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blues harmonicaのブログ

ハーモニカが好きで吹いています。全然ヘタですが。
これから日々気が付いた事など書いて行こうと思っています、、
宜しくお願い致します。。。。。

umino_7882@yahoo.co.jp

 

過去記事も読んで見て下さいね。私は今調子が悪いのですが。今日は小雨が降る中。散歩に行きました。久々、喫茶店に入り考え事をして居ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今日は、近所を探索するために散歩に出た。。。この近辺は店屋が多いです。

 

そして本屋に行き。書店内を見てみるが、購入したい書籍は見つからず。。。。

 

 

まあ、思うに物事を深く考える人は、大抵失敗しますね。私も昔はそうだった。知識が全てだなどと思って居た。だから、知識を欲したし。小難しい本も沢山読んだ。それはそれで血肉とは成ったが。人もその尺度で測って見て居た。だから知識がない人を見るとダメだと思った。だが生活とは人好き合いとはそんな事は関係無いのだと、20年程前に考え直した。良く能書きが言えるとその人を頭がいい人だと思いがちだ。しかしそんな物は、本を読めば幾らでも言えるのだ。私はそう言った人を身近に見て来た。そして大概の人は知識に振り回される。学校教育の弊害だと思う。大体が学校の先生は自分には知識がある。だから生徒で勉強が出来ない生徒が居ると訝しく思い。その生徒をバカだと決め付ける。よく事業中に漫画を描いて居た生徒が居た。

 

先生はそれを見つけるとサド/マゾ的にバカにした。こんなものを書いて居ると。私は中学時代、授業中に漫画を描いていた生徒の絵を取り上げて、「漫画か?お前の頭も漫画なんだろう!!バカが!!」と冷笑を浮かべて、うすら笑う教師を軽蔑の目で見て居た。あんたの頭の中にあるのは「タンク・タンクロウ」やら、「のらくろ」なんだろうと反対に軽蔑をした。そして私が高校1年の頃に担任になったバカ野郎は、私が長髪なので、とことんバカに仕出した。「おい〇〇!!3×6は幾つだ言って見ろや?言えねえか?。てめえはバカだろ。そんな髪型しやがって!!」人間、50歳から65歳ぐらいの教師ほど訳が分からず。厄介な人間は居ない。特に1970年代当時は......。私は反対にその教師を呆れて見て居たし。反対にバカにした。文化を何も解っては居ない。戦前の考えか戦後の封建的な時代の考えで固まって止まって居る。そんな教師こそ、太宰治がいいだとか、与謝野晶子がいいだとか言い出す。確かに日本文学を学ぶのも大切だ、だが、時代は変わるのだ。今や漫画が文学的な文脈で読まれて居るし。確かに日本文学はいいものだが、最近の漫画、そしてそう言う人達が言う処の漫画である。アニメは私小説的な内容のあるものが最近は多い。

 

例えば、もうちょっと古いが「進撃の巨人」「エヴァンゲリオン」などはその最たるものであろうし、漫画でも「つげ義春」などは、もろ私小説だ。構造主義の文脈において多用される分析手法に「構造分析」がある。これは周知の通り、「神話や民話」を分析する分野において確立されてきた手法である。グレマスやプロップ。更にはレヴィ=ストロースの研究はこの種の「構造分析」に立脚して居る。「構造分析」は「神話や民話」の分析にしか用いる事の出来ない手法では無い。彼らがもっぱらそれらのテキストを研究対象としたのは「それらのテキスト」の真相に「有能な意味」が隠されて居ると考えて居ると考えた事によるものである。そしてこういう言い方も出来るかも知れない。「グレマスやプロップがもし現代日本に生きて居たら必ずや彼らはアニメや漫画を構造分析の対象にしたであろう」と。「ポーの一族」において主人公エドガーは、

 

人間を自分が生き延びるために餌にする家畜だと考える事が出来ない。人間を家畜と同じ類的存在として見ずに、そこに個的存在を見出しながら、しかし、自分が生きる為に彼らの命を奪わなくてはならないとしたら、自分が生き延びる事それ自体が禍々しい暴力となって生起するだろう。「ポーの一族」と言う作品は、吸血鬼である事を険悪するエドガーの実存をとうして、自らが生き延びる為には他者を殺さねばならないと言う、そして他者が死んでもなお自分が生き延らえて仕舞うと言う、人間が生き延びると言う事が不可避的に孕んで居る。ある暴力性を示唆して居る。これは太宰治の「人間失格」と同格では無いのか。そしてエドガーは作家、太宰とその存在が被る。太宰はその生涯に何度も自殺を試み、39歳の時に成功した。21歳の時に女と鎌倉で死のうとした時は、一緒に死のうとした女だけ死んで、自分は生き残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

こう言った事からも、日本文学と漫画は不可視な均衡を保っている。ミステリーやSFというジャンル的な横軸と、書法としての自然主義的リアリズムーその中心が純文学だ。漫画・アニメ的リアリズムーと言う縦軸を分けて考える必要は最早無い。それぞれは最早、不可視な均衡なのだ。

 

 

 

女流漫画家・萩尾望都さん。

 


 

 

 

勿論、私は日本文学が嫌いでは無い。太宰治も川端康成も三島由紀夫も好きだ。ただ、もはや時代はそれらの文学を内包して居ると思うのだ。結果出て来たものが、漫画、アニメだと思う。林静一が「ガロ」に漫画家として登場し、代表作「赤色エレジー」が話題になった1960年代後半から1970年代初等に掛けて時代はベトナム反戦やら、全共闘運動、カウンターカルチャーなどが嵐の様に起こり、実に騒々しい世の中だった。「ガロ」もそうした喧騒の中でたくましく「COM」と共に漫画の時代を誕生させ現代に牽引して来た。具体的には、戦う白土三平と世捨て人のつげ義春を両輪として進んできた。「ガロ」には当時輩出した漫画評論家たちに押されるようにして劇画に代わる新しい漫画を予想させる一群の漫画が登場した。「COM」は手塚治虫が旧知の仲間たち「石ノ森章太郎」「松本零士」やら真崎守。永島慎二などの文学性の高い漫画家に執筆させた。そして自身は白土三平の「カムイ伝」の向こうを張って「火の鳥」を連載したが。「ガロ」見たいな「オルタナティブ・漫画月刊誌」には慣れなかった。ただこの「COM」で真崎守が「漫画講座」を開いて居て。それのファン達がのちに1976年ぐらいにコミケ(コミック・マーケット)で漫画の書評やら評論の雑誌を売り買いする場を作った。それ以来、今まで漫画やら色々なものの同人誌発売会としてコミケは機能して居る。それから、皆さんは余り知らないでしょうけど。テレビアニメの制作には、一話作るのに1000万円ほどの費用が必要だ。この制作費を賄うためにビデオソフト・間連書籍・キャラクターグッズ販売やらテレビアニメに付随するビジネスで利益を生もうと言うスタイルが確立した。

 

 

漫画ガロ

 

 
 

 

 松本零士 ロマンチック・コレクション “THE MANGA-CAN ESSENCE" 缶バッジ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Lady Emeraldas. Illustration de Keisuke Masunaga, pour l'anime Cosmowarrior Zero ~ La jeunesse d'Albator (2001). © 2001 Leiji Matsumoto / Project Zero

 

 

 

 

そのための権利調整の仕組みが「製作委員会方式」で、主にテレビ局や制作会社が出資する。テレビ・アニメでは90年代から盛んになり、今では多くが此れだ。ただこの方式は限界が出て来て居る。特に主力となるDVDやらBlu-rayの売り上げが。高画質な衛星放送とBlu-rayディスク・レコーダーの一般化によって急落して居る。そして国を上げてアニメーターを育成して居る韓国や中国のレベルは相当向上して来ており、是等の方向性によってはそう言った部分が海外に流出してアニメーターの産業空洞化が起きる可能性もあり得ると言われて久しい。ただ、アニメ制作に関わる人間は動画、原画、背景、仕上げ等々、非常に幅広い大人数の人材が必要なチームの作業で、そのメンバーを同じ方向性で、揃えられるかと言う点や、アニメ文化が積み重なって初めて生み出されるセンスと言う観点ではまだ日本には1日の長があると思う。勝手のスタジオ・ジブリやら京都アニメーション。サンライズなど色々なアニメ制作会社達が居る。その上で「10年〜15年に渡って放送を続けられる様なアニメは日本にしか無い」と言われて居る。

 

此れは日本には優れた漫画家が居ると言う、アニメと漫画の相互関係の賜物だろう。勝手、アメリカの西部劇はイタリアのマカロニ・ウエスタンによって淘汰されて以来、本道の西部劇は、ほぼ滅んだ。日本人が漫画やアニメに対して文学的な価値を見いだせなければ、文学も滅びると言えると思うのですが。最近では漫画的な発想の文学小説「ライト・ノベル」と言うジャンルも出て来て居る......。そして漫画は海外でも作り手が現れて居る。日本人の自助作用に置ける、是等のサブカルチャー文化をこれ以上、日本人が自ら排他的に削除しようとするならば日本文化は滅びるだろうと私は危惧を仕手居る。。。

 

 

[『このライトノベルがすごい!』編集部]のこのライトノベルがすごい! 2021

 

 

最近聞いた話だが。フランスでは国の政策で本やら家電製品を買える引換券を発行したらしい。そうしたら何と券を貰った人たちの殆んどの人が。日本の漫画やらアニメのBlu-rayを全巻購入する人が後を絶たなくなったと言う。ネット上ではお勧めの日本産の漫画やらアニメを何を買えばいいかと言う。サイトまで出来たそうだ。それだけ海外では熱狂的に受け入れられて居るのです。日本のお家芸である自動車産業も、時代が変わりガソリン車はそのうち淘汰されて、電気自動車やら水素自動車が主流になるのは近い将来の事だとは言えない時代だ。現にトヨタはソフトバンクと組んだ。自動車産業は IT産業との競合をしなければやって行けない時代に成った。時代は変わるのです、最早、今までの常識は考え直さなければならない。まだ、日本の良い面もある。音楽は今や世界的にリズム重視のサウンドが主流に成って居るが、外国の観光客が日本に来て安らぎを覚えるのは、日本にはまだメロディーを主流としたロックやら歌謡曲があると言う事だと言う。

 

日本人が海外で活躍した1970年代のバンド「サディスチック・ミカ・バンド」やら「フラワー・トラヴェリン・バンド」「YMO」やらのバンドは当時革新的だった。そして現代。アメリカのハード・ロックやヘヴィ・メタル系の音楽サイト、ラウドワイアーにて、必聴の日本発メタル・バンド10組が発表されて居る。記事によると、日本では多岐に渡るメタルのジャンルをすべて吸収しつつ、とてもユニークな独自のアーティストの幅を生み出して居ると紹介。特にインターネットが普及してからはさまざまなアーティストを発見しやすい環境が出来上がって居るので、ぜひ探検して欲しいと勧めて居る。日本はこの様に世界的に評価もされて居る。数年前に日本人に帰化して、亡くなった日本文学を翻訳して海外で三島由紀夫やら川端康成を紹介した、ドナルド・キーン氏は、はじめ日本の文学は中国の模倣だと同じアメリカ人から貶されたと言う。しかし氏は素晴らしい日本の文学を海外に紹介する為に翻訳を仕続けた。その甲斐あって、今や川端康成や三島由紀夫は全世界で愛読されて居る。今やネットの時代だ。良いものは国を超えて称えられ。そして向かい入れられる。村上春樹だとかね.......。そんな時代だからこそ、サブカルチャーは幼稚だと言う自称大人の人達に良さを解らせて。本当の市民権を与え様ではありませんでしょうか・・・・。

 

 

上條恒彦&六文銭 出発の歌.m4v 

だれかが風の中で 木枯し紋次郎 

K・O(ノック・アウト)  / SHIMIZU YASUO 清水保男 

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さてと、また懲りずに自撮りの写真です。しかし見る度に年を取ったと思いますよ。。。

もう、染色とパーマの掛けどきですねぇ........。もう私も62歳だ.....。

 

 

 

 

 

 

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「フィルムノワールとは」

 

 

フランス語で「闇の映画」という意味です。そのせいで一般にフランスの犯罪映画の印象が強いのですが、、もともとは1940~50年代初期にハリウッドで作られた低予算の犯罪サスペンスや探偵映画に対して使われました。ドイツ軍の占領から開放され、アメリカ映画を再び鑑賞する機会を得たフランス人たちが、B級アメリカ映画のハードボイルド作品を見て、アメリカ人も戦前のフランス映画と同じような、暗い画面で構成された映画(Film Noir)をつくることを知り、名付けられたものです。

これらの作品では犯罪者ばかりでなく、追う探偵や刑事、怪しげな悪女(ファム・ファタール)と登場人物すべてが暗い影や孤独を背負っているのが特徴で、舞台も主として大都会の夜。雨の路地を走りぬける車のヘッドライト、切れかかったネオンといったスタイリッシュな映像を背景にストーリーが展開します。
 
 現在でも広く犯罪映画を表す言葉として使われており、古くは1941年の「マルタの鷹」をはじめ「三つ数えろ」「キッスで殺せ」「ザ・ドライバー」「現金に手を出すな」「地下室のメロディー」「いぬ」「冒険者たち」「サムライ」「仁義」「リスボン特急」など数多くの傑作があります。比較的新しめの作品で正当なフィルム・ノワールとしては「ブラッド・シンプル」「エレメント・オブ・クライム」「クライングゲーム」「パルプ・フィクション」「L.A.コンフィデンシャル」などが挙げられます。少し変わったところでは、セルジュ・ゲンズブール&ジェーン・バーキンのコンビが主演した「ガラスの墓標」(1969)もフィルム・ノワールです。
 
 女性が主人公になった作品も多く「氷の微笑」(1992)のシャロン・ストーン、「蜘蛛女」(1994)のレナ・オリン、「氷の接吻」(1999)のアシュレイ・ジャッドなどが印象的な悪女を演じています。これらの主人公はフランス語でファム・ファタールと呼ばれ「宿命の女」という意味です。映画では一般に「男を翻弄する魔性の女」のことを指します。特に横綱格は「蜘蛛女」(1994)でのレナ・オリンが扮した女マフィア、モナでしょう。想像を絶するバイオレンスで男を屈服させる姿はかつての悪女像を一撃で打破しました。これぞ、ガーリー・ノワール。。。。
 
 日本映画のガーリー・ノワールの傑作は「さそり」でしょう。ヒットシリーズとなり、現在もアクトレスを変えて制作されていますが、やはり梶芽衣子ならではの「さそり」でしょう。特に第1作、第2作は主題からしてハードで、裏切られ疎外されながらも、人間として生きて行きたい思いを胸の奥底に秘め、それとは裏腹な復讐こそ人生とばかりに生きる、強くしたたかな、女と呼ぶにも躊躇する強烈なキャラクターは、そのクールな美貌と見事なコンビネーションで胸を打ちます。

香港ノワールとは、これは1980年代以降、ジョン・ウー、リンゴ・ラムなどが監督・製作した香港製犯罪映画の事を云います。香港ノワールは、アクション性の強さでは(アメリカン・フィルム・ノワール以外の)ハリウッド製アクション映画との親和性・近似性を備えますが、ギャング映画としての基本的ベクトルはフレンチ・フィルム・ノワールに近いです。
なかでも、チョウ・ユンファ主演作、「男たちの挽歌」「狼・男たちの挽歌・最終章」「ハード・ボイルド」、ティ・ロン主演作「野獣たちの掟」、トニー・レオン主演作「ワイルド・ブリット」などは一見の価値あり。最近作ではジョニートー監督の「ザ・ミッション/非常の掟」「冷たい雨に打て、約束の銃弾を」などが有ります。


フィルム・ノワールとは何か――あらためて映画史的にもう少しくわしく検討してみよう。
 主としてジャック・ベッケル監督の『現金(げんなま)に手を出すな』(1954)以後のフランスの暗黒街映画(フランスでは単純に探偵ものを意味する「ポリシエ」とか、暗黒街ものを意味する「ミリューもの」とよばれる)の漠然とした総称になっていますが、真の――語源的な――フィルム・ノワールとは1940年代から50年代にかけて流行した暗黒のムードと謎めいたトーンに彩られたハリウッドの犯罪スリラー(あるいは犯罪メロドラマ)をさし、ハッピーエンドこそ美徳だったアメリカ映画が白黒の映像で(まれには1945年のジョン・M・スタール監督の『哀愁の湖』のようにカラー、それもとびきり美しいカラーで)初めてアメリカの暗黒面(ダーク・サイド)をさらけ出したといわれるジャンルである。スティーヴン・C・アーリー著「アメリカ映画史序論」には、「戦前のギャング映画に飽きはじめた大衆をひきつけるために、ハリウッドが1940年代に、暗いペシミズムのムードで味つけして生み出した新しいタイプの犯罪スリラー」と定義されている。
 

人間の最も奥深い、いやしい欲望、すなわち金とセックスにとり憑かれ、突き動かされる男と女の愚かさ、醜悪さが描かれ(と云っても、ハリウッドの美男美女のスターによって演じられ)、ファム・ファタール(運命の女、魔性の女、妖婦)とよばれた悪女に魅せられて運命を狂わせられた男が――最も多くの場合、女を道連れに――破滅していくという物語が多い。ハリウッドが生み出した初めての「ハッピーエンドのない」映画のジャンルなのである。セックスだけでなく、酒や麻薬やギャンブルに溺れて堕落した連中、うさんくさい実業家や実力者、悪徳警官が横行し、「ゆがんだ愛と皮肉な運命」が主人公(かならずしも純粋で正義派のヒーローではない)を待ちうけ、「愛と暴力がベッドを共にする」世界だ。周知のように、フィルム・ノワールという呼称はフランスから生まれた。フランス語で「黒い映画」「暗黒映画」の意味である。すでに述べたように、「ノワール」とは明るく幸福な「ローズ(バラ色)」に対する暗く不吉な「黒色」なのである。「ラ・ヴィ・アン・ローズ(バラ色の人生)」という有名な古いシャンソンがあるけれども、フィルム・ノワールの世界はたとえ男と女が最後に結ばれることがあっても、バラ色の人生からは程遠い暗い人生だ。フランスには「セリ・ノワール(暗黒叢書)」という犯罪ミステリー小説の叢書があるけれども、戦後、1945年に、この叢書がパリのガリマール社から発行されるや爆発的ブームになり、これにあやかって、「ノワール」という形容がアメリカの犯罪スリラー映画にも適用されることになる。
 

