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blues harmonicaのブログ

ハーモニカが好きで吹いています。全然ヘタですが。
これから日々気が付いた事など書いて行こうと思っています、、
宜しくお願い致します。。。。。

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『ラジカセの歴史』

60年代に登場して以来、身近な音楽機器として普及してきたラジカセ。最近ではスマホによるストリーミングやiPodをはじめとするデジタル音楽プレーヤーに押され肩身が狭く成って居る気もしますが…。そんなラジカセは当時のブームを反映し数々の変化を遂げて来ました。このblog記事では簡単にですがラジカセ登場時から現在までのラジカセを見て行きたいと思います。

 

 

第一世代・1960~70年代

 

ラジカセ黎明期~BCL・生録ブームまで

 

1968年、アイワから1台の機器が発売されました。「3バンド・ラジオつきカセットレコーダ」と呼ばれるそれは当時普及してきて居たカセットテープレコーダにAM/FM/短波のラジオチューナを一体化しワンタッチで録音出来ると言う物でした。この機種が日本でのラジカセの歴史の始まりです。この頃の機種はレベルメータ・テープカウンタなども装備し作りがしっかりして居ます。流石に現在ではゴムベルトの劣化などによりカセットが故障している場合もありますが結構丈夫で今でもラジオはばっちり聞ける物が多いです。

 

↑ラジカセの1号機アイワTPR-101。

 

 

当時は3バンドチューナと言えば現在のようなAM/FM/TVではなく短波が聴けるのが一般的でした。最初は地味にテープレコーダーのカタログの隅に乗って居る様なラジカセでしたがだんだんと普及を始め、各社が多機能・高機能化を進めて行きます。

 

 

↑1973年発売のソニーの傑作機・CF-1700。当時よく売れた様です。

 

 

70年代に入ると、海外の放送局など遠くの電波の受信をする「BCL」ブームが起きラジカセにも高性能なチューナを搭載した機種も登場。そしてこの頃からラジカセは当時の少年達からも人気を集め、雑誌で特集を組まれたりする様に成ります。機能もどんどん追加されオートシャットオフやスリープ機能、ダイヤルライト(ラジオのチューニングスケールが光る)、マイクミキシングを始め2ウェイスピーカやハイポジ録音、テレビ音声受信、ワイヤレスマイクなどかなりの機能が増えて行きました。

 

↑BCLブーム時代の名機"BCL-255"ことアイワTPR-255(左)とナショナルRQ-544(右)。

 

↑ワイヤレスマイクを装備した"音のマック"ナショナルRQ-552

 

 

 

そんな中、ラジカセにもひっそりとステレオ化の波が押し寄せて居ました…。

↑初のステレオラジカセ・ソニーCF-2550

 

 

第二世代・1970~80年代

 

「ジルバップ」デビュー~大型化まで

 

最初の頃はステレオ・ラジカセは高価でそんなに売れて居なかった様で暫くはカタログの後ろの方に少し載って居るだけの様な状態でした。その後も暫くはモノラル・ラジカセと共存して居る様な状態でしたが1977年、ソニーから「ジルバップ」ことCF-6500が発売され大ヒット。

どんどんステレオ・ラジカセは高機能、高音質に成って行き当時のモノラル・ラジカセのターゲットだった若者達もステレオラジカセに流れて行った様です。そして昭和53~4年頃に成るとステレオ・ラジカセとモノラル・ラジカセの立場が逆転して来ます。

 

 

 

↑ステレオ化の流れを押し進めた(?)ソニーの大ヒット作"ZILBAP"ことCF-6500(1977年発売)LRのレベルメータを強調したデザインは斬新でした。

 

 

 

こうしてステレオ化が進み、当時はこうしたデカイ・ラジカセを肩に担ぐのがファッションの様にまで成って来ました。その後も進化して行ったステレオ・ラジカセはLEDレベルメータやスピーカを強調したデザインなどどんどん派手に成って行きます。

 

 

↑巨大ラジカセの究極形(?)シャープの「ザ・サーチャーW」GF-909

 

 

この時代のラジカセは当時の録音メディアの主役だったテープの機能が強化されメタルテープ録音やドルビーNR、オートリバースなどに加え自動頭出し機能(上級機になると10曲やら8曲前後まで指定可能)が付いた物が多く存在して居ます。殆んどの機種に外部入力が付いて居る為にiPodなどのデジタルオーディオプレーヤやパソコンなどを繋ぐ事ができ音質にもパワーのある物が多く現在でも当時の高級機などは中古でも結構な値段で取引されています。海外でも可也の人気がある様です。

 

しかしそんな大型ラジカセも80年代入ると早くも次第に次の世代への流れが…

↑ナショナルの「DISCO M」RX-5700。同社のメタル対応ラジカセ1号機だった様です。

 

 

第三世代・1980年代

 

フアッションテレコ登場~小型化まで

 

大型ラジカセ全盛期だった1979年、何気なくデビューしたラジカセがありました。「お洒落なテレコ」ことサンヨーの「MR-U4」です。初期のモノラルラジカセから続く「REC」の愛称を与えられた機種で当時は小型機はモノラルが多かった時代にミニステレオラジカセとして発売。

当時の流行だったシルバーボディに派手な大型ラジカセから引き継いだ2本のFMアンテナが特長です。

 

↑初代「お洒落なテレコ」サンヨーMR-U4

 

 

当時の大型化に耐えられなく成って居た人が多かったのかこの機種は大ヒット。その後他メーカからも類似機種が沢山発売されます。MR-U4はmkII、mkIIIとモデルチェンジし、その後ダブルカセットモデルやCD搭載機を発売し現在まで続いて居ます。最初の頃は大型ラジカセの雰囲気を残したゴツい感じの物が多かったのですが段々とカラフルでポップな物が増えて行きます。

 

 

↑80年代に浸透しだした外国製の安物ラジカセ(韓国製)。同デザインで文字などが違うものを幾つか観た事があります。

 

 

この時代の機種は上位機はフルロジック・カセットにVHF/UHF音声多重放送受信可能、外部入力などを装備した小さいながらも多機能な物が多いのですが同時に各種機能を省いた廉価機も普及して来ます。さらに海外製の安物機も沢山出て来るので中古で入手の際はこの辺にも注意です。また、レベルメータやテープカウンタは無いものが多い様です。

 

 

第3.5世代・1980年代後半

 

「CDラジカセ」の出現~重低音時代まで

 

1982年、CDが発売されオーディオ・音楽界に大きな変化をもたらします。12cmという小型で頭出しや早送りもワンタッチのこのメディアは段々とそれまでの主役だったレコードに変わり普及して行きます。そして1984年にソニーから初のポータブルプレーヤD-50が発売され低価格な事もあり大ヒット。本格的にCD時代に突入します。

 

 

↑初代CDラジカセ・ソニーCFD-5

 

 

そんな中ラジカセにもCDプレーヤを搭載した機種が発売されました。ソニーの「CFD-5」です。当時流行って居たファッション・テレコから派生したスピーカ分離型ラジカセ「CFS-7000」をベースにポータブルプレーヤD-50を一体化した物でした。その後も各社はファッション・テレコをベースにしたCD搭載機を発売しますがそこまでの大ヒットには成らなかった様です。

 

 

↑初期CDラジカセの「SUGAR・CD」こと東芝RT-CD2。「SUGAR」は東芝のフアッションテレコのブランド名でした。

 

 

↑「おしゃれなCDテレコ」サンヨーMR-V2CD

 

 

上写真のように初期のCDラジカセはダブルカセット機の片方のカセットをCDに変えたようなデザインでCDは縦に入れる物が殆どでした。そんなこんなでCDラジカセはイマイチぱっとしない中、またしてもソニーからある機種が発売されます。

 

 

↑重低音ブームの火付け役、初代「ドデカホーン」ソニーCFS-DW60

 

 

バブル・ラジカセファンにはおなじみの(?)「ドデカホーン」です。ファッションテレコをベースに重低音専用スピーカを搭載したラジカセで本体が小さなラジカセの弱点だった低音不足を解消しました。

 

 

↑ドデカホーンへの松下の対抗策(?)重低音システム「XBS」を搭載したRX-FW39

しかしこれ以降松下はサブウーファ搭載機は出さ無かった様です。

 

 

この流行り出して来た重低音ラジカセと登場して間もないCDラジカセをくっつけた「ドデカホーンCD」が発売されまたヒット。この辺りから一旦は小型化に進んだラジカセは再び大型化への道を歩み出して行きます….。

 

 

第四世代・1980年代後半~90年代前半

 

大型化再び~「バブルラジカセ」まで

 

「ドデカホーン」のヒット以来各社は低音を重視した機種を発売し始めます。CDも一般家庭に普及しラジカセにもCDを搭載した事で本体の大きさも大きくなりスピーカなどに使える面積も増え、ラジカセは巨大化していきます。70年代後半以降の大型ラジカセブームのときは左右のスピーカを大きくして行く機種が多かった中、内部に低音用スピーカを埋め込み低音を出すスタイルが一般化して行きます。

 

・初期バブルラジカセ

 

バブルラジカセ黎明期の機種たちです。どこと無く前世代のファッション・テレコの面影を残す機種も多く存在します。まだシンセサイザー・チューナは一般的ではなくアナログ・チューナで液晶もCDの動作のみを表示する小さいものが多いです。

 

 

↑ドデカホーンCD初期の名作CFD-DW95。当時のフラッグシップ機です。

↑黎明期のCDラジカセの面影を残すパナソニックRX-FD56。

 

 

・中期バブルラジカセ

 

89年頃になると時はバブル絶頂期。無駄に豪華なものが流行った時代です。ラジカセも例に漏れずどんどんと多機能化を進めて行きます。バックライト付きの大型ディスプレイ、シンセサイザー・チューナをはじめモータードライブのボリュームつまみなどの細かい処にも凝ったギミックが搭載されて居ます。

 

 

↑オレンジのバックライトが眩しいビクターの「CDioss」RC-X770。

↑アイワも頑張って居ました。ノイズリダクションにドルビーC搭載した上級機CSD-SR8。しかし数年後には….。

 

 

↑シャープだって負けては居ません。なんとCDが2枚も入る超弩級機を出して居ました。QT-83CD。

 

 

↑パナソニックはサブウーファを搭載せず正統派の左右スピーカのスタイルで攻めて行きます。RX-DT80。

 

この世代の機種は上にCD、正面にダブルカセット、シンセサイザーチューナが標準形に成って居ます。機能が多く迫力ある音を出す反面現在では本体の大きさがデカイのが邪魔で最大のネックだったりします

 

・後期バブルラジカセ

 

バブル景気も収まりだした90年代前半のグループ。

 

今までの正統派ラジカセスタイルから脱却した独自性を持ったものが増えて行きます。

パナソニックのコブラトップやソニーのソナホークなど個性的な機種が多いのが特徴。

 

 

↑バブルラジカセと言ったらこれと言う人も多い?コブラトップ搭載のRX-DT707。

 

 

↑小型ながら迫力の音を出すソニーのソナホークZS-7。電動スタンドはリモコンで操作でき向きを変えられます。

 

 

93~4年ごろになるとバブルも崩壊し、ラジカセはモデルチェンジのたびに機能が削られて行きます。こうしてバブルと共に大型ラジカセの時代は終焉を迎えて行きました…。現在では安価な性能が悪く音も良く無いものしか売っては居ません。ですから、この時期の音がいいもの、1970年代から1980年代のものがリペアされて、改造されたものなどが中古ラジカセショップで売って居ます。もしラジカセを欲しかったら。そう言った物も選択肢に入れるといいでしょう。また、東芝が復活させたオーディオブランド。「オーレックス」から発売されて居る2万円台のCDラジカセは音がいいですよ。重低音が出ます。皆さんも是非購入してアナログなカセットテープで音楽を満喫しましょう。。。。

 

 

Japanese Old BOOMBOX Design Catalog Part.2 -Standard- Vintage Ghettoblaster 80s Old School 

Japanese Old BOOMBOX Design Catalog Part.3 -Multifunctional- Vintage Ghettoblaster 80s Old School 

Japanese Old BOOMBOX Design Catalog Column -Sound Quality of Boombox- 

Clairtone 7980 Boombox Bluetooth Mod 

 

 

今回は、久々記事を書きました。短いです。まあ、思い出した事があったもので、調子が少し良かったものでして、それ書こうと思いまして、それから新しいラジカセが発売になったので其の紹介記事です。暇潰しにでも読んで見て下さいね。この記事書くのでも1日がかりなのですよね〜〜。それと動画を幾つか挙げて居るのでそれも見て貰えると嬉しいです。ラジカセの記事を省けば短い記事ですよ。合わせてもそれ程長いとは思えませんが。まあ、人それぞれなので、、宜しく。。。。

 

 

黒いレースの下着姿で『anan』(7月28日発売号/マガジンハウス)の表紙を飾る佐々木希 

 

佐々木希の画像 プリ画像
佐々木希

 

