば、死ぬほどの気力もなかったけど。
でも子供がいたらやっぱり、それはかわいそうだと思うのですよね。
なので、方法があるなら、と自分で動けたことが良かったのだと思います。
とにかく、私にとっての休息と充足と余裕というのは絶対に不可欠なんだというのは、カウンセリングなどを受けて良くわかったので、極力意識するようにしていましたが、それでもやっぱり人に合わせているばかりだと消耗してくるのです。
なので今は消耗しない方法を自分で取ることをもっとうまくなるようにしたいな~と思ってます。
余ったエネルギーを人に分けられるのが理想です。
くどくど書いてもあんまりどうかと思うので、あっさり目に書いてみました(笑)
うん、どこか誰かの参考になるんだろうか…。