 ナチス・ドイツの占領下では見られなかったアメリカ映画がどっと公開され、アメリカ映画へのフランス人の熱狂はいっきょにその極に達したといわれる。「アメリカ映画ばんざい!フランス映画くたばれ!」とまで映画狂は叫んだほどだった。それでなくても、アメリカ映画びいきのフランス人であった。1946年6月には、ジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガート、メリー・アスター主演の『マルタの鷹』(1941)、エドワード・ドミトリク監督、ディック・パウエル、クレア・トレヴァー主演の『ブロンドの殺人者』(1944)、オットー・プレミンジャー監督、ダナ・アンドリュース、ジーン・ティアニー主演の『ローラ殺人事件』(1944)、そしてフリッツ・ラング監督、エドワード・G・ロビンソン、ジョーン・ベネット主演の『飾窓の女』(1944)が次々にパリで公開され、その年の「レクラン・フランセ」誌8月号に「これがフィルム・ノワールだ!」と題するニーノ・フランクの映画評が載った。これがフィルム・ノワールの最初の命名になった。同じ年の「ラ・ルヴュ・デュ・シネマ」誌11月号には、ジャン=ピエール・シャルチエが、ビリー・ワイルダー監督、フレッド・マクマレー、バーバラ・スタンウィック主演の『深夜の告白』(1944)、同じビリー・ワイルダー監督、レイ・ミランド主演の『失われた週末』(1945)、そしてエドワード・ドミトリク監督の『ブロンドの殺人者』をめぐって、「アメリカ人もまた“ノワールな”映画をつくる」という批評を書いた。
 

 

 

 

 

 

 

 

1955年、レイモン・ボルドとエチエンヌ・ショームトンの共著で最初の研究書「アメリカン・フィルム・ノワール概論」がフランスで出版された。1960年末から70年代の初めにかけて、やっとこの名称がアメリカでも使われるようになり、映画研究誌「フィルム・コメント」の1972年春の号に ポール・シュレーダー(のちに『アメリカン・ジゴロ』『ハードコアの夜』『人妻』などの監督になる)が書いた「フィルム・ノワール論」において、次のようにその映画的スタイルが定義された。
 

 

1――白黒の明暗のコントラストによって不安のムードや危機感をかもし出す視覚的効果。
2――多くの場合、主人公の一人称のナレーションによってストーリーを運ぶ。
3――回想形式を多用したプロット。
4――ドイツ表現主義映画やフランス映画の詩的リアリズムの影響による光と影のたわむれるライティングや奥行の深い画面づくり。
5――アメリカン・ハードボイルド文学の伝統に根ざした鮮烈なリアリズムによる暴力描写と力強く簡潔な文体。
6――戦争の幻滅と不安な世相を反映した象徴的な暗いイメージ。
 

 

こうした批評的文脈のなかで、1941年のジョン・ヒューストン監督『マルタの鷹』から58年のオーソン・ウェルズ監督『黒い罠』に至る17年間が「フィルム・ノワールの時代」とみなされるのだが、それは、フィルム・ノワールという呼称もふくめて、あくまでも批評的な分類・分析でしかない。フィルム・ノワールなどという呼び方があたりまえのように使われるようになったのもごく最近のことだろう。ちょっとスノッブな流行語のように、すぐまた忘れ去られてしまうかもしれない。しかし、世に美女と犯罪のタネは尽きまじとのたとえよろしく、映画から美女と犯罪が絶えることはないだろう。
 

モノクロ中心の「フィルム・ノワールの時代」以後も、たとえば、ドン・シーゲル監督『殺人者たち』(1964)、『ダーティハリー』(1971)、ロバート・アルトマン監督『ロング・グットバイ』(1974)、ロマン・ポランスキー監督『チャイナタウン』(1974)、ローレンス・カスダン監督『白いドレスの女』(1982)、デニス・ホッパー監督『ホット・スポット』(1990)、ウォシャウスキー兄弟監督『バウンド』(1996)マイケル・マン監督『ヒート』(1995)と云ったカラー版フィルム・ノワールの名作があり、これからだって時ならぬフィルム・ノワールの傑作が生まれるだろう――映画があるかぎり、美女と犯罪があるかぎり。 

 

 

フレンチ・フィルム・ノワールの重鎮。
Jean-Pierre Melville 
ジャン=ピエール・メルヴィル (1917年~1973年) 

1917年10月20日、パリで生まれる。本名はジャン=ピエール・グリュムバック。メルヴィルの名は愛読書『白鯨』の著者ハーマン・メルヴィルから取った。青年時代は対ナチ・レジスタンスに参加。46年、『Vingt-Quatre Heures de la Vie d'un Clown』という短編映画を発表し、48年、自分で設立したプロダクションで製作・監督・脚本・編集を兼ね、長編劇映画『海の沈黙』で本格デビューする。同作は、ルイ・マル作品でも知られるアンリ・ドカエが撮影と照明を担当した。ドカエは70年の『仁義』まで多くの作品の撮影を担当する。一方、『海の沈黙』を見て感動したジャン・コクトーは、自分の原作の『恐るべき子供たち』(49)の監督を委ねる。自身のプロダクションによる製作システムをベースにした自由な映画作りは、後のヌーヴェル・ヴァーグに大きな影響を与えた。
自分のスタイルを確立するきっかけとなった『賭博師ボブ』(55)は、ジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』と並んで高く評価された。このアウトローの友情や裏切りの世界は、より磨きをかけられてジャン=ポール・ベルモンドを起用した『いぬ』(63)に結実する。
続く『L’Aine des Ferchaux』(63)にもベルモンドを起用する。そして67年、アラン・ドロンを主演に起用したフィルム・ノワールの傑作『サムライ』を発表。その後もメルヴィルは『仁義』(70)、遺作となった『リスボン特急』(72)と計3本にドロンを起用する。
 

そして、56歳という若さでこの世を去った。フィルム・ノワールの巨匠メルヴィルは、帽子やトレンチコートなどのファッションを効果的に使い独自の美学に貫かれたイメージを構築。どのドラマも友情や裏切り、復讐といった要素が濃厚で、男女のロマンスが軸になることは少ない。映像も、冷たく暗いトーンで一貫しており、クールなリアリズムが感じられる。

Filmography 
Vingt-Quatre Heures de la
Vie d'un Clown('46) 
海の沈黙('48) 
恐るべき子供たち('49) 
Quand tu Liras Cette Lattre('53) 
賭博師ボブ('55) 
マンハッタンのふたりの男('58) 
牧師レオン・モラン('61) 
いぬ('63) 
L’Aine des Ferchaux('63) 
ギャング('66) 
サムライ('67) 
影の軍隊('69) 
仁義('70) 
リスボン特急('72) 

待望の翻訳本、登場!!

「サムライ/ジャン=ピエール・メルビィルの映画人生」

      ルイ・ノゲイラ著
      井上真希 訳 
 



フィルム・ノワールDVD続々発売中!!

メナース   ¥3800。
バロッコ   ¥3800。
ヒート    ¥5300。
パリ警視j  ¥4700。
ラ・スクムーン  ¥4700。
フリック・ストーリー  ¥3800。
ボルサリーノ2  ¥3800。
サムライ     ¥3800。
危険がいっぱい  ¥3800。
現金に手を出すな  ¥2800。
仁義       ¥3800。
オー       ¥3800。
墓場なき野郎ども  ¥3800。
地下室のメロディー 「アメリカ公開バージョンカラー、フランス公開バージョン2枚組み」
      ¥6600。
冒険者たち    ¥3800。
いぬ       ¥3800。
ハーフ・ア・チャンス ¥4800。
さらば友よ    ¥3800。
ル・ジタン    ¥3800。
太陽がいっぱい  ¥4700。
ブーメランのように  ¥3800。
帰らざる夜明け    ¥3800。
パリの灯は遠く    ¥3800。
暗殺者のメロディー  ¥3800。
ビッグ・ガン     ¥3890     
チェイサー      ¥3800     
暗黒街のふたり    ¥3800
ポーカーフェイス   ¥3800
鷹          ¥3800
危険なささやき    ¥3800
死刑警察       ¥3800
情報は俺が貰った ¥3800
現金に手を出すな ¥3800
穴           ¥3800
影の軍隊       ¥3800
マンハッタンの二人の男 ¥5040
男の争い     ¥5040
天使が隣で眠る夜  ¥5040
チャオ・パンタン  ¥5040
狼は天使の匂い   ¥5040
リスボン特急    ¥1800

以上、今まで発売されたフレンチ・ノワールを中心に紹介しました!!


サントラCD紹介

フレンチ・フィルム・ノワール・アンソロジーVOL.1~'50s&'60s \2700 MSIF9687
50年代から60年代にフランスで制作されたサスペンス映画のサントラを集めたオムニバス盤。
『現金に手を出すな』『男の争い』『筋金(ヤキ)を入れろ』などの古典を中心として、
パロディ探偵ものの『草葉の陰』、異国趣味の『東京の争い』、現代風の『ピアニストを撃て』、そしてテレビ作品の『最後の5分間』など、様々な趣の作品を収録したコンピレーション。音楽はドルリュ、マーニュ、ミスラキ、ウィエネほか。全30曲収録。 

フレンチ・フィルムノワール・アンソロジーVOL.2~'70s \2700 MSIF9688 
『フレンチ・フィルム・ノワール・アンソロジー』の第二弾は2大スター、
アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンド主演作など70年代のポリス・アクションを
中心としたコンピレーション。音楽はド・ルーベ、レイ、サルド、モリコーネほか。
収録作品は『暗黒街のふたり』『雨の訪問者』『愛人関係』『リスボン特急』
『相続人』『ブーメランのように』『友よ静かに死ね』『狼は天使の匂い』他。全27曲収録。 

 

 

Two Men in Town (1973) - Trailer 

 

jeff01 

『サムライ』予告編(字幕なし) 

The sicilian clan - Ennio Morricone (Cover) 

冒険者たち Les Aventuriers François de Roubaix Laetitia レティシア 

Christian Dorisse - Le Battant (1983) 

McQ Car Chase (1974) 

アランドロン1983年来日(当時48歳)インタヴュー 

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「マカロニウエスタンとは」

 

 

 

 

マカロニ・ウエスタンとは、1960年代前半からイタリアの映画製作者が主にスペインの荒野で撮影した西部劇の総称です。ただし、これは日本だけでの呼び方で、イギリスやアメリカではスパゲッティ・ウエスタン、あるいはヨーロッパ製ウエスタン、イタリア本国では単純に「ウエスタン・アル・イタリアーナ」(=イタリア製西部劇)などと呼ばれています。

実は『荒野の用心棒』が大ヒットして世界中にマカロニ・ブームが巻き起こる数年前から、数は多くないもののドイツやイギリス製の西部劇が作られていました。さらにブームのさなかにはフランスやアメリカ製西部劇もマカロニの聖地であるスペイン・アルメニアの荒野で製作されました。もちろん、本場スペインも独自の西部劇を作るようになりました。こうした「ヨーロッパで作られた西部劇」を総称して「ヨーロッパ製ウエスタン」と呼びます。

 

 

 

荒野の用心棒

 

 

 

まあ、これが本質的には一番正しい呼び名でしょう。スパゲッティ・ウエスタンとは、基本的にアメリカ人が本場ハリウッド西部劇に対してチープなニセモノ西部劇をさして呼ぶジャンル名とされています。そして、わが日本でも少々バカにした気分で、映画評論家の淀川長治と深沢哲也両氏が最初にマカロニ・ウエスタンと命名したとされています。いまでこそ「マカロニ」といわれても定食屋で出てくるマカロニ・サラダくらいしかなじみはありませんが、当時の日本ではイタリアの食べ物の代表といえばマカロニだったのでしょう。スパゲッティはともかく、パスタなどという呼び方は誰も知らなかった時代です。その証拠に、日本のパスタ・メーカーの組合は最近まで「全日本マカロニ協会」と命名されて居たのですよね。歴史観、正義感、道徳、整合性、リアリティ……。そんな、映画評論家が大事に胸に抱きしめているような教科書的ルールのおとがめ一切なし、面白ければそれでいいじゃないか、の精神で作られた娯楽アクション映画の元祖。それがマカロニ・ウエスタンです。

 

娯楽至上主義のマカロニ精神は、のちにカンフー映画やブラック・プロイテーション・ムービー、さらにはスター・ウォーズなどのSF映画にも確実に伝えられました。悪人しか住まない町、何発でも発射される主人公のコルト、こんなもん存在したの!? と観客が呆れる暇もなく銃弾を撒き散らすガトリング機関砲、次々と倒れる数百人の悪人、どんな酷い目にあっても最後には必ず勝つヒーロー(例外もあるけど)、よく考えてみるとひどい奴にしか思えない主人公なのに、エンディングに流れるクールな主題歌にのせられて「カッコイイぜ」と思いこんだ観客たちはガンマン気取りで町へ繰り出した……。

 

時は1960年代、世界中が変わろうとしていました。イギリスからはビートルズが、フランスにはヌーベル・ヴァーグが、アメリカでは人種差別撤廃・ベトナム戦争反対のムーブメントが巻き起こっていました。そんな時に、純粋な娯楽として作り出されたイタリア製ウエスタン映画が世界中で熱狂的に受け入れられたのです。それは、ハリウッドが作りつづけてきた正統派ウエスタンへのアンチテーゼ、伝統に対する異端、安定に対する行動、クラシックに対するロックンロール!だったのです。

 

セルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』(64年)は黒澤明の時代劇『用心棒』の盗作とされ訴訟騒ぎになり(結局レオーネは謝罪し黒澤はアジアでの配給権を得た)、所詮「マカロニ」とさげすまれ馬鹿にされました。しかし、ダイナマイトの大爆発、その硝煙爆風をバックにポンチョに身を包んだイーストウッドが姿を現すクライマックスの決闘シーンは、明らかに本家よりもスタイリッシュでカッコよかった。たとえ、イーストウッドの銃が、その先にいない敵を撃ち倒そうとも、続編『夕陽のガンマン』(65年)が実は共演者であるリー・ヴァン・クリーフの物語であろうとも、イーストウッドはマカロニ・ヒーロー第1号となり、その後ハリウッドへ戻るとまるでマカロニ的としか言いようのないワイルド刑事『ダーティ・ハリー』(71年)として再生したのです。かつてジョン・ウエインらが演じていた往年のハリウッドのヒーロー像とはまったく違う、「悪」の一面を持つ人間的なヒーローのスタイルはその後もシュワルツェネッガー、スタローン、メル・ギブソンらによって華やかにスクリーンを飾り続けているといえるでしょう。
 

『続 荒野の用心棒/DJANGO』(66年)に登場する西部の町は泥だらけで、底無し沼があり、女たちは泥レスに興じ男たちは殺しあうばかり……真面目なアメリカ人なら「そんな酷い町はわが国に存在しなかった」と異議を唱えるのでしょうが、そうは問屋がおろさない。19世紀のアメリカは、大都会のニューヨークでさえ、公共の場所には痰ツボが置かれ(そのまわりにはドジな男のはずした痰が……)、馬車が主要な交通機関なために道路には馬糞がいっぱい転がっていたといいます。それが、文明から遠く離れた西部の町なら……誰でも想像できるはず。『続荒野の用心棒』の監督セルジオ・コルブッチはただ「面白くするために」そんな町を創造し、めったやたらに殺戮シーンを撮りまくっただけなのでしょうが(そのために役者が足りなくなり悪党一味の部下に顔を隠す赤いマスクをかぶらせたほど)。異端は正統になり、ハリウッドから出稼ぎに来ていたイーストウッドとは違う、純粋イタリア産ヒーローとしてジャンゴ=フランコ・ネロをも産みだしたのです。

 

マカロニ・ウエスタンは一説では10年足らずの間に500本は作られたと言われています。
『続 荒野の用心棒』とは全然関係ない「ジャンゴ」シリーズも50本はあるという。もちろん、イーストウッド、ネロのほかにも、アクロバチックなアクションと甘いマスクで女性に人気の高かったジュリアーノ・ジェンマ、ネロの贋者的にデビューしたが後期のコメディ路線でバカ売れしアメリカにも進出したテレンス・ヒル、人気があったかどうかは怪しいが何本も主演したアンソニー・ステファン、ジャンニ・ガルコ、ジョージ・ヒルトン、ハリウッドから出稼ぎに来たトーマス・ミリアン、トニー・アンソニー、マーク・ダモンといったマカロニ・スターを輩出しましたが、その作品のほとんどは映画史的あるいは映画批評的にまったくもって無視されてきました。

 

21世紀の今、60年代、70年代に量産されたマカロニ・ウエスタンを改めて見ると、意外にもしっかりした作りの作品が多いことに気づきます。史劇やコメディを作っていたベテラン監督が手がけた作品は構成がしっかりしているし、スタントマン(後にスターになった者も多い)は体を張ってアクションしている。セットは使いまわしが多いにせよ、本職が作りあげたリアリティあふれる背景だ。衣装にせよ、小道具にせよファッション大国イタリアの実力が発揮されているのです。素人がいきなり映画を撮ることが多くなり、なんでもCGで「絵」にしてしまう現代の映画作りとはまったく違う次元にマカロニ・ウエスタンは存在する。まさに、映画の中に肉体が躍動しているのです。
 