私が好きな青木志貴ちゃんです。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今からほぼ30年ぐらい前に、いや、もっと前か?ある中学生が卒業してから高校へは通わないで、おじいさんに教育されて居た男の子が居て、毎日近所の喫茶店で朝食を摂ってから、自宅と図書館で其のおじいさんの特別なカリキュラムで勉強して居て。昼になるとまた今度は定食屋で食事をして。夕方は剣道をおじいさんから教わって、練習をして居て、夜は自炊して、其のおじいさんは東大出身の人で、まあ、英才教育でしょうか?其のおじいさんはそうやって東大に入ったそうで、その子の両親は交通事故で他界して居て。其のおじいさんと仲良く暮らして居たのですが、、それを聞きつけた。ある作家がテレビの取材で其のおじいさんと孫に、インタビューしたのですが、敵意丸出しでして。こんな勉強をしても今時の東大には入れないとか、高校生が竹刀で素振りをして居ると「かせ!!」と取り上げて自分も素振りをして、其のおじいさんと孫は利口だから黙って居たのですが。番組の終わりに、「こんな無駄な事をして居て何が東大に入れると思って居るんだ!!バカ者が!!私にだって出来る!!」と言って居たが。私は其の番組を見て居て、「バカはてめえの方だろう・・・・。」と言いたかった。まあ、其の嫉妬たるや凄まじいモノがあった。63歳にもなって、、笑って仕舞ったのはその子が素振りをして居たら竹刀を取り上げて自分も素振りをして、「基本がなっとらん」とか言って居て、私は「あんた剣道した事あるの?」と聞きたかった。良いでは無いか其のおじいさんは大蔵省に居た人だった。自分は一介の三文文士だろうに。その子が高校に行かなかったのは交通事故で軽いが身体麻痺があったからだった。だから、おじいさんは自分が面倒を見て出来れば自分やら息子と同じ様に東大に行かせたかったのだ。身内はおじいさん一人しか居ないのですよ。随分とバカな小説家だった。

 

 

特別番組「ノーベル賞を目指す高校生たち~慶應大鶴岡キャンパスの新・英才教育 

 

 

私が病院に入院して居た時も小説家が居て私に付いて廻った。私が入院するので暇つぶしに読もうと敬愛して居る。アニメと実写の映画監督「押井守監督」の「全作品」を網羅した「押井守・ロマンアルバム」と言う結構大きめの本を読んで居たら勝手に部屋に入って来て見せろと言う。私が仕方なく見せたら。丁度、「ゆうき・まさみ」の原作で「機動警察パトレイバー」と言う作品があるのだが。押井さんがテレビシリーズと劇場版アニメ2本を監督して居るのだが、劇場版アニメの方は名作の誉が高い作品なのですよ。其の作品の説明文と批評、写真を見て、「〇〇さんはこんな幼稚なロボットの漫画なんか見て居るのか」と言ったバカだ!!其の当時私は50歳でそいつが53歳だった。「漫画?」アニメと漫画の区別がつかないのだ。この作品は「踊る大捜査線」の原案にもなった作品だ。ロボットが出て来るから鉄人28号(知らない人はごめんなさい。昭和30年代に流行った子供が喜んで見て居たテレビアニメです)見たいな子供向けの幼稚な作品だと偏見の眼で見て居るのだ。「踊る捜査線」の本広克行監督は押井さんと仲が良く、まあ、親友同士で、後輩の本広監督は「踊る大捜査線」はどのぐらい「機動警察パトレイバー」の真似をしたか、アイデアをどのくらいパクったかと何時もテレビ放送などで喋って居るし、最近では300万で映画を撮る、勝手のATG映画見たいな映画団体「シネマ・ラボ」で押井さんにまず「血ぃ友達」と言う女子高生が主演の映画を撮らせて、今は押井守脚本で本広監督が「ビューティフル・ドリーマー」(押井さんのアニメで名作の誉高い同じ名の作品があるが。それとは別物の実写)と言う映画を撮影して居る最中だ。其の小説家はマカロニ・ウエスタンが好きで、それもこいつは本当に小説家かと言うほど幼稚な見方しかして居なくて、同じマカロニ・ウエスタンが好きな私でも話して居て苦笑してしまう程だった。要するにバカなのだ。いくら小説が書けてもね。

 

 

絶対監督主義 シネマラボ 押井守たちの挑戦 

 

 

そして其の入院時に私はCDラジカセとCDを持って入院して居たのだが。私が持って居る1970年代フォーク全集という5枚組のCDBOXを聴かせろと部屋にやって来る。そして私が調子が悪くて薬を飲まされて寝ようとして居る就寝時間の9時にやって来て「なんだ、もう寝るのか、夜のお楽しみはこれからだ」と言うのだ。それで毎回言い合いになる。「病院の就寝時間は9時だし。俺は此処に治療に来て居るんだ、あんただってそうだろう!!」と言うと帰って行くが、次の日また来る。そして就寝時にCDを聞かせてくれと言うのだ。私は良い加減に嫌になり其の定価1万6千円で購入したCDBOXをくれてやった。そうしたら要約来なくなった。しかし毎朝、朝食の時に食堂で隣に座り、「昨晩は小説の原案を考えて居たものを半分捨てて、新しく書き直した」と言い出す。私は良い加減に頭に来てそいつの主治医と看護師に言って傍に寄せつかせない様にしたのだった。それが其の男の病気なのだ。偏執狂だ。そうしたらそれから暫くして、病状も良くなっても居ないのに退院したいと言い出し。主治医と口論になり強力な精神安定剤入りの点滴をされて、それが入った容器の棒を持ちながら彷徨いて居たが。最終的には独居房に入れられて居た。そして他の病院に転院になる事になって。そいつは此処以外だったら、どこでも良いとか言って居たが、なんと転院先の病院は入ったら出して貰えない様な精神病院で、そいつはそれから6年間は出して貰えなかった。話が大分逸れたので元に戻しますが、それからこんな番組もあった。これも今から20年ぐらい前にやって居たのだが。渋谷の夜に高校生たちが屯して居ると言う事で学校の教師たちやらPTAの主婦連が、渋谷の道玄坂などを見て廻ったのだが、、確かに高校生は居るのだが不良でも無いし、ただ少し遅くまでまあ、8時ぐらいか、、それまでショッピングやら当時のゲーセン(ゲームセンター)で仲間内でワイワイして居ただけなのだった。

 

 

しかし其の時に主婦連は「早く帰りなさいね」と言って居るのに。ある女教師が高校生の男の子には優しく「もう帰りなさいね」と言って相手の高校生たちも「今、帰ろうとして居たところです。帰ります」と言ったらニコニコして居るのに17歳ぐらいの女子高生の3人組を見つけたら「お前たちは!!学校はどこの高校だ!!。男と関係する為に此処に居るのか!!」とまあ、手厳しい。そうしたら其の子らはまだ純情な女の子たちで「違います。買い物に来て遅くなっただけです」と言ったら「良い加減な嘘をつくな!!援助交際をしに渋谷まで来たのだろう!!白状しなさい!!そうに決まって居る!!」と問い詰めて居るのだ。何の根拠も無いのに。見て居るこっちまで「この教師は何言ってるんだ。バカじゃ無いか?買い物袋持って下げてるだろうに」と思って見て居たら。そのうちの可愛い顔をした女学生が泣き出したら。テレビのレポーターに「こうやってこの小娘は男と遊んで居るのです!!」と言って居る。私は「50女の僻みで若い子に辛く当たって居るだけじゃ無いか?そんな子たちでは無いだろうに、スカートの丈だって長めだし。」と。此方まで気分が悪くなった。そしたらテレビ局のレポーターの30歳ぐらいの女性が、泣いて居る子にハンカチを差し出して、「もう帰りなさいね」と言ったら3人とも頷いてその場を後にしたら。其の教師は「いけしゃあしゃあとして居て、憎たらしい!!最近の若い娘はとんでも無い。信用ならない。男子学生は素直だけども」と明らかに女学生に嫉妬して居るとしか思えなかった。私も最近よく女子高生の事を言って居るが、私は今時の女学生がミニスカートを履きたい気持ちは分かるし。若い女の子らしくて良いとも思う。ただ下着が見えると男は好色な目でしか見ないから気をつけなと言いたいだけだ。それに確かにズベ公みたいな女子高生も居るが大抵の子は素直だと思う。それに私はもう歳だ。私が女性として魅力を感じるのは30代から40代ですよ。子供を好きになってどうする。17歳ぐらいから20歳ぐらいまではまだ少女だなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

まぁ、こう言う事を言うと怒られるが、宮崎駿監督みたいにロリコン爺さんも居るが。私はどう考えたって自分の歳から言っても、30代〜40代ぐらいの女の人に目が行きますよ。大人の女性がいいですね。確かに女子高生やら女子大生は可愛いが、、まだまだ子供です。ところで、またスケベな事を言うと言われそうですが、女子高生のしゃがんで居る時にパンチラして居るのはどうにか成らないものなのでしょうかねぇ、、まだ子供なんだろうと思う、警戒心が無さすぎるんですよね。前に、近所にヤマダ電機があるのですが行き方が分からなかったから、マゴついて居て通りすがりのOLに場所聞いて見たら、反対方向を随分と歩いて居た事が分かり、丁度、冬の12月の夕方の6時だったら、其の女の子が心配してくれて「今日はもう遅いから、行くのはもう明日にした方がいいのでは無いですか?そうした方がいいですよ。明日にしたらどうですか?」と言ってくれて。次の日、訪問看護師の女の子が、スマホで場所探してくれて一緒に行ったのだけども。言って見たらすぐ近くにあって拍子抜けした事があった。其の時に、女子高生が自転車で私の前を通って居たのだが、モロ・パンチラだった。スカート短すぎ、、なんか其の訪問看護師がその子の事を睨んで見て居たけど。まあ、男は基本スケベだから。

 

しかし、宮崎駿は物凄いロリコンですよ。何しろ小学6年生ぐらいから中学生に興味があるのですから。自分で言っても居ますしね。だって彼は小学生の近所の女の子6人ぐらい連れて山小屋に一緒に泊まりに行くのですよ。そして「私には6人の恋人が居る」とか言って居る。奥さんから何時も大皮肉を言われて居て、「あなたは女の子が大好きなんでしょ」と言われて居るそうです。だから宮崎さんの映画に出て来る女の子はそれでも年齢上げて居て14歳から17歳ぐらいですよ。ヒロインが皆。有名な「ルパン三世・カリオストロの城」(宮崎駿監督デビュー作)なんてロリコン映画の代名詞ですからヒロインのクラリスちゃんが17歳。不二子の様な女を知って居るルパンが、何故かクラリスにメロメロになる設定。自分の好みを客に押し付けてるなぁと言った印象を。劇場で18歳の時に見た時にそう思いましたよ。この映画には元になった映画があって。三船敏郎主演。谷口千吉監督「奇巌城の冒険」と言うピカレスク・ロマン作品の映画があるのですが。それを参考に作って居ますよ。確かに若い子は特に最近の女の子たちは化粧の仕方もあるらしいが皆、可也可愛いですよ。でもまかり間違っても私が女子高生がいいと思う事は無いです。最近このblog記事にモデルさんやら女優さんの写真上げて居ますが、もう、誰を次に上げ様か迷って居ます。まあなぁ、若い女優やらモデルの子なら居るのですが、、、

 

ルパン三世 カリオストロの城[4D版]2019年11月8日より期間限定上映 予告 "LUPIN THE 3RD: THE CASTLE OF CAGLIOSTRO" 

 

 

調子が悪いkiyasumeです.....。

 

kiyasumeの下手なエレキギター「ストーミーマンディー 」

 

 

最近の若者たち、20代から30代の人たちは売りに出て居る会社を個人で買う人達が居る。それも結構な若者がそれまで勤めて居た仕事を辞めて会社を買う。会社と言ってもある看護師の女の子は、ウエディング・プライライダルの会社を買った。またある28歳の男性は猫カフェを買った。また40代の会社で営業本部長をして居た中年の男は家族の反対を押さえ込んでインターネットのショップ店を買った。また23歳の男は付き合って居る恋人、仲がいいと紹介されて居たから多分同性相手だろう。彼女と共にタピオカとクレープ屋を買った。その売りに出て居た店は皆非常に安かったほぼ100万もあれば買えたのだ。最近の若者は賢い。皆、ちゃんと時代を見て居る。昔みたいに株で儲けようとかそう言う危ない橋は渡らない。しかし皆店を買ってからコロナの世の中が来て仕舞った。店には客が来なくなって仕舞った。だが彼らは諦めない。

 

ウエディング・プライライダルの店を経営して居る女の子はそれまで海外での挙式が多かったが、異国情緒がある。沖縄にカップルを勧めた。またウエディング・ドレスの沖縄での試し着。そして貸し出しも始めた。猫カファを経営して居た男はドリンクバーも設けた。そしてこの頃なのに猫カフェ2号店をオープンした。大阪でタピオカとクレープを売って居る恋人同士は客が全く来なくなって、男の方がアルバイトを始めて店の補填に当てて居たが、東京でレモネードが流行って居る事を知って自分の住んで居る大阪でレモネードを出す店は無い事から、急遽レモネードも販売する様にした。そして店長自ら自宅待機のアルバイトの女の子たちに出社して貰い。クレープとタピオカでの発売に際して感じて居る点を聞いて見た。そうしたら、クレープは、こうすればもっと美味しくなるのではとか、色々なアイデアが出て来た。そして現在コロナの自宅待機は解かれ、また店には学生をはじめOLだとか客が来て呉れる様になったと言う。ホリエモンは言う。

 

「月15万の給料で会社勤めして居てバカを見て居るんじゃ仕方が無い。それは自分がいけないんだよ。」と。私もYouTuberの話を聞いて居て、ネットを使えば簡単に結構な額のお金が稼げると言うのをよく聞く事がある。一瞬。100万で店やら会社が買えるのならが買いたいとも思うし。ネットビジネスもして見たいなぁとも思う事がある。しかしすべては遅すぎた。私はもう歳だし。障害持ちで体調が悪く、働く事すら侭ならない。だから今は生活保護で暮らして居ます。全ては遅い。そして世の中への窓口で書いて居るこのblogだけが支えだ。この間。主治医に「私は漫画も書いて居た時期があったから、、」と言ったら「あ、あ〜〜!!」と唸って居る。あの人も6年前に人に言った罵声の事を思い出したのか?どいつもこいつも頭に来る!!私は実の姉だか姉さんを心底恨んで居る事がある。私の姉と弟はすぐに私の事を「貴様」と呼んだ、そして姉は私が統合失調症で働けないから嫌だと言って居るのに母から親父の会社で働きなさいと言われて嫌々入社して働いて。

 

そしてものの見事に、従兄弟から嫌がらせを受けて居る最中に。電話を掛けて来て怒声で怒鳴ってこう私に罵声を浴びせた。「なんで、貴様が会社に入ったんだ。ええ!!会社の社長は従兄弟に決まってるだろう!!お前がなんで社長になれるとでも思って入って行ったんだ。この大バカヤロー!!今すぐ辞めろバカヤロ〜〜!!!」、人が統合失調症だと言って居て薬を飲むと、毎日、倒れて意識が無くなる様な薬を飲みながら。嫌がらせをされて頑張って働いて居る弟に向かってよくも言えた!!私は此間、前のblogでもう恨みつもりは言わないと言った。しかし!!この侭では私としての人間としてのプライドが周りを許せない。今、はっきり言って、人の2、3人ブチ殺してやりたい心境だ!!訪問看護師たちにしたって今まで何だったのだ。自分らは、まだ30代、40代だろ、60にもなる男を散々コケにして来て、私は本音を言えば、今、彼女らが大人しくして居る演技を見て居るのも嫌なのですよ。なんであんなにバカなのだ!?

 

私の親父はバカだった。だから72歳で末期癌に掛かって安楽死になったのだ。自分から死神を呼んで死んで行ったのです。タバコの煙が充満しているパチンコ店に7時間も毎日通い詰めて肺ガンに掛かって。私が病院側から呼び出されて母を連れてバカ親父に会いに行ったら。看護婦が私を怒鳴りつけてこう言った。「〇〇さんはうんちとおしっこが垂れ流し状態でオムツを幾ら買えてもダメなんです!!」そして別の看護師は私を睨みつけて私に怒声でこう言った「あんたの父親は他の患者の分のオムツも使って仕舞って居るんだから。オムツぐらい買って来てよ!!」私は母を連れて、病院内の売店に行ってオムツ4つくださいと言って大きなおむつの袋を二人して両手に持ってその看護婦に叩きつけてやった。既に母はもう認知症の気が出て居たのだ。

 

次の日、担当医から家族全員が呼ばれた。そして担当医から私は長男と言う事でもの凄い勢いで睨まれた。担当医が言った事は「〇〇さんは、末期癌です。骨ガンの末期症状にもなって居るし。肺ガンも末期の上、肺炎を起こして居る。注射を打ちたいのですけどねぇ、ただ注射を打つと呼吸が止まる事もあるのでねぇ。私の友人の医者がご家族の承諾を得て注射を打って呼吸が止まって死んだら、家族がその先生を訴えましてねぇ、私はそうはなりたくはないんだ!!」そう私を睨みつけて怒鳴って言う。私は黙って居たら。姉さんが「手立ては無いのですか?」と支障な事を言う。

 

今まで見舞いにも来なかったくせに。弟は肘で顔を支えて考えて居るので。私が「注射打って下さい」と言おうとしたら姉さんの旦那がそう言った。さてもうバカ親父とはこれでお別れだ。思えば散々私を除け者にし、自分では障害で働けない私を会社で働かせて置いて、自分に都合が悪くなったら私に出て行けと言ったバカ親だ。正直私は怒りに燃えて居た。なんでこんな時にまで私がバカ親父の主治医から恨まれないと行けないのだ。私は注射を用意しに行って居る間に家族と一緒にバカ親父のところに行って目を閉じて、口を開けて意識が無いであろうバカ親父に言った。「親父、俺の声が聞こえるだろう。聞こえたら俺の手を握って来な」すると、そんな状態の親父が物凄い力で握って来た。私は口にこそ出さなかったが思った。「あんた人生の終わりの老年になっていい気になってやりたい放題やってこの様なんだよ。あんた今からすぐ死ねるんだ感謝しな....。」私は冷酷だった。

 

そして心配して居る母を側から遠ざけた。看護婦がやって来た。そして注射を一本打った。それから1分程でバカ親父は死んだ。それから私が姉さんを許せないと思う出来事があった。なんとバカ親父が死んだ、すぐそのあとでレストランに入りたいと言うのだ。お腹が減ったと言うのだ。普通、目の前で自分の父親が死んだのに、食事が取れるか?喉に通るのか?仕方がなく皆んなで病院内のレストランに入った。食事を食べて居たら。「〇〇さんは居ますかぁ〜」と呼ぶ声が聞こえて。弟が「此処に居ます」と言ったら呆れ顔で呼ばれて連れて行かれて慌てて帰って来て言った「食事なんかして居る場合じゃないよ、出棺だよ〜〜!!」私は今緊急連絡先にだけ姉さんになって貰って居る。それもケアマネージャーが言ったからなったのだろう?。

 

母が自分が認知症になる少し前に私が毎月渡して居た給料と年2回のボーナスを貯めて居たお金を私に寄越したら弟から「なんで貴様が親から大金貰えるんだバカ野郎!!ぶん殴ってやろうか!!」と電話が掛かって来た。私はどいつもこいつも皆殺しにしてやりたい心境だ!!弟はその後、急死した。それ以前の私が弟からマンションの家賃を持って貰って居た時の事だ。姉から怒声罵声の電話が掛かって来た。そして罵詈雑言言われた「貴様なぁ!!、何弟から家賃の援助なぞ受けて居るんだ!!あいつはな別れた嫁になぁ月70万も慰謝料請求されて居るんだバカやろう!!」私に死ねと言いたいのだ。弟も私には何も言っては来なかった。そして7年間音沙汰がないので、2年前の暮れに電話を掛けて見た。そうしたら開口一番言った事は「貴様なぁ!!こっちはおばあちゃんに、月40万も施設代払って居て。私は毎日旦那と喧嘩だ!!バカヤロー!!」だから私は「そうですか・・・」と言ったら「電話なんて2度と掛けて来るな!!!」と言われた。

 

恐らく母が死んでも遺産分けとかも何にも言って来ないだろう、いや、死んだ事すら言って来ないだろう。何故なら母親には大金が掛かって居るのだから。「あいつになんか取り分は渡すかバカヤローだろ?」実家を処分した時だって「1時間で必要なもの取りに来い!」で、何も取りに行けなかったら全部処分して居たし。大切な写真。記念の若い頃に貰って居た賞状など、全部処分された。中にはアメリカから貰った賞状もあったのだ。私が母に買って上げたソファー、母が購入して持って居たドレクセルの家具。ヤマハの置き時計。すべて売って自分のものにしたんだろう。私は勿論一銭もお金は貰っては居ない。最低な家に俺は生まれたと思って居る。俺の恨みは誰にぶつければいい、本当に人の2、3人ブチ殺してやろうか。「バカヤローと言いたいのは俺の方だバカヤロー!!。」私は自分が死んだら、自分の家の墓になど入りたくも無い。無縁仏で良い。あんな父親と弟が眠る墓になぞ入りたくは無い!!さあ、こう言う時用に処方されて居る精神安定剤を飲もうと思う。

 

あれを飲めば精神は落ち着く。今日は2錠飲む。多分また寝て仕舞うだろう。「真心が無かったらそんな人は生きて居る資格なんて無い」私はそう思います。・・・。2錠飲んだ。2時間が経ったがまだ怒りは治らない。昨日テレビで言って居たが、自殺の時期と言うものがあるそうだ。「自殺をしよう。もう死ぬしか無い」と思ったら、30分時間を置くと良いと言って居た。それが自殺をしようと思う時間のタイムリミットでそれが過ぎれば自殺は考えなくなるそうです。私も以前自殺を考えた。私は神でも何でも無い。だから人から喧嘩を売られたり。嫌がらせをされればその人間は私の場合一生許さない。しかしそう言う人間程自分が人に何したか、何言ったか忘れて気軽に声を掛けて来るものだ。昔、私に嫌がらせを散々して居た同級生がいた。道ですれ違い様にそいつが「おい、〇〇、懐かしいなぁ〜」と笑顔で声を掛けて肩を掴んで来たから。思いっきり振り向きざまに渾身の力を込めて3発ぶん殴ってやった。鼻から血をぼたぼた流して苦痛の顔をしながら呆然として何が何だか解らない顔をして居るので「自分の胸に聞いて見ろ!!」と言ったら。そいつとは2度と会う事はなかった。もう1錠薬を飲む怒りが治らない!

 

一旦休憩です・・・・・・。

 

 

北斗の拳ミュージックビデオ⑧ 花守の丘 

 

 

 

東芝エルイー、半音刻みで音程調整できるカラオケ対応CDラジカセ新発売。

 

東芝エルイートレーディングは、カセットやCD、スマホの音楽を使ってカラオケが楽しめる機能を強化したCDラジカセ2機種を6月12日から順次発売した。価格はオープンプライスで、店頭価格(税込)はダブルカセットの「TY-CDW990」が21,000円前後。SDカードやUSBメモリに対応する「TY-CDX91」が17,000円前後。

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TY-CDW990

CDラジカセのユーザーはカセットテープ全盛期を経験し、現在もカセットテープを楽しんでいる中高齢層が多く、TY-CDW990/TY-CDX91ではこうしたユーザーをターゲットにカラオケ機能を強化。

 

従来機種(TY-CDW99、TY-CDX9)で搭載しているボーカルダウンやエコー機能に加え、新たにカセットテープやCD、スマートフォンなどの外部入力音源の楽曲を半音刻みで、高・低各5段階で音程を調節できるキーコントロールを搭載。歌いたい曲の音程を声の高さに合わせられるようにした。

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    TY-CDX91

TY-CDW990は、CDとダブルカセット、AM/ワイドFMチューナを搭載。ダブルカセットを生かしたカセットテープの高速ダビングに対応する。ラジオ選局が登録できる「お好み選局」は、FM/AM各5局からFM10局/AM5局に強化。外部入力端子を備え、スマホなどの音楽も流せる。

本体前面にカラオケなどに利用できるマイク入力端子を搭載。別売のマイク2本をつなげられるデュエット用ジャックが付属し、デュエットも楽しめるようにした。

 

スピーカーは8cmコーン型ユニットを採用。出力は3W×2ch。電源はAC電源または別売の単2電池6本に対応する。消費電力は28W。本体サイズは350×203×141mm(幅×奥行き×高さ)、重さは約2.6kg(電池含まず)。リモコンなどが付属する。

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    TY-CDW990の前面

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    TY-CDW990に付属するデュエット用ジャック

TY-CDX91は、CDとシングルカセット、ラジオ、外部入力を備え、最大32GBまでのSD/SDHCカードやUSBメモリにMP3(192kbps)録音が可能。音楽CDのほかに、CD-R/RWに書き込んだMP3音源も再生できる。新たに、楽曲再生速度を±5%ずつ±20%まで調整でき、楽器やダンスの練習に便利なテンポコントロール機能を備えている。

AM/ワイドFMチューナを搭載。ユーザーからの要望が多かった、時計表示とラジオ番組のタイマー録音、目覚まし機能に使えるタイマー再生機能を追加した。

スピーカーは8cmコーン型ユニットを採用。出力は3W×2ch。電源はAC電源または別売の単2電池6本に対応する。消費電力は22W。本体サイズは316×215×130mm(幅×奥行き×高さ)、重さは約2.2kg(電池含まず)。リモコンなどが付属する。

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    TY-CDX91の上面。SDカードやUSBメモリへの録音ボタン(右下)を備えている

 

今回は此処までです。読んでくれて有難う御座います。更新できたらまたお逢いしましょう。過去記事も読んで貰えたら嬉しいです。どうか宜しくお願い致しますね。。。ではまた。。。。

 

 

 

 

 

 

今回は言いたい事があって書きました。私が一見愚痴を言って居ると思う方が居られるかとは思いますが。今回はそうではありません。精神障害者とそれを取り巻く環境について語って見ました。確かに愚痴も文の中には書いてはありますが。本筋はそれではありません。私はこれでも色々と物事について考えて居る方だろうとは思っては居ます。人から見たら歳の割に幼い思考回路だと笑われるかも知れませんね。ですが無い知恵を搾って考えて見た事を書いて見ました。今回も前回同様に皆さんに対してのメッセージだと思って下さい。処で私はマスクは持って居るのですが。近所のゴミ捨てやら、自動販売機に飲料水を買いに行くとき。又は、コンビニに行く時などは何時もマスクをするのを忘れて仕舞い。今までマスクを掛けずに行って仕舞って居ました。しかし最近は、今、黒い服装なので、黒いマスクがユニクロで売って居たので、購入してちゃんとそれを掛けて行って居ます。決まりは守ら無いとね。皆さんはマスクはちゃんと掛けて居ますよね。

 

私ぐらいなものでしょう。掛けて居無かったのは。ああ、コロナは脅威では無いとかでマスクを掛けて居無い人達も居ますが。よく無いですね。人の事は言えませんがコロナは脅威に変わりはありません。何故、コロナであんなに死者が出て居るのに「コロナでは死にません」と言う方たちが居るのか私には解りません。たまに居ますよ。マスク掛けて居無い人がそして大抵はニコニコ笑って居ますね。まあ、人の勝手だとは思いますが、自分がもし、保菌者だった場合。周りに移す可能性がありますよね。今日もラジオを聞いて居たらニュースで、東京では可也な数の発病者です。そして2人死んだと言って居ました。危篤状態の人も4人居ると言って居ましたよ。油断はいけ無いですよね、反省しきりです。それではblog記事を読んで見て下さいね。結構、知らない事を言って居るかも知れませんよ???