なぜ今もマカロニ・ウエスタンは世界中で熱く語られるのか。もうひとつの秘密は音楽の素晴らしさでしょう。朗々と歌い上げるバラードに乾いたギターやホーンが絡み、スクリーンに映し出されるスペインの荒野(=アメリカじゃないニセモノ)を、本当の大西部以上に雄大に感じさせ、主人公(たいていは流れ者)の孤独感を盛り上げる。オペラやカンツォーネの国イタリアの特色が最も顕著に出た特徴でしょう。決闘シーンにはここぞとばかりにドラマチックな演奏が轟き、トランペット、ハーモニカ、鞭や鐘の音や銃声といったSE……そして特筆すべきはエレキギターが主役を演じたこと。ドラマチックなオ-ケストレイションに絡むエレキ・サウンドはGSブームに乗って日本中で大ヒット。66年〜67年にかけての洋楽ベスト10は常に半分以上がマカロニ主題歌、ビートルズもローリング・ストーンズもボブ・ディランもその後塵を拝したほどでした。

 

イギリスの大学教授でスパゲティ・ウエスタンの研究家クリストファー・フレイリング氏はこう語っています。「アメリカの西部劇に日本の黒澤明の時代劇をうまく混ぜこんで生れ、世界中で好まれたたスパゲッティ・ウエスタンは、中国の麺がイタリアへ伝わりパスタとして農民たちの主食になったのに似ている」一説では、「マカロニ」の語源は古代ギリシャ語の「マカリア」で、それは葬儀で供される麦のお粥のようなものだといいます。残虐シーンと銃弾の数より多く多く人が死ぬマカロニ・ウエスタンにはぴったりの由来だと思いますが、いかがでしょう。

 

続・夕陽のガンマン 地獄の決斗

 

 

処で、東洋と西洋が交じり合い、世界的に通用する「味」となる傾向は近年特に強い気がします。ハリウッドへの香港映画人の進出、日本のアニメの世界的人気……こうした娯楽商品の国際化のさきがけとなったのがマカロニ・ウエスタンとも言えるのです。マカロニ・ウエスタン自体は、先に述べた60年代後半の世情に乗せられてか、コルブッチの『ガンマン大連合』(68年)、レオーネの『夕陽のギャングたち』(71年)など、次第にその背景をアメリカの西部からメキシコの革命へと移していき、その後、衰退していきました。最後の作品はアンソニー・ドーソン監督の『ワイルド・トレイル』(75年)と言われています。が、それは、すっかり「マカロニ」本来の濃厚な味付けとは程遠い、気の抜けた似非コカコーラのような西部劇でした。その後、『続 荒野の用心棒』の正統派続編『ジャンゴ/灼熱の戦場』(87)が作られたりもしましたが、マカロニ・ウエスタンはほとんど息絶えました。が、そのスタイル、演出、音楽などは今も世界中の西部劇、アクション映画に受け継がれています。

 

マカロニは消滅しようとも、その存在が世界中に与えた影響は甚大でした。香港では『燃えよドラゴン』(73年)による爆発的なカン・フー映画ブームを、マカロニ的やっつけ仕事で盛り上げました。どこかで見たような話に残虐味をふりかけ英語版を作って世界中に売り出したのです。ブルース・リーならぬ、ブルース・リ、ブルース・リャンなどが主役になったのは、かつて、二流三流のマカロニ西部劇の主役がみんな「ジャンゴ」だったことの倣いでしょうか。ジョン・ウーの『カラテ愚連隊』(73年)の国際版予告編には『復讐のガンマン』のテーマが使われていたほど。皆、マカロニを食べて大きくなったのだ。

 

その頃、日本ではテレビでの映画放映が大ブームになっており、なかでもマカロニは得意メニューで、日曜洋画劇場で放映された『荒野の用心棒』は視聴率24%を超え、かつてマカロニをバカにした淀川さんも、マカロニのおかげで面目を保っていたのです。レオーネ三部作、『続荒野の用心棒』『ミスター・ノーボディ』など、彼のおかげでマカロニ・ファンになった男たちが日本中に無数に歩き回っていました。さらには、作品が足りなくなり未公開のマカロニ西部劇が次々とブラウン管で日本デビューを飾りました。そして、テレビ時代劇にマカロニ調の主題曲やガトリング銃が登場するようになり、マンガの世界でも「マカロニほうれん荘」やら「浦安鉄筋家族」といったマカロニの影響大(?)と思わせる作品が生み出されていったのです。

 

 

 

 

 

世界的にもマカロニ再評価は進んでいます。レゲエ映画の名作『ハーダー・ゼイ・カム』(72年)では、映画館で『続荒野の用心棒』を見る観客が喝采する。悪徳の横行するジャマイカの首都キングストンで歌手を目指す主人公ジミー・クリフは「ジャンゴ」のようにマカロニ機関砲で悪い奴らをなぎ倒したい気分なのだ。『シド・アンド・ナンシー』のアレックス・コックスは当時のアイランド・レーベルのミュージシャンたちを集めてスペイン・アルメリアのマカロニ・ロケ地を使い『ストレート・トゥ・ヘル』(87年)を作りました。主題歌はポーグスによる『続・夕陽のガンマン』のカバーです。映画界でもマカロニの影響力は顕著です。黒人監督のマリオ・ヴァン・ピーブルズは『荒野の1ドル銀貨』(65年)のアイディアをいただいた『黒豹のバラード』(93年)を撮り、さらにはもうひとりのマカロニ・マニア、クリストファー・ランバートと組み『続・夕陽のガンマン』そっくりのストーリー展開の『ガンメン』(93年)も放ちました。クエンティン・タランティーノは「レオーネの『ウエスタン』は俺にとっての『市民ケーン』だ」とうそぶき、香港の名監督ジョン・ウーはハリウッド進出第1作『ハード・ターゲット』(93年)で『続 荒野の用心棒』さながらの“耳裂き”シーンを撮りました(アメリカではカット。またイギリスでは“耳裂き”のおかげで『続荒野の用心棒』自体が30年間上映禁止だった)。トリニティという女主人公が登場した『マトリックス』のウォチャウスキー兄弟は、『暗殺者』(95年)の脚本を担当し『ミスター・ノーボディ』 (73)の中で語られた小話を引用しちゃいました。

 

ミュージック・シーンにもマカロニ・ファンは多いのです。モリコーネの曲を必ずレパートリーに入れていた70年代のイギリスのバンドがベーブ・ルース、最近ではヘヴィ・メタルの代表的バンド・メタリカはライブのオープニングで鳴り響く『続・夕陽のガンマン』の「ガンマンの祈り」とともに登場しました。2007年にアカデミー名誉賞を受賞したエンニオ・モリコーネのために捧げられたトリビュート・アルバムでは、ブルース・スプリングスティーンが『ウエスタン』のテーマを奏でました。

 

こうして、マカロニ・ウエスタンは世界中の、映画、テレビ、音楽、マンガ、ファッションといった世界で確実に生き続けています。いわば、評論家の野心には響かなかった(そんなもの褒めても評論界じゃ偉くなれない)が、純粋な映画ファンや、アーティストたちの心には確実に根をおろしたのです。純粋に娯楽を目指す作り手たちには、マカロニはポップ・アートとして映るのかもしれません。または、徹底的に無責任に無秩序に作られた娯楽作品は、時として見るものによっては哲学的に捉えられる事もあるかも知れない。

 

 

 

For A Few Dollars More - Final Duel 1080p HD   

 

続・夕陽のガンマン The Trio [The Good the Bad and the Ugly] 

 

 

Django 1966 tribute 

 

 

「南から来た用心棒 Arizona Colt」ラオール、Raoul 

 

 

Un Dollaro tra i Denti (Trailer Italiano)  _________________________________________

 

 

今回は以上です。また更新出来たら。逢いましょう。。。。

 

 

 

 

 

今回は記事が可成り長いです。1度に読めない方は、数回に区切って読んで見て下さいね。音楽は入りません。文章だけです。宜しくです.....。それから過去記事も読んで見て下さいね( ◠‿◠ )

 

 

昨日の夕食です。馴染みの蕎麦処「笹陣」で、今回はミニ野菜天丼に「うどん」を食べました。

 

 

 

 

 

 

 

 

『GACKTの言葉』

 

此のインタビューを読めば分かりますが、彼は何事にも真面目に取り組んで居るんですよね。

 

じつはボクも、10代までは何をやっても途中でくじけていたし、すごくネガティブに生きて居たんだよ。  ただ、19歳であるメンターに出会って、「帝王学」と呼ばれる考え方を通して、「勝つまで折れない思考法」を徹底的に叩き込んで貰ったんだ。 そこから1年、教わった事を1つ1つ実践して、その思考を完全にモノにした20歳(ハタチ)の時…。「ああ、勝ったな」と思ったんだよ。  ナンパ。 「1日50人に声を掛ける」と決めて、とにかく実行して行ったんだよ。 ボク自身、若い子にこの思考法を教える為に、今もこの教育法を使ってるんだけど…。 此れって凄いトレーニングで、めちゃくちゃ傷つくんだ。鼻で笑われたり、変な人扱いされたりする事の連続だから。 でもさ、どれだけ断られようが関係ない。目標はあくまでも「時間内に50人に声を掛ける事」だから。 時間内にクリアしようと思ったら、傷ついてる時間なんかない。すぐ次に行かなきゃ行けない。 そうしてるうちに、「断られる」と言う行為がなんともなくなって来る。

 

失敗が、ミッションをクリアするうえで「当たり前に起こる事」でしかなくなる訳さ。 「打たれ強くなる、ならない」って話じゃないんだよ、これ。 失敗とは、「結果」では無く「結果を出すまでのプロセスの事」である。だから、そもそも傷つく必要が無い。 この事実を理解させる事が、このトレーニングの目的なんだ。  結果を出せる人と出せない人の違い。この答えは非常にシンプルなんだ。 「途中で諦めるか、諦めないか」。此れだけ。 結果を出す人は、途中でどれだけ失敗しようが「結果を出すまでやる」。彼らは「結果が出ない」なんて言葉は使わない。常に、「まだ結果が出て無いだけ」。 「モノゴトは『成功』と『失敗』に分岐なんかして居ない。『失敗』『失敗』『失敗』…『成功』。成功するまで一本道が続いて居るだけ」 でも、それを気合いや根性で乗り越えろと言うのはナンセンス。みんな途中で折れない為には「メンタルの強さ」が必要だと思ってるけど、そんなの必要ないんだよ。 ただ、「失敗=結果を出すまでのプロセス」と言う真実に気づけばいい。 そしてこの真実にいちはやく気づきたいなら、ある程度「失敗の数」が必要だぜって話さ。

 

まずは、「結果が出るまで努力出来る人と、途中でくじけてしまう人の差」とは、いったい何なのか。此処を理解しよう。 考えて見てくれ。どうして皆んな、「ゲーム」は何度失敗しても頑張れると思う?  これは、「ゴールしたときの喜びを知って居るから」なんだよ。  ゲームって本当によく出来てて、必ず最初のステージに“誰でも乗り越えられる簡単なハードル”を設定して、「クリアする達成感」を教えてくれるんだよ。 その後少しずつハードルが上がって行く訳だけど…。「ハードルを突破してゴールに到達する」と言うある種の“Mの快感”を刻み込まれたプレイヤーは、もうゴールしか見て居ない。 だから何度失敗しようが、クリア出来るまで挑戦しつづけられる。  一方、ハードルの先に快楽が待ってる事を知らない人は、目の前の「苦しい」「辛い」と言う気持ちばかりに目線が行ってしまう。だからくじけてしまう。

 

つまり、「結果が出るまで折れない人」になる為には、「ハードルを突破してゴールする快感」を知る事が必要なんだ。  ただ、クリエイターが絶妙に「頑張れる高さ」のハードルを設計してくれるゲームと違い…。自分の人生は自分でハードルを設定しなくちゃいけない。 世の中の殆んどの人は、この自己プロデュースが致命的に下手なんだ。  皆んな、いきなり高すぎるハードルを設定して、ゴールの喜びを知る前に挫折してしまうんだよ。 そうじゃない。どんな成功者も最初は、「1日単位のハードルをクリア出来る人間になる」所から始めるんだ。 それこそボクのナンパも、「1日で50人声を掛ける」と言う1日単位のハードルから始めた。 最初は此れをクリアするのすらギリギリなんだ。でも、3か月くらいつづけると、当たり前に出来る様になる。

 

そうしたら次は「1日で50人に『こんにちは』と返して貰う」に、その次は「1日で50人と会話に発展する」にハードルを上げて行った。 1週間は、「1日」×7。1カ月は「1日」×30。1年は「1日」×365。 人生は「1日」と言うの繰り返し。 如何に自分の「1日」の精度を上げられるかが大事なんだ。此処を疎かにして大きな結果を出せる人なんて居ない。  まずは1カ月でも十分。ひとつの事を1カ月続けられる人間って、じつはめちゃくちゃ少ないから。 そうやって「1日」の質が上がって行ったら、要約「1週間の目標」「1か月の目標」と言う様に、目標のスケールを大きくして行くんだ。 それを繰り返して「1年の目標をクリア出来る人間」になった時には、間違いなく「結果を出せる側」になってる。

 

 

 

 

 

あのさ… こう言ったら失礼だけど、「戦略」ってよく言うけど。それはもっとレベルの高い人たちが使う言葉なんだよ。 少なくとも、「仕事がうまく行かないんです」とか「途中で諦めてしまうんです」とか言ってる人たちは、はっきり言って「戦略」なんてまったく関係ない。 もっと言うと、「才能」なんて一切関係ない。 皆んな結構簡単に「才能が無いから」って話をしたりするじゃ無い? でも、「いや、才能関係無いから」って話なんだよ。うまく行かないのは、ただ「やって無い」だけ。  ボク自身も、いまだに「才能」なんて言葉は使わない。 自分で認識してるんだけど、ボクはすごく不器用なんだ。だからこそ、ただ「やった」んだよ。 殆んどの人に取って、「才能」や「戦略」なんて言葉はまったく必要ない。キツイ言葉かも知れないけど、

 

実際「自分はそのフェーズ」だと思った方がいい。必要なのは「チャレンジする回数」だ。ただ、「やれ」。 今この話を読んでるなかにも、「自分には才能が」とか「今戦略を練ってるから」なんて理由で動き出せてない人が居るかも知れないけど… 。いや今のオマエが、「才能」とか「戦略」とか… 。もう「さ」も「せ」も言うな!(笑) 才能のあるなしを、やらない理由にするな。 人生通してやるべき事をやり続けて、それでも自分が納得の行く到達点にたどり着けなかった人たち。その人たちだけが、死に際にはじめて口にする事を許されるんだ。 「才能が無かった」って。「結果が出ず自信を無くし掛けて居る人」も居ると思うけど…。 べつに 悲観する必要なんて、まったくない。だってまだ途中じゃ無い。 殆んどの人は、まだ勝負もついて無いのに勝手に挫折して歩くのを辞めてるだけ。それ、「出来ない」じゃないよ。「やってない」んだよ。 人生は死ぬまで勝負の途中なんだ。

 

「彼が17歳の時にやった引越し業者の仕事で自分は何時も一番下で階段の時に物を持つので荷物が重い。一緒に働いて居たオヤジが自分に苦しい方をさせて居るんだろうと思い。今度、運ぶ時には前の方を運びたいと言ったら。その親父が「大丈夫か?」と聞いて来たので階段の上で前を持とうとしたら、びくとも動かなかったそうです。そのオヤジは今まで自分に楽な方を受け持たせてくれて居た。そんな事も解らずに自分は相手がズルをして居ると思って居たと情けなく申し訳ない気持ちになったと書いて居る。」

 

本当は、上側で運んでたオヤジのほうが死ぬほどキツかった。 他の仕事も全部そう。彼はどんな仕事でも何も言わずにつらい方を選んで、ボクをフォローしてくれてたんだ。 「浅はかだった」と心底思った。「自分が一番頑張ってる」なんて、殆んどの場合勘違いなんだ。 「なんで俺だけ」と言いながら生きてる人が日本には大勢居るけど、そんな思い込みは今この瞬間に捨てた方がいい。 その「ありもしない被害妄想」を抱えてる限り、努力しても一生幸せになれない。

 

「要するに、普通だったらそこまで深くは考えずに。なんだ前の方が重たかったのかで終わる所だ。しかし彼は如何なる事でも学びに変える。そして相手を敬う心を持って居る。なかなかの人物だと思いますよ。そしてこう言う。」

 

今回、コロナ禍でいろんな会社が経営難に陥った。 この状況で求められる「正しい努力」とは、何だと思う?  経営視点に立って考えてみな。一発で解るから。 会社のトップって言うのは、三角形の頂点にあぐらを甲斐て座って居る人間じゃない。逆三角形の一番下で、三角形を支えるのが社長であり、会社のトップなんだ。 雇用する側は、「お金の事しか考えて無い」とか「血も涙もない人間だ」とか言われる事があるけど、違う。結果にこだわらなきゃ、利益を出せなきゃ仲間を食わせられないんだ。  そう考えた時、三角形がただただ大きくなってしまったら、支えきれなくなってしまう。 「結果」を出せる有能な人間を残して、ムダな人間は省かなきゃ行けないと考えるのは、仲間を守るために取る当たり前の選択なんだよ。 では、此処で言う「ムダな人間」とは誰なのか。 考える必要も無い。「そこに居る事」に対価を求め、結果を出す力を伸ばして来なかった人たちの事。 生き残りたかったら、「努力の仕方」を変えて行くしかない。

 

 

ヤバすぎるGACKTの熱愛遍歴!!衝撃的なその内容と熱愛彼女達の画像

 

 