 

 

今日の昼食。。。。

 

 

 

 

 

私のヘタなポピュラーソロ 

私のドヘタなブルースソロ。

私のドヘタなハードバップ風ブルースソロ。

 

 

 

 

 

 

皆さんは統合失調症と言う障害をご存知でしょうか?此の障害は脳の神経伝達分質であるドーパミンやらセロトニンの異常分泌により引き起こされる脳内精神疾患です。決して気狂いではありません。そして此の疾患には脳内に効く抗精神薬が処方されます。そしてその薬さえ飲んで居れば普通の生活は遅れます。それは薬による副作用とかもありますが。普通に話せ普通に暮らせます。ただ、物凄い眠気が出て来たり、精神的肉体的な症状が出るので、健常人の様に働く事が出来ません。此処のblog内で知った人たちが、ネットでお金を稼ぐ方法やら、書いて居て羨ましく思いますよ。私は出来ませんから。そして私の様な精神障害者は差別されます。今回はその事について書いて見ました。しかし話はそんなに嫌な話では無いと思います。ただ此の記事を読んだ方が私に対して嫌悪感を抱く事もあるかも知れません。なるだけ公平に読んでやって下さいね。宜しく。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

此間、新しい訪問看護師が来た。私はこの子はいい子かなと思って期待をして居た。しかし期待は裏切られた。私は色々と音楽を聴かせたり自分のブルースハープのblog に貼り付けてある。音源などを聴かせたが、「ハハハハハハ」と笑うのだ。そして「ガロ」などの古い漫画を見せても「セリフが古いじゃないのよ!」と言う。昔の漫画の単行本を見せても表紙の裏側を見て「何よ、初版じゃ無いのよ!」と言うのですよ。そして私が昼間眠たくなると言うと「あら、昼の薬は外れて居るのだから眠たくなる事はないわ....。」そして「夜、薬を何時頃飲んでるの」そう言うので「まあ、遅いけどね11時頃かな?」と言ったら「遅いんじゃないの、だから眠くなるのでしょう?」と言う。私は「ああ?何言ってるの」と言いたくなった。そして、私は主治医の悪口をわざと言って見た。すると「私たちは主治医と連絡取り合って居ますから!言いつけるわよ!!」と言うのだ。この子では無いが。30代の子は此間「〇〇さんはいいわよ。」と言うのだ。だから「何が?」と聞いたら「だって他の患者で私が訪問時間に行っても居無い人が居るのよ!!」と怒って言う。そして「ケッ!とかヘッ!とか言われるのよ」と言う。さぞかしその患者をバカにしたのだろう。自分もよく前は私に「ケッ!とかヘッ!」とか言ってたじゃない?と言いたかった。例えば私が「おこがましいけどGACKT 君は弟の様な感じに思うんだよ」と言ったら「ケッ!」「死んだ弟と歳同じだからね」と言ったら「ヘッ!」そう言ったじゃ無い?人に言ってるから言われるんだろう。

 

その患者は相当に怒ったのだろうと思う。まあ、最近、私は主治医とうまく行き出した。しかしそれは訪問看護師から自分の悪口を、私がこう言って居たとか聞かされたせいだろう。あれだけ私をバカに仕切って居た主治医が突然陽気になり好意的に話し始めたのだ。誰かから何か言われなければああは成るまい。精神医療従事者に言いたい。「精神病患者はバカだ」と言う固定観念は捨てるべきです。自分らもそんなに高尚な人間では無いだろう。こんな事だからジョンレノンが言って居た様に、差別は無くならず平和は訪れ無いんだよ。それと看護ステーション内で私の事を色々と話して居るのだろう?そしてこのblogも見て居るはずだ。私は彼女らが来ても何時も通りですよ。彼女らがどう思おうとね。私は私だ。前にこの間、blog記事で話した3重人格の障害を持った女の子が生前生きて居た頃に。その子と話して居るとある看護師に言ったら。「こいつ何、恋人気どりで言ってんだバカが!!」とでも思ったのだろう。「無駄な事よ!」と言われたよ。

 

「無駄な事ってなんだ?」あんたら本当に看護師か.....。障害者には障害者同士にしか分から無い事があるんだよ。どれだけ醜い心を持って居るのだ。いまだにこれだ。私は若者は好きだよ。しかし、60を廻った男をバカ呼ばわりするガキに用はないんだよ。。もうあまり言いたくは無いが主治医が前に私に話をして最後にこう言った。「ねぇ、話、解って聞いてるの?」自分で解りにくい話をして置いて。私はバカだから、解って聞いて居無いだろうとでも言いたいのですよ。だから、私は言った。「解りますよ」そうしたら黙って居る。何遍も言う様だが、初めて私は区役所の職員の女の子に同伴されて病院に行った時だ。私が主治医に経過を説明しようとして「先生、俺は大学2年の時に発病し・・・・」と言い掛けたらすごい罵声で「大学じゃあないだろう。大卒と言うな!!」「貴様は途中で発病したから高卒と言え!!」なんの権利があってこんな事まで言われなければなら無い。私はちゃんと大学は出た。その時に一緒にいた区役所の職員の若いバカ女。「そうなんです!!この人は兄弟からも見放されて居るほどの男よ!!」その上に。ある時に姉からなんの連絡も無いと言ったら「兄弟は〜さあ〜、親じゃないんだよねぇ〜〜。けっ!!」そう言ったよな。。。

 

 

 


 

 

 

しかしその事を私は弟に話をしてもダメだろうとは思ったが一応メールで言った。そうしたら、なぜか次の月に小声で「すみませんでした・・・。」と言って居た。そして私が。「blogを書いて居て心理学や哲学の事も書いて居ますよ。」と言うとびっくりした顔で人を見つめ。まるで「大学も要約、行った様なバカがそんな知識は無いはずだろ。」と驚いて居るのだ。私が以前のblogでだが、「blogで人との交流がある。書き込みもありますよ」と言えば「へ〜書き込む人なんて居るの?」と、どこまで人をバカにして居る。貴様それでも医者かと言いたくなった。まあな、今はそう言うことは一切言わなくなったがね。それはそう言われたと訪問看護婦に言ったから私が怒って居ると聞かされたからだろう。だから温和になって話して居るのだ。そして私が色々と優しい先生も居るとその看護師に言ったら「優しいのは患者に興味がないから」と言う?果たしてそうか?私は確かに最近に成って、幻聴幻覚を見た。しかしそれを間に受けなかった。ちゃんと幻聴だなと思った。幻聴では無く。周りの近所の人が言った言葉に反応したのですよ。私の考え違いですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

こう言った時期だったから。他の人の事で言って居た話を、自分が言われて居ると思い込んでしまった。幻聴では無い。それから。これは幻聴の怖さだが、薬剤所で女の子の薬剤師と話して居たら。そばに居た若い男の薬剤師の声で「このバカ!!」「バカか!!」と聞こえたのでその男の方を向いて「なんだこいつ?」と思って見たが。アパートに帰って来てからよくよく考えて見た。「果たしてあんな事をあの若い男の薬剤師が本当に言ったのだろうか?」考えて見た結果。やはり幻聴だったのだろうと思った。幻聴は怖い。相手の声でその声色で聞こえて来る。思った通り次の月に薬の事で、親しく話し掛けて来て話して見たらいい青年だった。よく精神障害者が近所の人とトラブル沙汰になるのは。幻聴を聞いて、自分の悪口を言われたと思うからだ。その精神障害者には周りの人が自分の悪口を聞こえごなしに言ったと思うのだ。それに少しの噂話でも、また集団でストーカー的に言われて居ると勘違いする事も侭ある。

 

京アニにガソリン巻いて36人焼き殺した精神異常者などがその例だ。京アニのアニメーターたちは若くて俊英な腕のある若者たちだった。一人の狂人によって皆殺しにされてしまった。犯人は犯行時に大火傷を負ったが病院で手厚く看護をされて、今頃になって警察から事情聴取をされて居る。しかしニュースは一切伝え無い。なぜなら彼は統合失調症だからだ。私と同じだ。だが彼はいずれは警察の精神病院で飼い殺しになるか死刑になるかどっちかだろう。テレビでは京都アニメーションの放火現場にアメリカやらフランス、イタリアやらドイツなどからファンが来て、献花台に花束を捧げて夜遅くまで日本人と一緒になってローソクを灯して居た様子が放映されて居た。今から32年前の1988年に幼女を誘拐し、レイプし殺害しバラバラに遺体を切断して、焼却炉で焼いて犯行声明を新聞社に送りつけたり。親元にその頭蓋骨を送りつけて「私はある女性だ」と手紙を送り付けた宮崎勉と言う男が居たが。新聞もニュースもバラエティーショーも何も言わなかったが。そいつも統合失調症だった。

 

そしてアニメ・オタクだった。そいつの部屋は自宅とは別棟としてあり。そいつの8畳間にはおよそ5,363本のビデオテープが未使用の物も含めて置いてあった。それ以来アニメ・オタクは異常だと言われ続けて彼らは肩身が狭い思いをして来た。私たち統合失調症患者たちもだ。最近はもう30年以上経ったのでオタクと言ってもバカにされ無くなったし世の中に定着はしたが.....。いまだにこの事件の事を「オタク」と言う言葉で連想する人は居るだろう。彼は裁判では人格異常障害と判定されて刑事責任能力はあるとされて死刑になった。京アニのアニメーターを焼き殺した男も恐らくは人格異常障害として国家によって殺されるだろう。世論がそうしなければ許すまい。それでなければ死んで言った者たちも遺族も報われ無いだろう。そう言った背景があるから精神科医も訪問看護婦も統合失調症の患者をバカにする。人間とは扱わ無い。私などにも気を許すと何時何をするか解ら無い気狂いとしてしか見て居無いのだ。そして頭はバカだと決め付けて居る。

 

この辺が精神医療者の限界だろうと思う。私とて思う。入院中に女性の局部の写真集をアメリカから取り寄せてどうやって今から20数年前に税関を通したのかは知ら無いが、それを精神病院に持って来て居た男が居た。確かに男は皆スケベだ。だが、この男は女性を襲う危険性が極めて高い。まあ、気がおかしいから。彼は「谷村新司は平気で「お○○こ」と自分のDVDのトークショーの中で言って居る」と私に力説した精神異常者だ。彼の歳は当時で56歳だった。気が完全に触れて居た。病院の看護師は皆優しいが。訪問看護師の女の子たちは患者に優しくは絶対に仕無い。それが元で変な事には成りたく無いからだ。そんな事は私は重々解って居る。だがそれでも言いたい。医療事業者は聖職者と同じなのだ。余程酷い患者でなければ差別はいけ無いだろう。だが精神科医も訪問看護師も態度を改めない。反対に精神病院の看護師やら看護婦たちは皆優しい。そして親切だった。余程訳が解ら無い気が変な患者以外には皆優しいのだ。或る時にこう言う看護婦さんが居た。

 

30歳ぐらいだったが、寝て居る私の傍に来て優しい声で「頑張ってね。何れは退院出来るからね.....。」そう言った看護婦さんが居た。(大部屋だったのでベット周りはカーテンで閉められて居る)私は眠りながら声はしっかり聞こえて居たし彼女がカーテンを出て行く後ろ姿を朧げながら見た。それからこの話は何遍も言うけど、私が廊下で突然吐いてしまった時に他の看護婦だがなんと汚物を手で受け止めてそれを処理室に行って腕と手に掛かった汚物を洗い流して私の手を引いて「大丈夫?」と言って内科医の所に行き、「今、この〇〇さんは吐きました」と報告した。此間、私のケア・マネージャーが言って居た。「精神病院に勤めて居る看護師たちは覚悟が違うんですよ。患者に対する覚悟がね、、、」そう言われて成る程そうだなと思った。人としての覚悟。仕事に対する覚悟が。看護師としての覚悟があるのだろうと私もそう思って居る。女性は優しい人の方が好かれる。本当の意味での覚悟を持って居るからね。

 

黒澤明の或る有名な映画が有る。私は黒澤作品でも一番好きな映画なのだが「生きものの記録」と言う映画だ。黒澤明がコンビを組んで居た当時の作曲家の早坂文雄が病気で寝て居た時に彼が水爆実験の映像を見て「こう生命をお脅かされたら生きてはいけねえ・・・」と言った事が元で撮った反・原水爆映画だ。その映画の主人公は最後は精神異常になって精神病院に収監される。ストーリーを話して置こう。歯科医の原田は、家庭裁判所の調停委員会をして居る。彼はある日、家族から出された中島喜一への準禁治産者申し立ての裁判を担当する事になった。鋳物工場を経営する喜一は、原水爆の恐怖から逃れるためと称してブラジル移住を計画し、そのために全財産を投げ打とうとして居た。家族は、喜一の放射能に対する被害妄想を強く訴え、喜一を準禁治産者にしなければ生活が崩壊すると主張する。しかし、喜一は裁判を無視してブラジル移住を性急に進め、ブラジル移民の老人を連れて来て、家族の前で現地のフィルムを見せて唖然とさせる。

喜一の「死ぬのはやむを得ん、だが殺されるのは嫌だ!!」と言う言葉に心を動かされた原田は、彼に理解を示すも、結局は申し立てを認めるしかなかった。準禁治産者となった喜一は財産を自由に使えなくなり、計画は挫折。家族に手をついてブラジル行きを懇願した後に倒れる。夜半に意識を回復した喜一は工場に放火した。精神病院に収容された喜一を原田が見舞いに行くと、喜一は明るい顔をして居た。彼は地球を脱出して別の惑星に来たと思って居たのだった。病室の窓から太陽を見て喜一は、原田に「地球が燃えとる.....。」と叫んだ。

 

 

黒澤明入門 警鐘~「生きものの記録」 

 

 

この映画を見た時には私はすでに統合失調症だったが、精神病院にはまだ入院しておらず。この映画での精神病院の描写には恐怖感を抱いた。実際に自分が精神病院に入院して見たら、この映画の様な事は無く。看護婦さんも男の看護師も皆優しく。嫌なのは精神科医がやたら威張って居る事だけだった。確かに患者には嫌な患者も居たが。皆おかしいなりに、理由を持って居たし。話をすれば、少しおかしいなと思うだけで、それ以外は正常だった。人間と言うものは、自分の考えの及ば無い事やら、自分では理解出来無い事は考え様とはせずに無視しようとするし、蓋をしてしまう。そして映画やらアニメでのイケメンの主人公やら可愛い女優の障害者の演技または可愛い女の子の障害者のキャラクターを見ては大粒の涙を流して泣くが。いざ、実在の障害者を見ても興味を示さ無いものだ、それが人だ。人の残酷な本心です。自分が障害を持ったらどうなるかとは思わ無い。私は違う、自分が障害を持って居るからと言う事もあるが障害者には声援を送って励ましたい。此処まで書いて来て健常者の方々に言いたい。もし耳が聞こえ無い人が居て道を聞いて来たら紙に文字を書いて教えて挙げて下さい。もし目が見えなくて杖をついて居る人が居たら。点字ブロックの上を歩かず自転車をおかず。駅に居たら手を引いて挙げて下さい。もし精神疾患者が居たら何もする事はないけど暖かい目で見守って下さい。最後にそれだけ言って是で終わりにします。此処まで読んでくれてありがとう。

 

 

 

聴いて見て下さい#「 私だけの十字架 」#  と言う歌です。

 

 

 

今回は此処までです。最近は調子は上がっては来ましたが。まだまだ本調子ではありません。もう以前の様な長い記事は書け無いかと思いますが。今回の記事でも長いと思う方も居られるかとは思います。なにぶん休養中ですし、次回はまた何時書けるかとは思いますが、そう言いながら此処の処、書けては居ますね、はは、、でも本当に体調が悪くて仕方がないのですよ。隣町にある銀行まで行かなければなら無いのを、銀行のATMが自分の住んでいる駅前に出来たので、そこでお金の出し入れと家賃の振り込みをして居るので、しかしATMでは通帳記入が出来無いので何れは銀行まで行か無いと行けません。しかし今日は暑いです。最近、暑くなって来ましたね。処で最近は秋がないんですよね、夏からすぐに冬になる。気候変動のせいでしょうね。しかし最近、私は若者が聴く歌が要約聴けて来ました。いや、最近、若いミュージシャンたちの曲作りと歌声の良さが分かって来たのですよ。私の様な歳の者にも若者の歌が分かるのだから。今度は若者たちも昔の良かった頃の音楽。ブルースやらオールドロック、シャンソン、ジャズなどを聴いて見て貰いたいですね。世代なんか気にする事は無いよね。老いも若きも一緒になって世の中楽しみましょうよ。それではまた.....。

 

 

 

 

 

 

私は前にも言ったけど。こんな話は、もうしたくは無いけど。ある若いと言っても30歳ぐらいの女性だが、私が土方歳三の話をしたら。「その人、誰ですか?」と聞くのですよ。私はもしかしてと思い近藤勇。沖田総司と言っても見たが。どの人も知ら無いと言う。要するに新選組を知ら無いのですよ。私は「知ら無いの?」と言うと、「忠臣蔵なら聞いた事があるけど新選組なんて知ら無い」と言い切る。だから私は「司馬遼太郎は知って居るよね?」と聞いたら「知ら無い」と言う。「『新撰組血風録』やら。『燃えよ剣』とか、知ら無いの?」と聞いたら、「知ら無い」と言う。私は此間、訪問看護師の同じ30代ぐらいの人に聞いて見た。「あの人知ら無いと言うのだけども?」と言うと「興味が無いからなんでは無いですか....。」と言う。私は「そんな事も知ら無いなんて程度問題だよ......。」と言った。そして、それからその人がまた来た時に日本のロックの話を仕始めたら、、「ちょっと!!いい加減な事、言わ無いでよ!!。1970年代なんて歌謡曲と演歌しか無くてロックなんてまだ無いわよ!!」と言うのだ。私は「君、何言ってるの?日本のロックは1970年代からあるんだよ。知ら無いの !?」そう言うと黙って居る。

 

 

だから言った「君さぁ1960年代の「グループ・サウンズ」やら、その前の「ロカビリー」があった事も知ら無いだろ?」と言うと。「世界的に言ってもそんな時代に今のロックなんか出て来て居無いでしょ!!」と言うのだ。私は「あのねぇ.....。ロックは1965年ぐらいからあるんだよ。その前はロックンロールだったんだよ。知ら無いんだろう?」と言ったら要約黙った。だから言った「ビートルズが出てきたのは1964年ぐらいなんだよ?それも知ら無いだろ?」と言った。今日、その話をヘルパーのおばちゃんに言ったら、「それがゼネレーション・ギャップよ」と言うから、「いや、程度問題だよ」と言った。今日はヘルパーのおばちゃんが、昔の漫画の話をして来るので2人して盛り上がった。特に「手塚治虫作品の「ばるぼら」の映画がいいらしいよね。」と言うので。あれはいいですよ。俺は手塚治虫の原作も持って居ますよと、今から46年位前に購入して居た漫画本を見せた。そのおばちゃんは私より一つ上なのですよ。ほぼ同時代を生きて来たから。話は大体分かり合える。

 

しかし私は、こうも今時の30代が何も知ら無いとは思わなかった。いや、驚くと同時に呆れた。ロックやら土方歳三を知ら無いのはいいとして、いやぁ、土方を知ら無いのは問題だが。私が高校の頃。17歳当時は、ロックが全盛だったけど。私の様に音楽をよく聴いて居る人間は過去の音楽。ラグタイムやらロックンロール。ブルース。R&B。サザンソウルなどは皆んなこぞって聴いたものだ。そして日本ならグループ・サウンズやら当時の日本のロックバンド。ブルースバンドを聴いて居た。その当時の流行の歌謡曲しか聴か無い人たちは。やはりその後すぐにダメになって行った。今はヒップホップが全盛だ。しかし、それだけしか聴か無い人たちは後が無いと思う。歴史は過去から学ぶものだからだ。今の侭で満足して居てはダメなのだ。此間、ラジオを聴いて居たら、今時の男性ミュージシャンらがトーク番組で「デビット・ボウイ」の事を仕切に話して居た。今から46年前に流行った彼の曲は古いけど凄いと称えて居たのだ。私は歳だからその言い方に「古い?」とツッコミを入れて言いたくなってしまったが。彼は確か1970年代に「地球に落ちて来た男」と言う。映画で主役も張って居るし。最近では坂本龍一やら北野武と共に大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」などにも主演で出て居た程だ。彼は中性的な魅力があったが実際は男らしい男で。当時グラム・ロックと呼ばれて居た彼とT・レックスのマーク・ボラン。そしてアリス・クーパーやらニューヨーク・ドールズなどがビジュアル系ロックの出始めだった。

 

 

David Bowie - Ziggy Stardust (From The Motion Picture) 

 

 

GACKT君らはそれらを参考にして日本のビジュアル系ロックを作った。まあ、日本にはその前にロックでは無いが美輪明宏が居たけども。まあ、私は地味なブルースとジャズを信望して居たから。はっきり言ってGACKT君の人柄やら才能は好きだしリスペクトもして居るが。彼のマルス・ミゼル時代の曲は少し聴いた事があったが。彼がソロになった頃からの曲は。殆んど知ら無いし興味は持て無い。彼の歌は上手いとも思うし。曲もいい曲があるのは解っては居るが。私は矢張りBluesmanなのですよ。それに歳だから。若者の音楽は正直言って聴いて居てキツイ。でもシンガーソング・ライターの曲などは好きな曲もあるにはあります。ただ若者と同次元には慣れ無いですよ。それは私が老いぼれてるせいですね。ジェネーレーション・ギャップですね。私がAKB48などの追っ掛けをして、ライトペン振って「〇〇ちゃん、命!!」などと騒いで居たらそれこそ異常です。

 

 

-HQ- 月下の夜想曲 / MALICE MIZER / Gackt 

 

 

まあ。昨年、73歳の老人がモーニング娘の追っかけをして居て、通は「モーニング娘」とは言わ無い「娘」と言うのだ!!と言って居た変態糞爺がいたが。まあ、あの老人は性犯罪を起こさ無い事を祈る。さて、今回は記事が長いので、もし読み切れない人が居たら、何回にも分けて読んで見て下さいね。それでは、また調子が悪い為に、暫く更新が遅れると思います。だから皆さん過去の記事やら、此れから挙げる記事も読んで見て下さいね。お勧めは此間挙げた「バンド放浪記」それから、此れから挙げようと想って予定して居る「精神病院奮闘記」「生活保護の全て」「「ガロ」と「COM」」「日本の戦後から1970年代までの歴史」「こんな時代を生きて来た。」などです。宜しくお願い致しますね。それでは読んで見て下さい。コメント頂けたら返事は書きますから。宜しくね。それではどうぞ.......。

 

 

 

The Red Spectacles (MMV) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『家電の思い出』

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私が小学生だった頃、近所の京王ストアーの2階には「ラオックス」が入って居て。オーディオ売り場があった。私はよくステレオを見にそこまで行った。ラオックスの店員はそんな小学生の子供に敬語を使って、親切丁寧に詳しくセパレーツ・ステレオやらモジュラー・ステレオの性能とか当時流行って居た。4チャンネル・ステレオの説明などをしてくれた。当時は家電大手のステレオ・メーカー、ビクター、ナショナル、コロンビアなどがステレオを作って居た。マイナーな処では、サンスイ、サンヨー、アイワ、アイコーなどが作って居たが、モジュラー・ステレオはサンヨーとかが名が知れていた。アイワ、アイコーも安いモジュラー型のステレオを作って居たが、この2つのメーカーはラジカセで頭角を現したメーカーだった。確かアイコーは光星電気とも言ったと思う?。このメーカーは通販でも安いステレオを売って居た。

 

店舗も持って居た。全国にチェーン店があり。ステレオも1万8千円ぐらいの物を売って居た。なにせ月賦で買えるのだ。店には子供たちがよく見に来て居た。私が中学くらいに成ると漫画雑誌の裏側などに広告を出しても居た。そしてその内、ステレオだけでは無くて、ラジカセやらラジオ、楽器なども扱い始めて1万8千円のエレキギターやらベースギターなどを売り出した。私と友人は、或日、月賦で購入しようとその店をおとずれた。私はステレオとエレキギターを、友人はステレオとベースギターを購入しようとしたのだ。私たちは店のおじさんに此れらを買いたいと言った。するとその店主は少し困った様な顔をした。そして「現金?月賦?どっち」と聞いた。私たちは二人して「月賦でお願いします。」と言った、すると店主は「保証人には誰が成ってくれるの?」と聞くのだ。私たちは保証人が必要なのかと聞いたら未成年だから必要だと言う。

 