そして、それに気づけるかどうかと言う分岐点が、今まさに目の前に来てる…。「キミはどう動く?」 って話だよ。  ボクが若い人たちに何時もアドバイスして居るのは、「人を雇用する側に回れ」って事。 人生に一度でも、短い期間でも、どんなに小さな仕事でもいいから、雇用する側に回れ。  起業して、人を雇う側になって、自分でお金を払って見な? 「頑張る」とは何か、一発で分かる。どんだけ人が動いて無いか分かる。 その時に初めて、「そこに居るだけ」だった、自分の頑張り方に如何に危機感を持つべきだったか。  「結果を求める側」を経験して見れば解る。 これ、「部下を持つ」「チームリーダーになる」とかでも実感出来る事なのかもな。日本は、なるべく「貧乏人」も「金持ち」も作らず、「真ん中」を増やす。 そして政治家は言うんだよ。「見て下さい。日本で仕事が無い人たちはたった数%以下です。素晴らしい国だと思いませんか」って。 でも、毎日「そこに居るだけ」の9時間を過ごす人生が、本当に幸せなのか? 自分の人生をどう生きたいのか…。今だからこそ一度本気で考えて見るといいよ。

 

「運がいい/悪い」は、あるかないかで言ったら間違いなくある。これは事実。  でも、ボクの言う「運がいい」と言うのは、90%まで到達して、最終的に200%の結果が出るとき。 反対に「運が悪い」のは、90%まで到達したけど、最終的に95%の地点で仕事が終わってしまうとき。 此れだけの違い。つまり、「何事も90%までは自分の努力で決まる」って話さ。 つまり、どれだけ運が悪くても95%までは行けるんだよって言う話。 運なんてのはその程度のもんさ。ボーナスみたいなもの。 ただし、「90%まで努力した人」にだけ出るおまけ。 世の中、何もしてないのにおまけを期待してる人が多すぎるよって事なんだ。 最後にひとつ…。今の時代、「いい言葉」なんて幾らでも読み漁れる。 でも、話を読んでも、自分がやらなきゃ何も変わらない。 キミ次第だ。自分次第だよ、全部ね。

 

取材・文=サノトモキ/私による多少の記事構成に於ける脚色あり。

 

 

 

 

 

GACKT君は私よりも13歳年下の男だ。しかし彼の言う事は全て道理が通って居る。だから私は彼の事が好きだ。男としても。そして女性がキャーキャー言う外見にしても。いい男だと思う。ただ今回の話は確かにその通りなのですけど。私には当て嵌ら無いですよ。彼の言う様には何一つ出来ない。投薬の後遺症のせいで毎日眠くて寝て仕舞い。何をやりたくても出来無い。そんな状態がもう40数年間続いて居ます。ですが皆さんは私とは違うと思います。是非彼の言う事を参考にして下さい。話は変わりますが。勝手、私が会社で働いて居た頃、ほぼ37年前ぐらいになるが。保冷車で荷物を運んで居た時に、意識朦朧として居て、保冷車から冷凍食材を出して納めた帰りに保冷車の後ろの荷台のドアが開いて仕舞った事があった。私が鍵を閉めるのを忘れて居たのだ。その当時は私は「ドンパン」と異名を持つ。飲むと気絶して仕舞う様な薬を飲まされて居たからだ。私は車の助手席で眠って居たのだが。運転して居た年配の社員が、気が付いて「危ない!!」と大声を挙げた声で目が覚めて「どうしたんですか?」と聞いたら「後ろ見てみろ!!」と言うので後ろ見たら。丁度自転車に乗ったお母さんが前のカゴに子供を乗せて居て、後ろの扉にぶつかりそうになって居たので、車を止めて、その年配の社員が後ろの扉を閉めて。怒って居た自転車に乗って居た母親に謝って来てくれた。

 

私は、とっさに荷物満載だったから落ちなかったかと思い。何故かと言うと、荷物が子供に当たったら大変だと思ったからだが、年配の社員は出来た人で「〇〇ちゃん、鍵はキチンと閉めなよ。扉が開いたら人に当たるし、だいたいが荷物が満載だから落ちるから、、」しかしこうも言った「そんなに辛い薬を飲まされて居るのかい?」だから私は正直に「働ける状態じゃ無いんですよ。本当は・・・・」と言ったら、「でも仕方が無いんだろう。働かなかったら喰ねえしなぁ、、」そして突然、大阪万博の事を言い出した。「あの頃、俺は喫茶店でコーヒーの焙煎とサイフォンでコーヒー入れて居てなぁ、、そのコーヒーの店が。大阪万博で客にコーヒー入れる事に成って。俺らが万博会場で振舞ったんだよなぁ。その時の同僚が自律神経失調症で苦にして自殺してさぁ、だから、精神分裂ってのか、今は統合疾病症?」「いいえ、統合失調症に名前が変わりました」と言ったら、「俺は高卒だけども大学に行ってもそんな嫌がらせを受けたのかい」と言うので。「よく解りましたね。宗教団体の男に半年以上付き纏われて挙げ句の果てに、、」そう言ったら「だいたい何処の宗教団体か俺には解ったよ・・・・。」と言うのですよね。

 

 

 

 

そして会社に帰って来たら。その日は営業会議で、私も出たのだけども。私の会社は飲料水で有名だったコーヒーだとかカルピスなどの飲料水のメーカー「カセイ」からコーヒー飲料を扱ってくれないかと誘いが来て居ると言い。従兄弟のあきゆきが「今回はこれを売りましょう社長。」社員に向かって「売れる楽しみを味わえるよ....。」と言って居るので私は「なんだかなぁ、、」と思い聞いて居たら社長が「〇〇ちゃんはどう思うの?」と聞いて来たので。私は先ほどの年配の社員に聞いて見て下さいと言って。「山岸さんどう思います?」と言ったら、困った顔をして居たけど。あきゆきがコップにサンプルを注いで社員全員に飲ませたのだが。私は飲んで甘いだけで何だか、これがコーヒーか?と思って、社長に年取った社員の「山岸さんの意見を聞いた方がいいですよ」と言ったら無視して、「僕より山岸さんの意見の方が、、元コーヒー扱って居たのだから・・・・」と言って、私が「山岸さんどう思う?」と聞いたら「全然、駄目だね....。」と言うので、「そう言って居ますよ。」と言ったら。社長が「私は〇〇ちゃんの意見を聞きたいんだ」と言って。あきゆきにどう思うか聞いたら「社長これはうまいです」と言って居るので。「常務がああ言って居るからいいのでは無いですか?」と言ったら「そうか〇〇ちゃんも認めた味だな。では仕入れよう」と言うのですよ。私は何で的確な意見を言って居る人の話を無視して私に聞くのかと訝しがった。そして会議はまだ続居たが、私は体調が優れず眠くなり途中で退席した、そんな事がありましたね。

 

会社の事務所の裏の私のウナギの寝床の様な部屋では。弟が私の好きだった新日本プロレスの放送をビデオにCMカットしながら録画して録ってくれて居た。私が営業会議で夜8時から始まる放送を観られ無いし。当時、丁度、藤波辰巳と長州力の喧嘩試合が話題になり始めて居たし。タイガーマスクのアクロバテックなダイナマイトキッドとの試合などをコレクションして居たのだ。120分テープに3倍モードで録画して居た。猪木はすでにスーパースターだったし。彼の延髄切りには毎回感動して居た。私は純粋に娯楽として。そして演出があろうと選手たちのファイトを凄いなぁと思い見て居たが。それを気に喰わない男たちが会社には沢山居たのだ。プロレスなんて皆んな筋書きが決まって居て。その通りに演じて居るだけで、身体何て何も鍛えては居ないんだと言うのだ。そしてある社員は私がプロレス会場に行けば解ると言い。今度一緒に会場に連れてってやると言い。

 

私はいいですよ。テレビだけで十分解るからと言うと「あれは全部演技なんだ技なんか何も掛かって居ないんだ」と言うのだ。私は人が何観ても俺の勝手だろう。自分たちは小卒か中卒。高校中退の身で、何を言えた義理があるのだと思って居たら。ある歳が行った社員が、「馬場の全日本プロレスのチケットなら手に入るぞ、どうだ?」と言うので、私は馬場が嫌いだったから断ったら、あきゆきが車に乗れと言う。そして何時もの様に先に私を車に乗せて居て。後から乗って来て、「お前は飛んだ大バカヤローだ!!プロレスなぞ観やがって、あんな八百長も解らない低脳か、やはり頭がキチガイだから解らないか。あ〜〜!!キチガイやろう!!」と言う。私は笑ってしまって。「何観ても俺の勝手でしょう?」と言ったら。「タイガーマスクなんて、倒れて居て相手がコーナの棒の上に登ったら、起きるじゃ無いか八百長だろ!!」と言うので「棒じゃなくてトップ・ロープねぇ.....。あれはダメージ受けたフリして相手を油断させて居るんでしょう?」「貴様俺の言う事聞けないのか!!プロレス何て観るの辞めろ!!」と絶叫するので「ハイハイ、プロレスは八百長ですよね。」と言ったら「ほら〇〇も八百長だと認めたぞ!!他にプロレス観て居るのは誰だ!!」と言うのだ。

 

此処でプロレスを知らない人が、この文を飛んで居るかとも思うので言いますが。プロレスのロープに選手が飛ばされて相手の処まで走って行きますよね。厳密に言えば走る必要は本来なら無いですよ(笑)でもプロレスのルールで、相手の処まで行かないと行けないと言う規則があるのですよ。プロレスは殺し合いでは無くてショー的なスポーツですから、細かいルールが沢山あるのですよ。そして技には掛から無いと行けない規則もあります。もし、レスラーが相手の技に掛から無かったら試合になりません。それに場外乱闘で確かラッシャー木村だったっけな、リングの下に首と手突っ込んで少し経って出て来たら額から血が流れて居た事もありました。確かに自分でリング下に用意してある剃刀で切ったのでしょう。しかし此れは八百長ではありません。プロレスには善玉、悪玉という枠があります。善玉のことをベビーフェイス。悪玉の事をヒールと言います。ヒールは悪役だからスーパースターの技を引立て無くてはなりません。だからそう言う演出をします。プロレスを見て居るファンはそんな事は皆んな承知で観て居ます。そして試合の流れがあります。要するにスーパースターが勝つシナリオです。そのストーリーに沿って試合が展開します。ですが。時たま。そのストーリーが気に喰わない選手も居て喧嘩試合になる事もあります。

 

最後の決め技は選手のオリジナルの技で相手の3カウントを取ります。そうですプロレスはショーなんですよ。プロのフィギィア・スケーターの華麗な滑りと同じです。如何にカッコよく華々しく試合を終えるのかはストーリーがありますが。その時の客の反応と選手のコンデション。相手の選手との確執。色々と条件が揃った上で選手各自が考えて最後のフィナーレを飾るのです。勝手、全日本の天龍源一郎は「プロレスはジャズに似て居る。いい試合は如何にスイングして居るかだ」と言いましたし。アントニオ猪木は試合の上では妥協をしませんでした。いつも武士道精神でした。それが観るものに感動を与えて居たのですよ。特に猪木は千両役者でしたね。彼の演出は鬼気迫るものがあった。いい芝居やら。いい映画を見た気分に成れました。私がプロレスを観て居た時期は小学生から少しと20歳から38歳までです。今のプロレスは演出が下手です。軽めの技で難なく相手から3カウントを取ります。やはり往年のプロレス黄金期の1970年代から1980年代でしょうね。勝手、藤波辰巳が言って居たけど「皆さんは俺たちの華々しくカッコイイ、颯爽とした姿しか見て居ないでしょう。実際問題その裏では練習生などは鼓膜が破れたり、骨折したりして居るんですよ?」昔、タイガーマスクがダイナマイト・キッドとの試合でパイルドライバー(脳天杭打ち)と言う頭から真っ逆さまに落とす技があるのですが。あまりに激しく受け身が取れずに首の骨を骨折してしまった事がありました。誰が、どのレスラーが身体を鍛えて居ないのでしょうか?

 

 

初代タイガーマスク 必殺技紹介

 

Antonio Inoki (5) 

 

 

 

 

そして話は続きます。社員旅行に行った時です。私は社長、従兄弟たちと同じ部屋になりました。バカ親父が同じ部屋に入れたのです。私はその当時。睡眠薬を飲んで居ましたが夜8時に飲んだので、9時頃には、まだ眠れません。だから部屋にあったZライトを少しだけ点けて、毎週楽しみに読んで居た週間プロレスを購入して、睡眠薬が効いて来るまで、読みながら眠気が出て来るのを待って居ました。1980年代初頭は凄い売れ行きだったのですよ。何せプロレスは大ブームでしたからね。そうしたら、一緒の部屋で寝て居た社長が「ああ、灯が点いて居ると眠れません!!」と言うのです。だから、何だろと思ったけど灯りを消して月灯りで読んで居たら、今度は「ああ!!雑誌の紙をめくる音が煩くて眠れません!!」と怒鳴るのです。私はこんな馬鹿連中は居ないだろうと思って居ると。今度は旅館の柱時計の音に対して「時計の音が煩くて眠れません!!」

 

 

 

 

そう怒鳴ったら一緒に寝て居た若い社員が「ケッ!!」と言って毛布だけ持って他の部屋に行ってしまったら。「〇〇ちゃんの息を吐く音がうるさいです!!」私も嫌になったけど薬が回って来たので、寝て、朝になって起きて見ると、もう朝の4時半から社長は目を覚まして、旅館の椅子に浴衣姿で腰掛けて居るのです」「朝食時になって、流石にあきゆきでも私に言い訳、仕始めたので。私は一言「うるせ〜バカ野郎!!。もう2度と社員旅行なんて来ね〜よ!!。バカ野郎どもが!!」と言ってそれ以来旅行には行きませんでした。大体があきゆきが、前の夜に女の子たちがチアガールの扮装して足挙げてたら「〇〇。世の中は凄いだろう〜〜!!」とまるでストリップを見るが如く言うので吹き出してしまった。確かにパンチラは見えたけどもね。

 

何しろ田舎の旅館だ。働いて居る女の子たちは皆、東南アジアの18歳ぐらいの女の子たちだ。皆、夜遅くから朝方早くまで働きづめだ。少しエッチなラインダンスは見せるは、歌謡ショーはこなすし。朝は朝食が出来る前の5時半ごろから喫茶バーでコーヒーも入れて居る。私はその中で目がくるりと大きな子に「君、国はどこ?」と言ったら「国?」と言うので「Where do you come from?」って言ったら「フィリッピン、、」と言ったっけなあ。しかしあれだけ働かされるのは大変だろうにと思う。フィリッピンの子なんて目の下にクマ作って居たからね。なんか、かわいそうだったよなぁ。日本に来てこんな仕事しかないのかなと思って・・・・・。前に、電車に乗って居たら、カンボジア人らしき男の学生が乗って居たけど周りに誰も座らないんだよね。何故そう判ったのかと言うと「カンボジアの本」持って居たから。まあ、今から30年ほど前の事だから差別があったね。日本人の愚かな処ですよ。白人の隣には進んで座るのにね。肌の色が黒いともう座らない。私はその様子を離れた席から見て居て日本人はアジアとか中東の人に冷たいなぁと思いましたよ......。

 

日本人が海外に行って、よく思われない事もあるのにさ、差別でね。アメリカ人が日本人を好意的に観てくれてるとでも思って居るのかねぇ。ジャップ。ニップ。吊り目野郎。色々言われて居るよ。芸能人だって日本人が嫌いな俳優とか女優。映画監督とか居るだろ。日本に原爆落としたのはアメリカ人の65%が正解だったと言って居るらしい。落とされた方は堪ったものでは無いのにね。ただ「火垂るの墓」のアニメと「焼き場に立つ少年」の写真には海外の人たちがショックを受けて泣いてくれたよ。アメリカ人も泣いてくれた。根本的にどこの国の人間でも感情は大方同じなんだよ。肌の色、目の色、背の大きさの違いを除けば。だから本来人は皆解り合えるはずなんだよね。実際はそれなのに差別がある。アメリカでは日本人の兵隊は若い女性を皆レイプし殺し。子供などを虐殺して脳味噌を食べたとか言われて居るの知って居ますか、皆さん。そんな事を言われて居る英霊たちが気の毒ですよね。沖縄で小学6年生の女の子をレイプしたのはアメリカ兵ですよ。若松孝二監督が、アメリカは酷いと生前怒って居ましたよ。女子高生では無いですよ?小学生ですよ?まあ、私の話は此処までにしときます。また長くなりました。

 

 

 
 
【海外の反応/アニメ】火垂るの墓 外人美女が泣きながら翻訳しました Grave of the Firefiles reaction 

 

 

 

海外・焼き場に立つ気丈な少年の姿に涙。

 
今回ご紹介する「焼き場に立つ少年」と題された1枚の写真は、
米国の写真家ジョー・オダネル氏が原爆投下後の長崎の火葬場で撮影した物で、
亡くなった弟を背負い、直立不動の姿勢で立つ少年の姿が収められています。

この写真は、少年が弟を荼毘に付す順番を待っている際に撮影されたのですが、
オダネル氏によると、少年は硬い表情で目を凝らして立ち尽くしており、
何の感情も見せず、涙も流していなかったそうです。
しかし弟が荼毘に付されている最中には炎を食い入るように見つめ始め、
その唇には血が滲んていたとオダネル氏は回想しています。

写真を取り上げた投稿には、少年の姿に日本人の特別な精神性を見出す声など、
多くの反応が海外から寄せられていましたので、その一部をご紹介します。

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■ 少年の気高さと力強さに敬意を覚えた。
  あの年齢の子供がこれだけの責任感を持っているなんて、
  ちょっと信じられないよ。 +4 オーストラリア




■ 涙が止まらない。
  こんな悲しいことは二度と、絶対に起こしちゃ駄目だ! カナダ




■ こんなに人の心を揺さぶる写真は他にないだろ。 +4 アメリカ




■ なんて強い子なんだろう。気丈な少年に敬意を。 +2 国籍不明




■ 日本人の高潔さであったり責任感の強さであったりは、
  生まれ持ったものなのかもしれないね。 カナダ




■ この写真は核兵器の愚かさを伝えるものとして、
  ずっと語り継がれていく必要があるな……。 +59 カナダ




■ アメリカ政府こそ真のテロリストだったように思うの😟 +3 アメリカ




■ こんなに心を揺さぶられる写真に出会ったのは初めてだ。
  人間はなんて残酷なんだろう。
  そして、なんて気高い存在になれるんだろうか。 アメリカ




■ 少年の気丈な態度を見てると、胸が張り裂けそう。
  あの子がどんな辛い現実を目にして来たのか想像もつかない。
  気高い魂と勇気があの子を支えているのね。 +3 国籍不明




■ あんなに小さな体なのに、素晴らしく強い精神を持ってるね。 メキシコ




■ 「火垂るの墓」を想起したのは僕だけじゃないよね? +3 カナダ





■ この勇敢な少年は、どんな男性へと成長していったのかしら。
  本当に心を揺さぶられました。 +12 アメリカ




■ 政治的なコメントは求められてないことは分かってる。
  それでも言わざるを得ない。
  アメリカは原爆なんか使わなくても日本に勝てただろ。 +4 アメリカ




■ 原爆投下前に日本が降伏に動いてたことを現代人はみんな知ってる。
  アメリカは原爆の威力をテストしたかったんだよ。
  もちろん全てのアメリカ国民や連合国が知ってたとは思わないよ。
  だけど少なくともトルーマンや軍部は知っていた……。
  残念ながら今となってはその証拠は残ってないが。 +13 イタリア




■ 誰が悪いとか、今となっては詮無いことでしょ……。
  俺はただただあの勇敢な少年に感銘を受けてる。
  彼はまだ幼い少年であっても、日本人であり、
  そしてサムライだったんだ。 +6 オーストラリア




■ 僕ならあんなに気丈に振る舞えない。強いなぁ……。 アメリカ




■ あの男の子はおそらく、天涯孤独の身だよね……。
  このあと、どんな青年に成長したんだろう。 +5 カナダ




■ 当時の日本は軍国主義ではあったけど、
  それでも他の国の人たちと比較した時、
  日本人の精神性は一番高潔だったと思う。 +12 ベトナム





■ こんなに直視が難しい写真に出会ったのは初めてだ。 +212 アメリカ




■ 日本人は幼い頃から強い男になる準備が出来てるんだな……。 アメリカ




■ 70年が経った今も戦争はなくなっていない。
  俺たちは何も学んでこなかったのか……? +4 カナダ




■ 心が痛い……。
  しかしあの少年の精神の強さと気高さは見事だなぁ。 +1 アメリカ




■ とても凛々しい表情をしてるけど、
  そこから読み取れるのは、悲しみだけ……。 +2 アメリカ




■ 今もご存命なのかしら。
  あの姿勢が全てを物語ってる。辛くても強くあろうとしてるのよ。
  あの小さなサムライがどれだけの悲しみを背負っているのか、
  私たちには想像もできない。本当に、本当に悲しい。 +8 日本在住




■ 心が引き裂かれるような思いだ……。
  確かにアメリカを先に攻撃したのは日本かもしれない。
  だけど彼らはその代償を受けた。
  日本人は国のために戦った兵士達に敬意を払っているけど、
  アメリカに戦争を仕掛けたことは誇ってはいない。
  そのへんは歴史を修正しようとするネオナチとは違う。 +5 ギリシャ




■ 悲しすぎる。
  戦争で一番被害を受けるのは一般市民、特に子供なんだよ。 +7 インド




■ この写真を撮影したジョーは数年をかけて、
  あの少年をまた見つけ出そうとしたんだよね。 +2 アメリカ




■ アメリカが日本で「実験」をしたのはかなりひどいこと。
  それでも日本人はアメリカを恨んでいない。
  そういう精神性を持つ国民だからこそ、
  破壊された都市を復興させる奇跡を起こせたんだと思う。 +18 イタリア




■ 日本人は、なんて気高い民族なんだろう。
  あんな小さな子供でさえ、高潔な精神を持ってるんだ。 +52 ベトナム




■ 自分の祖国が過去に外国の一般人に対して、
  こんなひどい事をしたなんていまだに信じられない。 +2 アメリカ




■ 少年の目と姿勢から、断固とした決意と勇気がうかがえる。
  一般的な大人でさえ目にしたことがないような色々なことが、
  少年の目の前で起きてきたんだろうな。 +2 イギリス




■ とても強い人たち。それが日本人なんだよ。 +3 アメリカ




■ 強い子だ。俺だったら耐えられない。
  しかし子供が苦しむ姿は本当に嫌なもんだな……。 +1 ポーランド




■ 悲劇の最中に子供があれだけの落ち着きを……。
  日本人はどんな悲劇に見舞われたあとであっても、
  常に素晴らしい気高さを見せてくれるね……。 イタリア




■ この写真から目を背けてはいけない。これは歴史なんだ。
  そして過去があったからこそ、現在の世界がある。
  今はただ、あの少年に敬意を表しよう。 +7 スペイン
 

 

 

 

 

『大バカ女』

今から18年程前に、実家の駅の近くにあった中華料理店に母と二人で行った。そこには賄いのおばさんが居て、私は母が認知症だから母を気遣い。当時はまだ、スマホでは無くて携帯電話だったから、携帯を見せて二人で話して居たのだが、その様子を見て居たそのおばさんが、ニヤニヤして私たちを見て居た。そして、コック長にこう言ったのだ「あの二人出来てるよ。あの若いのツバメだよ!!」そして私はレバニラ炒め定食を頼み母は広東麺を頼んだのだが。そいつが料理を持って来た時に母にコップの水を引っ掛けた。母は認知症だから何されたのかよく解らない。私は頭に来て携帯で近所の知り合いの派出所の警官を呼んで事情を説明した。そうしたら、そのババアは初めはわざとでは無いとか言って居たが、暫くすると「何さ、60にもなって30ぐらいの若い男を咥え込んで!!あたしゃ、頭に来たのさぁ!!」と言った。私は警官に一緒に居るのは母親で。此処へは数回食事を食べに来たが何時もいやたらしい顔をして。あの、おばさんが対応して居たと言った。警官はそのババアに「水は故意に掛けたんだな?」と問いただすと。「若い男がレバニラ炒めなんか食べて居るのは、この後、ラブホテルに行って懇ろになる為だろう?」と警官にそう言った。警官は黙って私を見て、「どうしますか?こう言った場合。侮辱罪にもなるし名誉毀損で訴える事も出来ますが?」そう私に言ったから。

 

私が店の責任者と話をしたいと言うと。店の責任者のコックが出て来て平謝りに謝った。その時に店には客が3組ほど居たが。皆、苦虫をすり潰すような顔をしてそのババアを見て居た。そして私は別に何もしないが2度と此処へは来ないと言ったら。コック長は料金をタダにするからそれで勘弁してくれと言った。私たちは料理だけ食べて二人で帰って来た。その後その店は悪い噂が広まり潰れた。毋は何時も歳より若く見られる。私の家系は皆若く見られるし、私もだが色が白い。よく訪問看護師の女の子たちから「色がなんて白いの?いいわよね。」と言われるが。当時、母はもう70歳近かった。母が福島にいた頃だ。田舎で女学校の帰りに畦道を歩いて居るとすれ違う男たちから「この色女!!」と罵声をよく浴びせられたと言って居た。私の自慢では無いが、母は色が白くて東北美人だ。母が18歳ぐらいの頃に、役場に勤めて居たらそこの人から顔を洗ってみろと言われて、冬なのに、しかも東北だ。母はまた従わないと親が居ない身だから何を言われるか解らない。自分がそこをクビになったら。2人の妹たちはどうなるのかと思い。

 

仕方が無く顔をバケツの汲み置きの冷たい水で洗ったそうだ。そうしたら、ただでさえ白い顔が寒さで凍りつくような水で洗ったから青白くなったそうだ。そうしたら、そいつは「なんだか厚化粧をして居るからと思って顔を洗わせたら、ますます白くなったぞ」と言ってそれから母の事を色女とは言わなくなったそうだ。母が中学生だった弟と一緒に和気藹々と話をしてデパートからタクシー乗り場に行った時だ。あるババアがこう言い放った。「あの女あんな若いツバメとデートした帰りなんだ!!」一体どれだけバカな中年のババアが多いいか!!当時母は50歳ぐらいだ。母はよく近所の八百屋に行って話をして居て子供が3人居ると言うと。皆んな腰を抜かして「お嬢さん、まだ20ぐらいだろう冗談はやめてくれ」と言って誰も信じないと言って30代の頃に困って居た。

 

私は小学生の頃に若かった母がタンクトップにミニスカートを履いて私の手を引いて新宿に行った時に思った「僕のママはこんなに美人で色が白くて素敵なんだぞ」と自慢だった。丁度、1969年ぐらいだ。ババアは、ほとほと嫌になる。此れは日本だけが特有な事なのだろう。外国では歳を重ねて居て若いと言う事は。誉なのですよ、周りの皆んなも絶賛してくれる。日本だけだ。村社会で閉鎖的なのは。そして色魔が多い。男も女も。現にネットを観て見ろ!!どれだけ破廉恥な画像が垂れ流しになって居るか?外国では一部の有料ポルノサイトでも無い限りネットで猥褻画像は見る事は出来ない。日本人は男も女も最近は色魔が大いいのですよ。日頃からおばさんたちはセックスの事しか考えて居ないから。今書いて来た様に歳を取った美人が自分の息子と歩いて居るのにツバメだと言って勝手に絡んで僻んで言うのですよね。

 

嫌われるおばさんは、一言で言えばどうしようもない人でしょう。ダメ人間と考えても良いかも知れません。その様な人から、たとえ嫌がらせをされても仕返しをしない方が良いでしょう。そうする事で、さらにエスカレートし、手が付けられなくなるでしょう。人間関係は距離感が解決してくれる事もあります。関わらない事が一番の策かも知れません。

 

私の親戚のおばさんで、私が小学校高学年の時に隙間棚を工作で作って家に置いて居た事がありました。そうしたら、それを見て「あら見て!!何時こんなに高価な棚を買ったのよ!?」と言うのですよね。私は「それは自分が作ったんですよ....。」と言ったら、「あらだって、ニスだって塗ってあるじゃないのヨォ!!」私が幾ら自作したものだと言っても信じずに、「なんで、こんなに高価な棚を買って贅沢をして居るのよ!!。」と言うのですよね。私は見かねて「欲しいんですか。なら挙げますよ?」と言ったんですよ。そうしたら「あら、こんなに高価な棚貰えるなんて貰って行くわよ!!」と言って持って帰りました。私は最低な父方の親戚は大嫌いだ。最低なバカなババアだと思いましたよ........。

 

 

 

私も兎角若く見られる。最近になって要約、いい加減に歳になって来て年取って見えるが。周りは皆んな酷い人になると62歳の私を40歳、いや酷い場合は30代後半に観て居る人が居る。この事は何遍も言うけど。弁当屋に僻まれたり「あんたさぁ、何なわけぇ、まだ若いんでしょう?カッコつけて髪長くしてるだけなの。それともミュージシャンな訳?一体何?」だから言いました「これでもミュージシャンですよ?いけないですか髪長くて!!」そう言ったら「根掘り葉掘りお聞きしてすみませんでした」と言って帰って行ったし。美容院で僻まれたり、「おい、あいつ男かあれでも?おりゃ、女かと思ったよ?」私と美容師は黙って居た。「こんなバカが頭禿げ掛けて居るのに。何で美容室に来るんだよ」とね。だから私はもう弁当屋に電話を掛けて言った。ドアの横に弁当ボックスが置いてあるから。そこにドライアイスと一緒に毎日弁当は入れといて下さいと。集金の時だけチャイムを5回鳴らして下さい。そうしたら集金のお金を払いに出ますからと言ってある。だってね。別の配達員からも「あんた、まだ、若いんだろう。長髪にしてカッコつけてさぁ。黒いロングベストに黒いシャツ着てさぁ!!何なわけぇ!!」とも言われるのだから。下のアパートの住人には私は62歳だと年齢をわざと明かしてある。そうすれば話が近所に廻ると思ったからだ。でも自分でも不思議と鏡を見て居て体が浮腫んで居ない時にはあれ?40代に見えるかな?と思う時もある。「背負ってらぁ〜」と言われるだろうけどね。まあ、確かに私は若作りだし。気が若い。

 

大体が70歳以上の人は漫画と言っても殆ど興味が無い人が多いが。本来ならば全共闘世代は漫画が好きだったはずなのだが。矢張り60代以前の人たちが、圧倒的に漫画をよく知って居て読んで居る。アニメもそうだ。70代は殆ど皆知らない。私は此れでも若い頃にこの事は何遍もまた言うが。アニメーションの演出家を目座した時期があるから。アニメは最近のものも見て居るが...。現に、私が自分よりも若い女性に「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を進めてファンにさせて居るぐらいだ。私は女性が好むものでも若者が好むものでもいいと思えば自分に取り入れて居ますよ。何でも参考にする。だから場合によっては下手な若者よりも知識がある事もある。歳取って居るから、当たり前だと思われるかも知れないけど・・・。人は結構学んで居ないものですよ。私が、だからと言って人よりも学んで居るとは思えないけど。特にお年を召した方々に言いたい。何遍も口を酸っぱくして言って居るが。何時までも昭和30年代では無いのだから。それは私も1950年代生まれだから気持ちは分かる。

 

しかし、この21世紀にもなって「ロックは不良のやる音楽だとか」?、、何、時代錯誤も甚だしい事を言って居るのだと言いたくなります。それは好みもあるでしょう?ロックが嫌いな人も居る訳でして、、私は音楽は何でも聴きますが。ただ、私とてロックの中でもグラム・ロック。ソフト・ロック。ヘビメタ。プログレッシブ・ロック。パンク・ロック。最近ではガレージ。ノイズ。ビジュアル系などと色々な波形形態の音楽が出始めて居ますよね。私はロックは昔は知的なものだったのにパンク・ロック(自分らを最低なやろう)と言って出て来た。パンク・ロック辺りからロックの衰退が始まったと思って居ますけどね。まあ、でも私はジャズもロックもブルースもクラシックも同列に考えて聴いて居ますが。普通は何か一つのジャンルに留まってそれ以外聴かないものですね。私はタンゴもボサノバもシャンソンも聴きますが。ある時に浅川マキの歌うシャンソンを聴いて居たら。やって来た女の子が、「なんて変な曲聴いてるの?」と言って居たから。

 

だから私が「浅川マキが歌っているシャンソンだよ?」と言ってもシャンソンの事を知らない。だから、「浅川マキは全共闘世代から支持されたアングラの女王と言われた歌手だよ」と説明した。それでも訳解らない顔をして居たけどね。だから言った「浅川マキが亡くなった時に、ニュース番組で特集を組んで。「アングラの女王」が亡くなった。これで一つの時代が終焉したと言ったんだよ。」と言った。私は美輪明宏さんを尊敬して居るけど。その子は。「何であんな男のくせに。女装して居る人のどこがいいの?」と私に聞いて来た。だから私が彼女(彼)の功績を聞かせて紫綬褒章も貰って居る人だよと言っても。よく解らない見たいだった。最近では、GACKT君でさえ、嫌う人が居る程だ。ただある人からこう言われた・・・・・・。

 

「あなたはいいけど。酷い人は眼も当てられないわよ」.....。「それって皮肉かなぁ〜」とか一瞬思ったけど、、そう言う事では無い見たいだし、、最近、馴染みのミニストップやらセブンイレブンの店員さんから好意的に見られる事が多くなった。何時も買いに行くからだが。私の格好が何時も黒い服を着て居るからだろう。もう覚えられて居るのですよね。だから私は悪い事はこの町では出来ないですよ。話が大分ズレて仕舞ったけど。若く見られるのはイイ場合もあるけど。矢張りある程度は歳に見えないと。自分の実年齢に見えないとおかしいですよね。私の弟は色が白いのを嫌って日焼けサロンで肌を焼いて居たっけなぁ、、その事を訪問看護師の女の子に言ったら。「何て勿体無い事してるんですかぁ!?」と吃驚された。何故、私も実年齢よりも多少なりとも若く見られるのだろうと思ったら、シワが無いのですよね。顔にね、、最近になって豊麗線が要約出て来て、矢張り年取ったなぁと流石に思いますが。それも疲れて居ると目立つけど。普段はそんなに目立た無いですね。それに長髪にすると可成り若く見えますよ。男性諸氏には長髪をお勧めしますよ。それでは今回は此れぐらいにしときます。あと少し話はまだ継きますが一旦此処で休憩です。。。

 

 


 

 

 

 

 

 

最近、大評判で大ヒットになって居た「鬼滅の刃」をある女の子が観に行ったのだと言う。しかも泣きたくて、泣ける映画だと言うから観に行ったのに、全然泣けなくて面白いことは面白いのだが、ともかく泣ける映画ではなかったと言うので、私は京アニのアニメでは「聲の形」と言う泣ける映画が「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の他にもう1本あるじゃ無いかと言ったら。知らないと言うので、ストーリーを話して聞かせた。

 

 

 

『聲の形』

 

「小学校に、ある可愛い女の子が編入して来る。しかし彼女は障害を持って居て耳が聞こえなかった。そのクラスのガキ大将、石田将也は、その子に興味を示すが、それはその子に対して残酷なものだった、西宮硝子をからかい、そしていじめ始めたのだ。そしてからかったのは生徒の半分ぐらいの子たちだった。彼女の補聴器は貸して見てと言われて、将也に校庭に窓から投げて捨てられた。捨てられた補聴器は8個にも及んだ。そして将也がある時に硝子の両耳から補聴器をもぎ取ったら彼女の耳から血が流れて来た。それでも友達たちは「お前やりすぎ〜。」としか言わなかった。彼女を庇うのは同じ同級生でも優しい女の子の一部だけだった。他は知らん顔だった。