私たちは買うのを諦めて帰って来た。その後、私はベニヤ板と厚めの合板の板を京王ストアーで買い込んで、そして秋葉原に行って16センチのスピーカーを一つ買って来て、フルレンジのスピーカーを作った、そしてそれにラジカセのイヤホン端子を繋げてスピーカーから音楽を聴く様に成った。間にトーン・コントロールの増幅のつもりで低音のつまみが独立してあるソニー製のラジオを入れて低音を出す様にして聴いて居た。そして音源はエアチャックしたものやら。近所のアパートに住んでいる大学生のステレオで購入したレコードを掛けて、それをステレオの外部出力からラジカセの外部入力に繋げて録音をして居た。或る日、中学の近所にあった町のレコード屋でレコードを見て居て。友人と二人して見ながら「マウンテン」と言うロックバンドの「ナンタッケット・スレイランド」と言う名のLPやら、「シカゴ」と言うロックバンドのLPを見て、「マウンテンのハードロックはいいよな」と話して居たら。店主が突然「マウンテンはへヴィ・ロックじゃない?」と話し掛けて来た。

 

 

MOUNTAIN - Nantucket Sleighride - Live 1970 at The Fillmore East 

Chicago - 25 Or 6 To 4 (HD) 

 

 

 私が「そうですね・・・」と言うと。「君たちは近所の中学に通って居るのだろう?」と言う。そして「中学生の身分じゃあレコードはそんなに買えないだろ?」と言うので「そうですね」と言うと「あのさ、提案があるのだけども、特別に月賦にしてあげるよ。月3百円でどう?」と言って来た。此方は渡りに船なので、「いいんですか。よろしくお願いします」と言ってその案に友人と二人で乗る事にした。お陰でそれまで月に1枚しか買えなかったレコードが2枚買える様に成った。しかしそれは長くは続かなかった。私は毎月きちんと払って居たのだが。友人が払わなかったのだ、私は事もあろうか友人と間違われてお金を請求されたのだ、私は嫌に成り。「僕は毎月ちゃんと払って居ますよ!」と言って次からそのレコード屋には行なく成った。友人は優柔不断だった。きちんと毎月払わなかったのだ。怒った店主は親元まで取りに行ったのだった。

 

そして高校生になった。私は知り合いからエレキギターを買って貰い、バンドで弾く様に成って居た。ステレオは隣町の質屋で3万円のモジュラーステレオを買って持って居た。バイトをしたり。音楽関係のバイトもして居た。そして大学を出て障害を持ちながら働く様に成った。その頃はレコードは廃れてCDが登場して居た。巷ではCDを普及させる為に、レコードプレイヤーとレコード針はもう生産されなくなるとか。レコードは持って居てもゴミにしか成らないとか、カセットテープは捨てるしかないとかラジカセはもう作られないとか、音響メーカーがCDとCDプレイヤーを普及させる為に、嘘の情報を流してCDとCDプレイヤーの購買力を煽って居た。私が当時持って居たケンウッドのステレオはレコードプレイヤーとCDプレイヤーそしてWカセットデッキのセットのコンポステレオだったから。

 

私はレコードも殆んど売らなかった。そしてカセットテープも自分のバンド関係のものは大切に所有して居た。その時分、1978年頃になるとビデオデッキが発売し始めた。厳密に言えばカセットデッキは1973年ぐらいからある事はあった。ただし Uマチックと言う可也大きなモノで、60分テープ1本で1万円はして居た。当時はベータとVHSの2種類の別々のビデオデッキが登場して居たが。私は働いた金でモノラルのナショナルのVHSのビデオデッキを購入した。どこで買おうかと思ったが、母が「デパートのオーディオ売り場に知り合いが居るからそこで買ったら.....。」と小田急まで私を連れて行った。私は近所の電気屋よりは良さそうだなと思いそこで購入した。定価18万のビデオデッキだが16万7千円まで割り引いてくれた。昔はデパートにもオーディオ売り場はあったのですよ。

 

ビデオは応接間に置いた。私は録画はCMカットでして居た。何時も民放でやる映画はだから見て居た。タイマーは掛けなかった。どんなに夜遅くでも必ず起きて録画した。テレビの前に座ってビデオのリモコンを持ってCMの印が出ると身構えて一時停止して始まるとすぐに解除した。それでカット放送の映画だが、CMは綺麗にカットされた映画のビデオコレクションが出来た。私はライブラリーを増やして行ったのだった。テープはヨドバシカメラで安いものを購入して居た。何時もビクターのスタンダード・ビデオテープを買って居た。一本2千7百80円はした。高くてとてもハイ・グレード・テープは買えなかった。

 

そして1980年に成った。当時、ハイファイ・ビデオデッキが登場した。私はこのビデオデッキを2台購入した。ダビング出来る様にだ。お陰でヨドバシからダビングでテープの劣化が無い様に当時6千円したプロ・マスターテープを1本購入した。それを録画用のマスターテープにして、そのテープからハイグレード・テープへとダビングした。今見たいに、デジタルではなくアナログだからダビングすると画質が極端に劣化して悪く成るのだ。だから最上位クラスのプロ・テープに録画して、ハイグレード・テープにダビングするのだ。これで画質は少しは抑えられる。CMカットはダビング時にゆっくりと後から出来る様に成った。

 

もう夜中の名画劇場で録画のために起きて居なくて済む事に成ったのだった。当時、私はビデオ・ソフトも購入して居た。1980年代は好きな俳優のクリント・イーストウッドやらアラン・ドロンのビデオを購入して居た。1983年頃になると「TDKコア」と言うビデオメーカーからアラン・ドロン名作選と言う企画で、ドロンの主演作8本が一挙発売と成った。私はこのビデオを全巻購入した。ビデオソフトは当時1本、1万4千8百円して居た。私は月3万円の小遣いを殆どビデオテープ代に当てた。その頃に成ると、1978年に公開された「チェイサー」で人気に陰りが出て居た、アラン・ドロンは日本の映画界から、半ば干されて居る状態だったが。1986年の新作映画で自ら監督と主演をした映画が当時大手の有名な不動産屋だった地産グループがドロン人気よ再びと、日本公開までお膳立てをして公開されたのだった。私は新宿の歌舞伎町の映画館で当時見て居る。「チャイサー」がドロンお得意のフレンチ・ノワールだったのに対して、その「危険なささやき」はアメリカ・ナイズされた、乾いた感じのハードボイルド映画に撮れていた。非常に面白かった映画だった。私はビデオソフトの発売を心待ちにした。5ヶ月すると発売された。

 

Mort d'un pourri - Bande annonce 1977 HD 

(France 1977) Philippe Sarde - Mort D`Un Pourri 

Pour la peau d'un flic (film 1981) bande annonce 

Oscar Benton - Bensonhurst Blues 

 

 

そしてそれから数年して、何気なくテレビを観て居たら、突然「香港のフィルム・ノワール颯爽と登場」と言う声と共にある映画の予告編が映った。「男たちの挽歌」と言う香港ノワールだった。私はこの映画の予告編を観て吃驚した、それまで私は香港映画が嫌いだった。ブルース・リーに代表される中国産の映画は嫌いだったのだ。しかし「男たちの挽歌」はピンと来た。見る価値がある映画だと思ったのだ。私は映画館まで観に行きたかった。だが会社での従兄弟の嫌がらせに寄って私は体調を崩してしまい。映画館には行けずビデオ・レンタルを待った。そうしたら劇場公開からなんと3ヶ月と言う異例の速さでビデオ・レンタルに成った。買っても良かったが、何せ初めての香港ノワールだ。まず観てからとレンタルショップを覗くが入荷して居ない。私は根気強く探した。すると隣町のレンタル・ビデオショップ「ケイオー」にある事が判った。私は早速借りて来て、観て見た。良かった。

 

暗黒街に生きる男たちの哀愁。そして悪党に寄って引き裂かれる友情、兄弟愛、そして世の中から見捨てられた男の悲哀。私は此れはサム・ペキンパーやメルヴィルと同じではないか?東洋からこんなフィルム・ノワールが登場したのかと監督を尊敬した。監督の名は、ジョン・ウーと言った。そうあのジョン・ウーだ。そして主役のカンフー映画で主演を長く務めて来たテイ・ロンと新進気鋭の演技派の名優、チョウ・ユンファの二人の男の友情と哀愁が堪らなく良かった。私は以後、香港ノワールは必ず観る様に成った。これ以後、私はジョン・ウーとチョウ・ユンファのコンビ最後の香港ノワールの傑作「狼・男たちの挽歌・最終章」で大感動をする事に成った。

 

 

[電影系列] 英雄本色 mv - 當年情 

The Killer - Trailer (HD) (1989) 

 

 

1990年代に成った、私はレーザーディスク・プレイヤーを購入しようと数年前から考えて居た。この当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで人気だったビデオデッキは解像度が高いS-VHS方式の高画質ビデオデッキが登場したが、同時に今までのビデオソフトをレンタルしてダビングするのではなく。当時はレンタルのレーザーディスクが登場して居た。しかし私はアナログとしては最も高画質なレーザーディスクで映画を集めたく思った。レーザーディスクは中古屋もある。輸入盤もある。私は購入を決めた。しかし買う段になって調子が悪くなり、人生初めての入院に成ってしまった。病院で入院中に病院内の公衆電話で自宅に電話を掛けてみたら母が出て、何と母がレーザーディスク・プレイヤーを購入してくれると言ってくれた。

 

母にして見れば、私への配慮だったのだ。私は機種名を言い、母と電話でやり取りして、ついにレーザーディスク・プレイヤーを購入したのだった。そして私はそれ以降、ビデオ・ソフトは購入するのは辞めて、レーザーディスクで映画をコレクションし出した。私のレーザーディスク・コレクションは、当時S-VHSビデオテープが1本1万6千7百円して居たのに対して。レーザーディスクの価格が1枚、4千8百円という価格帯もあリ。そしてS-VHSソフトのレンタルがなかなか進まない背景も手伝って、レーザーディスクがドンドン増え、2000年を越す頃には400枚近くの枚数が溜まったのだった。その後、私はDVDとLDコンパチ機のプレイヤーを最終的に購入した。その機種は強力なノイズリダクション搭載の物で劣化してしまったレーザーディスクも高画質に補正される物だった。私はコレクションで映画や音楽を楽しんだ。2000年も暫く経つとDVDレコーダーが発売となった。丁度、立川の病院通いをして居たので、私はDVDレコーダーが発売されると聞いて立川のビックカメラに行って観て見たが、余りの人気のせいで発売は予約で受け付けて居た。その頃には私が所有しているパソコンにもDVDプレイヤーが内蔵され出した。

 

私にはレーザーディスクをはるかに凌駕するデジタルのDVDは魅力だった、しかし当初はレーザーディスクとDVDの両方を購入して居た。DVD出始めの頃は、まだ、作品数ではレーザーディスクの方が分があったのだ。私は時代の急激な変化を感じて居た。その内にあれよあれよと言う間にレーザーディスクは廃れ、DVDの天下に成って行ったのだった。私はDVDレコーダーを購入して、そしてケーブルTVに加入した。私はある事に気が付いた。それはDVDレコーダーに毎月放送されるケーブルTVでの BS CS放送を録り溜めて行けば、DVDソフトを購入する事は無く成るのでは無いかと言う事だった、

 

私はケーブルTVに加入する前はパラボナアンテナでBS放送に加入し、ビデオデッキでBS放送をエアチェックして居たが。なかなかWOWOWとNHKそして民放のBS放送だけではコレクションは増えなかったのだ。私はケーブルテレビで放送される莫大な数のCS放送を目の当たりにして、この放送をDVDに焼けば高画質なDVDレコーダーでのDVDコレクションが出来ると踏み、DVDは購入するのを止めた。そう仕手居る内に今度はBlu-rayと言う規格のDVDよりさらに上を行く高画質なものが開発された。私は迷わずBlu-rayレコーダーを購入した。以来、私はBlu-rayディスクとDVDを使い分けて、ケーブルTVの放送からドキュメンタリー。アニメ、映画を焼いて居る(録画)。そして去年の暮れに4K放送が始まった。それを見る為に4K対応TVを購入し、ケーブルTVのチューナーとは別に4Kチューナをレンタルした。そして4Kは録画がまだ出来ない為に、外付けのHDDを購入した。4K放送はまだ始まったばかりだ。

 

私は今はDVDソフトもBlu-rayソフトも余程欲しいモノ以外は余り購入して居ない。ケーブルTVの放送を一旦Blu-rayレコーダーのHDDに録り溜め、そこから本当に手元に残して置きたいドキュメンタリーやら映画、アニメ、音楽番組をBlu-rayやらDVDソフトに焼いて居る。まあ、たまにBlu-rayソフトを購入するが、どうしても欲しい物だけです、私はそれまで貯めてきたビデオテープとかの映像やらレーザーディスクの映像は、貴重なものは全てDVDやらブルーレイに焼いて居ます。このアパートに引っ越して来る時にレーザーディスク386枚とビデオテープでまだ所有して居た100本近くを処分しました。そして今の録画状態が一番好ましくいい状態だと言えましょう。

 