 

そんなある日一人で居た彼女に将也は小石をぶつけて、こう言うのだった。「お前さあ、うまくしねえと皆んなから、うざがられるんじゃねえの?」すると彼女は指を自分に差し、次に彼に差し両手を握った。手話が判らない彼は一言「気持ち悪いんだよ」と言って彼女に砂を掛けた。それから数日経って、彼は自分の机が綺麗な事に気が付いた。何と硝子が毎日きれいに布巾で拭いて居たのだった。それを観た彼は硝子に掴みかかり二人はもつれ合って叩き合いになって行った。泣きながら怒って彼女は抗議した。将也は「何言ってるかわかんねえよ!!」と言って居た。

 

そして、それから、数日して彼女はスケッチブックに「ごめんなさい」と書いた。しかし石田将也は、「言いたい事があれば言えよ。」と言って、その連絡用に使って居るスケッチブックを、学校の用水路の中に放り投げて仲間たちと「行こうぜ....。」と言って居なくなった。それから暫く経って西宮硝子は学校を辞めた。そして小学校の校長と担任は彼女をいじめて居た人物を探した。担任にはすぐに分かった。「いじめてたのは石田だろう!!」と将也に迫った。彼は周りも半数の生徒がいじめて居たと言い張ったが。彼一人のせいになった。

 

それから今度は同級生たちは彼の事を仲間外れにし、いじめ出した。彼は中学の新学期に一番仲が良かった同級生に。「石田はいじめっ子だから声をかけるなよ」と言われて居るのを知った、、彼は悟った。「自分のした事は悪かった。これが罰だ自分はもう一生誰からも相手にされないだろう。」そして全財産を銀行から下ろし。母親の寝て居る枕元に置いて自殺しようとした。しかし死にきれなかった。そして時は流れ彼は高校生になって居た。そして何と同じ高校に西宮硝子が居ると聞かされた。

 

彼は彼女が居るクラスまで。自分が用水路に捨てた、彼女が小学生の頃に大切にして居た、連絡用のスケッチブックとフランスパンを土産に買って出向いた。もちろん彼女に謝罪するつもりでだ。彼を見た硝子は初め嫌がって逃げるが。彼は彼女を追いかけて言った。自分を指差しそして彼女を指差し両手を握った。それは彼女が小学校の時に散々彼にやって居た手話だった「君と友達になりたい」そう言う意味だったと将也は自分の頬を打って「要約分かった」と言った。そして許しを乞うた。目の前にいる西宮硝子は可愛くそして綺麗な17歳の女の子になって居た。

 

彼はスケッチブックを顔に当てて涙ぐむ彼女に言った。「泣かないで、泣くなよ、、西宮」

彼女は手話で聞いた「手話どうして分かるの?」彼は言った。「あっ、勉強した」それから二人は付き合い始めた仲間の女の子の意地の悪い子が二人で居る所を見て将也に言った「いじめて居た奴と仲直りして付き合ってんの笑う〜〜。」私は思うが二人は両方とも孤独だったのだと思う。だからこの後の展開があるのだ....。そしてある夏休みに硝子と二人で雄大な自然の景色を見に行ったら、何故だか彼女は浮かない顔をして居る。いや誘った時から浮かない顔をして居た。

 

彼は何故だろうと思って居たら、彼女が自分を指差しそして彼を指差しそれを手で切る仕草をした。「私と居るとあなたは不幸になる」そう言ったのだ。将也は「何言ってんだよ、そんな事ある訳無いだろ!!」そう言った。それから暫く経ったある日、友達と硝子と将也は祭りに出かけて花火を見た。西宮硝子は浴衣を着て笑顔で見て居た。そして彼女を家に送って行き。一旦は帰ろうとしたが、言い忘れた事があると戻ると硝子は居なくて、窓の隙間からベランダの上からガードの上に彼女が登るのが見えた。将也は慌てて止めようとして椅子にぶつかって倒れた。しかしすぐに立ち上がって聞こえないであろう彼女に、彼女の名を精一杯の声で叫んだ「しょうこ!!」そして落ちた彼女の腕を必死で掴んで引っ張り上げようとして居た。

 

彼は祈った。「神様。僕に力を下さい。明日からちゃんと周りを見ます。生きる努力もします。だから力を・・・・」すると彼女は自力で、もう片方の手でベランダを掴みそして上に上がろうとした、しかしその反動で将也が下まで落ちて行った。下は川だった。将也は重傷を負ったが助かった。彼は病院に入院した。彼女は塞ぎ込んで居た。そこに彼の女友達の一人がやって来て言った「てめえ!!何様だ。死ぬなら自分一人で勝手にくたばれ!!てめえのせいで将也は命なくす所だったんだぞ」そう言いながら彼女は硝子を袋叩きにした。それを見て居た硝子の母親が止めに入った。するとその子が硝子の母親に言った「てめえ何様だ。ちゃんとガキの躾が出来ないならガキなんか産むんじゃねえよ!!」すると今度は石田将也のお母さんが止めに入った。

 

すると硝子は彼女の足元に跪き。いつまでも、いつまでも「ごめんなさい。ごめんなさい」と喋れない声で泣きながら謝り続けた。それから暫く経って彼女が寝て居たら、夢の中に石田将也が現れて「硝子、じゃあな〜」。と居なくなる夢を見た。彼女は飛び起き、サンダルを履くと彼が落ちた川のそばの橋の上に立ってそして蹲るとすぐに声をあげて「あああああ〜」と泣き叫んだ。その頃、石田将也も何かを感じ「硝子に会わないと彼女は無事か、、」とベットから点滴を外して起き上がり、病院を抜け出して、彼女の家まで行こうと橋のところまで来て西宮硝子が泣いて居るのを見つけて声を掛けた。

 

すると彼女はふらふらと彼のもとに来て人差し指で彼を触ると、後ろに下がってそして座り込み彼に謝り始めた「私が死のうとしたから、あなたが、落ちた、私のせい」口が聞けない彼女が必死に彼にそう言って居た。将也は彼女の肩にそっと触れて落ち着かせると言った。「君に頼みがある。僕が生きるのを手伝って欲しい」告白だった。彼女は安堵して小指に小指を掛けて。「約束?」と言った。彼女は次の日に嫌がる将也を連れて早足に高校の文化祭に連れて行った。彼はしかし何故か下ばかり見て周りが見れない。そんな将也に硝子は「そのままでいいよ」と言って慰めた。彼は仲間たちに言った。「皆んなに頼みがあるんだ。今日一日文化祭を皆んなで見たい」そう言った。彼は仲間たちと文化祭を見て廻った。すると誰もが彼を見て微笑んで居た。彼の眼からは大粒の涙が溢れ出して居た。彼は男泣きに泣いた。彼は許され、そして愛を得たのだった」

 

 

 

この話をしたらその女の子は、「話は聞いて見るものね。人の話が役に立つ。」と言ったので私は「観て見なよ」と言った。今巷では「鬼滅の刃」が大ヒットを飛ばして居た。凄いヒットだ。私は此間テレビシリーズの初めを少し観ただけだ。だからいいとも悪いとも言えない。しかし、私には合いそうも無いなと思った。あれは若者が見て喜ぶ話だ。私は此処の所。自分より歳を取った人にもっと若者の文化も取り入れて見てはどうだと言って来た。しかし、矢張り、歳には勝てない。まあ、観て居ないのだから判断の下し様は無いのだが、初めの5分で、「何だか此れは自分の様な歳のものには無理だな」と思ったのですよね。私は「エヴァンゲリオン」は何とか解るし最近のアニメは絵柄が少し気に食わなく思うけど。まあ、見て居る方です。しかし、この「鬼滅の刃」は自分には合いそうもない。要するに私も老人になったと言う事です。下にある女性への返信のコメントですが、「聲の形」の事を書いて居るので。此処にも貼り付けて置きますね。

 

 

 

 

この作品「聲の形」はついこの間テレビで放映して居ました。
私は持って居なかったのでBlu-rayに録画しました。

もうこの作品を作って居たアニメーターたちには会えません。
そう、京アニにガソリン撒いて火をつけた精神異常者に38人も
殺されてしまったからです。皆んな優秀な若者たちでした。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が彼らの最後の作品になったのでしょうね、、
あの惨劇の後に、現場にはドイツやら、ノルウェイ、イタリア、フランス、
アメリカの京都アニメの作品のファンが来て献花台に花束を添えて
ローソクを灯して夜遅くまで日本のファンたちと一緒になって
お祈りをして居ました、皆んなこの「聲の形」が好きだったんですよ。

私はこの作品は今から17年ほど前に入院して居た病院に
確か新人漫画賞入選作品として「別冊少年マガジン」に掲載されて
居たものを読んで、見ながら涙が滲んで来た事を覚えて居ます。

アニメも素晴らしいですが。原作の漫画の方も素晴らしいですよ。
当時若干19歳でこの作品を描いた大今良時君と矢張りそれを
アニメ化した山田尚子監督。そして素晴らしい声優陣たち。

元ガキ大将の主人公と聴覚障害があるヒロインの切ない青春を描い
た名作アニメですね。私は最近のアニメは余り見ないのですが、、
この作品は一度。配信で見て、気に入って居たのですよ。

だからこの間のテレビ放送は本当にありがたかったです。
是非、アニメ。漫画共々観て見て下さいね。
いい作品は世代も時代も性別も超えて普遍的な輝きを
持って居るものですよ。

確か漫画の方は単行本8巻ぐらいあるのかな、、アニメで描いた
その後の話が続いてあるのでしょうね。私は漫画の方は
「別冊少年マガジン」入選時のものしか見ておりませんが。
絵柄はアニメよりも精密だった様な気がします。
とにかく泣けた漫画でした。


何故か書きたくなりました。多分私が此間自殺しようと思った
事があったからでしょうね。 障害は苦しいですよ。

でも、まあ、今は余り悲観的には思っては居ません。
人は生きていれば皆んな辛いですからね・・・・。

 

 

 

聲の形 自殺シーン

 

聲の形 ごめんなさい

 

 

【聲の形】西宮がベランダから・・、その後の展開に涙が止まらない外国人の反応【海外の反応まとめ】

 

 

【MAD】Koe no Katachi - Koi wo Shita no wa (恋をしたのは)

 

 

【聲の形】外国人美女が大号泣...映画を初めて見た感想は?【海外の反応】

 

 

今回は。此処までです。もしなんか感想でもあったらコメント貰えれば嬉しいです。それではまた何時になるかは解りませんが。それまでまた。。。。

 

 

読んで見て下さいね。皆さんは身体が丈夫な人たちだと思いますので。精神病の事など聞きたくも無いと言う人も居られる事でしょう。しかし文章なら読む事が出来るかと思います。

まず、この動画を見て下さいね。

 

全員が泣いた感想文 

世界中が感動したタイのCM3本立て 

 

 

障害を持った女の子の話と.....。

その話と。そして会社に居た人たちの話。あと同棲についての話です。では読んで見て下さいね。宜しく........。

 

 

 

『ある障害を持った女の子の話.....。』

 

 

 

 

今回はある障害を持った女性2人の事を話したくなりました。何時もは文をよく確かめるのですが今回は確かめずに投稿します。そのほうが良いと思って。したがって誤字などありましたら御注意願います。人は弱いものです。すぐ楽な方にと片寄って行ってしまう。今の時代。悪い事は蔓延して居ます。健康面も道徳面も、そして私は今女性が狙われて居る事に危機感を持って、よくニュースなどを観て居ます。ネットを見れば、どれもこれも悪い情報が蔓延って居ます。今回、話す話は以前にも話しました。しかし、今回はもう少し深く話して見ました。聞いてやって下さい。今回はその話とあと2つの話だけです。

 

 

 

 

そして最初と最後にあるアニメの短い動画を入れて置きました。障害を持つ女の子といじめた男の子の高校生になってから再び出会った許しと再生の物語です。京都アニメーションの名作「聲の形」です。まずそちらからご覧下さい。

 

 

【MAD】聲の形「打ち上げ花火」 

 

映画 「聲の形」 紹介 - THE SHAPE OF VOICE - 

 

【MAD】Koe no Katachi - Koi wo Shita no wa (恋をしたのは) 

 

 

 

こう言う話をある若い女の子から聞いた事がある。その子は京大を主席で卒業して居た。とにかく頭がいいのだ。しかしその子は精神を病んで居た。そして、その子が言うには本は買わないと言うのだ。私が「どうして?」と聞くと一度読めば全部頭の中に入って仕舞うと言うのだ。記憶してそして2度と忘れないと言う。一度読んだだけで、だから京大を主席で卒業したのだ。前にも書いたがその子は多重人格者だった。道を歩いて居ると突然、人格が入れ替わり。周りの人がびっくりして居るのは判るのだが、本来の自分はすぐに消えて仕舞い何も分からなくなると言うのだ。その子には3人の人格があり、そのうちには自分とは正反対の性格の乱暴だが陽気な人格と、8歳ぐらいの子供の人格があると言って居た。私は彼女を見守って居た。私なぞは頭が悪いから本を読んでもすぐに内容の事は忘れて仕舞う。だから、手元に本が無いと非常に困って仕舞うのですよ。だから、本は図書館で借りるのではなくて、なるだけ購入する事にして居る。最近では、あのホスト界の帝王のローランド君の自伝記も購入して居る程だ。ケア・マネジャーが夏に来た時に「これ、買ったんですかぁ〜」と呆れて居たが。確かに読んで見たら、彼はまだ若すぎて居て、内容は余りいいものでは無かったが。文体は彼のビックマウスにふさわしく。しかも丁寧な文体で面白くは読めた。そして彼の兄貴分と言われるGACKT君の本も2冊ほど購入した。読んで居て彼のセンスの良い文体と、緻密でずっしりと内容がある事に驚いた。彼は非常に苦労人で頭がいいのだ。

 

私のアパートの部屋は何せ狭い5畳半のお勝手に6畳間の和室に、風呂、トイレ別には付いて入るが、お勝手が幸いにも6畳近くあるので、本棚一つとカラーボックスに入れた本とCD,DVDが置けた。6畳間にも本棚が一つそれにDVDーRとDVDソフト、レコードが置いてある。書籍の冊数は900冊には一応はなる。まあ、本当に書籍を持って居る方から見れば、大した冊数では無いだろうが....。

 

 

 

 

話はその子の事です。彼女は自分の病気と言うか障害だが。この事を悔やんで泣いて居るような子では無かった。本を買わない彼女が専門的な精神医学の分厚い医学書を取り寄せて、自分で自分の病について読んで分析し考えて居た。知識はおそらく相当にあったろうと思う。恐らくは普通の精神科医並みにだ。彼女が言って居たが。主治医に自分で自分の病の所見を口頭で述べたり。レポート用紙に書いて渡したりして居たと言う。ある時は主治医よりも自分の見立ての方が正しかった事もある、と言って居た。私、同様。彼女も障害のせいで兄弟からは見捨てられて居ると言って居た、弟は居るがもう何年も音沙汰が無いと言う。どうやら彼女はたまに伯母が来て、食事などの面倒は見てくれて居る事もあったが。殆んど一人切りで小型の犬を飼い。雨の日でも犬の散歩に出掛けたらしかった。何時もblogには彼女が食べる定番のメニュー。スパゲッティー・カルボナーラ。たらこ・スパゲティー。そして庶民的な焼き鳥屋での焼き鳥とビール。の写真が載って居た。彼女は慢性的に左腕が痛かった。曲げる事すら出来ず。麻薬性の強い貼り薬と痛み止めを飲んで居た。痛み止めが効くのは5時間が限度。そしてそれ以上は飲めない劇薬だった。彼女から聞いた話だが腕が余りにも痛いので京都の病院でそう言ったら、

 

「嘘ついてるんじゃないの?」と言われたと言って居た。私はその話を聞いて「なんて医者だろう」とは思ったが。私も主治医に受け居られるまでは、罵声を浴びせられて居たから気持ちはよく分かって聞いて居た。そして、彼女は精密検査になった。結果腫瘍が体の中に5つも出来て居る事が分かった。彼女は言って居た。前にもそんな事があってうつ伏せになって、手術をしたと言う。彼女は腫瘍のレントゲン写真を見せられて、自分でも医学書を読んで調べ始めた。そしてそれから程なくして主治医から手術をすると言われた。腫瘍は全て悪性のものだった。癌だったのだ。彼女の腕が痛いのもそのせいだった。彼女は悩んだ。思えば自分が多重人格になったのは、両親が鉄道自殺で電車に飛び込んで轢かれたのを見たせいだった。彼女はそれ以来。人格が3つに分裂して多重人格になって仕舞ったのだ。

 

彼女は薬で私同様にフラフラになり、よく歩いて居て木にぶつかったり、ビルの壁にぶつかったりすると言って居た。そして彼女はそんな自分を鼓舞する様に、企業で働いて居た時に購入して居た、愛車に乗って病院通いをして居た。それから、なんと彼女は自分の病状をある企業に出向き明かして入社試験と面接を受けた。そして内定を取り付けたのだ。処が、主治医が許さなかった。彼女は1日4時間の契約で障害者枠で入ったのに。彼女は自分に最後の希望を与えて保とうとして居たのだ。そして彼女は手術の3日ほど前になって突然blogはもう辞めると言って来た。私は何かが変だと直感した。彼女は主治医から「手術をしても無駄だろう」と言われたらしいのだ。私は彼女に無意識に言って居た「早まるな!!早まらないで!!」その3日後。彼女のblogにはベットに腰掛けて微笑んでいる美人の彼女の写真が貼ってあった。「今まで、有難う。」そう、その下に書いてあった。それが彼女の精一杯のお別れの方法だった。彼女は亡くなり。blogは親族に寄って閉じられた。もう彼女はこの世には居ない。彼女の痕跡もどこにもない。ただ。京大の病院に彼女のカルテがあるだけだ。