此間、ある人から「〇〇さんはお金があるからケーブルTVが引けるのですよ」と言われたが、よくよく考えて見て下さい。ケーブルTVは100チャンネル見られて月に8千円しか掛かりません。半分の50チャンネルなら6千円ですし。30チャンネルならば3千円台ですよ。私はインターネット回線も同時に引いて居るので、月の受信料にレンタル・チューナー代を含めても1万7千5百円ですよ、私はBlu-rayレコーダーはケーブルTV局が録画できるチューナー内蔵のものをレンタルして居ます。レンタル代は1千8百円です。そして4Kチューナーは264円のレンタル料金ですよ。工事費に8千円ぐらい掛かると言ったら、ある人がその金が高いとか言って居たけど。自分への投資なのですよ。一度に1回だけ8千円掛かるだけです。その金が出し切れないなら、金を貯めればいい。払えない金額では無いはずです。此れからの世の中は音楽もHDD携帯プレイヤーに撮り溜めて聴く時代ですし、映像もHDDに撮り溜めて見る時代です。私は先程も言いましたが、最近はなんでもありの時代です。私が最近ハマって居るのはレトロなカセットテープです。カセットテープで音楽を録音して聴いても居るし。スマホでストリーミングもBluetoothでステレオに飛ばして聴いて居ますよ。何遍も言いましたが。今は何でもある時代なのです.....。

 

 

 

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『レーザーディスクとは、何だったのか?』

 

LD、直径が30cmもありましたね

 

レーザーディスクは、直径30cmのディスクに両面で最大2時間の映像を記録できる光ディスク規格。

 

「レーザーカラオケ」が主流だった時代ありましたね

 

 

 

1972年に登場したレーザーディスク

 

 

国内でもパイオニアが製品化

 

 

映像ディスクはビデオデッキと違い再生専用で録画が出来ない事から、当初はビデオデッキよりも高画質を求めるマニア向けの規格となった。そのため、水平解像度が240本程度だったVHDに対し、レーザーディスクは400本以上と画質面のアドバンテージがあった事に加え、ピックアップがレーザーによる非接触式のため、プレーヤーで再生した事が原因のディスクの劣化が無いことから、レーザーディスクの方が圧倒的に優勢だった。

さらに、コンパクトディスク(CD)とのコンパチブル再生機の発売、レーザーカラオケのヒットによって、一般層にも普及した事から、結果的に規格争いに勝利した。

VHD陣営のメーカーも参加して開発した音楽CDの量産技術が、同じ光ディスク方式であるLDの技術とコストの問題を解決させ、LDを勝利に導いたと言われる。

 

レーザーディスクの普及

当初は7,000~10,000円と高額だった映像ソフト

 

 

他社もこれに追随する価格帯のソフトを増やす一方、パイオニアの他、ソニー、松下電器産業、ケンウッドといった各社から「ロッキュッパモデル」と言われた69,000円台の安価なプレーヤーも次々と登場する事に。

 

「LD-BOX」発売

「LD-BOX」発売

テレビドラマやアニメーションなどのシリーズ作品を複数枚のLDに全話収録して一括販売する「LD-BOX」というボックス・セット形態の商品が数多く発売され、コアなファンやマニアを取り込んでユーザー層を拡大させて行きました。今、中古レーザーディスクは1枚100円ぐらいです。レーザーディスク・プレイヤーが故障して居ないのならば割り切ってアニメなどは中古レーザーディスクで集めるのもいいかも知れませんね。今は中古で安いですからね。ただ特殊な店でしか購入出来ませんが。そしてプレーヤーが壊れそうになったらDVDにダビングするんですよ。要は考え様です。もともとアナログでは最高画質だったのですから。。。。

 

 

 

 

 

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「おばさん根性」

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昔親父の会社で働いて居た時に、スーパーのいなげやのパン工房の仕事を従兄弟が請け負って来て、その材料の仕分け作業をして居たのだが。ある時に、歳を行ったと言っても当時60歳ぐらいの、おばちゃんだがパートで雇って居たのだが、、私が休憩時間に当時、1980年代初頭にビデオデッキが発売されて、私は映画、アニメ、音楽番組、ドキュメンタリーなどを録画をする為に、当時、流行って居た、と言うかエアチェック派の御用達であったテレパルと言う番組情報誌を、隣のコンビニから購入して倉庫で缶コーヒーを飲んで。タバコを吸居ながら番組の放送予定表にボールペンで点じるしを付けて見て居たのだが。突然そのおばちゃんがこう言い放った。「こんなものを見て居るから。新聞読まないんだ!!」

 

私は言った、「確かにうちは読売新聞だけども、一度見たらもう見ませんねえ。それから、俺は経済ジャーナル読んで居るし、、」そしたら「大体が行けないんだ!!男は刈り上げないと行けないだ。そんな女みたいな頭は行けないんだ!!」私は笑いながら言った。「人の勝手でしょ。」それでもまだ言う。「男は刈り上げないと行けないんだ!!」「新聞読まないと行けないんだ〜〜!!」丁度、その前の日に憲法について読んで居た事があったので。そこに書かれて居た憲法の条例を言った。「おばちゃん。こう言う事知って居る?......。

 

日本における基本的人権は「自由権」「社会権」「平等権」「参政権」「請求権」に大きく分類でき、どれも国による理不尽な侵害は許されません。なかでも重要なのが「自由権」と「社会権」ですよ。精神的自由権って知って居ますか?」と聞きました。

精神的自由権

自由に物事を考えたり表現したり、活動にしたり出来る権利の事を「精神的自由権」と呼びます。日本では、他人に害を与えないのであれば、基本的にどの様な考え方をして居ても国が介入して罰する事は出来ません。自由が認められるものは、以下の様に大きく5つに分類されます。

  • 思想・良心の自由
  • 信教の自由
  • 学問の自由
  • 表現の自由
  • 集会・結社の自由

 

 

 

此処からは憲法の条例からの引用ですが。。。
 

第十九条

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

(出典 日本国憲法

19条には、心の中でいかなる思想や人生観をもって居ても法律では処罰されないとあります。物事の善悪は自分で判断する事が出来、その心の中に国家は介入してはならないのです。

たとえば、「何時か世界を俺のモノにしてやる!」など自分勝手な事でも、心の中で考えて居るだけなら警察に捕まりません。また、思想の違う政治団体が別の政治団体の思想を批判しても捕まりません。この様に、不謹慎な事を考えたり相手を批判したりしても処罰されないのは、19条の存在のおかげなのです。

 

(2)信教の自由

「信教の自由」は、憲法第20条で守られて居ます。

第二十条

第1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

第2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加する事を強制されない。

第3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

(出典 日本国憲法

 

第1項では、特定の宗教を信じる、信じないは自分で好きにして良いと言う内容です。
そして、どの宗教団体も国から特権の享受および政治権力の行使は禁じられて居ます。
つまり、日本では政府と宗教は密接に関わっては行けないのです。この事を「政教分離の原則」と言います。

 

第2項ではお祈りや儀式など宗教以上の行為に対する強制を、第3項では国の宗教教育や宗教的な活動を禁止して居ます。たとえば、公立中学校で祈りの儀式の時間を設けて強制的に参加させた場合は違反行為になります。
 

これも「政教分離の原則」に則って居ると言えるでしょう。この様に、国と宗教は密な関係性を持たない事が原則ですが、関わりを断つのが難しい場面も少なくありません。そのため実際に裁判例も多く、なかでも有名な判例は「津地鎮祭事件」や「愛媛玉串料訴訟」です。ちなみに、首相が靖国神社など特定の宗教施設に参拝する行為は、個人的な立場からの参拝と言う事になって居ます。

 

まあ、こう言う様な事を話たんですよ。それでもその人は、、

 

「個人の自由だなんてアンタッ!!、、自分の勝手だなんて、そんなの行けないんだ!!」

「新聞読まないで、そんな雑誌読むのなんて行けないんだ!!」

 

「(~_~;)・・・・・・・・・・・・・・」

 

 

此の事を書き始めて思い出したが、、高校の頃に渋谷の道玄坂にあったヤマハ楽器に。ギターアンプを買いに行った時だ。私は予算3万8千円のアンプを考えて居たのだが。一緒に行った友人が何か言いたそうに見て居た。私は3万数千円代のアンプにギターつっ込んで音の感触を掴もうとして居たら、そいつがこう言う。「そんな高いギターアンプなんか買うの辞めなよ。この一万円のアンプの方がいいよ。残りの2万8千円でギターの弦とか教則本が買えるじゃない。そうしろよ、なぁ!!」と言って店員にその一万円のアンプを指差して「これ下さい」と言って居るのだ。私は呆れて「おまえ!人の買い物について来て。何勝手に買うなんて言ってるんだよ!!」そう言うと「だってさ買い物はさ。俺は丸井で洋服をリボ払いで買って居るんだからさ。レコードだって丸井で買えば月賦にできるんだからさ。お前もそうしろよな、節約出来るんだからさ」私は呆れて言った「自分の事情と人の事情を一緒にして考えるんじゃないよ!!相当なバカだなお前は!!」

 

その様子を聞いて居た店員がまたやって来て「ギターアンプ。あれでは無いのですね?」と言うので。私が「違いますよ。その端にあるフェンダーのギターアンプ下さい。」と言ったらそいつは不貞腐れて居る。私は言ってやった。「悪いが!!お前見たいな奴とは2度と買い物には来無いよ!!」と言った。すると「安いもの買えばお金が浮いて他のものも買えるのに・・・。」と言うので言ってやった。「俺はな、ブルースに適したアンプを買いたいんだよ。お前みたいな奴を安物買いの銭失いだと言うんだよ!!」そしてサッサっとそいつと別れて帰って来た。それ以来そいつとは絶交した。そして月日が経ち会社で働いて居たら何とその男と外でばったりあった。「俺。ウッドベース購入したぜ!!」開口一番そう言った。「ああ、そう....。」「処で名刺渡しますね。私。今は広告会社で働いて居るのですが、オタクの会社の宣伝にうちの会社を使ってくれませんか?」だからうんざりして私はこう言った。「お前に、前俺なんと言ったっけ?」と言うと「にゃはははは.....。」と言うので「ところでさあ、お前ウッドベース持ってるなら今度持って来いよセッション出来るだろ」そう言うと、真顔になって「いや、持っては来れない・・・」と言うのだ結局はまる嘘なのですよ、、、

 

 

 

 

もうそろそろ染色に行かないと白髪が目立って居る生え際が・・・・・。

 

 

 

 

そして、「此れからシグマ・スポーツに行くから、此れで....。」と言うので、、「勝手に言けば〜〜。」と言ってやった。なんか思い出したので書いて見たけど。今はもう人気は余り無いが。1970年代は丸井は月賦で買える店として有名だった。私は昔からものを購入するときは一括払いでしか買わない。特にカードのリボ払い。あれは金利が尽くし、なかなか終わらないし買えば買うほど金額が膨らむ。辞めた方がいいのだ。私は金が無くて買えない時には金を貯めて買える金額になるまでひたすら待つ。今もそうだ、持ち金でその月は幾ら使うと考えて居る。だからその中からお金を別に貯める。そして、それを何ヵ月か続けて満額になったらその欲しいものを購入する事にして居る。ただ、此処の処。此間購入したばかりのビンテージ・ラジカセのカセット部分が、おかしな動作を仕出したのとBluetooth機能が壊れて使えなくなってしまった。だからその修理と。やはりパソコンが動作がもの凄くおかしいので、新しいパソコンを購入しました。パソコンが20万幾らでビンテージ・カセットデッキの修理には5万円は掛かるんですよね。まあ、合わせて25万は掛かるだろうと踏んで居た。でも、どうするか翌々考えて見ていた。

 

折角、ヤフーオークションで購入出来た。BoomBox(大型ラジカセ)だから、直そうかなと思って居ますけど。まあ1970年代後半のものだから修理代は5万円は掛かるのです。そんなものですよ。いや、修理して呉れる処がまだ有るのが嬉しいですね。しかし問い合わせたら私の持って居るラジカセは修理ができない事が判った。いや、最近の新発売になったCDラジカセをもう購入してもいいかなとも思って居た。しかし最近のCDラジカセは余りに粗勢乱造すぎるのですよ。作りが悪くて音も良く無いしね。しかし、この後、ビンテージ・ラジカセはもう直せない事が解って居たので。CDラジカセで一番音がいいものを購入しました。今はそれが音が良くて重低音も出るので購入して良かったと思ってます。値段はそこそこしましたが。まあ妥当な値ですよこの音質だったら...。2万円位ですから。

 

それから、今までCDレシーバーの音質。特に低音域と左右のバランスの調整が上手く出来なかったのですが、此間ネットで調べて要約、調節出来た。前は左のスピーカからの音がよく聞こえずに低音が重低音すぎたのだが。重低音のレベルを可成り下げて、バランスをスタンダードにした。すると左右ともバランスが良くなったし、低音が出過ぎる事も無くなった。これで解消した。よかった。音はもともといい、レシーバーのステレオなのだから。ただCDのトレイが壊れて居て出て来ない。まあ、CDは、CD付きカセット・デッキとCDラジカセで聴けるから。まあアンプ替わりですね。しかし昨日レコード針を購入して、また、はたと困って仕舞った(−_−;)。何とレコードプレーヤーから音が出ないのだ。セレクターが悪いのかと思って見たが、カセットデッキは、繋がって音が出て居るのだ。問題はレコードプレーヤーだけ、繋げてもステレオから音が出ないのだ。相当に悩んだが横から見て観たら小さなカートリッジのジャックが、トーンアームのコンデンサーの入り口に入ってなかった事が判明。それで差し直して観たら音は綺麗に鳴った。

 

そして5カ月前に新宿で購入して来た「ジミ・ヘンドリックス」の生前最後のコンサートになった。ワイト島でのライブを聴いた。生きて居ればもう80幾つだろうに、暗殺されたとは........。そう言う時代だったな。皆んな、暗殺されて行った。ジョン・F・ケネディーも。弟のロバート・ケネディも由緒ある白人から見たら血筋が良く無いと言うだけでね。キング牧師も。日本では三島由紀夫の自決クーデターがあって。浅間山荘事件。よど号ハイジャックやらシージャックがあったっけ。今思うと。随分と危険な時代を生きて来たんだよね、街を歩いて居るとキャバレーの呼び込みは必ずあったしね。電話ボックスには売春婦の電話番号が書いたチラシが貼ってあったしね。どこにでもね。まあ、これ以上話して行くと下世話な話になるから辞めときますが。今でも、エロは全開ですけどね。特にネットでは。。。。

 

今も危険地帯はある。例えば新宿歌舞伎町。納めて居るのは日本の暴力団では無いらしい。中国系マフィアだ。戦後すぐには尾津喜之介と言う親分が居た尾津組が終戦直後の混乱に乗じて新宿駅東口を不法占拠し、1945年8月20日には新宿マーケット(「尾津マーケット」とも)を開店した。「光は新宿より」というキャッチフレーズとともに新宿マーケットは約7万人の商店主および商店関係者を傘下に収め隆盛を極めた。なお、新宿駅西口線路沿いには安田組の安田マーケット(民衆市場)が、南東口近辺には和田組の和田マーケットが同様に不法占拠によって闇市を開いて居る。しかし昭和30年代なかばに始まった新宿駅付近の大規模復興計画と軌を一にして関東尾津組は急速に勢力を落とした。1957年(昭和32年)には傘下組織との抗争事件を起こした事も凋落の一因になったらしい。

 

この話は前にも書いたがその頃。伊勢丹で働いて居た母が宝石商に出向いて仕事をしろと言われてそこに行くと、なんとその宝石商は尾津組の経営する店で。社員は全員普通の素人の店員で、秘書として働いてた母は尾津組長と共に伊勢丹の応接室に通されて、伊勢丹の事務員がフルーツパフェとコーヒーを持って来たら。彼が何を思ったか「お嬢さん。この辺一帯は皆んな死人の山だったんだよ。我々が若い集とで燃やしてこの辺一帯に埋葬したんだよなぁ。」と言ったそうです。母はこんなに穏やかな人がヤクザの組長なのかと驚いたそうです。それから暫くして母はその宝石商を辞めて、伊勢丹に戻り働いて居たが、それからのちに神保町の三省堂書店の書店員をして居た処をまだ大学生だった親父が来て付き合ってくれと言われたらしいです。

 

今はGACKT君も言って居るけど。新宿の路地と言うか裏道歩いて居て、「結構人が居るなぁ」と思って居たら、全身血だらけの男が人にぶつかりながら歩いて来て、「なんだ!!」と思ったらチャイニーズ・マフィアが青龍刀持って追い掛けて居たそうで・・・・。私も若い頃サングラス掛けて新宿の地下道を歩いて居たら。鬼瓦見たいな顔をしたヤクザものが、恐らくあれはチンピラだったのかもなと思いますが。向こうから歩いて来て人目掛けて来るのですよ。そして如何にもと言うか肩をぶつけようとしたのですが、私が肩をずらして避けてその侭歩いて行ったら後ろから「ぶち殺すぞ!!このバカガキがぁ!!」ともの凄い怒声罵声がしたのですが。追い掛けては来なかったですね。あと高校の頃、下校時間になったら皆んなすぐに居なくなったんですよ。私は「ナンダァ?」とか思って駅まで歩いて行ったのですが人が居ない。そして改札口を出て駅の構内に入ったらヤクザものが30名は居るんですよね。私はそんなに不安にもならずにヤクザが座って居る席の側に座って降りる駅が来たので一応振り返って会釈をして降りて来たのですが。どこかのヤクザの組長が松方弘樹主演のやくざ映画を観に行ったらしいんですよね。そんな事もありましたよ。。。。

 

 

まあ、話が物騒になり始めたので此処までにしときます・・・・・・。

 

 

1980年代のテレビ雑誌とステレオ雑誌の「テレパル」と「レコパル」と言う雑誌を当時は皆んなは良く読んで居た。何故なら1週間先のテレビ番組の情報が分かるのと。同じアニメ仲間やら映画仲間やらが、集う場所として可成りな部数を誇って居たと思う。私も毎週見て居ました。そして10日程前は銀行に行って通帳記入を確かめるも家賃を払った記入は無い。先月には払った記入がある。私はすぐ銀行から今月分を送り。大家に電話を掛けて「病弱だったので入れられませんでした、すみませんでした。今日入れたので確認よろしく」と言って於いた。こう言うケジメはきちんとしなければね......。下は当時のテレパルの記事です。読んで観て下さいね。懐かしいかと思いますよ。

 

 

 

 

この前は病院に行ったが、その前に笹塚の銀行まで通帳記入とお金を下ろしに行って来たのですよ。病院が11時半から診察なのでして。先程言ったけど。しかし「あれっ!!」と思い当たった。家賃を大家にまた入れて居ないでは無いかと。此処の処。先月から今月に掛けて調子が酷く表に行けなかったのですよね。しかし神様が行けと言ったのであろう。なんと購入したばかりのメガネを踏みつけて壊して仕舞って居たのです。それで笹塚にはビジョンメガネがある。丁度、可愛い女の子の声で「定期診断の時期で〜す。来て下さいね〜〜!!」と電話が掛かって来ても居たから。病院に行く前にメガネ屋に寄ったのです。踏みつけて居たから結構修理代が取られるかと思って居たが1,100円だった。掛けて行ったもう一丁も直してもらったのです。レンズが外れるのでね。

 

 

「かわいい猫」ものすごく可愛い子猫 ♥ 最高の面白い猫の動画 #3 

 

 

今まで寝て居たので、髪がバサバサです。それにもう美容室に行きどきですよね。。。。

 

 

 

そして、先ほどのおばさんの話の続きですが。もう一人。ケーキ屋の職人からうちの会社に入って来た男が居た。ある時に、自動車会社の営業マンと整備関係のエンジニアが来たのです。2人して長髪でドレッドヘアだった。するとそいつは、何故か私の顔を見て促す様に顔を振りその2人に言った。「まあ、まあ、変んな頭しちゃってさあ、なにその頭。そうするのに時間床屋で随分と掛かるんじゃないの?」すると相手2人はその事は流してこう言った。「トレッドヘアって言うのですよ。知りません?」だから私が言った。「ボブ・マーリーなんかで有名だよね。」「君たちレゲエ・バンドかなんかやって居るの?」そう聞くと。すると「まあ、バンドやら.....。」すると片方が「俺はダンサーなんですよ」と言った。私は、「会社は君らが作った会社もしかして?」と聴いたら「そうです」と言うのだ。そして私の髪型を見て、「バンドマンですか?」と聴いて来たから「いや、今は休養中だよ。」と言ったら。「ハードロック?」と聴いて来たので「違う。ブルースとジャズ」と言ったら。「「ブルース」と「ジャズ」いいですね〜〜!!。」と二人して笑顔で会釈して私に「社長か専務に会いたいのですが?」と言うので、「アポ取ってある?」「ええ」と言うので社員が事務所に連れて行った。

 

その元ケーキ職人の社員は「ねえ、〇〇さん。ああ言うのどう思う?変でしょ?」私は一言「君もさあ、ボブ・マーリーとか聞いて見な。」そしたらそいつはこう言った。「あんな頭。床屋で幾らでやって貰うんだろう?」だから私は呆れて言った。「床屋であんな髪型はやれ無いだろ美容院だろ....。」そう言ったら。「へっ〜〜美容院なんて男で行くのかねぇ〜。」私はこんなバカと本当に呆れた。そしてそいつは黙って私を訝しく見て居た。そして掛けて居たメガネを置くと椅子に座ったのだが。その様子を見て居て、私は「あれ?」と思い。そのメガネにはレンズが入って居ない事に気付いて彼に聞いて見た。「メガネにレンズ入って居ないじゃない?」すると彼は得意そうに言った。「これ伊達眼鏡だから」私が「伊達眼鏡?」と聞き返したら。彼はこう言った「メガネに俺は憧れて居るんですよね。眼鏡かけると頭賢く見えるじゃないですかぁ、、」「〇〇さんだってメガネ掛けてるじゃないですか。だから頭よく見えるんだ....。」その男が暫くして、会社の先で乗用車を止めた黒ずくめの男たち4人が突然車から降りて、機関銃と拳銃やらライフルを取り出して確かめてから車に乗って発車したら「なんだか、おかしい連中がこの辺に居る〜!!」と怖がって居る。もしそれが本当だったなら抗争事件があったとテレビのニュースで言うし。私も見て居たが彼らは俳優たちだった。ちょうど当時は東映などのVシネマが流行って居てその撮影だったのだろう。隠し撮りでしょうね。

 

青バス通りは地味な通りだからよく撮影に使われるのですよ。その後は、テレビドラマで使われて居た。大体が街中で機関銃なんか持って居たら警官がほっとかないでしょうにね。私はこの男はどんだけバカかと呆れて見て居た。大体が私がアンドレイ・タルコフスキーの「惑星ソラリス」を観てご覧と渡すと。「へっ、惑星ソラリス、、ぷっ〜〜!!」と笑うのだ。うちに来て居る訪問看護師と同じだ。題名で幼稚な映画だと思って居る。この映画はソビエト映画で1972年当時、黒澤明がタルコフスキーのこの映画の撮影スタジオを訪れて、2人して抱き合った経緯がある。黒澤は当時ソビエトに招かれて「デルス・ウザーラ」と言う名作をロシア資本で取って居るのだ。此の映画の俳優はロシア人と少数民族の俳優が使われて少数民族(なんて言う種族か忘れた)の役者が主人公のデルス・ウザーラを演じた。黒澤はタルコフスキーのこの「惑星ソラリス」の初号フィルム試写を観て、大変感動をして。タルコフスキーとコニャックを明け方まで飲んでお互いに健闘しあったそうだ。馬鹿は何も知らないくせにすぐに人をおちょくる。何も知りはしないくせにね。殆、こう言う手合いと話して居ると嫌になる。自分が知らないのなら、何故知らないものを知ろうとしないのか?すぐに人を愚弄し、そしてやっ噛む。ああ、また話が逸れましたねドレッドヘアの事です。

 

 

"Listen to Bach (The Earth)" from "Solaris" 

 

ちなみにドレッドヘアは、「ドレッドロックス」が正式名称。“dread”は“恐ろしい”、“locks”は“ふさ状の髪”と言う意味を持って居ます。もともとアフリカ人種の髪の毛は、ちりちりと縮れて居るもの。“くし”でとかさないでおくと、自然に絡まりあって、ふさ状になるのだそう。

ドレッドヘアを語るのに欠かせないのが、カリブ海の小島ジャマイカで生まれ育ち、レゲエミュージックの神様と呼ばれる、ボブ・マーリーです。ジャマイカとボブ、そしてドレッドには切っても切り離せないつながりがあります。

その昔、ジャマイカがスペインの植民地時代だった頃、先住民は伝染病や戦争が原因で絶滅して仕舞いました。そこで連れて来られたのが、アフリカ人奴隷。現在のジャマイカ国民のほとんどは黒人奴隷の子孫なのです。しかも、儲け重視のサトウキビばかりを、奴隷に作らせたため、国全体が貧困に陥ります。そこで生まれたのが、「抗議する」という意味の「レゲレゲ」と言う言葉から生まれたる「レゲエ」と呼ばれる音楽です。

1945年、ボブ・マーリーは産まれます。彼は白人の父と黒人の間に生まれたハーフであったため、白人からも黒人からも冷たくされ、孤独な少年期を過ごしたと言います。そこで出会ったのが、レゲエと「ラスタファリ運動」です。

これは「人類発祥の地はアフリカである」と言う考え方で、ジャマイカの労働者や農民が起こしたもの。神様や特定の偉い人が居る訳ではないので、宗教ではなく「思想」と言った方が近いかも知れません。ラスタファリズムの信者はみんなドレッドヘア・スタイルなのですが、それは「髪は自然のままが良い、刃を当ててはならない」と言う決まりがあるため。ボブ・マーリーのドレッドヘアも、ファッションではなく信者の証しだったんですね。

 

アイショットザシェリフ四日市ジャズフェスティバル4ジャックス 

 

 

クエスト(QUEST hair&nail) 【QUEST】特殊系★ドレッドヘアー

 

Bob Marley

 

 

 

 

 

今回は此れで.....。また更新出来たら逢いましょう。それまでまた。。。。。。