 

人は強い人間など1人も居ない。どんなに悪党でもどんなに卑劣漢でも心の中には弱いが優しい部分を持って居るものだ。例え演技であろうと。この間、北朝鮮の金正恩が人民大会で私が不甲斐ないせいで人民には苦労を掛けて居ると泣いて居る映像が映って居た。私は松田聖子は嫌いだが。彼女が若い頃に、歌謡賞を取った時にブリッコで泣いたが涙は出て居なかった。GACKT君と対談話になった時に、彼を単なるプレイボーイのバカと決め付けて、彼が「今度どこかに食事にでも行きましょうか?」とエスコートしたら。彼女はゲラゲラ笑い出して。「夜じゃなくて昼にねぇ〜」と彼を目一杯おちょくってバカにして居た。GACKT君は黙った侭だった。彼は聖子を先輩として立てたのだ。彼に取ってあんな女は嫌なはずだ。性根が腐って居る人間は治しようがない。幾ら誠意を見せても。此方の事はバカにしたきりだ。そしてそう言う人は大抵頭が悪い。頭が悪いとは勉強が出来ないと言う事とイコールではない。人間的にバカなのだ。私は今また。先ほど言った死んだ彼女の事を思い出して居る。彼女は精一杯生きたのだろうか、、激痛に耐えて自分の障害のある人生に耐えて。人から変人扱いをされて。しかし彼女は精一杯生きたのだと私はそう思いたい。辛い人生だったね。でも今は亡くなったお父さんお母さんと一緒に天国で暮らせて居るのだね。僕にはそれが唯一の救いだよ。

 

 

ヴァイオレットエヴァーガーデンMAD【ヴァイオレットと少佐が尊すぎて】 

 

 

それから、以前私は、障害を持って居る女性とまた話をして居た。彼女は脳出血で、寝たきりだ。彼女には優しい母親がいれば旦那さんも居る。私はよく彼女と障害について話して居た。彼女も私なんかよりも頭がいい。理系の大学を卒業して居る。脳出血になる前は趣味がバイオリンを弾く事だったと言う。私は彼女によく動画を掲示板に貼り付けてあげて居た。彼女は半身不随の上に耳が聞こえないのだ。私の彼女に対する夢はいつか耳が聞こえる様になった彼女に、下手だけども私がブルースハープを吹いて聞かせてあげる事だ。彼女に言ったら。一度聞いて見たいと言って居た。よく弱いものはダメだ彼らにあるのは馴れ合いしかない。この世は強いものが制すのだと言う人も居る。成る程、確かにそうだろう。世の中は弱肉強食だ。動物の世界だって弱いものから喰われて行く。その点。花はすごい存在だと思う。突風災害に遭っても咲き続けて人に安らぎを与えてくれる。花は何も言わない。そして何も見返りを求めては来ない。ただ美しく咲いて居るだけだ。

 

しかし彼女は最近になって掲示板を閉じて仕舞った。状態も悪い見たいです。私は陰ながら心配して居ます。勝手暗殺されたジョン・レノンは妻のヨーコ共々菜食主義者だった。内田裕也がアメリカに住んで居る彼の家に行って食事を出されて食べた処。彼は余りに食べて居るものが質素なので驚いたと言って居た。昨年はジョンの生誕80周年だった。生きて居ればもう80歳になる。時代は移り変わって行く。ジョンレノンさん。あなたが今から40年も前に言って居た、人種差別も戦争も無くなっては居ません。世紀は変わったけど、人間は愚かな侭ですよ。皆んないい人ほど先に行ってしまう。石原裕次郎、原田芳雄しかり。来ないだも、ロック・ギタリストの。エディー・ヴァン・へーレンが亡くなった。まだ65歳だった。喉頭癌だった。私は最近の若者たちに期待をして居る。特にミレニアル世代の優等生たちにだ。彼らは、何かやり遂げてくれるだろう。政治家も学者も哲学者も会社の社長も若い人材が輩出されて来て居る。時代はコロナと言う病が蔓延り出した。しかし近い将来何時かは克服されるだろう。ワクチンも出来た。人間の寿命の様に。コロナにも終わる時が何時かは必ず訪れる....。それまでの辛抱だ。さぁ、気合を入れるかな。私とてあと10数年は生きたいもの。この話は此処までにして置きます。此処まで付き合ってくれて有難う。。。

 

 

 

 

今日の昼食タンメンセットです......。

 

 

 

ディープ・パープル / ハッシュ 

Deep Purple - Speed King (1970) 

DEEP PURPLE - Black Night (1970 UK TV Performance) ~ HIGH QUALITY HQ ~ 

Deep Purple - Soldier of fortune (1974) 

 

URIAH HEEP JULY MORNING 1972 

Uriah Heep - Sunrise 1973 "Tokyo" LIve Video HQ 

 

 

 

 

 

 

 

「バカな人」

 

私は思うが、高校時代にろくな成績も取れずに卒業して生きて来た様なおばさんは知能程度が低い。昔だが、私が明大前の床屋でカットして貰ったのだが。薬を飲んで居るせいで眼の淵が紫色になり、意識朦朧として駅まで歩いて行ったら。おばさんが私の方を向いて私をバカに仕切った顔をして笑みを浮かべて見て居た事があった。また、近所の京王ストアーに母が行って。薬局売り場のおばさんに「「赤チン」下さい」と言ったら。そのバカ女は「アラ〜〜。嫌だわ奥さん!!。アカチンだなんて、旦那さんのあそこが腫れてるのぉ〜〜」と言った大バカヤロ〜〜。ババアが居た。「赤チン」とはメルブロミンの水溶液(メルブロミン液)は暗赤褐色の液体であり、商品名のマーキュロクロム液あるいは通称の赤チン(あかチン)として知られて居るのですよ。 通称の赤チンは「赤いヨードチンキ」の意味で、同じ殺菌・消毒の目的で使われる希ヨードチンキが茶色なのにたいして。本品の色が赤いことからつけられたのです。薬売り場にいて「赤チン」の意味を知らなかったのですよ。そう言う無知なおばさんたちが、この国には沢山居ます。明大前で私を見たおばさんは。私の外見上その風貌を見て「へっ!!こいつは頭がおかしい精神異常者だろバカか!!」と思ってバカにしたのでしょう。確かに私が母に読む様に購入した「精神分裂病の全て」と言う本には、「勉強が出来る人。要するに頭がいい人と勉強が出来ない人と比べると、頭がいい人の方が症状は軽く。また、小卒。中卒。高卒。大卒。大学院卒を比べると高学歴者の方が病状を自分で把握出来るから余りおかしな行動は取らないし病状も普通だ。」と書いてあった。しかしこれには私は異論がある。

 

大学院を出て居る様な人間でもバカは沢山居る。言って見れば利口バカだ。勉強の知識は豊富にあるが人間的にバカな人が結構居る。知識を一杯知って居て、物事を言えるから利口とは限らない。一見、皆んな学歴で相手を見て仕舞いがちだが、よくこう思う事は無いだろうか。「勉強が出来る人って言って居るけど。そう言う人ってなんか変だ。」と、、人は勿論勉強も大切だが(こう言う事は勉強をして来なかった私が言ってもシャレにもならないけどね.....。)一番大切なのは人に対する真心だそして誠実さだと思う。現に私が入院して居た病院にも。大学院出身の患者が居たが。とても利口とは言えなかったし。病状も悪かった。例えば、話は変わるが。大学教授が卒論やら博士号の論文が書かれた、原稿用紙やらレポートをよく机への中に放り込んで鍵を掛けて、ろくに見もしない事がある。そう言う事がしばしばある。何故ならその学生がお金を持って来るのを待って居るのだ。私の義理の兄もやられた。教授に提出したら、それっきり見ようともしなかったそうだ。だから論文がダメなんだろうと、それから3回も書き直して持って行ったが、全て机の引き出しに入れて鍵を掛けて一度も見ないのだそうだ。それで考えた末に姉がその教授の御宅に伺い300万を入れた袋を渡すと。その教授は、「よしよし、要約分かったかね、、」と言って。義理の兄は論文が通り博士号が取れたそうだ。教育者?私は反吐が出る!!

 

弟もまた多分そうだったのだろうと思う。あいつは私になりすまして銀行に行き。私の通帳から300万を引き出した。多分教授に渡す金だったんだろう。まあ、この事については私はいまだに腑に落ちないし怒っても居るが。何しろ弟は私にその事を言わなくて。認知症の母から聞いて、弟にメールで問いただしたところ「必ずお返しします」そう返事が返って来たのです。その後弟は亡くなり。その話もウヤモヤになって仕舞った。政治家だって何だって世の中は全て皆んな金で廻って居る。だから私の様な者は生きられない。金が無いのだから。此れを読んで居て自身が「自分は勉強が出来ない」と言う人が居たら言いたい。何も勉強が出来なくても教養は本を読めば身に付きます。本をよく読みましょう。買えなくても図書館に行けば幾らでも置いてあり。借りる事もそこで読む事も出来ます。真に頭がいい人と言うのは小難しい理屈を述べられる人では無いのですよ。物事を正確に見る事が出来て。実直で正直、そして正義感がある人が。本当に利口な人と言うのですよ。それから自分は美人じゃ無いと思って居る女の子へ。男は確かに顔に惚れる人も居るけど。殆んどの男がその子の優しさ誠実な可愛い心に惚れるのですよ。だから美人じゃ無いからと言って気にしないでね。優しい女らしさを磨いて下さい...。

 

 

 

『2人の貧乏人。』

 

私の会社には、小学校もまともに行って居ない男。仮にHと言おう。そして中学中退の男。仮にPとするこの2人は、ほぼ同時に会社に入社して来た。Hは身長が146cmしかなく体重は90kgあった。反対にPは身長が186cmはあったが。体重は53kgしか無かった。二人ともそれまで勤めて居たのは、Hは駄菓子屋の工場で、駄菓子職人に弟子入りして働いて居て。Pは行商人をして居たと言う。二人は社宅のうちの実家の4畳半に寝泊まりして働いて居た。丁度、私は幼稚園児で。よく昭和30年代はジュースと言ってもジュースの素の粉末があってオレンジジュースだとしたらオレンジの粉末の素を水に解いて飲むものしかなかったのだが。それでもジュースはジュースだった。詳しく言うと粉末ジュース(ソーダ、)は、日邦製菓から販売されて居た粉末ジュースで。発売当時は5~10円で購入する事が出来た。

 

 

(現在は終売して居ます)

 

【革命】コカ・コーラがついにキューブドリンクを開発!!!

 

 

粉末ジュースは、今では殆んど飲まれなくなったが、粉末の状態で販売され、水に溶くと清涼飲料水になる商品の俗称です。1950年~1960年代に掛け人気があり、数多くのメーカーが取り扱って居た為、粉末ジュースは駄菓子屋に行くと必ず販売されており、子供達に取っては低価格でジュースが飲める人気の製品だった。しかし、人工甘味料(チクロ)が人体にもたらす悪影響が社会問題化して、使用禁止となった殆んどのメーカーが粉末ジュースから撤退して行った。今では松山製菓だけが販売しています。そして幼稚園児だった私が外でコップに入れて飲んで居ると。必ずHがやって来て貸せと言って半分は飲んで仕舞うのだった。私が幼稚園で風邪を引いて帰らされる時に必ずHが向かいに来た。

 

そしてミゼットに乗せると運転をして、私を自宅まで届けるのだが。私がものを一言でも言おうとすると「うるさい!!ガキは黙って居ろ!!」と怒鳴られた。そして食堂で皆んなしてご飯を食べるのだが。二人とも大口を開けてご飯をこれでもかと口一杯に押し込んで食べて居た。そしてこの事は前に書いたが。Pは食卓にウスターソースとか醤油が置いてあると、それをジャボジャボ、ご飯に掛けて食べて居た。そうやって食べるのが当たり前の様に振る舞うので、母が怒ってソースやら醤油を取り上げて怒ると「奥さんは何故怒こるんだろうか?」と言う始末だった。貧しい漁村で育ったPは、貧しすぎて、毎回食事のおかずが無かった。食べられなかったのだ。食べられたのは塩で握った握り飯だけだった。だから握り飯も食べられない時には、ご飯に直にソースやら醤油を掛けて食べていた。それがおかずだったのだ。Hはご飯の大盛りを自分で装って5杯は食べた。母は毎回怒って言って居るのだが、この2人は何も聞いて居ない様だった。

 

昭和30年代に走って居た。ミゼットの写真。

 

 

ダイハツ・ミゼットのイラスト

 

 

 

 しかしHは私が会社に入社して。私が車に乗ると大抵は埼玉まで行くのだが。得意先が埼玉のケーキ屋とかスーパーの中にあるパン屋だからだけども。そして食事は毎回「山田うどん」を食べた。「山田うどん」は安いし確かに美味しい。築地に行った時には珍しく私に刺身定食を食べさしてくれた。Pと乗ると大抵、高速の脇にライトバンを停めて寝て仕舞った、私はトイレにも行けず。道路の端なので横に停めてある車から歩いて。高速を降りてパーキング・エリアまで行って缶コーヒーを飲んだものだった。彼の口癖は「ちょうちゅね〜」で、よく得意先からバカにされて居た。職人が彼に大皮肉を言うのだ。ある時には「Pさんは学歴無いから『ちょうちゅね〜』としか言えねえんだろ?」と私が居る前で大笑いをされて居た。彼は、何時も私の実家の1階が会社だった頃に。私の自宅の脇に道があり。そこに車を止めて、昼になると、うたた寝をして居て。

 

私が休みだから中古レコードやら中古ビデオテープを買って袋に入れてその車の横を通ろうとするとガバッと起きて「〇〇ちゃん!何買って来たの!!」と車から降りると、言うのが早いか袋をもぎり取り。勝手に袋を開き中古レコードやらビデオソフトを取り出し。「此れが蓄音機に掛けてゴーゴー踊るやつだろう?」と時代錯誤、甚だしい事しか言えない。私は「勝手に見ないで下さいよ!!」と何時も怒って居た。ある時にパートの若い女の子とコンタクト・レンズの話をして居たら、突然その人が割り込んで来て「コンタクト・レンズってなんだ!!」と聞いて来たので。「あれ〜!よく眼鏡屋にコンタクト・レンズありますって書いて居ませんか?道歩いて居て見かけるでしょう?」と言っても知らないと言うので「目に入れる度付きのレンズの事ですよ」そう言ったら。「緑内障の手術なんかで手術で入れるものだろ?」」と聞いて来たので。

 

「違います。メガネの代わりですよ。黒目に直に被せて装着するものですよ。度付きのもあるけど。今は若者の間ではファッションで色が付いたものもありますよ。瞳の色が青とか緑色とか変えられますからね」そう言ったら初めて知ったと驚いて居て。私とその若い女の子2人して、苦笑いをした。ある日だが、私がPさんと帰って来て。業務日誌を付けて居たら。突然「俺を!!バカにしてるとしか思えないよ!!」と言って。ヤカンに入って居るお茶を私の業務日誌のノートの上に持って通過して、私の業務ノートに掛けてびしょびしょにして仕舞った。私は怒ろうとしたが。皆んなは無視をして居た。親御さんが亡くなって親父と母が葬式に行って見たら、畳がなくて、板張りの上にゴザが敷いてあったそうだが。結局Pさんは最終的には、会社が嫌になり50歳ぐらいになって卵屋を始めると言い出したのだが、まず片眼が見えなくなり潰れて。姉の旦那が眼科医だったから見て居たのだが、医療費が払えずに居て、、義理の兄はそれでも診て居たのですが、その後もう片方も失明しました。

育つ過程で栄養不足だったのですよね。

人には色々と事情があります。いま。その人はどうして居るか解りません。
会社は辞めましたから、、、、

 

 Hに付いては、色々言いたい事は、もう今まで散々言って居るので。此処ではもう言わないが。彼も、人が食べて居る食事を「オラさが食ってやる〜〜!!」と言っては食べたり。人が飲んで居る缶コーヒーを飲んだりして居た為か、筋萎縮性側索硬化症と言う難病に掛り死んで行った。ただ、この男は死ぬ時が解って居たのか、3千万円の保険金が貰える生命保険に入って、死んでも家族には3千万を残した。

 

 まあ、貧しいと言う事はろくな事にはならない。この文章を書いて居る私も。あとほぼ1年と少しで、金は尽きる。さあ、生活保護が通らなかったら自殺するしかない。誰も助けてはくれませんからね。世の中とはそんなものだ。姉さんに頼れって?ダメダメ。あの人はこう言うでしょうね「障害者の弟なんかの金が出せられるか。人生甘くはねえんだよ。生きられなかったらさっさと自殺しな」私はもう何も期待はして居ない。所詮、障害者。精神障害者は見殺しにされるのです。ただ、昨日。ケアマネージャーにあと少しで金が尽きると言ったら。「生活保護の受給書貰う前に相談に行きましょう」と言って居た。

 

ほらね。そう簡単には更新書はくれないでしょう?ただ私は持ち金として数10万は持って居ようかとも思って居たが。それも、ケア・マネージャーに言わせると通帳を調べて。例えば20万の引き出しの記入があった場合、その金の用途を詳しく尋問されるらしい。警察と同じですよ。使徒不明金は持てない仕組みになって居る。文字通り一銭たりとも無ければ生活保護は受けられない。私は銀行の通帳だけ見て此間は「あと10ヶ月しか持たない」と言ったが、郵便局にもあと100万円近くのお金がある事を忘れて居た。だからこの金を合わせてあと1年半は暮らせる勘定になる。大体が今私は月に17万ぐらいで暮らして居る。そうしたらケアマネージャから言われた、「14万ぐらいで生活する習慣を今から作って置いた方がいいですよ。最近、生活保護費の削減で今は147,880円ですからね....。」去年までは151,800円だったのに菅総理が保護費を削減しやがった!!保護費の内訳はこうです。。。

 
 
生活保護費の内訳
計算式
金額
生活扶助
①基準額
70,956円
②基準額
76,310円
※①②の高い方を選択
76,310円
障害者加算
(在宅者)
■身体障害1・2級、精神障害1級
0円
■身体障害3級、精神障害2級
17,870円
 
住宅扶助
東京都杉並区の家賃補助
53,700円

-------------------

合計147,880 円

 

 

注意事項

生活保護を受給するためには条件があります。

  • 試算結果は保護費の目安です。決定額ではありません。
  • 条件によっては他にも加算される項目がありますが簡素化のため此処では割愛します。
  • 正確な保護費を知りたい場合は市区町村の福祉窓口にお問い合わせください。

 

 

だから言われましたよ。皮肉混じりに、「金あるうちに色々と買って置かないと生活保護になったら何も買えませんよ。」それから此れは訪問看護師から言われた。「生活保護になったら3千円する服とか買えませんからね。」着るものも買えない。食費も出ない?此れで「最低限度の裕福な暮らしが出来る」その事が保てるお金か???皆んな食費に金掛けられないから。1日1食だと聞きましたよ。その上に、国の都合とか役所の都合で生活保護が打ち切りになる場合があるのですよね。皆んな餓死して死んでますよ。こんな状態なのに普通の人達は「生活保護貰える何ていいわよねぇ〜〜。働かなくて国に面倒見て貰えて居るのだからさぁ ...。」こう言う皮肉しか言わない。いやね、私も少し生活資金としてお金持って居ようかと思ったんですよね。しかし、そんな事をしたら生活保護は通りませんから。あくまで、文無し。全く収入が無い人しか貰えませんから。国がやる事なんてこう言う事ですよ。

 

でもね、私も考えました。今、月に17万掛かって居るのを14万8千円まで落として、そう言う生活に慣れないと行け無いとね。まあ、散々周りから言われましたから。「〇〇さんはお金持ちぃ〜〜!!」ってね。ヘルパーとか看護師からね。例えば私は此間チェスターコートの6千8百円のものを前が2つボタンなんですよ。それと袖が長いもので直しに「リフォームの洋裁店」に持って行ったんですよね。このチェスターコート実はデザインが「ヨウジヤマモト」に瓜二つで。だからか、ボタンを2つにしてあるのですが?これを3つにしたら外見上は「ヨウジヤマモト」と見分けが付かないんですよね。しかも、もうこのチェスターコートは生産終了で、その作って居たメーカーも無くなって居るのですよ。だから安価なコピー商品の紛いものとも取れるのですが?作りは可成り値段にしては高級で大体。冬場暖かいんですよね。私は大満足して居るのですよね。それと私が秋春用の薄手のコート。これは山本耀司のお弟子さんが作ったもので、若者向けだからデザインがカッコイイし。私は太って居るからサイズが少しキツイのですが・・・・。

 

それからコートはマキシ・コートを10年前に見つけて購入して持っていますし。山本耀司の「Y s」と言うブランドのブレザーを、昨年の春先に一着7千円で古着だったものを購入して居ます。まぁ、今からもう20年位前のモノですけどね。要約「ヨウジヤマモト」の服が買えたと思って居ますよ。それは掘り出し物だったんですよね。今から20年前と言えども、山本耀司ブランドの服は最低でも20万はして居ますからね。それが7千8百円で売って居たのですから。古着屋で購入したのですが。そこの店長さんが背が低くて、その上サイズもSサイズらしくて。自分には大きすぎると言って居ましたっけなぁ。私にはちょうど良い大きさですけどね。あと2年前の夏に購入したのですが「リョウ・タカシマ」のトレンチコート、此れは5万8千円しましたけど。カッコイイので思い切って購入しました。買って正解でした。まだ来ては居ませんけどね。

 

 

 

SUNSEA(サンシー)のryo takashima トレンチコート メンズのジャケット/アウター(トレンチコート)の商品写真

 

あとバーバリのトレンチコート購入当時17万はしました。今から30年前ぐらいで宝物です。。。

 

バーバリー/BURBERRY

トレンチコート
KENSINGTON
ブラック

 

アップデートされた、定番のクラシックフィット・トレンチコート

バーバリーを象徴とする、ギャバン地&ヴィンテージチェックの裏地仕立てとスクエア肩周りと端正なシルエットが特徴的なアーカイブをブラッシュアップしたトレンチコートです。

 

 

 

 

 

 

 あとはUNIQLOとかGUのブレザーの3千円から4千円のモノですよ。来て居るのはね。前に、ある女性の掲示板にそう書いたら。偉くバカにされましたよ。。。まあ、服の話になって仕舞ったけど。結構持って居ますよ服はね。コートは8着はあるかな、、コートフェチですねぇ、、我ながら、、困って仕舞いますけど。でもね、もうお洒落しても13年ぐらいだろうからね。そのぐらいしか生きられないと思います。丁度、73歳ぐらいでしょうかね。私は薬を大量に、しかも抗精神薬を大量に飲んで居るせいで。体のあちこちが異常を起こして居ますから。一々言いませんからねぇ。今日もヘルパーが私が調子が悪いと言ったら。「どこも悪くなく見える....。」と言うのですよね。私の病。障害は精神障害ですから。見た目やら、少しぐらい話たって分かりませんよね。此間は思考吹き込みと思考奪取が起こりました。3日前に病院だったので。主治医にそう言ったら薬の量が増えましたよ。

 

(注)思考化声(考えて居る事がそのまま声になって聴こえる)、思考吹入(​考えが外から吹き込まれる)、思考奪取(考えが抜き取られ空っぽになる)、​思考伝播(考えただけで周囲に伝わってしまう) まあ、一種の妄想障害ですが。こう言った症状が出て仕舞いました。

 

こう言う時はそれは辛いのですよ。大抵の患者がその事で声に出して話したり妄想を抱く様になったりしますよ。私もなりかけましたが。幸いのも主治医が、そう言う時用の頓服を出して居るので、それ飲んで助かりました。皆さんも、精神病にだけは成らない様にして下さいね。自殺願望も出ましたしね。死にたくなるんですよ、色々考えて仕舞うとね。私はこの先。生活保護費、貰えるのかとかね。貰えても今の生活は保たれるのだろうかとかね。物は買えなくなるのは判るけど。だから最近はテレビも見て居ませんし。あれだけ好きな映画も観られて居ません。此間購入した「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」だけです観たのは。少女趣味か?62歳にもなって?と言いたいでしょうけど 、私はこのアニメの主人公の様な過酷な生い立ちを背負って頑張って生きて居る、(あくまでアニメですが)、、彼女がいじらしくて。観てられなくて。可哀想で。見る度に胸が締め付けられるのですよね。あとリアルな女性では青木志貴ちゃんでしょうか・・・。まあ、憩いのひと時でしょうか。。。

 

 

モード界のマエストロ。山本耀司さん。これで77歳ですよ。私の見本として居る人です。

 

デザイナー山本耀司

 

声優で、舞台女優の青木志貴ちゃん、、

 

青木志貴🍤 on Twitter:

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『同棲の話。』

 

結婚前に同棲するのがいいのかどうか、今でも議論が分かれて居る。「独身脱出」を優先する立場は同棲すると幻想が崩れるからNG、他方、結婚後の「結婚生活」を重視する立場はむしろ結婚前のすり合わせをベターとする。結婚観の違いが同棲観にも反映して居る訳だ。以下は佐藤信: 東京大学先端科学技術研究センター助教の書いた本から抜粋し少しだけ加筆して居ます。

 

 

 

 

 

 

『日本婚活思想史序説』

 

しかし、これらの立場に共通しているのは結婚からバックキャストして同棲を捉えている点だ。よりよい結婚に結び付くかどうかで同棲の善しあしが決せられる。かつてはそんな事はなかった。若者はもっと無鉄砲で恋愛の先に同棲を捉え、そこから先がむしろ隔絶して居た。戦後日本の同棲について最も有名な歌はかぐや姫の「神田川」(1973年)だろう。

 

この時代には林静一の漫画「赤色エレジー」やら上村一夫の漫画『同棲時代』も話題になり、、評論家の四方田犬彦も「若いカップルの同棲がいたるところで目に付く事になった」と書いて居る(『歳月の鉛』)。知らない世代の読者のために記しておけば、この「神田川」と言う歌は神田川を見下ろす「三畳一間の小さな下宿」、当然風呂は付いていなくて銭湯へ通う、そんな同棲生活を懐かしむものだ。

 

このストーリーは、作詞の喜多條忠の学生時代の体験を基にして居ると言うから、1947年生まれの喜多條が早稲田大学を中退するまでの60年代後半、1965年の日韓条約批准への反対運動から大学紛争へと学生運動が高揚していく時代の風景がモデルになって居る。

 

紛争の時代。とくに日大なんかそうだった訳だけれど、私大の紛争の前提には学生数の爆発的増大があった。その多くはもちろん地方から上京してくる若者たちだ。彼らは安い下宿を借りて、働きながら大学へ通うか、もしくは通わずにジャズ喫茶でキザに本を読む。もしくは喜多條のようにパチンコを打って、親からの仕送りをパーにする。紛争の時代は下宿の時代でもある。

 

 

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人文地理学者の中澤高志が言うように、親の家に住む(パラサイトする)未婚者は、いくら成人して居ても、親が定めた住まい方のルールに従う「子ども」でありつづける事になる(由井義通編著『女性就業と生活空間』。

 

だからこそ、実家を出る事は自立の為の大きな一歩だ。東京では60年代から一人世帯が急増しており(一人世帯の増加は全国的傾向ではあったが、それと比較しても2倍ほどの割合だった)、下宿はそうした一人世帯の増加を引き受けたのだった。

 

だが、その下宿の時代も70年代前半には下降傾向に入る。寄宿舎・下宿屋の数で見ると、70年代前半をピークに数は減って行くし、住宅総数との比率で見るとピークはもう少し前に存在して居る。とにかくそれから下宿の数は右肩下がりに下がって行くのだ。「神田川」が若干の郷愁を誘いながらも、若い人々にもよく理解されたのは、70年代前半がまさにこの転換期だったからにほかならない。私の家も下宿屋をして居たが。1975年頃にもなるともう学生はあまり入って来なくなった。それに安い風呂とお勝手付きの賃貸アパートが多く出来て来たのだ。

夢の同棲

この下宿こそが若い男女2人の慎ましやかな同棲を準備する。

喜多條の当時の詩に「ふたり」と言うのがある。

 

 

今日のあらゆる喧噪から離れて
今はあくまでふたりであろうとする
あしたはスープをつくろっと
おいしいスープを
みち子は冷蔵庫を開けながら
微笑する
僕はそれを横目で見て
美しいと思う
(「ふたり」『神田川』1974年)

 

 

 

上村一夫

 

 

 

「喧噪」とは学生運動のこと。詩の最後には「今日は一つの学校が潰れた日/此処まで滅びさせた奴らだけが/再建だ入試だとほざいた日だ」とある。彼にとっての下宿とは、そうした闘いから逃避する場所にほかならなかった。

 

冷蔵庫があるくらいだから、生活も決して貧しい訳じゃなかったんだろう。彼は、大学を出てからも同じ様な同棲をしたいと夢見て居る。ときどきふっと淋しい気持に落ちて行く。隔絶した両親、厚い壁のできたR、近いが手を握れないH、そしてみち子までが、僕から遠ざかってしまう時がある。僕はあわててみち子との「壁が四方にある部屋のなか」での楽しい生活を夢見る。
(「5/December」『神田川』)

 

その個室は外界からの避難所であるだけではなく、淋しさを埋める場所でもある。温かさが漏れ出さないために四方はしっかりと囲まれて居なければならない。コンクリートで囲まれた団地の住居に比べるとずいぶん守備力は落ちるとは言え、彼にとっての木造アパートは「2人の城」だったのだ。もっとも、その「2人の城」を手に入れる事は簡単ではなかった。同棲生活の象徴の様に扱われる「神田川」でも、彼/彼女は二人とも大阪の人で、上京して居るのは喜多條だけだから、同棲が実現したのは彼女が一時的に上京したほんのわずかな時間だけだ。まして実家暮らしの都会出身者にとっては同棲など夢のまた夢。だからこそ、三畳一間での同棲が憧憬と郷愁をもって語られるのだ。

 

現在でも上京した若者に取って同棲は憧れの的だろう。とは言え、今も昔もそれは将来への展望を欠いたものとなりがちだ。木造アパートでの彼女との貧乏同棲生活を続けて行く事を夢見ていた喜多條自身、母親から「あんたが結婚するまでお父さんが生きて居たら、家の建て売り一軒くらいはプレゼントする」と言われた瞬間、将来の生活のイメージがガラガラと変わって行く。

僕は今まで心に描いて居た、彼女との四畳半一間の天井にシミのついた家から、木の匂いがして、窓から庭の植木の見える二人だけの壁のある部屋へと、イメージチェンジして行く[…]寒さに凍え、縮まる事もなく、空腹故の心の絶望的なまでの苛立ちや、今までの、今の、そして明日からの見通しのないさめた顔を見つめ合う時も持たずに、その代わりに、温かい湯気の向こうからみち子の顔がうっすらと見え、僕は柔らかな音楽と甘い視線のなかで「生きている安定」を噛みしめる。(「20/December」『神田川』)

 

貧乏同棲の魅力が潮引けば、同棲の外側で共同生活を伴わない恋愛が追求される様になる。事実、非親族世帯(2人以上の世帯で、世帯主の親族がその世帯内に居ない)の割合は1970年代後半から1980年にかけて大きく落ち込んで居る。しぜんと、同棲を実現しやすい一人暮らしより、金銭的に余裕が出来る実家暮らしが尊ばれる様になる。1988年の『ポパイ』に「結論ひとり暮しはモテる!」(9月7日号)と言う特集が打たれたのは、それ自体がすでに「ひとり暮らしはモテない」というイメージが固着して居た事の表れだろう。

 

この間、「婚活」の原型とも言うべき現象を作った1983年創刊の雑誌『結婚潮流』も創刊後すぐに同棲に反発する特集を打って居る。それは結婚と結び付けて同棲を否定するものと言うより(処女性との関連でそうした議論をしたものはあったが)、むしろ恋愛からそのままなだれ込む同棲を無批判に賛美する事に疑問符をつけるものだった。そして、同棲とは離れた恋愛が追求される。どうやら私たちがいま慣れ親しんで居る、結婚からバックキャストして考える同棲の日本での源泉は、このあたりにありそうだ。

「前奏曲」としての同棲

結婚の前駆として同棲を捉える事は、なにも日本に特有の現象ではない。欧米では若者における同性が結婚の「前奏曲」(プレリュード)として機能することが増えて居ると指摘されて居る

例えば、スウェーデンのサムボという同棲を法的に保証する制度を見て見よう。35~44歳のカップルについて見ると、法律婚カップルの9割はサムボを経験して居る。それらの結婚に至る年数は3年以内が半分程度となって居て、確かに結婚の試験期間として機能して居る事が分かる。

同棲は結婚を準備するだけでなく、出生率や子どもの厚生にも貢献しうる。例えばアメリカでは、4割の子どもが未婚の母の下に生まれる。さらに、ある推計によれば。未婚の母の4割は子供が12歳になるまでに同棲すると言われており。さらにその割合は全生徒の5割程度に達すると見られている。

 

一般的に同棲の下にある子どもはシングルマザーの下の子どもに比べて社会的にも経済的にも生活の安定性が高いから、安定的な同棲を促進する事は、出生率改善や次世代の厚生にも繋がりうるのである。実際、同性は出生率。しかも正確な妊娠を発生すると言われて居る。勿論、日本で突然同棲カップルが増えると言う事は考えにくいし、まして子どもを産むのは結婚してからと言う固定観念の強い中、突然に婚外子の出生が増える事はないだろう。それでも、此処で論じたとおり日本社会の中でも同棲の意味づけは大きく変化して来た。此れからも若者たちが同棲をどの様に捉え、実際に同棲するかは変化して行くだろうし、そんな極めて「私」的に思われる事は、実は日本社会の恋愛観や結婚観や、出生率と言った「公」的な問題とも絡み合って居るのである。とこの本では言って居る。

 

 

 

 

 

 

 

ただ最後に一言言いたいが。日本ではまだ結婚相手の「処女性」を重視する傾向がある。だから美容整形などではそれまで散々男と遊んで来た様な、若い女性が見合いなどで結婚が決まり。処女膜を再生する手術を受ける事があると亡くなった医師だった弟から聞いた事がある。しかし私は同棲を嫌っては居ない。先ほども書いた様に結婚を前提として同棲して見ると言うのはいいのでは無いかと思うし、日本人が特に歳を行った男が気にする「処女性」の事だが。昔ある女性の陸上の運動選手が言って居たが。「男性は偏見を持って居るけど。激しい運動をすると「処女膜」は簡単に破れる事がありますよ。」と言って居たのを覚えて居る。私は好きになって本気で愛した女性ならば処女かどうかなど考えないし。男性経験が有ったって、その女性の過去を気にしない。その時にお互いが好きになり愛し合い信頼しあって居ればそれでいい。本当の愛とはそう言うものだと思う。ただ、同棲して居る女性が、だらしがない場合はゴメン被りたいけどね。誰だってそうでしょう。男ならばね。。。。

 

あがた森魚 赤色エレジー

 

尾崎紀世彦 また逢う日まで 1971 

 

 

今回は此処までです。読んでくれてありがとう。また記事が書けたらアップするかとは思いますが、、何遍も言う様に調子が悪い物でして、今回も必死でblogを挙げました。それではまた。。。。。